第17話 覡
全身が火のように熱かった。まるで太鼓でも叩いているように体中で叫び声を上げている。
その痛みに頼邑は意識を取り戻した。
どのくらい時がたったのか分からない。
頼邑は必死に身を起こそうとしたが、体が鉛のように重く、起き上がることができない。
熊にやられた傷口を手で確認すると肉が深くえぐりとられていることにようやく気付いた。 出血が激しく、着物が赤く染まっている。
稲穂の金の色をした髪が風を運ぶ。
「風の匂いが変わった」
森の木々を軽々と飛び越える貫頭衣を身にまとう少女の姿がある。少女は、森の中に消えた。
太陽が木々の葉の間からまぶしく降り注ぐ。そのひかりは、頼邑の顔を照らす。
そっと瞼を開けると、うっすらとその景色が見えた。頼邑は、ぼんやりとした意識の中で蠢くような黒い影が見えた。その影は囲むように様子を見ている。それは熊であった。
木々の枝葉が大きく揺れる音に熊は視線を上げた。その熊は頼邑を襲ったものより小さかった。 そこに九本の尾をもった大きな狐が現れる。青白い毛をし、神秘的であった。
「玉藻か」
熊が、九尾の玉藻に近づいた。
狐は、熊に気をとめることなく、悠然と進んでいく。迎え入れるかのように熊たちは道を開けた。その後ろには侍従のようにピタリと寄り添う二匹の九尾が勇状にそびえている。
「愚かな人間め。この地を去れば助かったものを」
と、玉藻は低い声で言った。
「食い殺すか」
つづけて、二匹の九尾が言うと、よこせ人間よこせ、と言い始める。
頼邑は、熊の言葉を遠くから聞こえている感じがした。
そのとき、熊たちがハッとしたように頼邑から視線を外すと一歩下がっていく。
ヒタヒタと足音が横たわる頼邑の前でとまった。頼邑は首をまわすと、そこに立っていたのは少女だった。
歳の頃は、十五・六のように見える。整った綺麗な顔立ちをしていた。だが、少女の髪と眼は金色をしていた。
……こんな山中に美しい女。
その瞳は、獣のような形をしていたが、息をのむほど美しかった。
「おまえ、なぜこの地に来た。行き倒れなら余所で死ね」
刺すような声で言った。
ウッ、喉のつまったような呻き声を洩らして頼邑は声を出そうとしたが、焼けるような痛みで話すことはできない。必死に何かを言おうとしている頼邑を見て、
「人間にやられたな。つまらぬ同士の種をここへもってくるとは」
そう言って、玉藻の方に顔をむけた。
「おまえたち、この人間は嫌なものを持ってきた」
と、強い口調で言った。
「この人間は嫌な匂いがする。殺すか追い出すか早くした方がいい……」
玉藻の言葉に少女が無言でうなずいた。
「みな、もうお行き。この人間はどの道助からない。土に帰るだけだ」
そう言って、横たわっている頼邑を一瞥すると、少女は、熊を連れて森の奥に去っていった。
少女は、熊を連れて森の奥に去っていった。
ただ、ひとり残された頼邑は里の者から聞いた覡のことを思い出していた。頭の中でさっきの少女と覡が重なる。
……あの少女が覡ではないか。
と、頼邑は思った。
その少女の存在が、闇の中の清澄な月明かりのように頼邑の胸に淡いひかりを投げかけていた。
……もう一度、会わねば 。
頼邑は、何度も胸の内でつぶやいた。
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