第37話 傷だらけの魂
治兵衛は、風向を探るらしく宙に視線を向けた。その顔は別人のようにこだわり、眼には鋭いひかりが浮かんでいた。
男たちは、治兵衛が近くに狐か熊の気配をかぎとっているらしいことに気づいた。
治兵衛が、急に背をかがめ足音を殺しながら城の方向に進みはじめた。男たちは、動悸が高まるのを意識した。
治兵衛は土を静かにふんで歩み、男たちはその後ろからついて行った。
巨大な柱のようにそびえ立つ木が迫ってきた。治兵衛は、その傾斜に足をふみ入れたが、不意に動きをとめた。体は前方に向けられていたが、顔が右方にねじ曲げられている。
男たちはその視線の方向に眼を向けた。
そこは、城の渓流の淵から始まる山の頂きにある地で、巨大な木が雑木とともにまばらに立っている。
彼らの眼には、何もとらえられなかった。ただ、樹木の霧の白さが広がっているだけである。 治兵衛の体が、かすかに動いた。少し、ぬかるんだ場所に治兵衛は静かにふみ、その足跡を男たちは、足をふみ入れた。
突然、男たちは自分の体が凍りつくのを意識した。樹幹の間から青白いものが見えた。
太い大木がそびえ立っていて、その傍に毛をかすかに震わせているものがいる。
男たちから、腰にしがみつきたい衝動が起こった。
鉄砲が手からはなれ、地面に落ちた。足が硬直し、全身に痙攣が走った。彼らは、地面に腰を落とした。
九尾だけでなく、熊もいたからだ。
彼らのかすんだ眼に、治兵衛が一歩一歩進んで行くのがとらえられた。
熊は、逞しい背を向けて立っている。山の傾斜にある城を見下ろしているようだった。
治兵衛の動きが止まった。彼は、巨木に身を寄せ、鉄砲をかまえた。男たちには、その立射の姿勢が美しいものに見えた。
弾丸から毒が出て、辺りの木々を枯らし始め、九尾は空へ逃げるように行ったが、残された熊は茶色い毛を逆立て、熊の体がのけぞり、仰向けに倒れた。
熊から長々と呻き声が起こっていたが、徐々き弱まって、やがて消えた。
治兵衛は、それを見届けると振り返った。治兵衛の顔は、死者のように血の気が失われていた。 唇は白け、日焼けした顔の皮膚に皺が不気味なほど深くきざまれていた。
「見たか! これがこの石の力だ。恐れはいらぬ。射て」
彼らの口から叫び声が起こった。
男たちのかまえた殺生石をつめた鉄砲から鋭い発射音がふき出した。それにつづいて、弾丸が次々に装着され、発射される。
その頃、城の者たちは何か異様な異変に気付き始めたが、すでに毒は城の中まで達していた。
多数の者が一斉に呻き声をあげ、その声にまじって明らかに獣の悲鳴と思える叫び声が長々とつづいた。
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