自称知り合いと調査部長
翌日の昼休み。
私は先に購買部へ行き、カツサンドとチーズかまぼこを買ってから運営委員会室へ向かう。私が運営委員会室に入ると、弥生子さんが軽く手を上げて挨拶してくれた。
挨拶する弥生子さんを見て私の入室に気づいた観堺が、こちらを一瞥して。
「なんだ河芝か」
と呟く。なんだとはなんであるか。
どうやら部屋に居るのはこの2人だけらしい。
私は自分の席に座ってから、2人の様子を観察してみた。どうやら弥生子さんと観堺は、自分の席で色々と作業をしているようだ。それに比べて私は、自分の席で先ほど買ってきたカツサンドを咀嚼するくらいしかやることがない。
モゴモゴと口を動かしながら私は質問した。
「観堺、なにしてるんだ?」
「各クラスの学級委員長に渡す書類や、風紀部のマニュアル作りだな」
「ふぅん」
周囲の人がみんな働いていると、自分に仕事が無いことがなんだか申し訳なくなってくる。私が勝手に孤独感を強めていると、入口のドアが。
『ガララッ』
と勢いよく開いた。
「やあ! 元気にやっているかね1年生諸君!」
いきなり元気かと尋ねる、誰よりも元気な声が室内に響き渡った。この声には何やら聞き覚えがある。私がそれが誰であるかを思い出す前に、観堺がびっくりしたように声を上げた。
「望月先輩! それに岸先輩まで……どうしたんですか?」
そう、入口のドアを勢いよく開けたのは、2年生の運営委員長になったばかりの望月先輩だった。その後ろには何故か、望月先輩と選挙戦を繰り広げた、あの岸先輩の姿まである。
声を上げた観堺はすぐに立ち上がって、望月先輩に歩み寄って応対している。同時に弥生子さんも立ち上がって空いている席へと向かい、椅子を引いて2人が座れるように準備していた。
(今弥生子さんがやっていることって、私がすぐにやれないといけないんだよな……)
これではまるで仕事ができない奴ではないか。
私は自分自身の反応の悪さを嘆く。
「ああ、お構いなく。観堺に部活の連絡をするついでに挨拶しようと思っただけだからさ」
なーんだ、と再び傍観者面しかけていた私も、弥生子さんの視線がチラリとこちらに向いたことによって、今自分が何をやるべきかにようやく気がついた。私は席を離れて足早に先輩方へ歩み寄る。
「挨拶が遅くなりました。私は副委員長の河芝と申します」
軽く頭を下げてそう言う私を見て、望月先輩はこれまた元気な声を出した。
「ああっ! きみが河芝くんかぁ! 河芝元日銀総裁の孫らしいね! 新入生研修中にゲストのおじさん達を相手に1人で喧嘩を売ったとか! 早くも暴れてるねぇ」
「えっ、どこでそれを……?」
「すっごい有名だよ。その時に白川先輩まで久しぶりに討論に参加しちゃったとかで、今や学校中この噂で持ちきりさ!」
「きょ、恐縮です……」
恐縮というより噂の広まりように恐怖さえ覚えている。
私が困ったように頭をかいていると、観堺が望月先輩に質問した。
「あの、どうして岸先輩も一緒なんですか?」
そうだ、岸先輩である。
生岸先輩がそこにいるのだ。
何故か分からないが、間近で岸先輩を見ることが出来たというだけで、感動のようなものさえ込み上げてくる。因みに今日の後ろ髪の輪っかは1つである。どうやら岸先輩、日によって髪型が変わるらしい。
観堺の質問に後ろを振り返った望月先輩は、ああそうかといった表情で説明した。
「きっしーはね、副委員長兼、企画部長なんだ」
「「へぇー」」
私と観堺が同時に感心したように声を出した。体育部と文化部の軋轢を解消しようとする望月先輩の心遣いが、早くも現れているように感じたからだ。
「ほら、きっしーも挨拶しな」
望月先輩に促された岸先輩は、相変わらず掴みどころがないフワフワとした様子で前に出て、これまた誰に言っているのかもよく分からないような感じで挨拶した。
