第六章 誕生日プレゼント
鮫は陸に打ち上げられて
昼休み。
仕事がない私は別に行かなくてもいいのだが、なんとなく運営委員会室へ向かっていた。運営委員会室には弥生子さんがいるんだ。動機なんて、それで十分だろう?
ドアを開けて中に入ると、弥生子さんと子依ちゃん、そして岸先輩が着席していた。勿論、子依ちゃんは岸先輩の膝の上である。
「どうも」
私が挨拶すると、岸先輩は右手をパーにして応えてくれた。
しかし、子依ちゃんは何かに集中しているのか、私が入ってきたことにも気づいていないようであった。
弥生子さんに挨拶し、自分の席に座って隣で子依ちゃんが何をしているのか覗いてみると、なにやら必死に知恵の輪のようなものをガチャガチャと動かしていた。子依ちゃんが必死に知恵の輪を外そうとしている様子を、岸先輩はまるで母親のように優しく、幸せそうに見つめている。
暫くすると。
「おおっ!」
という声と共に、子依ちゃんが両手を上げた。
その両手には、外れた知恵の輪が握られている。
「どうじゃ! わしにかかれば知恵の輪なぞ容易いものじゃ!」
勝ち誇ったように言う子依ちゃんの後ろで、パチパチと手を叩いて岸先輩も喜んでいる。
「さぁ彼方よ、約束通り明日は誕生日プレゼントを持ってくるんじゃぞ!」
それを聞いた岸先輩はコクコクと頷いている。
「え、子依ちゃんって明日誕生日なの?」
「む? なんじゃ、剋近も来ておったのか。そうじゃ、明日は誕生日だからおぬしもしっかり、プレゼントを持ってくるように」
この外見で高校生というだけで驚愕なのに、どうやら誕生日も早いらしい。
「プレゼントって言われてもなぁ。なにか欲しい物とかある?」
「それを聞いてどうする。中身が分かっておったらつまらんじゃろうが」
「なんというか、どういう方向性のものがいいとかさ」
「そうじゃなぁ……」
子依ちゃんは頭をピョコピョコと横に振り、短いツインテールを揺らしながら考える仕草をした。それを見つめる岸先輩も、つられてフラフラと頭を揺らしている。
「あえて言うなら、子依ちゃんを引き立てるものがいいのう」
「引き立てる?」
抽象的な注文に私は聞き返す。
「子依ちゃんはどう引き立てて欲しいの?」
「愚か者め、そういうのを愚問というのじゃ。子依ちゃんと言えば『強く』そして『恐ろしい』イメージに決まっておろうが」
初耳である。
「よく分からないけど、『強さ』と『恐怖』をテーマにすればいいの?」
「まぁ、そんなところじゃな。センスのいいものを頼んだぞ」
「難しいなぁ。分かった、考えとくよ」
私がそう答えていると、入口の方からコンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
弥生子さんの麗しい声が迅速に入室を許可する。
開いたドアから、見慣れない男子生徒が顔を覗かせた。
「あの、G組の学級委員長ですが、風紀部長の観堺さんに頼まれていた書類が出来たので提出しにきました」
弥生子さんが立ち上がってドアへ向かい、それに応対する。
「今、風紀部長は席を外しているので私が預かりますね」
そう言って弥生子さんは書類を受け取った。
その様子を見て、私は再び自分が出遅れたことに気がついた。
(ああーもう。だからああいうのは私が応対すべきなんだよなぁ……)
まったくもって使えない奴である。
◇
そして翌日の昼休み。
本日は子依ちゃんの誕生日である。
私がプレゼントの入った紙袋を脇に抱えて運営委員会室へ向かっていると、先にせっせと2つのダンボールを抱えて、部屋に入ろうとしている岸先輩の姿が見えた。
一体何を持ち込んでいるのかと思いながら私も続いて中に入ると、部屋の中にはすでに弥生子さんと子依ちゃんが着席していた。
「遅いぞ剋近」
そう言って腕を組んでふんぞり返っている子依ちゃんの机の上には、なにやらパワーリストのようなものが乗っている。
「なにこれ? パワーリスト?」
「パワーアンクルじゃ。腕じゃなく足に装着するらしい」
「なんで子依ちゃんの机の上にそれがあるの?」
「先ほど一美が、誕生日プレゼントと言って置いていきおった」
私は昨日、子依ちゃんが述べたプレゼントの条件、『強い』そして『恐ろしい』を引き立てるという条件を思い出して納得した。
