第二章 萌ゆる春寒
2099年4月1日
01. 行き先のわからない入隊式
1
二○九九年四月一日
長い冬が鳴りを潜め、筑紫の町にも遅めの春が訪れようとしていた。
寒々しく渇き、沈んだ枯れ草色に覆われていた一面の大地には、冬の間に眠っていた草花の種たちが、暖かな風にそっと目を覚ますように芽吹き、ちらほらと若芽の幼い緑が見られるようになっていた。
真っ青に晴れ渡った春空は、まるでくぐもった冬空から入れ替えられたように鮮やかな
新年度の始まる今日、北部中央筑紫基地では、年に一度の入隊式が行われていた。
いつもは、冷たく無機質な軍事基地も、今日ばかりは、賑やかで平穏な、晴れ晴れしい光景に包まれていた。
正門前には、紅白の市松模様に装飾されたアーチ。そこには、達者な筆文字で
『国防軍入隊式 筑紫中央基地』
と、大きく掲げられていた。
入隊式を終えた青々しい新入隊員たちが、家族や恋人、友人らに祝福されながら、一時の別れを惜しんでいる姿が散見された。隊員たちは皆、目には強い意思と希望を湛えながらも、もう二度と帰れなくなるかもしれない戦いへの不安からか、どこか寂しげな表情をしているように見えた。
この筑紫基地は北部地方の中心基地として、北部空域における防空任務はもちろん、空域侵犯への対空措置等が行われている。同盟国であるキルジア合衆国との共同基地でもあり、両軍合わせれば、実に一万人以上が所属している。面積は約2200㎡と広大で、全国に散らばる基地の中でも、上から二番目の大規模を誇る。もはや、大きなひとつの町といっても過言ではない。
広大な基地営内には、管理棟、事務棟、待機所、駐機場、滑走路、格納庫、武器弾薬庫、演習場、管制塔、隊舎、士官学校など、実に多くの施設が入り組んで建てられている。防衛軍事に必要なもので、無いものは無いと言えるほど充実した施設群である。
時刻は十二時を回ったばかり。
白めいた春の太陽は、瑠璃色の空の頂上まで到達していた。
入隊式を終えた光剣一輝たち一行は、その敷地の中央に位置する中央棟の食堂に居た。昼時ということもあって、昼食を取ることにしたのだ。一番に提案をしたのは、もちろん大鎚平太である。
食堂の位置は一階。かなりの広さで、三百以上の席数があった。職員や隊員はもちろん、士官学校の学生なども利用する、基地内で一番大きな食堂である。注文は、調理、盛り付け済の料理や惣菜を好みに応じて一品ずつトレーに乗せていくセルフサービス方式。各自、好きなメニュを手元にとって会計を済ませた後、外が見える窓際の大きなテーブルに集まった。
食堂は、かなり混雑していた。一行が席に着いた時には、すでに八割以上の座席が埋まっているという盛況ぶり。周囲には、多くの新入隊員たちが席を埋め、談笑する姿が見られる。入隊式を終え、皆、ひとまずの安堵を浮かべているようだった。
しかし、一輝らだけは周囲とは違った。浮かない暗い表情で、黙々と食事に手をつけ始める。なぜなら、彼ら七名は、入隊式を終えた今も、自分たちの配属先が一切決まってもいなければ、誰からも伝えられてもいないことに不安の表情を浮かべていたのである。ただし、橘エミリだけはいつもと変わらぬ無表情であることは、加えるまでもない。
もちろん、さすがのエミリも、今日ばかりは周囲の女性隊員たちと同じ制服姿で、ゴスロリスタイルではない。長い黒髪は、制帽をかぶった頭の後ろで団子状にまとめ、前髪だけが、白い顔を左右から覆うように垂れ下げられていた。
「ところでよ……、なんで俺たちだけ配属先が決まってないんだよ」席に着き、一通り落ち着いたところで大鎚平太がしゃべり出した。箸を持った右手で肘をつき、好物のからあげ丼を、ほとんど飲み込むように
「ちょっと平太、ご飯つぶ、こっちに飛ばさないでよ」苛立った様子の高嶋みつほが、棘のある口調で注意する。配属先不明に加え、目の前で乱雑に食い散らかされては、たまったものではないだろう。「まったく、がさつなんだからあ」
「悪りぃ、悪りぃ」平太は、悪びれる風もなく照れ笑いした。
「タクちゃんはなにか知らないの、配属先のこと」真っ赤なナポリタンを箸を使って器用に食べながら、神代達也が聞いた。「結局、戦闘機部隊の配属希望は通らなかったんでしょ?」
「ああ……。まあな……」
頬杖をついてガラスの外を眺めていた海馬巧は、右手に持っていたサンドウィッチを一口
