第30話 引き裂かれる思い
その夜、伊助は座敷に敷いた夜具で横たわっていたが、ほとんど眠れなかった。しきりに寝返りを打ったりしている。
頼邑の言葉が頭から離れず、ずっともやもやしていた。これから、里の運命がどう転ぶのか伊助にも予想がつかなかった。
翌朝、伊助は慌ただしく障子を開ける音で目を覚ましたみたいだ。腰高障子が明るんで夜が明けてきたらしい。
その眩いひかりの中に、平八郎が強張った顔で飛び出してきた。
「伊助、大変だ!」
平八郎が声を上げた。
「どうした」
伊助は掻巻を撥ねのけて身を起こした。昨夜、伊助は帰ったままの格好で掻巻だけを腹にかけて寝てしまったのだ。
「ち、長老が殺された」
平八郎は声をつまらせながら言った。
「えっ!」
伊助が、ビクンと背筋をのばし、喉がひきつったような声を出した。
「頼邑さま、こっちで」
平八郎が頼邑たちを先導した。
伊助は、頼邑の後を血の気のない顔でついてきた。眼をつりあげて悲痛に耐えているが、足はしっかりとしていた。ときどき、祈るように胸の上で拳を合わせら何かつふやいていた。
人違いであってくれ、と胸の内で叫んでいるかもしれない。
「頼邑さま、あそこで」
頼邑たちを先導してきた平八郎が立ち止まって指差した。
見ると、橋のたもとに人だかりがしていた。頼邑たちは駆け出した。近寄ってきた頼邑たちに集まった男たちが振り返った。
「どいてくれ」
頼邑が声をかけた。
人垣が割れ、その先には横たわっている男の姿が見えた。元結が切れて、ざんばら髪だった。薄茶地に縞の半位が濡れた体にまとわりついている。
土気色の肌をし、首には穴があいている。何者かに首を貫通されたらしい。
死体は、長老ではない。
吉之助という男で宴の日、頼邑に話しかけてきた若者だ。吉之助は、長老の側近の一人でもあった。
「この男が長老を殺した」
人垣の中から小柄な男が声を震わせて言った。 眉宇を寄せ、苦しそうである。
「何だと!」
伊助も平八郎も思いもしないことに驚きを隠せなかった。
小柄な男は、側近の吉之助が大殿と内通していたようで長老の首を持って降伏すれば命は助けるという条件を受け、長老を殺したという。
つまり、長老は家臣の裏切りにより、殺されたのだ。
長老の胴体は、藪の中に捨てられ、まだ首は見つかっていない。吉之助の死体は検死で分かったことをかいつまんで話してくれた。
死体の固くなりようから推して殺されたのは昨夜遅く。首を何か鋭く細い物で貫通され、川から突き落とされたらしい。死体は橋の杭にひっかかっており、
今朝、舟を出してきた船頭が発見し、知らせたという。
……急所を見事に貫いている。
と、頼邑はみた。
首には小さな穴が開いているが、いったいどのようにすれば細い物で首を綺麗に貫通できるのか分からなかった。いずれにせよ、即死であろう。
そのとき、頼邑は吉之助の懐が厚くなっているのに気付き、懐から書状を見つけた。書状は、長老の首と共に降伏すると記されていた。
吉之助が長老を裏切り、降伏を願い出たとこれではっきりすると皆の顔が蒼ざめていく。
そのとき、伊助が、
「お満さまはどうした?」
と、皆に訊いた。
お満は長老の奥方だ。伊助の問いに皆が顔を合わせ、首をかしげている。誰もお満を見かけていないようだ。
すると頼邑の脳裏に、旅行く道で首を切って死んだあの女の顔が浮かんだ。そして、ものすごい速さで走り出した。慌てて、伊助と平八郎が足をもつれさせ、
泳ぐような足取りで追いかけていく後ろ姿を皆が見送っていた。
頼邑は、長老の家に入り込むと次々と襖を勢いよく開け始めた。一番、奥の襖を開けたとき、頼邑の眼に飛び込んできたのは今まさに自害しようとしていたお満の姿だった。
頼邑は、必死にお満の手首をつかみ、止めようとしたが、
「何をする! 全て失った。今さら生きる意味などない」
そう言って、頼邑の手をふりほどこうとしながら叫び声を上げた。
その瞬間だった。伊助と平八郎も眼をそらすことができないほど、頼邑はお満の胸ぐらをつかみ、
「そなたには命がある。命がある限り生きられよ!」
と、声をあらげたのだ。
その剣幕にお満は言葉を返すことができず、しおれたように肩をしぼめ、声の出す限り泣き叫んだ。
ふたりは、初めて、頼邑が怒鳴るのを見た。
しかし、このときの頼邑の言葉はふたりの心のずっと奥に深く突き刺されたのだった。
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