04. 月夜見の光

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 筑紫山中腹。


 扇状に広がる裾野は黄金色の月光に照らされ、闇夜にぼんやり浮かび上がっていた。


 視線を上げればすぐに望める山頂は、真冬の間にしっかりと蓄えられた深雪に覆われ、上質なシャーベットクリームのような姿で佇んでいる。


 この雪は、春になると溶け出して、筑紫の大地を潤す。この山は、いわばあらゆる生命の源となる、自然の要塞でもあるのだ。


 この場所は、月夜見ヶ原と呼ばれていた。標高約八百メートル程度の中山間地にある。初夏から秋にかけては、ありふれた草木が節操なく生い茂るただの荒れ地に過ぎないが、この春先だけは装いが違う。


 山頂付近まで蛇行する国道から一望する今夜の月夜見ヶ原は、幻想的な景色だった。


 飽和した夜光虫に照らされて、青黒とした光が滲み上がる浅瀬を彷彿とさせる光景。きんと冷えた大気の底に沈む暗闇の平原。その闇の合間に点々と、しかし煌々と灯る淡い光は、畑の夜空ともいわれていた。戦争が始まる前までは、貧しい山村の貴重な観光資源にもなっていた。


 光の正体は、月夜見草。世にも珍しい発光する天然の植物である。


 夜半になると薄青色のぼんやりとした光を放つことから、夜光草とも呼ばれていて、この地域にのみ存在を確認されている希少な多年草(花が枯れても根が残り、翌年も花を咲かせる植物)だった。


 雪解け前に芽吹いて、この時期、三月頃になると一斉に開花する月夜見草は、草丈が二十センチほどに成長した頃に、子供のこぶし大の花を咲かせる。ちょうど、チューリップの花と同じような大きさだ。


 つぼ状にすぼんだ花びらは半透明の乳白色で、中にある雌しべの先端が発光する。原理は未だに解明されていないが、その姿は、天然の電球スタンドだと表現されることもある。地元住人からは、古くから「山ほたる」とも呼ばれ、長年に渡って大事に保護されてきた天然記念物でもあった。


 その光溢れるの中、光剣一輝みつるぎいっきは、額ににじむ汗を拭いながら大きなスコップを何度も振り上げていた。目的は、当然、自らの遺言を埋める穴を掘り下げるためである。


 一輝は、すっきりとした目鼻立ちにスマートな体躯。目と耳にかすかに掛かるくらいに伸ばした、切りたてのウルフカット。背もそれなりに高い。けれども、幼馴染の高嶋みつほからは、いつも、「地味でダサい」と小馬鹿にされていた。地味なのは自分でも自覚していたので、だからこその派手めなウルフカットだったが、それさえも「キモい」の一言で一蹴されてしまった。


「墓穴を掘るっていうのは、こういうことを言うのかもな、へへへ」


 下品な笑い声と共に言い放ったのは、一輝の同窓生、大鎚平太おおづちへいただった。低い鼻につぶらな瞳。大きな口に広い顔面。伸びかけてボサボサになったソフトモヒカン。彼は、一輝とは対照的な頑丈な体躯の持ち主だった。広い肩幅、野太い腕や足、日焼けした肌は。背は低いものの、彼の全身からは、四年間の厳しい軍隊トレーニングに耐え抜いた力強さがにじみ出ているようだった。そんな平太もまた、一輝同様に、大量の汗をかきながら、脇目も振らずに地表にスコップを突き立てている。


 二人とも、お揃いの青ツナギを着ていたものの、あまりの暑さに上半身の部分はすでに腰に巻いていた。白いシャツはすでに汗だくの泥だらけで、汗をぬぐった顔も、所々、土の一筆書きで汚れていた。


 穴はすでに、地表から二メートル以上。穴の中にいる二人の首から下は、上から見ればすでに見えなくなっているだろう。穴の周囲には、掘り出した大量の土が散乱し、二人の脱ぎ捨てたジャンパが二枚、雑巾のように投げ置かれていた。