「一美っていうと観堺のことか。らしいというか、随分ものものしいプレゼントだねぇ」
「カイザーナックルにするか悩んだが、風紀部長としてそれはまずいと思ってこれにしたそうじゃ」
「どちらも、女の子への誕生日プレゼントとして候補に上がるものじゃないだろう……」
「まったくじゃ。そういうおぬしは何か持ってきたのか?」
「ん? ああ、はいこれ。少し観堺のプレゼントに被っているかもしれないけど」
「おいおい、一美と被るとか普通ありえんじゃろう?」
そう言いながらも子依ちゃんは私から紙袋を受けとった。
子依ちゃんは背もたれから体を起こしてごそごそと紙袋を覗き込み、その中身を取り出すと訝しげに言った。
「む、これは……プロテインか?」
「ふふふっ、子依ちゃん。このプレゼントは、別にムキムキマッチョガールを目指せって意味じゃないんだよ」
「ふむ?」
「子依ちゃんの美しいプロポーションを維持し、更に発展させるために必要な栄養素がそのプロテインにはすべて組み込まれているんだ。ご要望通り、子依ちゃんの強さを引きだすと共に、美しさにまで配慮した一品さ。因みに3ヶ月分入っていて結構高かった」
実は母親が通販で買って未開封のままだったものを持ってきただけなのだが、私の営業トークが功を奏したのか、子依ちゃんは満足げな表情を見せてくれた。
「ふむふむ、流石剋近じゃ。よく子依ちゃんのことを分かっておるな」
どうやら、私のプレゼントは成功したようだ。
満足そうに再び椅子に寄りかかる子依ちゃんの胸元には、なにやら昨日まではなかった小さな鎖のようなものがキラリと揺れていた。
「おや、子依ちゃんそれは?」
私がそう言って指さすと、子依ちゃんは自身のフラットな胸元を見つめて言った。
「これか? これは弥生子のプレゼントじゃ」
胸ポケットに引っ掛けられるタイプの金色のアクセサリーであり、控えめな美しさと共に、小さくぶら下がるチェーンがなんとも可愛らしい。恐らくこの可愛らしいチェーンが、弥生子さんなりに強さをイメージした結果なのであろう。
流石弥生子さん、センスのいい贈り物だ。
「凄くいいね。でも、この学校ってアクセサリーは大丈夫なの?」
「うむ、問題ないぞ。風紀部が認めている限りは、極力教師も口を挟まないようにしておるようじゃ。生徒自身による『自治』と『個性』の尊重がこの学校の特徴じゃからな」
「なるほどね。確かに個性の強い生徒が多い気がするよ」
「うむ、それには少々困りものじゃがな」
どの口でそれを言うのか。
その時、ドアをコンコンとノックする音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
そう言って、弥生子さんが返事をして立ち上がろうとしている。
私は素早く片手を弥生子さんに向けて。
「私が出るよ」
と言ってからドアの方へと向かう。
弥生子さんはその様子を見て、少しだけ嬉しそうな表情をした。
「あの、J組の学級委員長ですが、風紀部長の観堺さんいらっしゃいますか?」
昨日の昼にも同じような生徒が来ていたことから、すぐに私は相手の言わんとしていることを察することが出来た。
「ああ、風紀部長が頼んでいた書類ですか?」
「はい、そうです」
「今、風紀部長は席を外しているので私が預かっておきますね」
「あ、それではよろしくお願いします」
私はJ組の学級委員長から書類を受け取り、自分の机へと向う。
私が自分の机に戻る頃、岸先輩が子依ちゃんの背後で持ち込んだダンボール箱を開き、なにやらゴソゴソ取り出そうとしていた。
「岸先輩。その箱って誕生日プレゼントだったんですね」
私がそう言うと、岸先輩は振り返ってコクコクと頷いた。
「へぇ、羨ましいなぁ。弥生子さんや岸先輩からプレゼントをもらえるなんて」
「なんじゃ、一美からはもらいたくないのか?」
横から子依ちゃんが尋ねてくる。
「パワーアンクルはちょっとな」
「男ならトレーニンググッズで喜ぶ者も多かろう?」
「体育部ならそうかもしれないけど、鍛えてない男からすればただの重りだからね」
「なるほど、確かにのう」
2人でそういう会話をしていると、岸先輩がダンボール箱からなにかを取り出した。
(これは……なんだ……?)
