05. 迫り来る現実と異変

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「お待たせー、そしてお疲れさまー」土手下に降りたみつほは、穴掘りチームに明るい声を投げかけた。「今シーズンの月夜見ヶ原は、本当に綺麗ねえ」


「さすがにもう見飽きただろ」巧が、岩に腰掛けたまま小さく笑った。背中を丸めて両腕を膝に乗せ、肩で呼吸をしている。苦しそうな様子は変わらない。


「全然、そんなことないわよ。私、毎年この季節が楽しみだもん」みつほは笑顔で返した。


「あの……、巧さん、随分苦しそうですけど、体調大丈夫ですか?」巧の様子を目に留めた千草が、不安そうな表情で言った。


「あ、ああ……、大丈夫」巧は片手を上げて頷いた。「少し冷えただけだ」


 すると、千草は自分の着ていた赤ジャージを脱ぎ、巧の肩にかけてやる。「薄いですけど、よかったらこれ掛けててください」


「あ、ありがとう」巧は、千草を見上げて微笑んだ。


「お前ら、来るの遅いぞ」平太が、遺言カプセルに腕を回しながら声を上げた。「こっちはとっくに準備オッケーだっていうのによ」


「仕方ないでしょ、守ちゃんが大きいカプセル作ったかららしいじゃない」みつほが口を尖らせて言った。


「まあ、そうなんだけどよ」平太が笑った。


「とにかくさ、寒いし、巧も体調よくないから、とっとと埋めて帰ろう」一輝が間に入って、話を進めようとする。「みつほ、ちゃんと自分の荷物持ってきた?」


「当たり前。忘れるわけないでしょ、ほらこれ」みつほは横目で一輝を睨みながら、持ってきた緑色の紙袋を片手で差し出した。


「え、なんか機嫌悪いの?」一輝は、紙袋を受け取りながら彼女の顔を覗き込む。


「べ、別にそういう訳じゃないけど……」みつほは躰を背けた。


 彼女は、日頃から自分の気持ちを素直に出せない自分の性癖を自覚してはいた。特に、一輝に対してはその傾向が顕著であることも。けれども、わかっちゃいるけどやめられない。癖というのは怖いものである。


「ならいいけど……」と言って、一輝は、少し大きめな声で言った。「よし、じゃあみんな、自分の荷物、適当にカプセルに入れていって」


 一輝は、エミリの姿が見えないことに気がついて、土手に視線をやる。


「おーい、エミリも、荷物こっちに持ってきてよ!」一輝は、土手の上で漫然と立ち尽くす橘エミリに声を投げた。しかし、彼女は聞こえないのか、まったく動こうとしない。


 すると、申し訳なさそうにかしこまった千草が、二人分のバッグを差し出して見せた。「あ、あの……、エミリさん、靴が汚れるからって……」


「へ、そうなの」一輝は拍子抜けして、軽く舌打ちをした。


 エミリは今も、両手で肘を抱えるようにして、遠くを見つめる人形のように立っていた。どうやら、エミリはここまで来る気が本当にないらしい。


「……あんな派手な格好で来るからいけないんだよ」一輝は独り言っぽく小さい声で、不服そうに呟いた。


「まあ、いつものことだけどな」平太も、エミリの方を見ながら苦笑いした。


 

 結局、遺言カプセルには、欠席した荒田守と、神代達也じんだいたつやを含め、八人分の遺言(荷物)が収められた。それでもまだ、カプセルには数人分の荷物が入りそうなくらい余裕があった。


「すっげー、このカプセル。なんだか未来の道具って感じじゃん」


 一輝は、液晶パネルに表示されたCloseボタンを押した。ピッという短い電子音が鳴ったかと思うと、開いていた上半分がすぐにゆっくり閉まり出す。その後、完全に閉じられ球体に戻ったカプセルは、空気が抜かれて内圧が変わる排気音を吐き出した。しばらく待っていると、上半部が約十五度回転して、硬質な金属音と共にロックが掛けられるのがわかった。


 液晶パネルにはRock&Completionの文字。緑色のLEDランプが明滅を始める。残された作業は、ぽっかりと空いた大穴に埋めるだけ。けれども、その場にいた全員が、閉じられた鈍色の球体を、ただ押し黙ったまま見つめていた。


 誰も動こうとしない。


 誰も、何も言おうとしない。


 冷たく張り詰めた空気と、耳が痛くなるほどの静寂だけが、周囲の闇に沈着していた。


 無理もない。


 たった今閉じられた冷たげなカプセルは、戦場に赴くであろう若き兵士たちにとっては、遺言状代わりの様なもの。戦場や任務において、もしものことがあった際、残された家族や恋人、仲間たちに、生きた軌跡を残すためのものなのである。


 もう二度と、自分たちの手で掘り返すことのないかもしれない遺言状。


 それを見つめながら、これから戦場に出て行く若者たちは、皆、様々な不安や葛藤、苦悩の入り混じった感情と共に、自らに問いかけるという。


 果たして、なぜ自分たちは戦わなければいけないのだろうか。


 生きるため?