「とりあえず、こんな感じでいいか」一輝は、足元にショベルを突き立てながら、軍手をした両手を叩いた。


「結構深くまで掘れたな」平太は、口を斜めにして、掠れた声で自信満々に言った。 


 すると、穴の上、頭上から、淡々とした声だけが聞こえてきた。


「もうそれだけ掘ればいいだろ」


 声の主は、三人目の穴掘りメンバ、海馬巧かいばたくみである。


 巧は、穴から少し離れた岩の上に腰掛けながら、懐中電灯を構えて穴を照らしていた。


 彼は、同級生の中でも群を抜いて背が高かった。ウェーブの掛かったマッシュカットは、品のある栗色に染められ、前髪の下には、鋭い切れ長の目と眉。フチなしの銀フレームメガネ。シャープな鼻筋、薄い唇、尖った顎。誰が見ても、女性に好かれそうな顔つきだ。


「お前もちょっとは手伝えよなあ」平太は穴の底で不満そうに叫ぶと、地表に手をかけて勢いよく穴から飛び出した。「ほとんどオレと一輝で掘ってるじゃねえかよ」


 モグラのような寸胴体型の平太は、スコップを持ったまま口を尖らせ不満そうに巧を睨む。


「悪い、ちょっとな……」巧は、平太の方も見ずに、両腕を膝に乗せながら言った。かすかに肩で息をしているように見える。


「巧、大丈夫?」平太に続いて穴から出てきた一輝は、脱いだ軍手をポケットにしまいながら、心配そうな表情で問いかけた。


「はは、大丈夫だ」巧は、力なく笑った。「ちょっと高いところに来過ぎたみたいだ。空気が薄い……」


「そうか……」平太は途中まで言いかけた言葉を飲み込んだ。「すまん……、あんまり体調良くないんだったよな」


「気にすんな」巧は吐き捨てるように言った。額には、じんわりと汗が浮かんでいた。


「まぁ、ショベルも二本しかなかったしさ、仕方ないよ」一輝は全身の泥を両手で払いながら、腰に巻いたつなぎの袖に腕を通した。「少しそのまま休んでなよ。そろそろ、兄さんも戻って来る頃だしさ」


「ああ、悪いな……」


  一輝と平太は、心配そうに、互いの顔を見合わせた。


「それにしてもよお、守の奴、なんでこんなに大きなカプセル作ったんだ? この馬鹿でかいカプセルのせいで、掘る穴大きくって大変だったじゃねえかよ、なあ」平太は、一輝に同意を求めるように言い放った。


 一輝は苦笑で返す。


 守とは、荒田守あらたまもるのことである。彼もまた、軍隊に入る予定の同窓生の一人であるが、今日の場には参加していない。とはいえ、非力で軟弱な荒田守は、とある事情で、特殊な採用を受けているらしい。彼には、もしかしたら遺言状はいらないのでは? というのが、同窓生全員の、一致した見解だった。


 三人の隣には、直径一メートル以上はあろうかという、金属製の球形カプセルが転がされていた。これこそが、今夜の主役、遺言カプセルである。


 平太の無骨な拳で叩かれた遺言カプセルは、ゴンゴンと乾いた音を上げた。


 カプセルの中央には、地面と平行に切れ目が入っている。そこから半分に開くのだろう。切れ目の下、カプセルの下半部には、長方形に突出した部分があり、操作用の液晶型パネルが埋め込まれていた。


 平太は、カプセルの前に屈み込むと、液晶パネルに明るく表示されたOPENの文字をタッチした。すると、コンプレッサの空気を吐き出す鈍い音と共に、カプセルの上半部がゆっくりと開き、食べ物をまつひな鳥のような角度でぴったりと止まった。


「すげえな」平太は目を丸くして驚いた。


 アルミ製なのか、重さはそれほどでもなかったが、その大きさゆえに、狭い車内に押し込めて、ここまで運んでくるのが大変だった。


「人数多いから、これくらい大きい方がよかったんじゃない?」一輝も、カプセルに近づいてきた。「それに、大きい方が、ほら、なんとなく丈夫だし縁起がいいというか……」


「遺言カプセルに縁起もくそもないだろ……」平太は苦笑いする。


 平太の口から、遺言カプセルという名称が出た瞬間、苦しそうな巧の顔が、一瞬だけ強張ったのを、一輝は見逃さなかった。もちろん口にはしない。


「とにかくさ、みんな揃ったら、早めに埋めて帰ろうよ」一輝はわざとらしく言った。


「帰りは、無理やりでもいいから全員一緒に車に乗れるといいな」平太が頷いた。


 その時、視線よりもずっと上を走る道路の方から、高回転で唸りを上げなげるエンジン音が聞こえてきた。一輝の兄、喜多川歩の四駆である。


 車は、こちらのガードレール側を向いて停車したようだった。ヘッドライトの強い光が、平野の上空を切り裂いた。真横に進む光の柱の中には、うっすらと霧のようなものが見える。今夜の冷え込みが厳しい証拠だ。


 車内からは、予定通りの面々が降りてきた。


 エンジンが切られ、辺りに静寂が戻る。ヘッドライトが消えた途端、周囲は再び闇になったが、瞳孔が慣れると、月夜見草の光が視界の中にじんわりと戻って来る。


 喜多川歩も車から降りてきた。


「わー、すっごい光!」みつほの甲高い声が頭上から聞こえる。「 クリスマスのイルミネーションみたいね!」


「いつ見ても、素敵な景色ですねえ」千草も、幻想的な景色に感動しているようだ。


「今年はいつもより花の数が多いそうですよ」


「あー、やっぱりそうなんだ。去年見た時より明るいなって思ったの」みつほが頷く。


「冬の気温が低くて、雨が多かったからよ」少し奥からエミリの冷淡な声が聞こえる。「月夜見草は、低温と水分を好むから生育がよかったはず。暖冬の時は、花が咲かないこともあるの」


「そうなんだ……。相変わらず詳しいわね……」みつほは、関心したように頷いた。「確かに今年の冬は本当に寒かったし、雨も雪も多かったかも……」


「まだまだ咲き始めですから、これからもっと明るく咲くでしょうねえ」千草が言った。


「お、一輝、随分大きな穴を掘ったんだな」喜多川歩は、ガードレールから身を乗り出し、土手の下にいる一輝たちに声をかけた。


「結構大変だったけど、準備できてるよ」一輝は、頭上の四人を見上げて手を振った。


「降りよう」みつほの掛け声に千草が頷いき、二人は、土の露出した斜面に木ざまれた丸太の階段に足をかけた。


「そこの階段、湿って滑りやすいから、気をつけてな」歩が、注意を促す。


「はい、ありがとうございます」千草は微笑み、バッグを抱えながら、足元を確かめるように、一歩ずつゆっくりと階段を降りていく。みつほも続いて降りていった。


 歩は、二人が無事に下に降り切るまで見守った。振り返ると、エミリがその場で立ち尽くしているのに気がついた。


「……橘さんは、降りなくていいのかい?」


「私は、もう少しここにいます」エミリは、目を見ずに即答した。


 歩は、エミリの横顔に目をやる。彼女の大きな瞳には、眼下に広がる月夜見草の淡い光が、ぼんやりと反射していた。


「そうか……。それじゃあ、まあ、降りる時は足元に気をつけてな」歩は、エミリの足元のロングブーツを一瞥してから、車に乗り込もうとする。


 すると、ドアを開けた歩を、エミリが小さな声で呼び止めた。


「歩さん」


「どうかしたかい?」


 歩は、運転席のピラーに腕を乗せ、彼女の後ろ姿に視線を向けた。けれども、エミリは相変わらずこちらは振り向かない。後ろから見ると、全身真っ黒のため、ほとんど闇の中に溶け込んでしまって、どこにいるのか見えないくらいだった。


「ここに来る時、道沿いの河原の下に、軍隊の車両が数台停まっていました。気がつきましたか?」エミリは、振り返りもせずに言った。


 歩は、唐突な質問に少し驚いたが、すぐに空を仰ぐように上を見つめて、記憶を手繰り寄せた。「んー、確かに……、いたかもしれないな。あの、途中で渡った大きな橋のところ?」


「そうです」


「ほんの数秒だったけど、橋から見下ろした河原のほとりに黒い車が何台か停まっていた。でも、キャンプかなにかの車じゃないかな」歩はそれを言いながら、こんな寒い時期に、この山にキャンプに来る観光客は一人も居ないだろうことを思い出した。


「いえ、軍の監視車両のような形でした」


「あの一瞬で? 暗いのに、よく見えたね」


「あの車両はなぜ、こんな時間に、あんな場所にいたんでしょう」


「さあてな……、分からない」歩は首を横に軽く振った。「軍事演習とか、かな」


「そうだといいのですけど」


 そう呟き、エミリは固まったように黙りこくってしまった。


 しばらく待ったが、どうやら会話は終わりのようだったので、歩は車に乗り込んだ。車内の時計に目をやると、時刻は二十一時。月は空の頂上に到達し、星々はいよいよ輝いて見えた。

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