何やら剣やナイフのようなものがくっついた奇怪なオブジェを岸先輩は手にもっている。ひょっとして、『強さ』をテーマに作ったアート作品だろうか?
岸先輩は子依ちゃんの背後に立つと、囁くような声で。
「動かないで、目を瞑って」
そう言ってそれを子依ちゃんの頭上にかざした。
私は、岸先輩のウィスパーボイスはなんとも心地良いな、などと思いながらそれを見守っていたのだが、岸先輩がそのオブジェを子依ちゃんの頭に『装着』させた瞬間に言葉を失った。
(そうかっ……そういうことだったのかっ……!)
そう、恐らくこれは強さではなく『恐怖』をテーマに作られた作品である。
物々しいオブジェを装着した子依ちゃんの頭部には、見事なまでに。
本当にそうなっていると見間違うが如くに。
いくつもの剣やナイフが突き刺さっていた。
岸先輩は装着した子依ちゃんを正面から見ると、僅かに角度を調整して、嬉しそうに何度か頷いた。私は唖然とし、弥生子さんも委員長席で眉を潜めて見つめている。
岸先輩に促されて、ようやく子依ちゃんは目を開いた。
「む、なにやらゴテゴテしておるのぅ。どうなっているのかさっぱり分からん」
そう言った後で、子依ちゃんは私の方を向いた。
「どうじゃ剋近? 似合っておるか?」
頼む、こっちを向かないでくれ。
「うっ、うん。なんというか恐ろしいような、近づきがたいような……」
私のその感想を聞いた子依ちゃんは、「んはっ」という無邪気な声を漏らして、パアッと顔を明るくした。
「弥生子! どうじゃ?」
流石の弥生子さんも頭に剣やナイフの刺さっている人に「どうじゃ?」と尋ねられたのは初めてだったのだろう。非常に困惑している。
「そ、そうね……凄いわ……」
弥生子さんのその言葉を聞いて、再び子依ちゃんの顔がパアッと明るくなる。
「弥生子さえ唸らせるとは、彼方! お前のプレゼントは凄いのう!」
満足げに子依ちゃんがそう言っていると、『コンコン』とドアをノックする音が聞こえた。私は素早く。
「はい、どうぞ」
そう言ってドアの方へ向かった。
「あの、E組の学級委員長ですが」
そう言う男子生徒の手には、書類が持たれている。
「ああ、書類ですか? 今、風紀部長は席を外しているので私が預かっておきますよ」
「ああ、これはどうも。それではお願いし――」
E組の学級委員長は、そこまで言った直後に硬直してしまった。
私は彼が向けている視線の方向から、何が原因で彼が固まってしまったのかを瞬時に理解した。
しまった。
これを……私は一体どう説明すればいいのだろうか?