「岸ですー。よろしくお願いしますー」
なんとも気の抜ける挨拶である。
これがあれほど強烈な演説を行った人とは思えない。
一体どっちが本当の岸先輩なのだろうか? 私がそんなことを思っていると、廊下の方からこれまた聞いたことのある声が聞こえた。
「なんじゃお前達は。邪魔だから入口に溜まるでない。こらっ、さっさとどかぬか!」
この偉そうな口調は――――子依ちゃんである。
ちょこちょこと望月先輩の脇の下をくぐって、子依ちゃんが室内に入ってきた。
「一体何なんじゃ? まったく無礼者どもめ」
ぼやきながら運営委員会室に入ってきた子依ちゃんに向けて、観堺が注意する。
「こら、神宮。無礼者はきみだ。この人は2年生の運営委員長だぞ」
「ん? なんじゃ、おぬしら2年生だったのか? それはすまぬな。私は会計部長の神宮子依ちゃんである」
「子依っ」
弥生子さんも子依ちゃんの態度をたしなめる。
「いいってば女市。私もさっき、白川先輩にフランク過ぎるって注意されたばっかりだし」
流石望月先輩。なんとも懐が深い。そんな望月先輩を他所に、子依ちゃんはスタスタと自分の席へ行ってしまった。因みに会計部長である子依ちゃんの席は私の右隣である。
ほんとマイペースだな子依ちゃんは。私がそう思っていると、いつの間にか子依ちゃんの方に向かってフラフラと歩く、もう1人のマイペースな人物の姿があった。
それは、つい先ほどまで望月先輩の隣に居たはずの岸先輩である。
「ふわわぁぁぁ……」
と、なにやら感嘆に満ちた声をもらしながら歩く岸先輩の表情は、まるでお菓子の家を見つけたヘンゼルとグレーテルだ。
岸先輩はそのままとりつかれたようにして歩を進め、子依ちゃんの傍にまで行くと隣のパイプ椅子に座った。子依ちゃんと目線を同じにして、その顔をじっと見つめている。
いい加減、子依ちゃんも岸先輩が自分に興味を持っていることに気がついたのか、眉をひそめながら声を出した。
「なんじゃおぬしは? 子依ちゃんに何か用か?」
そんな子依ちゃんの不遜な口調を聞いた岸先輩は、どういうことか更に嬉しそうな顔をして、ヒラリとスカートをなびかせながら可愛い仕草で立ち上がった。
そうして子依ちゃんの斜め後ろから両脇の下に手を回すと、大胆にもひょいと子依ちゃんを持ち上げ、椅子の上に自分の体をすべり込ませるようにして着席する。これによって、子依ちゃんは岸先輩の膝の上である。
シートベルト、もといチャイルドシートの如くしっかりと子依ちゃんの腰に両手を組んだ岸先輩は、ぬいぐるみを買ってもらった子供のように満面の笑みを浮かべていた。
「あら、珍しいね。きっしーが他人に興味を持つなんて」
入口では望月先輩も驚いている。
「こらっ、何なのじゃこやつはっ?」
驚く子依ちゃんを更にぎゅっと抱きしめ、岸先輩はそのたわわな胸を子依ちゃんに押しつける。
「このっ、わしへの当てつけかっ?」
「うふふー」
声も表情も、岸先輩はとても幸せそうである。
「すっかり気に入っちゃったみたいだね。それじゃ私も観堺に用事があるし、もう少しだけお邪魔しちゃおうかな」
「ええ、どうぞごゆっくり」
そう言って、弥生子さんが委員会室の中へ案内する。
それから望月先輩は、観堺と部活のスケジュールについて話し合っていた。
時間が経ち、昼休みも終わりそうになった頃、望月先輩が岸先輩を連れて2階へ帰ろうとしたが、岸先輩はなかなか子依ちゃんから離れようとはしなかった。
そんな岸先輩がようやく子依ちゃんを開放したきっかけもまた、子依ちゃんの。
「ええい、また来ればよかろうが」
という一言である。
余程岸先輩は子依ちゃんのことがお気に召したらしい。
◇
その日の放課後。
私が運営委員会室へ入ると、すでに2人が運営委員会室にいた。
え? どの2人かって?