達也は、切望していたパイロットの道を断念せざるを得なかった巧の心境を思うと、窓の外を見つめたままこちらを向かない元エース候補を見守るしかできなかった。「そっか……」
賑やかな食堂とは裏腹に、テーブルの上にはしばらくの重苦しい沈黙が訪れた。
その沈黙を、知ってか知らずか、平太が冗談めかした声で打ち破る。
「オレたちの成績と検査結果が悪かったから、どこも配属先がなかったりしてな」
「それはないっしょ。自分で言うのもなんだけど、オイラたち、結構なかなか優秀だったと思うよお」達也は自信ありげに語る。
「まさかとは思いますけど、例の筑紫山の件が知られてしまったとか……、考えられませんか?」袴田千草が姿勢を低く構えて小声で囁く。彼女は白いご飯に焼き魚、野菜の煮物にあさりの味噌汁と、素朴なメニュをトレーに乗せている。
「考え過ぎ……」両手で持った紙ナプキンを上品な仕草で使い、口元を軽く拭いながら、橘エミリが言った。彼女は肉抜きオカラロールキャベツを食べ終えたところだった。
「そ、そうだといいんですけど……」千草は、メガネの奥の瞳を少しだけ潤ませながら、エミリの顔色を伺った。
「でもさ、この後ニーナ教官が僕たちに会いたいって言ってくれてるんだから、きっとそこでなにか分かるんだよ」一輝は、消沈する周りを勇気付けるように、声を弾ませて言う。
「俺たち全員、希望の配属先には選ばれなかったのかな……」突然暗い顔になる平太。
「平太は、どこに希望出したんだっけ?」みつほが向かいに座る平太に聞いた。彼女の手元では、山菜そばが、出汁の香りを
「
「うん」
「お前、看護師免許も持ってるもんな」
「准看護師だけどね……。でも、衛生隊の新入隊員には、もう二週間以上も前に事前告知があったみたいだから、私、絶対落第だぁ……」みつほは頭を抱える。
「お前って、なんかいっつも頭抱えてるよな」平太は薄笑いを浮かべて口を斜めにする。
「うるさい」みつほは小さく言い、顔だけ起こして平太を睨んだ。「大半は誰のせいよぉ……」
一輝はその様子を見て、「あはは」と乾いた苦笑を投げた。多分、半分の半分は平太で、残りは自分だ、と自覚していた。みつほに怒鳴られているのは、いつも僕ら二人だから……。
みつほの重いため息の後、一同は黙々と食事をとることだけに集中した。
しばらくすると、外を見たまま黙りこくっていた巧が、右手に持っていたサンドウィッチを皿に戻す。慌てた素振りでズボンのポケットを
どうやら電話がかかってきたらしい。
L字型の携帯端末オムニスを取り出し、ホログラムモニタを起動させた巧は、画面に表示されていた名前を見て顔をしかめた。
「誰?」隣に座っているみつほがそれとなく聞いたが、巧は質問には答えず、すぐに端末をテーブル中央にセットし、通話ボタンを押した。
テーブルに照射されたホログラムモニタを床にして立つように、通話相手の全身が3Dの立体映像として表示される。
全員の視線がそちらに集まった。
始めはノイズ混じりで、相手が誰だかわからなかったが、ホログラム映像はすぐに解像度をあげて、相手が誰だか認識できるようになった。
どことなく小柄な体型に見えるその小人は、白衣を着ているようだった。ひどい失敗のパーマがかかったようなチリチリの縮毛を顔が隠れるまで伸ばし、顔には、虫眼鏡のように分厚いレンズの黒縁まん丸メガネ。つぶらな瞳が大きく見えるほど拡大されている。
「守!」
「守ちゃん!」
「守さん……」
エミリ以外の全員が食べることさえ忘れ、驚きの声を上げた。
目の前に現れたホログラムの男を食い入るように覗き込む。
「なんや、みんなもおったんかいな」
守と呼ばれた緑色の小人は、素っ頓狂な声を上げて周囲の面々を見回す。オムニスのホログラムは、こちらの周囲情報も、端末を通じて相手側に送信され、視覚に直接照射されているのである。これも、フィディス社が誇るオムニス自慢の機能の一部である。
フルカラーではないながらも、遠隔地にいる人間の姿を忠実に、立体的に映し出したホログラムは、表情やしぐさ、肌と衣服の質感を現実に近いレベルで再現している。その再現力の高さは、オムニスが、ほんのわずかな人体情報から非常に多くの情報を収集し、リアルタイムで高速にデータ化していることを物語ってる。
