第28話 矛盾
そのとき、頼邑の家の腰高障子が開け放った。
「よ、頼邑さま!」
お花が喘ぎながら声を上げた。
顔をゆがめて泣き出しそうな顔をしている。近所の茶屋の手伝いの帰りに里の連中に頼邑の帰りを聞いて急いできたのだ。
「お花、頼邑さまはご無事だぞ」
伊助が明るい声で言うと、お花に安堵の表情が浮いた。ふいに、顔をゆがめ、泣き出しそうな表情となり、両肩をすぼめ、力尽きたように屈み込んでしまった。
「お花さん」
頼邑は、近付き手を伸ばしてお花の体を抱きかかえた。ふいにお花が頼邑のたもとをつかみ、
「夜は私も共にいます」
と、思いつめたような顔で言った。
「えっ」
突然のことに頼邑は困惑したような顔をした。
「私、頼邑さまの看病がしたいんです」
お花は、たもとを離さなかった。
「それには及ばぬ。もう怪我も治っているから」
頼邑は、お花の手を取り、そっと静かにお花の膝に置いた。
その様子をニヤニヤしながら見ていた平八郎が、
「そうは言っても病み上がりなんですぜ」
と、言うとそばにいた伊助も、
「頼邑さま、お花に看てもらったらどうです」
と、首をすくめて言い添えた。
伊助が腰高障子を閉め、ふたりはそれぞれの部屋に戻って行った。障子の向こうの足音が小さくなったとき、ヒッヒヒヒ、という平八郎のしゃがれた笑い声が聞こえた。ふたりで何やらよからぬ会話を交わしているらしい。
だが、その声も足音も遠ざかり、あたりが急に静かになった。
お花は胸をドキドキさせて、
「頼邑さま」
と、声をかけた。
「何かな?」
「夕餉はお済みですか」
「いや、まだだった」
頼邑が、ほっとしたように言った。
「私、すぐに用意します」
そう言うと、お花は手ぬぐいを姐さんかぶりにし、下駄を鳴らして頼邑のそばを離れた。
しばらくして、高腰障子が開いてお花が姿を見せた。手には丼を持っていた。
緊張しているらしく、手にした丼が震えている。
「あの……。残り物ですが」
お花が蚊の鳴くような声で言った。
丼の中身は、煮魚や薩摩芋と牛蒡がたっぷりと入ったである。
「そなたが作った煮染は誠に美味しい」
頼邑がおだやかな顔をした。
お花は嬉しかった。以前、煮染を馳走したことがあり、そのとき頼邑が旨いと言って食べたのをお花は覚えていて、無事に帰ってきた頼邑に食べさせたかったのである。
お花は身を硬くして戸口に立っていた。頼邑の顔をみていられないらしく、うなだれたままである。
頼邑はお花の手から丼を受け取ると、
「ありがとう。誠に感謝している」
と、声を改めて言った。
心のこもった思いひびきのある声だった。お花は顔を上げた。頼邑と眼が合うと戸惑うように視線が揺れ、ポッと白い豊頬が赤く染まった。
頼邑は、お花の目を見つめたまま小さくうなずくと座敷に戻って行った。
お花は、いっとき陶然として立っていたが、自分の置かれている立場に気付いたらしく、慌てて頭を下げてきびすを返した。
頼邑は戸口から出て行くお花を呼び止めた。お花は振り返ると頼邑は思いつめた顔をしていた。
「お花さんは、覡のことをどう考えている?」
「それは……。どういうこですか」
お花は、困惑したように頼邑を見つめた。
すると頼邑の口が開き、
「覡が人間を殺めた事実は許せぬだろう。だが、ひとつだけ知ってほしい」
「はい……」
お花は小さく言った。
「覡が人間を殺めた理由だ。そうでもしなければ自分や仲間を守ることができない。そう思ったのかもしれない」
頼邑、決して逸らさずお花を見つめながら、心から訴えているようだった。
何も言えなかった。お花は考えもしてみなかった。なぜ、覡が人間を殺める理由など、里の人たちにはどうでもいいことなのだ。
お花は何も言えず、凝としていると、
「この里の者にも言い分はあるだろう。だが、覡たちにもあることは忘れないでほしい。互いに傷つけ合うのではなく、手を取り合える方法もあるはずだ」
と、頼邑が強い口調で言った。
いっとき、お花は黙った。お花の心に頼邑の思いは、ひしひしと伝わってくる。その感情につられそうになったが、 脳裏に殺された里の人たちが浮かび、その気持ちをグッとこらえた。里の人たちを裏切ることになる。
……だめよ、花。殺された人たちが。
そう思って、一度眼を閉じると頼邑を見た。
「それはできそうにもありません。命を奪われた者には、そう簡単には許せないのです。憎しみを抱くなと、そう仰しゃるのですか?」
お花は、絞り出すような声で言った。
本当は、口に出すことは怖くてたまらないが、里の悲痛と怨念が宿る中で、どうしても頼邑の考えを受け入れることは難しかった。
「抱くなとは言わない。だが、その感情に赴くまま自我を忘れている」
頼邑が思いひびきのある声で言った。いつもと違う凄味のある面貌だった。
お花は、気迫が重くのしかかり、何も言えなかった。
「私も憎しみを持つ者としていたが、怒り憎しみで根が解決するならば私もしたであろう。だが、それはふたたび、くり返すだけだろう」
頼邑の声は穏やかにはなっていたが、眼から放つ異様な気迫にお花は感じた。
「それは……」
お花は困惑したように言った。
できれば、頼邑の考えを分かってやりたかったが、殺された人を思うとやはり、お花の心は変わることはできない。
お花は、首を横に振った。
すると、頼邑の口から、
「私は、この里の者に怒りを覚えていた」
と、思ってもみなかった言葉がでたのである。 頼邑は続けて、旅の訳を話し出した。自国の里で飢饉が起こり、多くの命を失った。飢饉の答えを見つける為にこの地へ赴いたことを説明した。
ところが、飢饉の原因は憎しみが火の種になって生まれたことに人々に怒りを感じたことを言いつのった。
それを聞いたお花の胸に無数の針が突き刺さったような痛みがした。
「だから、憎しみを持ったことは隠さない。その気持ちを持つ私は、矛盾しているだろう。皆、自分が正しき道へ突き通そうとしているが、もっと矛盾を受け入れねば。憎しみを持つ心は命を奪わないという矛盾を」
そう言って、頼邑は虚空を見つめた。
頭上で、三日月が嘲笑うようにひかっていた。足元の短い影が寂しそうについてくる。
頼邑を想えば想うほど、今まで抱いていた考えが正しいものではなくなってきたような気がした。
何が正しくて間違いなのか答えを見つけそうにないことが身に染みた。胸に寂寥感と喪失感がつまっていた。
……矛盾を受け入れる。
歩きながら、お花は胸の内でつぶやいた。
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