第七章 運営の日常
アイアム! ベリー! フリー!
放課後。
ここは運営委員会室である。
私と観堺の2人は、生徒会室へ向かった弥生子さんと子依ちゃんが帰って来るのを、のんびりと待っている。
「なぁ、観堺」
「なんだ、河芝」
「弥生子さん達はいつ戻ってくるんだ?」
「人事届けを生徒会と学校の両方に出すから、もう暫くは戻ってこないぞ」
観堺はなにやらノートを開いて、それを見ているようである。
私はというと、いつものように副委員長席で両手を伸ばして、突っ伏すような姿勢で机にもたれかかっていた。なんだか弥生子さんがいない時は、この姿勢がデフォルトになりつつある。デフォルトといっても債務不履行という意味ではない。
因みに現在、運営委員会室の雰囲気が少しだけ変わっている。何が変わっているのかというと、先日岸先輩が持ってきたプレゼントの被り物が、部屋のオブジェとして2つ飾ってあるのであった。
「なぁ、観堺」
「なんだ、河芝」
「副委員長って、結局何をする役職なんだ?」
「委員長の補佐、代理だ」
「ふぅん……」
先述の通り、弥生子さんと子依ちゃんは、運営委員の人事届けを提出しに生徒会室へ行っている。人事届けなんて1人で十分なのに、どうして2人で行ったのかと言えば、子依ちゃんが。
「生徒会に会いたい奴がおる」
とか言って、一緒について行ってしまったからであった。
運営委員会室に残された私にとっては、2人が居なくても相変わらず仕事がないことに変わりはない。あえて違うところを挙げるならば、机にもたれかかっているかいないか、弥生子さんと同じ部屋にいる喜びに浸れるか浸れないかの違いだろうか。
後者はかなり重要である。
「なぁ、観堺」
「なんだ、河芝」
「運営委員会が本格的に動くのはいつからなんだ?」
「風紀部の私は、もう取り締りを始めているぞ」
「朝、校門辺りに立ったりするのか?」
「ああ、校門じゃなく下駄箱前だがな」
「へぇー。偉いねぇ観堺は」
「ああ、お前はエロいがな、河芝」
「ぐっ……」
とまぁ、一応はこうして日常的な会話が出来ているので、私は観堺に特別嫌われている訳ではないらしい。ただ観堺が面倒見いいだけかもしれないが、変に気取ったり気を使ったりしなくてもいい雰囲気なのは正直ありがたい。
これは別に弥生子さんがいると気が休まらないとか、そういう意味ではない。
私が弥生子さんを強く意識してしまうのは自分自身の問題である。
誰だって理想のタイプが近くにいれば緊張して普段通りに動けなくなるだろう? 完璧な存在が傍にいると、自分の不完全さがより浮き彫りになるような気さえするのだ。
もっと言えば、私がここに居ていいのか?
そんな思いにさえなる。
「なぁ、観堺」
「なんだ、河芝」
「弥生子さんはどういう人なんだ?」
「弥生子? まぁ、一言で言えば完璧だな」
「……そうか。やはり完璧なのか」
「ああ、小学校の頃からのつき合いだが、私の知る限りでは彼女以上の完璧人間はいない」
私と同じような印象を、観堺も持っていた。
私は出来るだけ、完璧という言葉は思っていても口には出さなかった。
しかし……。いや、やはりと言うべきか。彼女は他の人から見ても完璧なのだ。
私が観堺と出合ったあの日。私が副委員長に就くと知った観堺は、真剣に弥生子さんに抗議していた。それは多分、完璧だと思う存在に、私のような不純物が混じることが許せなかったのだろう。正直、私だってそう思う。
「なぁ、観堺」
「なんだ、河芝」
「何を見てるんだ?」
「ん? これのことか?」
「そう、それ。そのノート」
「これは英語の授業で取ったやつだ」
「え? 観堺、今勉強してたのか?」
「まぁ復習みたいなものだ。少しでも空いてる時間に勉強しないと、弥生子においていかれる一方だからな」
観堺の言葉が耳に痛い。
私は身を起こして姿勢だけでも真っ直ぐした。
