有権者は冷静だった

 翌々日。

 本日はいよいよ「投票日」である。


 6時限目の授業は無く、全校生徒は体育館へと集められた。候補者による最終演説を生徒達全員で聞いた後で、投票を行うためである。討論に選挙、そして最終演説。この学校の民主主義教育はつくづく徹底しているらしい。


 体育館で待機していると、投票用紙と候補者情報が書かれた紙が生徒達に配られ始めた。


 我々1年生は、候補者が一人しかいないため投票用紙は無しだ。候補者全員の情報が書かれたプリントは私達1年生にも配布されているので、私は演説開始までの暇な時間を、プリントを眺めて過ごすことにした。


 暫くの間、プリントを見つめながら学校事情を想像しているとアナウンスが体育館に響く。


「ただ今より、立候補者による最終演説を行います。まず始めに、2年生の望月真文さんからおねがいします」


 どうやら今から各候補者の演説が始まるらしい。1年生は演説がないので、望月先輩の演説が最初になるようだ。アナウンスからさほど間を置かず、壇上の上手側から望月先輩が現れた。


 そうして始まった望月先輩の演説の内容は、以下の通りである。


「みなさんこんにちは。2年生の運営委員長に立候補した望月です。私が運営委員長に立候補しようと思ったきっかけは、1年生の時に経験した女子水泳の全日本選考会です。この時の運営委員会は、文化系にばかり力を入れていて、スポーツ特進制度のない東野高校でスポーツで成績を残すことがどれだけ大変であるかを理解していませんでした……。その為、スポーツを愛する沢山の生徒達が学校側の協力も得られずに、応援することも、各生徒達が何に挑戦しているのかさえ知ることが出来なかったのです……」


 そこまで話すと、望月先輩は表情を険しくした。


「それどころかっ、こともあろうに風紀部の人間を女子水泳部によこして、スパッツタイプの水着にしろとか、ハイレグは風紀を乱すとかイチャモンつけてくるありさまっ! ハイレグのどこが悪いのかとっ! あの機能性と美しさがわからないような人間がっ、文化的であるはずがな――――え? なによっ!」


 慌てて壇上傍まで駆け寄った教師が、何か身振り手振りで合図を送っている。


「あぁ、はい、おっほん。――失礼しました。ええっと、体育部には体育部の、文化部には文化部の良さや主張があると思うのです。私は1年生の時のような盛り上がりにかける体育祭にはしたくありません。もちろん体育関係以外にも精一杯力を入れていきます。皆が一生懸命汗をかいて、楽しい1年を送れるように努力していきたいと思います。宜しくお願いします」


 演説というよりは途中から愚痴のようにもなっていたが、原稿を見ずに演説をする望月先輩は猪突猛進な感じが出ていてよかったと思う。


 演説が終わると、笑い声を含めて明るい感じの拍手が起こっていた。

 私もにこやかに拍手に参加する。


 さて、次に岸先輩の演説だが……。


 岸先輩は、『壇上に現れたが現れなかった』。

 いや、『現れなかったが現れた』と言うべきだろうか……?


 なにを言っているのか分からないかも知れないが、これは少々説明が難しいのだ。

 可能な範囲でどうにか説明してみよう。


 岸先輩の名前が呼ばれると、壇上の上手から見知らぬ女子生徒が黒い布で覆われた少し高めのローラー付荷台を押しながら現れた。その荷台の上には大き目のモニターが乗せられている。女子生徒は演台にモニターを設置すると、少しごそごそといじった後で荷台を押してそのまま上手へと引っ込んでしまった。