一緒に来ていたクラスメイトと思われる女子が、動かなくなった男子を心配して。
「ねぇ、どうしたの?」
と言って中を覗き込んでくる。
そんな彼女もまた。
「ひっ!」
と声を上げて硬直してしまった。
私はとりあえず深く追求されるのも面倒なので、この場を早く終わらせようと声を出す。
「大丈夫です。彼女はまだ、大丈夫です」
私の冷静な声に、なにも言わずに2人は顔を見合わせる。
「後は私達に任せてください。書類もちゃんと渡しておきますので」
そう言って私は半ば無理やり2人にお引き取り願った。
すぐに2人の話し声が、ドアの向こうから聞こえる。
「あれ、うちのクラスの神宮だよな?」
「どうして剣やナイフが頭に刺さったのかしら? どうして抜かないのかしら?」
「ソードブレイカーまで刺さってたね。もう手遅れかもしれない」
もう手遅れ、という言葉が色んな意味に聞こえたが、この誤解は子依ちゃん自身の手によって解かれるのが、きっと好ましいだろう。
「ふぅ」
ため息をついて私が自分の席に戻っていると、岸先輩はもう1つのダンボール箱を開いて、ゴソゴソと中からなにかを取り出そうとしている。準備が出来た岸先輩は、再び子依ちゃんに目を瞑らせた。
(うまいな岸先輩……。確かにこのタイミングで目を瞑らせれば、子依ちゃんが先ほどまで自分がなにを被っていたのかを確認する暇がない)
岸先輩は手際よく剣やナイフが刺さった被り物を子依ちゃんから外すと、それを仕舞い、もう1つのダンボール箱から新しい被り物を出した。私も弥生子さんも、次になにが出てくるのだろうかと警戒しつつ見守る。
「これは一体……」
「なんじゃ剋近、そんなに凄いのか?」
焦れた子依ちゃんが、目を瞑ったまま不安そうに尋ねてくる。
「いや、まだ分からない……」
そう言う私の視線の先には――――なにやら『サメ』のようなオブジェがあった。
(随分リアルに作りこまれているようだ……。とても獰猛そうで……サメ肌まで精密に再現されている……)
そして、そのサメのようなオブジェが、岸先輩の手によって子依ちゃんに装着されたその瞬間――――見守っていた私と弥生子さんは、ようやくその意味を理解した。
「こ、これはっ!」
そう。
獰猛でリアルなサメが、見事なまでに子依ちゃんの頭に噛み付いているのである。
「こっ、これは(サメが)強い! 確かに(サメが)強い!」
見た瞬間に、私は声を上げて叫んでいた。
それに比べて弥生子さんは。
「恐怖をテーマにしているのは、こっちの方なのかも」
などと冷静に評している。
岸先輩の。
「いいよ」
という微かな声を聞いて目を開いた子依ちゃんは、私や弥生子さんの反応をうかがい、自分の格好が周囲に強さと恐怖の印象を与えていることを実感する。
「おおっ、やるではないか彼方よ!」
子依ちゃんは、なんとも嬉しそうな表情で捕食されている。
その時だった――。
再びドアを『コンコン』とノックする音が聞こえたのであった。
再び私が、迅速に返事をして応対へ向かう。
「あの、N組の学級――――ひぃっっ!」
N組のちょっと可愛い学級委員長の女の子は、名乗る最中に驚いて声を上げてしまう。
「風紀部長への書類ですねっ!」
目が泳いでなにも言えなくなっている女子生徒を見て、私は素早く相手の言葉の続きを促した。早く終わらせないと、運営副委員長としての説明責任が生じかねないではないか。
「あ、えっと……はい」
「風紀部長は今不在なので私が預かりますねっ! それではっ!」
そう言って私は、半ば強引にドアを閉めて客人にお帰り頂く。
「あのっ! なんで食べられているんですかっ? ホホジロザメですよねっ?」
「強いんです! 彼女は強いから大丈夫です! あれはウバザメだから安心です!」
ドアの向こうから、心配する女子生徒の声が聞こえるがここは我慢である。彼女には幻を見たとでも思って頂こう。
女子生徒が去ったと感じた私は再び自分の席に戻ろうとするが、次の瞬間――――後方でノックもなしにドアが開く。
(なんだとっ!)