「なぁ、観堺」
「なんだ、河芝」
「私がこうして声をかけるのは、勉強の妨害になっているよな?」
「まぁ、少しはな」
「そ、そうか。なら黙っとくよ……」
「気にするな。復習だからあまり気にもならん」
「そうなのか?」
「まぁ、そうだな」
そう言って観堺はノートのページをめくる。
こうして1対1で話をしていると、観堺は暴力的でもなければ狭量な人間でもない。それどころか、話していると、正直なんだか落ちつく。
私は視線を上げて、ノートを眺めている観堺の様子を観察してみた。ショートヘアと高圧的な印象で気づかなかったが、観堺はなかなかの美人である。髪でも伸ばせば、言い寄る男の1人や2人くらいすぐに出てきそうな気さえする。
長身細身というと、多くの人はモデル体型をイメージするだろう。モデル体型といってしまうとあまり活動的な印象を受けないが、観堺は体育部に所属しており、その細い体には高い運動能力を秘めている。
実際に攻撃を受けた私が言うのだから間違いない。
「なぁ、観堺」
「なんだ、河芝」
「観堺は髪を伸ばさないのか?」
「どうしてそんなことを聞く?」
「髪を伸ばせば、なんというか……その顔ならモテるだろ?」
「冗談は自分の顔だけにしておけ」
「ぐっ、なんだよそれ……。美人だって褒めてんのに」
「そいつはセクハラだぞ副委員長殿。――というか、私をじろじろ見るな」
観堺は少し照れた様子で顔を赤らめ、何度かパチパチと瞬きしながら髪を弄った。
「それじゃ、髪が短いのは運動の邪魔になるからか?」
「はぁ……。あのな、もし同じような髪型で、弥生子の横に並んでみろ」
「ん? どうなるんだ?」
「きっと死にたくなる」
「なんで?」
「男のきみには分からんかも知れないが、きっと自分が女に生まれてきたことを後悔する」
「後悔?」
「弥生子は完璧過ぎる。私がどれだけ着飾って同じような格好をしても、弥生子と並べばそれは粗悪な紛い物となるだろう」
「そりゃ言い過ぎだろ? 確かに弥生子さんは常人とは違い過ぎる所もあるけど」
「同じ所で弥生子と競って勝てる奴などいるものか。だから似るようなことはしない」
観堺は軽くため息をついて、またノートのページをめくった。
ひょっとしたら、観堺も弥生子さんと何かを競っていた時期があったのだろうか? 私はそう疑問に思ったが、観堺がため息をついていたこともあって、あまり追求するのも気が引けた。
「なぁ、観堺」
「なんだ、河芝」
「この前、今日はバレー部だとか言ってたよな?」
一瞬の間の後、観堺は私の方をジト目で一瞥し、再びノートに視線を戻して不満げに言った。
「ああ、あの日はバレー部に出る予定だった。だからアレを穿いていた」
「そんなに怒るなよ……。どうせ部活中はスカート脱ぐんだろ?」
「す……スカートの中を見られるのは、なんだか意味合いが違うんだっ」
観堺は再び顔を赤くしながらそう答えた。
「そ、そうか……。でもあの日は、ってことは他の部にも入っているのか?」
「ああ、色々な」
「例えば?」
「陸上、バスケ、水泳とか、まぁ色々だ」
「毎日違うところに行っているのか?」
「試合が近いかどうかで通う頻度は変わる。助っ人みたいなものだ」
「凄いな、スポーツ万能ってやつか」
「そこそこは出来るが、ナンバーワンにはなかなかなれない。あくまでオマケさ、私は」
そう言って、観堺は軽くため息をついた。
「……水泳部に入っているなら、望月先輩と一緒に泳いだりもするんだよね?」
「ああ」
「やっぱり凄いの? 望月先輩って」
「別世界の人間だな。どの種目でも、あの人より速く泳げる部員はいない」
「そんなにか……。でも、観堺も結構速そうだよな」
「望月先輩以外には負けないな」
「そりゃ……凄いな……」
観堺はまた、パラリとノートのページをめくる。
その姿は、なんだか憂いを帯びているような気がした。