 壊すため?


 守るため?


 しかし、明確な答えが誰かから与えられることはないだろう。


 多くの者は、理由など無く戦い、僅かな期間で命を失い散っていくのだ。


 疑問に思う暇も無く、


 死への恐怖を感じる間も無く、


 選択の余地も無く、


 ただひたすらに、人が人を殺し、戦い続ける。


 それが、過去、幾度と無くこの星の上で繰り返されてきた、戦争の普遍性。


 戦い散っていく者達の現実だろう。


 そして、その戦争という名の現実は、もう二度と、誰からも掘り起こされることのないよう、強く清らかな祈りを込めて埋められた遺言を、容赦無く、この地の上に呼び覚ますのである。


 世界戦争勃発から十九年。


 彼らは、幼い頃から、もう幾度となく、先達の遺言状がいくつも掘り返される様子を見てきた。今度は、いよいよ自分たちがそれを埋める年齢になり、順番が回ってきた。


 押し黙る彼らは、きっとそのことに思いを馳せていたに違いない。


 そんな、永遠に続くとも思われた鈍重な沈黙を、平太が打ち破った。


「いよいよ、俺たちも卒業だな」


 再びの、長い静寂。


 苦い沈黙。


 無音の世界に慣れた鼓膜が、遠くの茂みからかすかに聞こえる清流のせせらぎを捉える。それ以外、一切の音が存在しない空間。気がつけば、風は止み、春を間近に控えた草花の、湿っぽい土の香りが鼻をつく。月夜見草の青白い光は、深々と闇に染み渡っている。


「おいおい」巧は、岩から立ち上がり、俯き加減の周りの見回した。メガネの下の切れ長の目は、多少なりとも釣りあがっているように見えた。「なにしんみりしてんだ。今からそんな弱気でどうする。俺たちは、なにも死にに行くために軍隊に入るわけじゃないんだぜ?」


 すると、少し離れたところから不意に声が聞こえた。


「そうよ。哀愁に浸っている場合じゃ、ないんじゃない?」


 驚いた一同は、声の聞こえた方を一斉に向く。


 立っていたのは、橘エミリだった。


 暗闇の中、月夜見草に照らされ白く浮かんだ彼女の顔は、どこか悲しげな表情に見えなくもない。深々と被っていたフードは脱ぎ、顔に巻いていたはずのマフラは、細い首元で、蛇のように丸まっていた。厚底の黒いブーツは、夜露に濡れて既に泥だらけだった。


「それとも、全員死ぬつもり?」


 真紅に塗られた唇が、強い口調で動いた。そこから出た言葉には、珍しく、濃厚な感情が込められていた。


「珍しく意見が合うじゃないか、エミリ」彼女の予想外の同意に気をよくした巧は、少しだけ頬の筋肉を緩ませた。


 しかし、エミリは表情を変えない。機械のような顔のまま立ち尽くしている。真正面にいる一輝を見据えているようにも見えた。


 巧は、無言で小さく頷いてから話を続けた。


「エミリの言う通り。俺たちの目標は死ぬ事じゃない」巧は一区切り置いて、全員を見渡す。「俺たちの目的は、戦争を終わらせることだ」


 静寂。


 沈黙。


 巧とエミリの言葉に、一輝は息を飲み込んだ。


(そうだ……。なにを弱気になってる……。僕たちには目標があるじゃないか)


 一輝は、同級生全員で交わした約束を思い出す。


 僕たちは、ただ、戦いに行くわけじゃない。


 誰かを殺すために戦うわけじゃない。


 戦いを、終わらせるんだ。


「でも、本当に、私たちにそんなことできるんでしょうか……」千草が反応した。少し泣きそうな、困った表情だった。「戦争って、政治とか経済とか色々と難しい理由があって……、新人の私たちには、きっとなにもできることなんてないですし……」


「千草の言う通りよ」みつほが、小さな声で同意した。「そんな大それたこと……、私たちに出来るわけが……」


「出来るかどうかじゃない」一輝は、みつほの気弱な言葉をかき消した。「できるかどうかじゃない。やるんだ……」


「一輝……」みつほは、丸くした瞳で一輝を見つめた。


「お、いいこと言うじゃねえか一輝」巧は嬉しそうに声を明るくした。「でも、そんな小さな声じゃ聞こえないな。もっと大きな声でみんなに聞かせてくれよ」


「茶化さないでよ……」一輝は照れくさそうに、頭を掻いた。


「茶化してねえよ」巧の表情は至って真剣だった。「もっと自信持って大声で言おうぜ。そうじゃなきゃ説得力がない」


 一輝は少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。


「確かに僕も、袴田さんやみつほが言うように、そんなことできるわけないって思ってたし、今もその気持ちは変わらない。このカプセルを見てたら、これから戦いに行くっていう現実が近づいてきているようで怖くもなるし、不安にだってなる。でも、考えれば考えるほど不安が大きくなるんだ。だったら、もうここまで来たら考えるよりやるしかないかなって思って……」


 もちろん、一輝も内心は怖くて仕方がなかった。言葉で必死に自分を勇気付けようとしているのもわかっていた。でも、そう言わずにはいられない熱い何かが、心の奥に込み上げてくるのも、同時に感じていたことも確かだった。


 言い終えた一輝は、みつほと千草の方を見て明るく言う。「みんなで辛い四年間を乗り越えたんだから、きっと出来るよ」


 みつほと千草は戸惑いながら顔を見合わせたが、真剣な一輝に抛出されたように、ゆっくりと頷いた。


「くせえな」巧は、そんな様子を見ながら、照れ臭そうに笑った。


「でもよ、じゃあなんで遺言カプセルなんて埋めたんだ? 」平太が、間の悪いことを言う。


「ばーか、これは遺言カプセルじゃなくて、ただのタイムカプセルだって前に言ったろ?」巧は平太を睨む。「戦いが終わったら、全員で、せーので開けるって約束したじゃねえか。俺は死ぬつもりなんてさらさらないから、遺言とか思い出のモノとか、そんな湿っぽいものはなんにも入れてないぜ」


「じゃあ、お前、なに入れたんだよ」と平太が突っかかる。


「それは……、まだ秘密だろ」


「なんだよそれ」不満げに口を尖らせた平太は、一輝を見る。「一輝は?」


「僕は……、自分への手紙かな。あとは写真とか……。平太は、なに入れたの?」


「俺はあれだよ、十年後でも食べられるお気に入りのインスタント食品をだな……」


「それ、完全にふざけてるでしょ」一輝は苦笑いする。


「いや、これでも結構真面目に考えたんだって。もしかしたら十年後は商品が無くなってもう食べられなくなってるかもしれないだろ。せっかくのタイムカプセルなんだから……」


 女性三名の冷たい目線を横目で見て察知した平太は、言いかけた言葉を飲み込み、肩をすくめて押し黙った。「はいはい、すんませんね……、寒くて」


 しばらくの沈黙が訪れた。


「なーんだ、みんな結構普通なのね」みつほが両手を広げて明るげに言った。「遺言カプセルなんて言うから真剣に考えてたけど、これじゃあ普通のタイムカプセル。考えすぎて損しちゃった」


「だから、それでいいんだって」巧は頷く。「これは飽くまでも、士官学校卒業生の儀式に過ぎないんだから、入れるものはなんだっていい。自分たちで掘り返すんだ。絶対に。誰にも掘り返させねえ」


「そう思うと、なんだか不思議と勇気が湧いてきました」千草は表情を緩め、くすっと笑った。


「みんな、真面目に考え過ぎなのよ」


 エミリは冷たく言い捨てると、踵を返して土手の方に歩いて行く。畑の上をロングブーツで歩くその姿は、ペンギンの様で、かなり歩きづらそうだった。


「んまあ……、確かにそうかもしれないな」平太は、黒いペンギンの後ろ姿を見ながら、納得したように、渋々呟いた。


「なんか、考えすぎた私がバカみたい……。もっと気楽に考えればよかった」みつほは首を竦めて笑い飛ばした。


「それくらいが丁度いいと思うよ」一輝は、照れ臭そうにみつほを見つめた。


「あは、そうかもね」微笑むみつほ。「ところで、千草はなに入れたの?」


「あ、いえ、私のはそんなに大したものじゃないですから……」千草は、片手を顔の前に上げて激しく降った。


「なんか……、顔が赤いけど?」みつほは、千草のメガネを覗き込むように顔を近づけた。


「え……。そ、そんなことないですよお」


「必死になるところがまた怪しい……」


「いえいえ、そんなわけでは……」千草は下を向いてしまった。


「ふーん」みつほは目を細めて、いたずらが見つかった子供のような顔をした。「気になるなあ」


「まぁあれだ、みんな約束通り、堅苦しいものは入れてないわけだ」満足気に頷いた巧は、カプセルに歩み寄ったと同時に、激しく咳き込んだ。


「巧、躰は大丈夫?」一輝は心配そうな表情で聞く。


「まぁな。でも、冷えきっちまったから、さっさと埋めて帰ろうぜ」

 

 暗い穴の底に無造作に置かれたカプセルは、土をかけられ少しずつ姿が見え無くなる。その様子はどこかもの悲しげだったが、皆、再び彼らに掘り返される日が来ることを願っていただろう。


 カプセルが完全に土に埋められ姿が見えなくなった次の瞬間のことだった。


 全員が周囲の大きな異変に気付く。

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