Falling.
ヒロキがオフ会で東京に来る事を知ってから、私の心は常にざわついていた。特にすることもないのに、夜更かしをする事が多くなった。気が付くと時計は朝五時を示していて、窓の外からは青白い光が漏れ(まるで夜更かしをした私を断罪するような落ち着かない青色だ)、私は首をかしげた。「今まで一体何をしていたんだっけ?」ゆったりと眠る事もできず、私の目にはまるで痛みを可視化したかのような濃い隈ができ、化粧でも隠しきれなくなった。友人達はそんな私を心配したけれど、いつも「ううん、ちょっとゲームにはまちゃってさ。夜通しやってるの」なんて言い訳をしてごまかした。友人達は、今までゲームの事なんて一言も話さなかった私の、突然の趣味の変化を不思議がった。
そして、オフ会の日がやってきた。ヒロキが私の近くにやってくる、けれど私の元にやってくる事はない。私は行き場のない心のざわつきに耐え切れず、電車に乗っていた。大きなヘッドフォンをして、厚化粧で目の隈を何とか隠して。ヒロキはこのヘッドフォンで、きっと私を見つけてくれる。このヘッドフォンが、私が私であることを証明してくれる。またこれの大きさを笑ってよ、そうしたらいつもの二人に戻れるでしょ? けれどヘッドフォンは、今や音楽を鳴らしていなかった。変わりに、まるで叶わぬ妄想のように、虚しく空っぽが鳴り響いていた。
無機質な駅員のアナウンスが聞こえた。東京駅まであと二十分ぐらいだ。オフ会が開かれるのは渋谷だから、もうすぐ会場に着く。……もうすぐ? 電車が一定のリズムを刻んで揺れる。その駅について私はどうするというだろう。呼ばれてもいないのに。ヒロキは私を見つけるだろうか? 見つけて、それで――見なかったフリをするのだろうか。遠くからオフ会の集まりを見ている私。見つけても見なかったことにするヒロキ。私はその想像に吐き気がして、衝動的に次の駅で降りた。東京近辺だと言うのに寂れた駅だった。私は不安に耐え切れず、とりあえず音楽を聞こうと携帯用CDプレイヤーのスイッチを押す。けれど、音楽は聞こえてこなかった。変わりに、電車の音が決定的なノイズとして、私の脳を揺らした。次の電車で逃げるように家に帰った。
けれど、私は結局の所、何からも逃げられなかったという事実を知ることになる。次の日の夜、ヒロキによって書かれたオフレポを読んだ時、私はさらに奈落へとつき落された。直接的には書かれていない、けれど私からすれば決定的に分かる事実。愛しさのにじみ出る一文。
ヒロキが恋をしている。オフ会で出会った女の子、ユリに。
私の心臓の音が、だんだん大きくなって、世界のすべての音を掻き消していく。そして私は、そのオフレポの記事を見たときに、きっと、決定的な一線を越えてしまったのだと思う。
次の日、今まで思いついてはいたけれど、実行に移すことはしなかったあることを始めた。まずは友達に頼んで、mixiに新しいアカウントを作る。そして、ヒロキのブログからリンクしてある、ヒロキのアカウントにマイミク申請を送った。
こうして私は、偽りの自分によって、ヒロキとの新たな繋がりを無理やり作った。今までそれをしなかったのは、偽りの自分で繋がる事が、今の私ではヒロキと繋がれない事を、証明してるみたいに思えたから。けれど、もうそんなことは言っていられない。私はヒロキの恋を阻止しなければならないのだ。マイミク申請が形式的に受け入れられた後、私はすぐに次のメッセージを送った。
「あの、ヒロキさんのブログのファンのカコっていいます!
突然メッセージ送ってすいません。もしかして、って思って……。
ヒロキさん、ユリさんのこと好きでしょ?
オフレポ読んだらなんだか分かっちゃいました(ハートの絵文字)」
それにしてもハートの絵文字ってなんでこんなに気持ち悪いんだろう。いびつな形をしてる。そんなことを思っていると、返事はすぐに返ってくる。
「げっ! なんでばれてるんだろう(汗の絵文字)
そうなんだ……。いちおうメルアドも聞いて、ちょくちょくメールしてるんだけど。
いやあ、片思いって久しぶりだから、ドキドキするね(笑)」
心がピキッと、いびつな音を立てるのが聞こえる。けれど、それすら凌駕するほどの圧倒的な高揚感が私を襲う。形はともかく、久しぶりにヒロキとメールをしていること。そして、予想通りの返信がきたこと。こうして行動することが、私が抱えているいろいろな歪みを一時的に忘れさせてくれる。二、三通のメールのやりとりで、私は簡単に「相談役」としての立場を手に入れることになった。
ここからだった。私はうまくやらなければならない。私はヒロキの恋愛相談に乗りながら、ヒロキの気持ちを少しづつユリから離していく。それはとても難しい事だと思うけれど、何もできないまま悩むよりも、よっぽどマシだった。それにしても、返信が確証されているのはなんて素敵な事なんだろう。私が何か送る。ヒロキがそれを返す。ヒロキが何か送る。私がそれを返す。今はそんな、当たり前のことが嬉しかった。たとえそれが、偽りの私とだったとしても。
「ふうん、なんていうかそのユリって子、天然っぽいんだね。
天然だからっていって適当に扱っちゃダメだけと、そのメールに関してはあんま気にしないでいいと思うよ!
でもヒロキさん天然の子好きなんだね! ちょっと意外だなー。あんまり合わなそうって思うかも……。」
ユリを嫌いに、嫌いになあれ。
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