「なぁ、観堺」
「なんだ、河芝」
「きみが部活を沢山やっている理由はひょっとして……」
私がそこまで言うと――。
『ガラッ』
不意に入口のドアが開いた。
「ただいまである」
「ああ、子依ちゃんおかえり。弥生子さんは?」
「職員室に行っておる」
そう言いながら子依ちゃんは、ちょこちょこと歩いて私の隣の席に座った。
席についた子依ちゃんは、すぐさま私の方に擦り寄って小さな声で尋ねてくる。
「おい剋近、せっかく男と女を2人きりにしてやったんじゃ。やることはやれたのか?」
「やめてくれ子依ちゃん、観堺に聞こえているぞ」
観堺が冷たい目でこっちを見ている。
「……ぬぅ、つまらんのう。おぬしはいつからそんなにつまらん男になったのじゃ」
「いつからもなにも、まだ会って間もないでしょ?」
「なんじゃ、最初からつまらない男だったのか」
「私はつまる男だよ。最初からつまる男、河芝っ!」
「つまらんつまらん、どこまでもつまらん男じゃ」
「どこまでもつまる男、河芝っ!」
「どこまでもつまらんつまらんつまらんつまらん」
子依ちゃんは、子供が駄々をこねるような言い方で私を責め立ててくる。あまりの子供っぷりに、名前を子供ちゃんと読んでしまった人もいるのではないだろうか。
「つまるところ、つまる男、河芝っ!」
「それはもういい」
「コンパクトに返されると少し胸にくるな……」
「そもそも詰まるとは納得するとか決着がつくという意味じゃ。詰まらないとは納得できないとか決着がつかずどうしようもないという意味なんじゃ。まったく言語力のない奴め」
「ぐっ……。多少口下手なのは認めるが、言語力には結構自信があるんだよ」
「剋近、おぬしの国語の成績は?」
「成績の話はよそう」
「自信があるといいながら二言目によそうとはなんじゃ。嘘つきな男、河芝っ!」
「名誉毀損だ」
「狼少年、河芝っ!」
「気に入ったのそれ?」
「無粋な男、河芝っ!」
「気に入ったんだね……」
「乙女の天敵、河芝っ!」
「私の天敵は子依ちゃんだよ」
「麗しき乙女に情欲を隠し持つ男、河芝っ!」
「放っておくと、子依ちゃんはどんどん私を悪者に仕立て上げるな……。とはいえ、ことのハッタンは子依ちゃんの言葉に私が反応したことにあるんだし、私はもう黙っておくことにするよ」
私はそう言って机に突っ伏す。
しかし、間もなく観堺が怪訝な表情で私に尋ねてきた。
「――ん? 河芝、ハッタンとはなんだ?」
「へっ……?」
「うむ。子依ちゃんも気になったのじゃ。ハッタンとはなんじゃ? マンハッタンか?」
観堺に同調するように、子依ちゃんもサメつきツインテールを左右にひょこひょこと揺らしながら聞いてくる。
「えっ? キッカケって意味じゃないの?」
「きっかけはマンハッタン? どこの国の言い回しを引用しとるのじゃ?」
「いや、日本語だよ」
観堺と子依ちゃんが顔を見合わせている。
「河芝……お前……」
「おぬしそれは……」
「「発端(ほったん)のことか?」」
2人して同じことを言う。
どうやら私はなにかを間違っていたらしい。
「いや……だ、だから私はそう言ったじゃないか……」
「「言ってない」」
「ぐっ……」
「おいおい、河芝……それで言語力に自信があるって……」
「流石のわしも馬鹿はちょっとなぁ……」
呆れた顔というよりも、可哀想なものを見る目で2人は私を見ている。
「おいおい、じょ……冗談に決まってるだろ?」
「日本語に不自由な副委員長とは、弥生子も悲しむじゃろうな」
通常なら実に些細な言葉の間違いなのだが、言語力の話をしていたのでどうにもタイミングが悪いらしい。
「わ、私は別にっ、日本語なんて……全然不自由じゃないんだからっ」
「みんな最初はそう言うのう」
「本当だって! 日本語なんて自宅の庭のようなもの、目瞑っていても歩けるって!」