 モニターを使ったオブジェを見たことのある私は、この時既にピンときていたのだが、私や2年生を除く殆どの生徒や先生達はポカンとしている。


 それから間もなくして、壇上のライトが消えた。


 これによって少々体育館内がざわついたが、壇上の明かりと入れ替わりでモニターの電源がつくと、皆がモニターに映しだされた映像に静かに注目する。


 モニターには、例の某ハッキング集団がつけているものに似た、怪しいお面を被った女子生徒の姿が映し出されていた。


 私はお面の横からはみだしている風変わりな髪型から、それが岸先輩であることをすぐに理解した。岸先輩の背景は薄暗く、なんだか狭そうにも見える。


 お面を被った岸先輩は静かに、そして激しく語り出す……。

 以下がその全容である。


「諸君、私が美術部部長の岸だ……。諸君っ! 私が美術部部長の岸だっ! 私は4年間待った。認められることなく、虐げられた奇才が、この日をっ! 社会と芸術の常識が塗り替えられるこの日を4年間待ったのだっ! 思い出して欲しい……選挙期間中に見られた数々のアートを。思い出して欲しい! 私の苦渋に満ちた中学生時代をっ!」


 館内で声を発する者は一人もいない。


「世界は腐っているっ! 優秀な人間がっ、新しい種類の人間が抑圧されっ、無能な人間がっ、古い種類の人間がでかい顔をしている! 今こそ変革の時なのだ! 芸術は世界を変える! 常識を変える! 学園生活を変える! ……私は分かっている。きみ達がなにを望んでいるのかを。私は分かっているっ! きみ達が新しい時代を望んでいることを! 新しい時代を望む者が今なにをすべきかは実に明確だっ! 美術部部長の岸に、清き、熱き1票を! 清きっ! 熱きっ! 1票をっっ!」


 演説は終了したが、やはりというか、生徒や先生達は皆ポカンとしている。


 呆気にとられてしんと静まり返った体育館とマイクの残響の中、演台の辺りから、なにやらごそごそと音が鳴った。


 そして、スピーカーから「プツッ」という音が聞こえたと思ったら、なんと演台の中から1人の女子生徒が這い出てきたではないか。その女子生徒は、先ほどまでモニターに映っていたものと同じお面を被っている。


 配線や機器をまとめてモニターを重そうに抱えると、女子生徒はいそいそと上手の方に消えていった。


 そう。

 髪型からして間違いなく、岸先輩本人である。


 推測するに、恐らく岸先輩はモニターを運んできた荷台の中に隠れていたのだろう。そして、モニターやそれを設置する女子生徒に注目が集まっている最中に、演台の中に移動して演説の準備を終えたのだ。


 確かにサプライズではあるが、まったく意味が分からない。


 体育館内はどうしたらいいのか分からないような雰囲気になっていたが、司会役の生徒が何事もなかったかのように。


「えー、岸彼方さんによる最終演説でした。続きましては……」


 と、そのまま3年生の演説へと繋いだ。

 冷静且ついい判断である。


 2年生に比べれば、3年生の演説はどれもが非常にまともな内容だった。


 沢井先輩の妙に張り切った演説の最中に、男子生徒からまるでアイドルのコンサートのようなノリで、「モブ可愛い!」という声が上がったが、これは一体どういう意味だろうか?


 中村先輩の演説は非常に隙のない内容で、堅実な人柄に好感が持てた。


 小宮山先輩の演説は口調も荒く、なんだか熱かった。小宮山先輩が最後に、自身が所属しているカレー部の部員を募集している、とか言ったあたりで教師から注意の声が飛んでいたが、そんなことで注意するくらいなら、なぜ岸先輩の演出をスルーしたのか理解に苦しむ。


 その後、2年生、3年生の順に投票が行われた。

 投票に関するルールは以下の通りである。


・自身が支持する立候補者名は設置してある鉛筆を用いて必ず苗字か名前、或いはその両方を書くこと。あだ名の類は認められない。

・支持する候補者がいない場合は白紙票を入れること。

・集計は担当教師監視の下で生徒会により行われ、後日校内放送及び報道部の壁新聞により発表される。


 私達1年生は全ての投票が終わるまで待機とのことだった。3年生の投票までが終わると、我々1年生もA組から順番に教室へと帰る。


 投票がない1年生の運営委員長は、予定通り女市弥生子ということで決まりらしい。彼女の演説も見てみたかった気がするが……。


 私はなんだか、ホッとしてしまった。





 そして週末を跨いだ翌週。

 本日はいよいよ「投票結果発表」の日である。


 朝のホームルームの最中に、それを伝える校内放送が始まった。


「只今より、第11回、運営委員長選挙の結果を発表します。皆さんご静聴ください」


 候補者はきっと、ドキドキしながら週末を過ごしたことだろう。

 そしてそのドキドキは、今がピークのはずだ。

 女市弥生子の当選は決まっているはずなのだが、なぜか私もドキドキしている。


「1年生、女市弥生子、当選。1年生、女市弥生子、当選。候補者が1人であったため、投票なしで運営委員長が決定致しました」


 教室内で拍手が起こる。

 まずは予定通り、女市弥生子が我々1年生の運営委員長となったようだ。


「続きまして2年生」


 次に、注目されていた2年生の当選者が発表される。

 私は放送に耳を傾けた。


「2年生、望月真文、当選。2年生、望月真文、当選。獲得票数215票」


 一瞬。


「ワァッッ」


 と、窓の外から歓声のようなものが聞こえた気がした。

 恐らく2年生の教室からだろう。


「2年生、岸彼方、落選。2年生、岸彼方、落選。獲得票数59票」


 どうやら落選者の発表まであるらしい。

 確かに、有権者は例え死票になったとしても、自分の票の行方くらいは気になるはずだ。選挙とはなかなかに、残酷なシステムなのかもしれない。


「以上の投票結果により、2年生の運営委員長は望月真文に決定致しました。有権者数538人、投票率98%、有効投票率51%」


 それを聞いていた倉井は。


「低いなぁ」


 とこぼし、有効投票率の低さに眉をしかめた。


「続きまして3年生」


 最後に3年生の当選者が発表されるようだ。中村先輩と小宮山先輩の接戦になると言われていたが、果たしてどういう結果になるのだろうか?


「3年生、沢井晴香、落選。3年生、沢井晴香、落選。獲得票数110票」


 浮いている感じさえあった、あの沢井先輩は落選らしい。

 沢井先輩の空回り気味に一生懸命な姿が思いだされて、なんだか少々切なくなる。


「3年生、中村哲次、当選。3年生、中村哲次、当選。獲得票数198票」


 この瞬間、3年生の運営委員長が中村先輩に決定した。


「3年生、小宮山正平、落選。3年生、小宮山正平、落選。獲得票数182票」


 結果を聞いた倉井は。


「ぎりぎりで中村かぁ」


 と呟いた。


「以上の投票結果により、3年生の運営委員長は中村哲次に決定致しました。有権者数551人、投票率98%、有効投票率89%、以上をもちまして選挙結果の発表を終わらせて頂きます。――なお、校則特例法に基づいて、ただいまより各学年の当選者3名は、運営委員の人事権行使及び、運営委員会室の使用が許可されます。以上により放送を終了させて頂きます。ご静聴ありがとうございました」


 選挙結果を伝える放送が鳴り止んだ。


 最後のあたりでよく分からないことを言っていたが、あれは一体どういう意味なのだろうか? 私が疑問に思っていると、倉井が口を開く。


「とりあえず、運営委員について色々説明しなきゃな――」


「ピンポンパンポーン♪」


 倉井が話そうとすると、再び校内放送が流れ始めた。


「報道部より業務連絡です。専門教育促進法に基づき、選挙結果が公表された今から昼休みまでの間、報道部員は授業が免除されます。ただちに報道室まで急行してください。繰り返します――」


 そして、スピーカーの向こう側で、大きく息を吸い込むような音が聞こえた。


「――我々報道部員はっ、これより昼休みまでの間、修羅に入るっ! ただちに急行せよっっ! 以上っ!」


「ピンポンパンポーン♪」


 放送を聞いた倉井は苦笑いしている。

 当然、私を含めた生徒達は皆がポカンとしている。因みに、放送を開始する前の「ピンポンパンポーン♪」は誰かの声であった。


 やれやれといった表情で、倉井は説明し出した。


「あー、まだうちのクラスには報道部員はいないみたいだが、報道部は選挙結果が発表された今から新聞作りのために忙しくなるんだ。報道部は午前中の授業が免除されるが、昼休みまでに新聞を仕上げなきゃいけないから、結構大変らしい」


 そう言うと倉井は、なにかを思いだそうとしながら話し始めた。


「えっと……なにを言おうとしてたんだっけな? 報道部のせいで忘れてしまったぞ。……あぁ、そうそう運営委員についてだ。今回は笹熊が辞退したから1年生は女市が自動当選したが、普通は2年生や3年生のように、生徒達の投票によって運営委員長が決定される。まぁ、幸運にも私のクラスから運営委員長が出たのだから、実は先生も少し鼻が高い」


 倉井はそう言って、嬉しそうな顔をした。


「選挙結果の放送で最後に言っていた『校則特例法』についてだが……」


 倉井は黒板に、図や文字を書きながら説明する。


「校則特例法とは、選択や命令の権限を学校側が部分的に生徒達に預ける東野高校独自のシステムだ。例えば、普通なら学校内のいざこざは担任や生徒指導の先生なんかが取り締まる訳だが、これを運営委員が代行する。廊下を走るなとか、いじめや不良行為の監視とかは大体運営委員の風紀部辺りが取り締まるかな。手に余る場合は教師に報告すればいい。他にも様々な学校行事の方針も運営委員会によって決められたりするから、運営委員長を決めるこの選挙は、非常に重要な意味を持っていたという訳だ」


 振り返り、生徒達を見渡しながら倉井は続ける。


「で、最後に放送でも言っていた運営委員の人事権行使というのは、運営委員長が運営委員会の『メンバーを決定する権限』であり、運営委員会室の使用許可というのは、運営は『専用の教室を1つ使っていい』ということだ。他にもその学年の状況に応じて、ある程度なら新しいルールを設けることも可能だ」


 学生にこれだけの権限が与えられるのは、結構凄いことだと思う。


「先生ー。専用の教室ってどこにあるんですか?」


 女子が手を上げて倉井に質問する。


「この1年生の廊下をずっと向こうまで行くだろ? すると1番奥に今は鍵がかかっている教室がある。そこだな」


 女子生徒はなるほど、と頷いていた。


「先生、生徒会と運営委員会って何か違うんですか?」


 また違う女子が質問する。


「あぁそうだったね。全ての学年の運営委員は組織図的には生徒会の下になる。運営委員会の予算も生徒会を通して下りてくるし、運営委員の活動も生徒会が監視することになっている。昔は学年別の運営委員会なんかなくって生徒会に権限が集中していたんだけど、10年位前からは効率性向上や、より多くの生徒が社会勉強出来るようにと運営委員会が作られた。まぁ、これによって生徒の自主性が向上したのか、役職経験者は大学や社会でもがんばってくれることが多いから外からの評判もいいし、いじめや不良行為も随分減ったみたいだね。仕組み作りってのはそれだけ大切ってことだな」


「先生、それじゃあ、生徒会は普段なにをやってるんですか?」


 再び同じ女子が質問する。


「うーん、例えば運営委員会が学校内の問題に当たるのに対して、生徒会は学校交流であったり、学園祭の宣伝であったりとか外向きの仕事も多いな」


 それを聞いて、質問した女子はなるほどと頷いていた。


「生徒会長選挙は3学期末に行われる。有権者は全校生徒だ。運営委員長選挙の集計や選挙管理にも関わるから、1年生が入学する前の早い時期に生徒会が組織されるって訳だ。今は白川という3年生が生徒会長だな」


 私は倉井の話を聞いているうちに自分がとんでもない学校にいるのだと自覚させられた。選挙は形式的なものではなく、実際に権力の獲得や行使につながっている。生徒会がやっていることも半ば外交のようなものだ。


 もはやこの東野商業高校とは、ただの学び舎ではなく、小さな社会とさえ呼べるのではなかろうか。

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