06. 野生の戦慄き
6
上空遥か彼方から、胃の奥を揺さぶる鈍重な衝撃波が、一同の頭上に響いいた。
間違いない。かなりの大きな爆発だ。
肌の表面を、電流が流れるかのような微振動が走る。
遅れて、ねっとりとした熱風が月夜見ヶ原全体に螺旋状に広がっていく。
二度目の爆発。
一度めのそれよりもかなり大きかった。
続けざまに、鼓膜を突き破るような轟音。
爆発の閃光はまだ見えない。
夜の帳を寝床にした、森の無数の鳥や獣たちが、悲鳴のような鳴き声を上げて、ヘドロのような闇の底から一斉に飛び立つ。彼らの姿に切り刻まれた月光は、月読の大地をまだらに染めて明滅させた。
激しい野生の戦慄きに怯えたみつほと千草は、両手で耳を塞ぎながら悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。
その状況は数秒は続いた。
けたたましく不気味な奇声は、やがて紫色の夜空の彼方へ消えていった。
静寂が戻り、周囲は再び明るくなった。
爆発音の方向に全員が振り返ると、土手上に植わった木々の隙間から、一台の旅客機が垣間見えた。主翼に備えた赤と緑のナビゲーションライトを点滅させているが、機体後部には、闇夜に残像を残す、揺らぎのあるオレンジ色の光。
「燃えてる?」誰かが叫ぶように言った。
遠くに小さく見えたはず旅客機は、猛烈な速度で急接近してくる。
轟音。
耳鳴り。
振動。
巨大なシロナガスクジラのような白塗りの機体は、視界のすべてを奪う勢いで目前に迫った。
ジャンボジェット機が、月夜見ヶ原を目がけて一直線に落下する。
「来るぞ!」巧が叫んだ。しかし、機体の上げる悲痛な轟音にかき消された。
全員が、その場に硬直してしまった。
機体後方から激しい炎を上げた旅客機は、闇にも勝る黒煙を吐き出しながら、左主翼先端を地表に向けながら猛然と迫ってくる。
再びの大爆発。
激しい熱。顔が焦げそうに熱かった。
刹那、爆音。
土手の木々が爆風に煽られ、枯葉を散らしながら激しくしなり、揺さぶられる。
ジェットエンジンの爆音が耳をつんざき、脳髄を突き刺す。
激しい目眩がした。
すぐに、大きな機体は、こともなげに大平原に滑り込んできた。
あらゆる音、振動、熱が入り混じり、空間が歪むほどの衝撃が一同を襲った。
「避けろ!」
もはや、誰が叫んだのかも分からない。
その声に合わせるように、全員が、無我夢中で、必死に躰を投げ出した。
巨大な機体は、一輝たちの僅か数メートル横をかすめるかのように通り去る。地面に刺さった左主翼は、平原を真っ二つに切り裂きながら轟轟と突き進む。
悲鳴のような金切音。
翼に切り裂かれた地面には、血飛沫のような火花が飛び散る。
激しい追い風が、火花を闇夜に舞い広げた。
月夜見の光、星屑のように踊り散る。
山全体が震え上がる程の振動。
地鳴り。
空間を歪ませる爆発音。
全身に鳥肌を催す金切音。
目の奥まで届くような破裂音。
機体はそのまま山肌と同化するように崩れ落ちながら、平野の奥の森林を突き進む。
次の瞬間、機体は大爆発。
大炎上。
轟音。
目を開けていることもできない激しい衝撃波が地表を駆け抜けた。
かなり離れたところにいるはずなのに、露出している肌が瞬時に、焦げる上がるほどに熱さを感じる。
すぐに、爆風が地表を走り、地面に伏せた全員の上に襲いかかる。
舞い上がる噴煙。
巻き上がる土埃。
あたりは、夜空の星など見えなくなるくらい、炎に照らされ燃え上がった。
一輝は、伏せていた顔をゆっくりと上げた。
先ほどの幻想的な景色は見る影もなく、あたりは一変、火の海と化している。
「なんだよ、一体……」巧は素早く立ち上がると、火の海めがけて猛然と走り出した。「一輝、平太、ついてこい!」
「お、おう」平太は、動揺しながらも慌てて立ち上がった。何度かよろめきながらも、大きな躰を軽々と振り回し、巧を追うように無言で駆け出した。
一輝も、膝をついたものの、かろうじて立ち上がることができた。しかし、あまりの衝撃に足が震えていた。
恐怖のあまり、躰がまったく動かない。
呆然とした黒目の中には、真っ赤に燃え広がる炎の揺らめきだけが映されている。
しばらくそのまま立ち尽くしていると、背後からエミリと歩が駆け寄ってきた。
「みんな、怪我はないか?」歩は、足元に伏せたままの千草を肩で抱えて引き起こす。
「ありがとうございます……、私は大丈夫です」千草がか細い声で答えた。
みつほは、自力でゆっくり立ち上がったものの、すぐに足を八の字に広げて、その場にへたり込んでしまった。彼女の顔は、目を大きく開き、恐怖に引きつり、開けたままの口が細かく震えていた。
「みんな無事みたいだな」周囲の安全を確認した歩が言った。「まだ救出できる人がいるかもしれない。一輝、動けるか」
「う、うん、なんとか」一輝は、震えた声で答えた。未だに全身の震えが止まらない。
「よし、女子は危ないからここにいてくれ」歩は、言い終わるやいなや、炎上する機体の先へリズム良く体を動かし駆けていった。
(救出って……こんな状況で、無理でしょ……。生きてる人なんていないよ、絶対)一輝は、なんとか必死に駆け出そうとする自分を慰めるように、意味のない言い訳を心の中で呟いた。
恐怖に心が固まり、足が思うように動かない。遠ざかる兄の背中を見つめることしかできない。
(くっそ! なんでこんなときに……! 動けよ、足)
「なにやってるの! 」
考えたまま竦んでいると、後ろからエミリに怒号をぶつけられた。
「頭で考えてる暇があるなら、さっさと動きなさいよ!」彼女もまた、厚底のブーツを履いたまま、無心な様子で走り出す。
「あー、くっそ!」一輝は小さく叫んだ。握りしめた拳で、震える両膝を何度も叩く。「くそ、くそ! 動けよ!」
「一輝!」みつほは、一輝の後ろ姿を見て悲痛な叫びを上げた。「そんなことしなくても」
「こんなことで怖がってたらこの先なにもできないってわかってるのに、足が言うことをきかないんだよ……」一輝は引きつった顔で振り返り、ぎこちない笑顔をふたりに向けた。「情けないよね……」
一輝はしばらくそのまま立ちすくんでいたが、すぐに、両足を引きずるようにして歩き出した。
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