私は慌てて後ろを振り向くが、そこにいたのは女子生徒ではなかった。
ああ、いや。こう言うと語弊があるので補足しておくが、さっきの女子生徒ではなかったという意味である。
そう。
ドアを開いて入ってきたのは観堺であった。
「なんだ河芝、驚いたような顔をして」
そう言って観堺は私の顔の感想を述べていたが、次の瞬間、彼女の顔は私以上に驚いたような顔へと変貌していた。
「なっ……これは一体……!」
そう呟きながら、観堺は目を凝らして子依ちゃんの方へと近づく。
「リアルだな……凄い……」
その観堺の表情を見て、子依ちゃんは満足そうな笑みを浮かべている。
「おお、一美さえもが驚愕しておる……ん? なんじゃ?」
誇らしげな表情の子依ちゃんの後ろで、なにやら岸先輩が囁いている。
「ふむふむ……。こうして……こうするのか?」
子依ちゃんは岸先輩の指示に従って、両手を真横に真っ直ぐ伸ばして、肘から先を直角に曲げ、両手で軽く挙手をしたようなポーズを取る。観堺は警戒したように私の横で立ち止まり、子依ちゃんの動きを注視している。
「そして……? ふむ、次はこうか?」
子依ちゃんは岸先輩の指示を受けて、無表情なままその両手を上下交互に、素早くひょこひょこ動かし始めた。
「「ぐプっ」」
私も弥生子さんも観堺も耐え難い腹部の痙攣、即ち笑いの衝動に襲われる。
しかし、ここであからさまに笑ってしまっては子依ちゃんに悪い。
我々が必死に笑いを堪えていると。
「――ふむ、なんじゃ? そうか、余裕の笑顔が足りぬのか?」
子依ちゃんは更に激しく両手を上下に動かしながら、満面の笑みを観堺に向けて放った。
次の瞬間――――観堺は。
「ぶばはぁっっ!」
私に向けて大量の唾液をぶちまけた。
そして逃げるように背を向けて、運営委員会室を走り去った。
「うほほぉっ! 効果てきめんじゃ! あの一美を退散させたぞっ!」
子依ちゃんは満面の笑みを浮かべているが、私と弥生子さんはそれどころではない。私は観堺にぶっかけられた大量の唾液をぬぐい、弥生子さんは委員長席に突っ伏して肩を揺らしている。
彼女もああやって笑うんだな、などと私が思っていると、弥生子さんは立ち上がり、子依ちゃんに近づいて手を差しだした。その手には真っ白な、折りたたみタイプの手鏡がもたれている。
「子依、仕事にならないから」
そう真面目なことを言う弥生子さんに対してまで、子依ちゃんは両手をひょこひょこと動かしてみせた。
「くっ――」
弥生子さんは咄嗟に背を向ける。
緊急避難的に子依ちゃんの前に手鏡を置いた弥生子さんは、そそくさと自分の席へと戻って行った。
「ふっふっふっ……。弥生子にさえも背を向けさせるとは。素晴らしい……とうとう子依ちゃんは、世界を制する力を手に入れたぞっ!」
そう言って両手でガッツポーズをするようにして立ち上がった。
そして子依ちゃんは自信に満ちた表情で、静かに手鏡の方へと視線を向ける。
「ふっふっふ……今こそ見せてもらおう……」
世界を手にした子依ちゃんは、ゆっくりと手を伸ばし――――とうとう手鏡をも手にしてしまった。
「これがっ、真のっ、王者の姿あああぁぁぁぁっっ!」
そうして訪れる、束の間の沈黙。
「…………え?」
次の瞬間――――。
子依ちゃんの絶叫が運営委員会室に響き渡った。
「……さっ……さっ………! サメえぇぇぇえぇぇぇっっっっ!」
子依ちゃんはパニックになり、その場から逃げようとする。
しかし、当然サメは子依ちゃんにがっちりと食らいつき、しっぽをウネウネさせながらホーミングし続けている。
(凄いな、尻尾も可動するのか……)