「巧、ワイの了承もなく勝手にホログラム通話にすんなや……、恥ずかしいやんけ」
「うるせえ」巧は口をすぼめながらホログラムの彼を睨んだ。「なんの連絡もせずに行方をくらましていた罰だと思え」
「かなわんなあ……」バツの悪そうな表情の小人は、まるで目の前で生きているかのようにリアリティのある動きで周囲を見回し頭を掻いた。
彼の名は、荒田守。一輝たちの同級生であり、筑紫山に埋められた遺言カプセルの作り主でもある彼は、カプセル製作直後に行方を眩ましていた。飛行機墜落事故はもちろん、愛咲穂花と光る種のことなどもすべて知らない。
彼は、世紀の大発明家であり大科学者とも呼ばれた荒田潤次郎を祖父に持つ。
彼の祖父は、世界中でもまだ手付かずで未解明だった数々の工学分野にメスを入れ、多くの論文や実験などを通じて、科学会や工業会に革命を起こした人物である。今や、世界中で使用されているフィディス社のオムニスにさえ、潤次郎の生み出した技術が数多く流用されている。
潤次郎の、量子力学と素粒子論に基づいた新たな核融合エネルギィにおける研究量は凄まじいものがあり、それまでの科学の常識を覆す大発見を幾つもした。中でも、海水中の重水素を利用した『常温核融合』技術は、世界のエネルギィ利権に関わる権力構造を破壊し、大きく改変したと言ってもいいくらいの大発明だった。
しかし、それにより潤次郎は多くの敵を作った。
周囲の科学者や研究者から疎まれ、妬まれ、論文が不当に認められないこともあった。時には、研究成果や言論までもが、メディアや政府、海外勢力からも封殺されそうになったこともあったという。彼が発表した膨大な研究論文の大半は闇に葬られ、抑圧され、陽の目を見ることなく消えていったものも多いと語る賛同研究者は少なくない。
潤次郎は晩年、環境を汚さず、地球資源を消費しないクリーンエネルギィの開発に取り組んでいたが、研究が大詰めに至った段階で、自殺とも他殺とも言えない謎の死を遂げている。彼は、平和の為ならばと、死の直前まで精力的に研究を継続していたが、残念ながら氏の亡き後、彼の生み出した多くの技術は、軍需、軍産に利用されてしまっているのが実情である。
つまり、荒田潤次郎という男は、科学者、研究者、発明家として、世界に多大なる実績と影響を残した風雲児であり、学会では知らない者はいないというほどの有名人になった。しかし反面、そのあまりにも破天荒かつ過激な研究成果によって封殺されることとなり、結局、世間一般にはあまり知られることなく、無名のまま一生を遂げることとなった。
そんな大科学者を祖父に持つのが、荒田守。
一輝たちと同じ士官学校卒業生であるが、体力ゼロ、腕力ゼロ、持久力ゼロの彼の待遇は特別だった。なぜ彼だけが、異例の特別待遇を受けるのか? その理由は、彼が天才科学者の孫であり、若干二十二歳で、既に祖父に匹敵するほどの研究実績と、様々な軍事的発明を繰り返していることに由来する。
そんな荒田守の存在に目をつけた軍は、彼を士官学校に呼び込み、様々な軍事研究に取り組める環境を用意したと、一輝たちは風の噂で聞きつけた。彼はそれだけ、今の国防軍にとって、無くてはならない重宝された人材であるらしかった。
本人曰く、士官学校での生活は、授業やトレーニング、軍事訓練などは皆無で、そのほとんどの時間を研究や実験、開発に費やしていたという。具体的になにをやっていたのかは、幼馴染の一輝らもほとんど知らない。昔から秘密主義の彼は、聞いても教えてくれなかったのだ。
そんな荒田に連絡が取れなくなって既に一ヶ月以上が経つ。その間、彼の姿を見た者もいなければ、入隊式にも来ていなかった。
彼は一体今なにをやっているのか。
それが、今の一輝たちの思考を埋める、悩みの要素の一部だった。
一輝は、自分の配属先さえ怪しいこの状況の中、荒田の安否を気にする余裕などほとんどなくなっていた。否、正直、守の存在など忘れてしまっていた、と言ったほうが正確かもしれない。けれども、ホログラムとはいえ、久し振りに本人の姿を見て、彼の存在を認識し、安心したのも確かだった。
それと同時に、一輝は、ふと、彼が過去に語っていた言葉を思い出した。
『ワイのじいさんがなんで死ななあかんかったのかを軍に入って絶対に突き止めたるんや』