「河芝……意味が分からん……」
観堺が眉を顰めながら私を見つめている。
「観堺、責めるでない。こやつは言語全般に不自由な奴だからしょうがないのじゃ」
「そんな言い方しないでくれよ。私は自由だから! 自由の女神より自由だからっ!」
「河芝……意味が分からん……」
再び観堺が眉を顰めながら私を見つめている。
「このタイミングで自由の女神が例えに出てくるとは、おぬしは一体何人なんじゃ?」
「正真正銘の日本人だって! 少しメリケンかぶれを演出してみただけなのさ! hahaha!」
「河芝、英語の成績はいいのか?」
「成績の話はよそう」
「やはり、日本語も英語も不自由なんじゃな……」
「違うって! 私はグローバルに自由だって! フリーだって! たくさんたくさん自由だって! ベリーベリーフリーズだって!」
「河芝……。フリーズはフリーの複数系じゃないぞ……」
「え? そうなのか? ――おい、観堺そんな目で私を見るな」
またまた観堺が眉を顰めながら私を見つめている。
それにしても意外であった。
映画でよく見る「フリーズ!」とは自分の方がより自由であることを主張しているのかと思い、自由こそが力、これが自由の国アメリカか……。と私は思っていたのだが、どうやら違っていたらしい。
「まったくこっちが凍りつくわい」
「同じズじゃないかっ! 紛らわしいんだよ! こらこら、子依ちゃんまでそんな目で見ないで!」
「河芝、フリーズのズはSではなくZEだからな……」
観堺は自分の眺めていた英語のノートの1ページを、こちらへ向けてそう言った。
「それだけ私は自由なんだZE! ……おい、やめろ。そんな目で見るなって2人共」
「「じぃー」」
駄目だ。
この調子じゃどんどん恥ずかしい私を曝してしまう。
なんとか話の流れを変えようと、私はガリレオ並みに頭をフル回転させた。それでも頭は回っている。
「そっ、そうだっ!」
「なんじゃ?」
「子依ちゃんはさっき誰かに会いに行ったんじゃなかったの?」
「まぁな。奴も元気そうであった……って、ああっ! そうじゃ! つい忘れるところであった」
そう言って急に子依ちゃんは立ち上がる。とりあえず、意外にもあっさりと話をそらすことに成功したようである。サンキューガリレオ。
「どうしたの?」
「そうじゃ、奴じゃ、生徒会長が呼んどるぞっ」
「は? 誰を?」
「おぬしじゃ、剋近」
「え、私を?」
観堺が心配そうに尋ねてくる。
「おいおい河芝っ、きみは早くもなにか仕出かしたのか? あの白川先輩に呼ばれるって一体どういうことだ?」
なんだよ早くもって。
「うーん、なんなんだろう……。子依ちゃん、すぐに行かなきゃ駄目?」
「行かなきゃ駄目じゃ、早く行かなきゃ子依ちゃんが伝えるのを忘れておったみたいじゃろうが」
アヒルみたいに口を尖らせ、両手を横に広げて短いスカートを揺らしながら早く早くと不思議な動きをする子依ちゃんに急かされ、私は頭を掻きながら席を立つ。
「おい剋近よ、おぬし奴と面識があるのか?」
「まぁうん、少し話したことはあるけど。――なんかまずいことしたっけな?」
「多分大丈夫じゃ。怒っとるような様子ではなかったぞ。むしろ何やら楽しそうじゃったわ」
「そっか。それじゃ行ってくるよ」
「ああ、そうそう――」
子依ちゃんがまた思い出したように言った。
「奴は1人で来いと言うておったぞ」
「私1人?」
「そうじゃ」
「……ふぅん。分かったよ」
「後で奴が何を言ったか聞かせてくれ」
「はいはい、話せることだったらね」
「河芝っ、分かっているだろうな?」
「はいはい、副委員長として失礼のないように心がけるよ」
観堺の脅しのような念押しを受けた私は、そう言って運営委員会室を後にした。
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