「剋近か……こやつをなんとかせい」
「うふふー」
岸先輩は再び子依ちゃんを膝の上に乗せて、しっかりと抱きしめている。
「どうも、岸先輩」
私が軽く頭を下げると、岸先輩は右手をパーにして小さくフルフルした。子依ちゃんと一緒にいられて上機嫌なのだろう。初めてコミュニケーションが成立したような気がする。ちょっと嬉しい。
そのまま私が遠慮気味に隣の自分の席に腰をかけると、子依ちゃんが岸先輩に質問した。
「ぐぬぅ……おい、おぬし名前はなんという?」
岸先輩は子依ちゃんの言葉を聞いて、耳元で自分の名前を囁いている。
「――ふむ、
名前を呼ばれた岸先輩は、また嬉しそうに膝の上の子依ちゃんを揺らした。
「彼方よ、よく聞け」
そう言って話し始める子依ちゃんの顔を、岸先輩は後ろから覗き込む。
「わしは会計部長じゃ。学校行事に対応していくために、これから仕事も増えてくる。なので、あまりここに来られると迷惑なんじゃ」
子依ちゃんの言葉を聞いた岸先輩は、迷惑という言葉にショックを受けたのか、少し悲しそうな表情をした。岸先輩は間近にある子依ちゃんの耳元に向けて、何かを懸命に囁いている。それを聞いた子依ちゃんは、必死な表情をしている岸先輩をなだめるように言った。
「分かった分かった、おぬしの気持ちは十分に分かったから」
心配そうに岸先輩が次の言葉を待っていると、子依ちゃんは優しく言った。
「会計が回らないと色んなところに迷惑がかかるのだ。そして同時に、子依ちゃんの代わりが務まる者もなかなかおらぬのだ。だから、ここへ来るのは昼休みだけにしてくれぬか? 放課後くらいは仕事に専念せねばならんし、お主だって企画部長をやるらしいではないか。これから忙しくなってくるじゃろう?」
暫く子依ちゃんの言葉の意味を吟味し、表情を確かめ、自分が嫌われている訳ではないということに安堵したのか、岸先輩はこれまた囁くように子依ちゃんの耳元で了承の返事をした。
名残惜しそうに立ち上がって子依ちゃんを解放した岸先輩は、何度も何度も振り返りながら入口のドアへと向かう。
廊下に出てから最後にもう1度だけひょこっと顔を覗かせた後で、小さく右手をパーにしてフルフルと別れの挨拶をすると、ようやく帰った。
「はぁ……。やれやれじゃ」
子依ちゃんがそう漏らす。
その安堵した表情を見て私は言う。
「ふぅん。私はなんだか、子依ちゃんを見直したよ」
「ん、見直すとはなんじゃ? 見直されなきゃならん程に子依ちゃんは舐められておったのか?」
「いやいや、結構気遣いが出来る子だったんだなって思ったんだよ」
「ふん。子依ちゃんくらい人気者になると、時としてこういうこともあるのだ……むむっ?」
そう言った子依ちゃんは、急にハッとしたように運営委員会室を見渡した。何をキョロキョロしているのだろうと思ったが、子依ちゃんはサッとこちらを向き、初めて会った時と同じような不敵な笑みを浮かべて。
「今度はおぬしの膝の上に、子依ちゃんを乗せてみぬか?」
などと意味不明なことを言い出した。
「な、何を言ってるんだ?」
「まったく、おぬしこそ気を遣わぬか。同じ部屋に年頃の男女が2人きりなのだぞ?」
「な、だから私はロリコンではなくってだな……」
「よいよい、隠さんでもよい。なぁに、膝の上に乗せた後はその場の雰囲気次第じゃ。なんなら、そのままスカートの下から――」
「――スカートの下からなんだ? 神宮」
突如、運営委員会室に新しい声がログインした。
「ぬぅっ。なんじゃ、一美か……まったく空気の読めぬ奴じゃな」
「私は風紀部長だからな。風紀が乱れそうなところには空気を読んで現れるぞ」
観堺は手馴れたように子依ちゃんの愚痴をあしらうと、カバンを置いてから言った。
「河芝、暇だろ?」
観堺のやつ、私が気にしていることをストレートに突いてくる。
「ああ、残念ながら暇だ」
「やっぱりそうか、それならA組の山本という生徒を呼んできてくれないか?」
「山本?」
私はその苗字に心当たりがあった。
「山本……下の名前は?」
観堺はカバンからリストのようなものを取り出して、それを開いてから言った。
「
どうやらビンゴらしい。
「……それで、そいつは一体なにをやらかしたの?」
「呼んでいるのは弥生子だ。多分人事の話じゃないかな?」
「はぁっ?」
今、確かに人事と言った気がする。
「そいつに人事の話って、何かの間違いじゃないか?」
「ん? なんだ、河芝の知り合いなのか?」
「サダは……そいつは私と同じ二羽中出身、近所に住んでる腐れ縁だよ」
「なんだ、弥生子といい、A組は優秀な人間が集まっているんだな。河芝以外は」
「くっ、なんだよ優秀って?」
「今回の高校入試の最高得点、その山本らしいぞ」
私はその話を聞いて。
「oh……」
と呟き、椅子から立って頭を抱えながら後方へふらついた。
(幾ら弥生子さん達、東野付属中出身者が試験無しで入学できるとはいえ、エリート高校の入試で1位……だと……?)
観堺はリストを見ながら更に呟く。
「凄いな山本って。将棋部に囲碁部にテーブルゲーム部……既に3つの部活に入っているぞ」
「え、そうなの……?」
初耳である。
「……河芝、きみは本当に知り合いなのか?」
「……さぁ?」
観堺は私の方を、疑わしい目で見つめている。
「とりあえず探してみるよ……はぁ……」
私は本当に運営委員にふさわしいのだろうか。トボトボと運営委員会室を後にして、私は校舎内を回ってみることにした。
150メートルはあろうとかという長い廊下を歩いてA組まで行ってみるが、中を覗いてみてもおしゃべり中の女子が数人いるだけでサダはいない。しょうがないので文化部の部室が並ぶ南校舎3階へ向かってみたが、どこの部室にサダがいるのかさっぱり分からなかった。
暫く途方にくれていると、なんともタイミングのいいことに、テーブルゲーム部と書かれた部室から見慣れた顔が出てきた。その手には、少し大きめのバッグが持たれている。
「おいっ、サダ!」
私の声に振り向くと、珍しげな顔をしてこっちに近づいてきた。
「あれ、ロリこんじゃないか。こんなところでどうしたの? ひょっとして文化部にでも入ったの?」
「違う、今日は運営委員会の者として用がある」
「え? ひょっとして人事のこと?」
「……なんだよ、もう聞いていたのか?」
「いや、以前女市から人事のことで話があるって教室で言われたんだ。でも、部活が忙しいから運営に参加する暇はないよって答えたんだ」
(こいつ! 弥生子さんの誘いを断るとは一体何様のつもりなんだっ!)
などと心の中で憤慨しながらも、私は冷静かつ丁重にサダを案内する。
「しのごの言わずに、黙って運営委員会室までついて来いっ!」
「うひゃぁ。別にいいけどさ、ロリこんが僕の相手になってくれるの?」
そう言いながらサダは、自分の手にもっているバッグを私に向けた。
「将棋か? それとも囲碁か? 私なんかじゃ相手にならんだろう?」
「オセロなら少しはやれるんじゃない?」
「弱くていいなら相手になってやってもいい。だから、とりあえずついてこい」
「分かったよ。ほんとロリこんは強引だなぁ」
サダを連れて再び運営委員会室へ戻ると、委員長席には弥生子さんが座っていた。
「あら、流石剋近さん。もう山本くんを見つけてきてくれたのね」
弥生子さんに流石と言われただけで、校内をうろついた苦労が報われた気がする。
弥生子さんは立ち上がって、サダを空いている椅子へと案内した。
「とりあえず連れてきたけど、こいつ既に3つも部活やってるんだよ?」
私がそう言っていると、サダは早くもバッグから将棋と囲碁とオセロを取り出していた。こいつ場の空気を全然読んでいないな。律儀にも将棋盤の横には、対局時計まで置いてある。
「ええ、彼が忙しいことは承知しているわ。でも多分大丈夫だと思うの」
サダは空になったバッグを机から降ろすと。
「ねぇロリこん、どれがいい?」
などと、私に向けて言い放った。
あ。
しまった――。
そして私は自分のミスに気づいた。ここに来るまでの間に、『あだ名で呼ぶな』と徹底して言い聞かせておくべきだったのだ。
「河芝……きみは旧知の者から見ても、やはりロリコンだったんだな……」
観堺は軽蔑を含んだ表情でこっちを見ながら呟く。
「なんじゃ。子依ちゃんは初めて会った時から確信しておったぞ。いつもこちらを見る目が普通じゃなかったからのう」
子依ちゃんは更に誤解を招くようなことを言っている。
「みんなロリこん(というあだ名)のことを知ってるんだね? いつもロリこんがお世話になってます」
そう言ってサダは深々と頭を下げる。
いっそこいつの頭を、そのまま斬首してやりたい。
「いいからもうっ! お前は余計なことしゃべるなっ!」
まずいぞ。
いい加減ここいらではっきり言っておかねば、永遠に誤解されたままになりかねない。私は手を上げて、皆の注目を集めるようにしてから口を開く。
「いいかみんなっ、勘違いしないでくれ。この際だからはっきり言わせてもらうがなっ! ロリこんとは性癖のことを指すんじゃないっ!」
室内は静まり返る。
そして、私は言葉を続けた。
「ロリこんとは――――私のことだっ!」
ビシッと親指を自分に向けて、そう私は言い放った。
静まり帰った運営委員会室の中、サダがキョトンとした表情で言う。
「知ってるよロリこん。今更なに言ってるんだい?」
それに比べて、観堺は更に嫌悪するような目で私を見て言う。
「ここまで断言するとはっ……。これは本格的に欧米並みの更生プログラムを適用させるべきじゃないのか?」
反対に子依ちゃんは、満足そうな表情で私に向けてエールを送ってくる。
「その心意気やよしっ! 子依ちゃんはいつでも待っておるぞっ!」
因みに弥生子さんは無表情のままである。
(……あれ? なんだこのみんなの反応の違いは? 私は今、なにか間違ったことを言ったっけ?)
私が言葉不足を補うべきかと考えていると、子依ちゃんがサダに向かって話しかけた。
「おい、そこの新しいの。おぬし将棋ができるのか?」
どうやら、もう話の流れが変わってしまったらしい。
私はおっかしいなぁ、と首をかしげながらサダと子依ちゃんの傍に歩み寄る。
「ん、僕のこと? ああ大好きだよ」
子依ちゃんはニヤリと不敵な笑みを浮かべると言い放った。
「ほほう、弥生子。おぬしとどちらが強いのかのう?」
弥生子さんは暫く無言のまま考えると、子依ちゃんの意図を理解したのか。
「なるほどね……。そういうやり方もあるのね」
そう言って立ち上がる。
私は弥生子さんがサダに勝負を申込もうとしていることを察して、すぐにそれを制止した。
「待って弥生子さん。幾ら弥生子さんでも相手が悪い」
私の声を聞いた弥生子さんは優しく微笑み、そしてサダに向けて口を開く。
「5分切れ負けルールでいいかしら?」
弥生子さんはサダに近づきながらそう尋ねる。5分切れ負けルールとは、各者に持ち時間が5分ずつ与えられており、その持ち時間を全て使い果たすか、詰んでしまう(王の逃げ道が完全になくなる)と負けになる早指しルールである。
「本当にいいの? 俺強いよ?」
そう言うとサダはニヤリと口角を釣り上げた。
――それから5分ほどが経った。
私にはよく分からないが、一進一退の攻防が繰り広げられているらしい。弥生子さんが長考に入ったと思えば、その後に指された一手で今度はサダが長考に入る。そしてまた暫くするとサダが指し返す。
予想以上の接戦に私は驚きを隠せなかった。
「おいおい、サダは地元の将棋クラブでは神童とまで呼ばれ、あまりの強さと正確な早指しに、プロ入りまで噂されているほどなのに……」
私がそう呟くと、私と一緒に見守っていた子依ちゃんが、やれやれといった感じで声を出した。
「そういうことか。強過ぎると思ったわい」
子依ちゃんがそう呟いた後で。
『パチン』
という弥生子さんの指す音が室内に響き渡る。
すると弥生子さんは安心したように。
「ふぅ」
と息を吐いて、ジッとサダを見つめた。弥生子さんが指した一手を見つめ、10秒ほど考えた後でサダは頭を下げながら言った。
「参りました」
子依ちゃんは心底感心したように、降参したサダに向けて拍手をしている。
「おいおい、嘘だろっ?」
私は声をもらす。サダが「参りました」と言ったのを、少なくとも同年代相手では見たことがなかったからだ。サダは照れたようにして、私の方を向いて言った。
「参ったよ。滅茶苦茶強いんだもん。ひょっとしたら中村先輩といい勝負じゃないかな?」
賞賛するサダの言葉に、弥生子さんは謙遜する。
「山本くんこそ強いわ。気を抜くとすぐに押し込まれそうだったもの」
弥生子さんに称えられると珍しくサダも余裕なく、照れたようにして頭をかいた。多分私なんかが褒めるのと、本当に強い相手に褒められるのでは意味合いが違うのだろう。
「山本くん、今日はわざわざ来てくれてありがとう」
サダはやれやれと言った感じで、弥生子さんが言い含んでいる言葉を促した。
「それで、僕はどんな仕事をすればいいんだい?」
サダの言葉に、目を細めて弥生子さんは答えた。
「調査部長よ」
「調査部? それってどういう仕事?」
「情報収集と分析よ。運営委員会室に常駐する必要はないし、依頼した調査を期日までにこなしてくれればいいから、部活も今まで通り続けられるはずよ」
サダは暫く考える仕草をした後で、なぜか私と弥生子さんの顔を見てから答えた。
「面白そうだね。時間制限も殆ど受けないみたいだし、やってみてもいいよ。ただし、女市元大蔵大臣について暇な時に教えてもらえる?」
弥生子さんは意外そうな顔をして返事をした。
「構わないけど、どうして?」
サダが虚空を見上げて「うーん」と考える素振りをしたので、私が代わりに答えた。
「こう見えてもこいつ、将来は大物政治家の秘書になりたいらしいんだよ」
「秘書? なるほどね、だからお爺さまの話を……」
サダは再び私と弥生子さんを見てから言った。
「それに、ここには大物政治家候補が2人もいるからね」
誰だよ。弥生子さんと、もう1人は。
その言葉に弥生子さんは少し驚いた顔をしたが、恐らく「将来は政治家になりますか?」という質問は頻繁に受けるのだろう。すぐに表情を戻してサダを歓迎した。
「ありがとう。ようこそ運営委員会へ、山本調査部長」
「うん、よろしく」
なにはともあれ、これで運営委員会は5人になった。
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