(いつもずぼらで情けない風の守でも、僕なんかよりも明確な目的があって入隊したんだっけな……)一輝は、当時、鼻息荒く語る守の顔を、忠実に思い出し、自分と対比し、なんとなくもやもやとした気分になった。
「みんな、久しぶりやな」荒田はまだ若干の幼さを感じさせる、けれどもがさつで乱暴な口調で言い放った。
「久しぶりやな、じゃねえよ」巧はきつい口調で言い放った。「お前、今まで一ヶ月以上もどこほっつき歩いてたんだ」
「お前、生きてたのかよ」平太は鼻で笑って、じっとりとした視線を彼に塗りつけた。「とっくにどこかで野垂れ死にしてんのかと思ったぜ」
「たかだか一ヶ月連絡が取れなかったくらいで、人のこと勝手に殺さんといてほしいな」
「電話の折り返しが遅過ぎだ」半ば呆れ返った様子で呟く巧。
「まあ、そう怒るなや巧。しゃーないやないか、こう見えても、ヒマなお前らと違って結構忙しいんやで」
「口が
「守ちゃん、入隊式にも出ないで、今一体どこにいるのよ」みつほは両手をテーブルについて、ネズミに食いつく野良猫のように顔を近づけた。
「お、みつほはいつ見てもかわええのう」みつほを見上げ、鼻の下を伸ばす荒田。「そんなに顔近づけたら照れるやんけ。お、みつほお前、ブラと谷間が見えとるぞ。今日の色はオレンジか。派手やのう、デカいのう」
「オ、オレンジかよ!」平太が興奮した様子で声を上げた。
「ちょ……! バカ! なに言ってんのよ」みつほは慌てて上半身を起こして胸元を正した。そして、ホログラムの守を握り潰そうとするが、もちろん掴むことはできない。「ごまかさないで答えなさい!」
「お前らはオッサンか……」一輝は、ニヤつく平太と守を見て失笑した。
「ダメだこりゃ……」巧と達也はユニゾンで言い放った。
「おー、怖いなあ」みつほの罵声にも負けず、守は嬉しそうにニンマリと笑った。
「まあ今ワシのいるところは内緒や。言えんところにおる」
「ねえ、まもるっち」気を取り直した達也が、純真な視線を送って話しかけた。「内緒って、でも、この基地内にはいるんだよね?」
「せやなあ。まぁそれはお前らの想像に任せるわ。口止めされてんねん、言うなて」
「ふーん、そうなんだ」達也は不満そうに口を尖らせた。
「口止めって、誰からだよ」平太が聞く。
しかし、守は平太の問いを無視して言い放った。「お、すまん、ちょっとワイ呼ばれたからそろそろ行くわ」
「お、おい、ちょっと待てよ。まだ話終わってないだろ」
巧が言い終わる前に、通話は一方的にシャットダウンされた。照射されていたホログラムの彼は、照射部のレンズに吸い込まれるようなモーションで消え去った……、
と思いきや、守は再び現れた。
「そや、ひと言だけ言い忘れとったわ」
「どうしたんですか……?」千草は、再び現れた薄汚れた雑巾のような研究者に首を傾げた。
「お前らきっと、今日からめっちゃ忙しくなるで。死ぬほどな。だから、本気で死なんよう、気ぃつけな。マジでマジで」
「お前、何か知ってるのかよ」平太は身を乗り出してホログラムに顔を近づける。
「あのおっさん、半端なく人使い荒いで……」荒田は独り言のようにそう呟くと右手を広げてさよならの合図を出した。「ほな、また」
「おい、守」巧が呼び止める声も無視し、再び通話はシャットダウンされた。今度は数秒待っても現れない。
「ぜんっぜん、人の話聞いてない……」みつほは宙を仰いで、深いため息をついた。
「自分から掛けてきておいて、なんなんだあいつは……」巧は怒りを通り越して唖然とした表情で言った。
「相変わらず嵐のようでしたね、はは……」千草は乾いた笑いを吐き出してから肩を竦めた。
「ありゃあ、一生治らねーな」と平太。「これだからB型は……」
「とりあえず生きてたんだからいいじゃない?」目の前のやり取りを静観していたエミリが、ひと言だけ呟いた。言葉には出さないが、彼女も守のことは気にかけていたのだろう。
「まあね……」と、一輝は苦笑いした。
「あと、私もB型だけど、血液型と性格は関係ないんじゃない?」エミリは遅れて言うと、平太に冷たい視線を送った。「そういうのを、非科学的っていうのよ」
「そ、そういうもんか……?」気まずくなった平太は、エミリの視線を避けるように笑って、その場を取り繕った。
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