第32話 伊助、平八郎動く
「槍をもっと用意しろっ」
男たちの中であちこちで、その声が聞こえていた。
兵糧を運ぶ者、鉄砲の手入れをする者やらで騒然としている。その中には、伊助と平八郎もいる。ふたりは鉄砲のかき集めを命じられたが、頼邑のことが気がかりで作業に集中できないでいた。
そんなふたりを見かねた治兵衛は、
「そんなんでやっていたら日が暮れるぞ!」
と、声を上げ、伊助が持っていた鉄砲を奪うと頭を殴りつけた。
伊助の額から流れる血を見つめる治兵衛の眼は、何かに憑かれたような顔をしていた。
伊助は顔を強張らせていたが、眼だけ異様なひかりをおびて、治兵衛を睨みつけた。その光景を見た周りは驚愕に眼を剥き、凍りついたように動かなかった。
そのとき、お花が治兵衛のそばに走り寄った。 血の気のない顔をし、眼をつり上げ、
「おやめください」
お花が声を震わせて訴えた。
すると治兵衛が、
「お花、今までどこへ行っていた」
と、恫喝するように言った。
「頼邑さまの見送りに行っていました」
お花は震えを帯びた声で答えた。
お花は治兵衛が、どこへ行っていたことにおそらく気付いているだろうと察し、事実を言ったのだ。
一瞬、治兵衛は機先を制されたように言葉につまったが、すぐに声を荒げて言った。
「奴の見送りをした後、よくのこのこと来れたな。お主の恋情で里を引っ掻き回すな!」
そう言って、お花の頬を平手で叩いた。
顔が横に傾ぎ、口から火花のようなものが飛んだような気がした。頬がジンジンと鳴りら火のように熱い。唇を切ったらしく血がたらりと顎から滴り落ちている。
皆が茫然としたように眼を大きく見開いている。場が凍りつくとはこの事である。
お花は瞳だけ、夜叉のようだった。憎悪の血がお花の瞳を豹変させたのだ。
「治兵衛さまは、頼邑さまが覡と内通して会いに行ったと言いたいのですか?」
と、聞き返した。
治兵衛は、無言でうなずく。
「ええ、そうです。ですが、 一つ思い違いがあります」
お花の声が喉につまったように言った。
「頼邑さまは身を捨てるおつもりです」
お花は、絞り出すような声で言った。
「えっ……」
伊助たちは、どういう事であろうと思った。ふたりには訳が分からない。
するとお花は見送りのとき、頼邑と話をした内容をかいつまんで話をした。
「うむ……」
治兵衛の顔にも戸惑うような表情が浮いていた。
だが、それが事実であっても治兵衛の心は変わることはない。
そのとき、お花がふたりのそばに来て、
「頼邑さまは、お満さまの命を救い、この里の為に生きろと言った。その頼邑さまが自ら命を捨てる覚悟をしたのです。ふたりだって救われたではありませんか。遠い国から来たお方がこの里の為に命を捨てようとするのをこのまま黙っているおつもりですか」
お花が涙をボロボロと出し、声を震わせて訴えた。
すると伊助は、
「治兵衛さま、里を思う気持ちは皆、同じでぇ。その思いと同じお方を見捨てることはできねぇ。もし、これが裏切り行為なら、おれを殺してくれ」
そう言って、刀を治兵衛の前へ突き出した。
治兵衛は押し黙っていたが、刀を押し返し、伊助の前を横切り、
「わしは、一度決めた事は変えぬ。お前たちとは違う考えのようだな」
と、背を向けたまま言った。
治兵衛の元へ残る者と頼邑の元へ行く元へと分かれることになってしまった。
お花の声を聞きつけたらしく、女たちが集まってきて、遠巻きにして心配そうな顔を向けていた。
「伊助、どうするのさ」
お静は、泣いているお花を介抱しながら訊いた。
「すぐに動く。おれたちは、あの森に入っているから道は分かる」
伊助は集まった男たちに、
「頼邑さまが覡と接触する前に何としてでも見つけ出せ」
と、声を大きくして話した。
「お花、安心しろ。一度、無事で戻ってきた頼邑さまだ。次もお戻りになる」
と、お花に眼をやりながら言った。
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