私がそんなことに感心していると、子依ちゃんの口から怒声が聞こえた。
「このっ! なんで子依ちゃんが食べられとるんじゃっ!」
運営委員会室を走り回って、ようやく冷静になったのか子依ちゃんは、慌ててサメの被り物を頭から外して机の上に置いた。
「誕生日に学校でサメに食われるなんて、聞いたこともないわっ!」
そう叫ぶと子依ちゃんは振り返り、後ろに置かれているダンボール箱を開いた。先ほどまで被っていた、剣やナイフのついたオブジェが子依ちゃんの目に映る。
「しかもっ、なぁんで誕生日に色んな武器で刺されなきゃいかんのじゃっ!」
子依ちゃんは、非常にプンプンとした表情で岸先輩の方を向いて言った。
「彼方っ! お前を信じた子依ちゃんが馬鹿じゃったわっ! もう何もいらんから帰るがよいっ!」
「帰れ」という言葉を聞いて、岸先輩が急に困った顔をする。
慌てて岸先輩が必死に耳元で囁いても。
「かっこよく刺さっていたとかどうでもいい!」
そう言って、子依ちゃんは拒絶する。
どうやら岸先輩的には、武器が刺さっても、サメに捕食されても笑顔を見せ続ける子依ちゃんのことを、本当にかっこいいと思っていたらしい。美的感覚の相違とは恐ろしいものである。
岸先輩があまりに深刻な表情で落ち込んでいるので、思わず私はフォローした。
「子依ちゃん、岸先輩も悪意があってやったんじゃないと思うよ」
「善意でサメに食わせるやつがおるかっ!」
私に続いて、すぐに弥生子さんもフォローに入る。
「子依、これはいたずらで簡単に作れるクオリティじゃないわ。きっと子依のことを思って、必死で作ったんじゃないかしら」
「……ぐぬぬぅ……」
私と弥生子さんの言葉を聞いて、子依ちゃんは机の上と、ダンボールの中に置かれている2つのオブジェを見つめる。
「しかし……これはなぁ……」
岸先輩はまるで叱られた子犬のように、心配そうに子依ちゃんの顔色をうかがっている。
「彼方よ……。おぬし、他にプレゼントはないのか?」
子依ちゃんの言葉を聞いて、岸先輩は何かを思いだしたように自分のポケットを探りだした。そうして慌てたようにして取り出されたのは、2つのサメの形をした洗濯バサミのような物だった。
先ほどのリアルで獰猛そうなサメに比べると、ずっとコミカルであり、目が×マークになっているので、一応サメの方がやられているようにも見える。
おずおずと岸先輩は、それを子依ちゃんに手渡した。
それを手に取った子依ちゃんは。
「なんじゃ、こういうのでいいんじゃ、こういうので」
そう言って、少し嬉しそうな顔をした。
子依ちゃんの口調からは、褒めるようなニュアンスを感じた。しかし、どうしたことか、子依ちゃんは再びそれを岸先輩の手に戻してしまう。
「……っ!」
ミニサメさえも返却されてしまい、岸先輩は微かな声を漏らす。
岸先輩が困り果ててオロオロしていると、子依ちゃんは岸先輩の方を見て言った。
「こら彼方、何をしておる? 早く子依ちゃんの髪にそれを付けぬか」
子依ちゃんのその言葉を聞いた瞬間――――岸先輩の表情がパアッと明るく晴れ渡った。岸先輩は実に幸せそうな表情で、子依ちゃんの長さの足りないツインテールの結び目にカプリとミニサメを噛みつかせる。
そして、正面から子依ちゃんを見つめた岸先輩は、これまた本日1番の幸せそうな表情を見せた。
岸先輩の満面の笑みを見た子依ちゃんは、やれやれといった表情で。
「彼方よ。おぬしよっぽどサメが好きなんじゃな」
と呟く。
好きなのはサメじゃないと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます