第12話

治丘衛は、頼邑のいる部屋へ向かっていた。長老に様子を見てほしいと頼まれたからだ。表の腰高障子は開いたままだった。

覗くと、頼邑は座敷の隅に座っている。

「おい、入るぞ」

治丘衛が声をかけた。

頼邑は、すぐに立ち上がり障子の方を見た。

その顔に笑みが浮き、

「昨日はいろいろ世話になった」

と言って、障子の方へ出てきた。

「ふん、長老の許しがなければさっさと追い出したいがな」

治丘衛は、変わらず憎まれ口を叩いた。

そのとき、腰高障子のむこうで、複数の足音がした。ささやくような女の声やくぐもったような男の声が聞こえる。

足音は高腰障子のむこうでとまり、かすかな息の音だけが聞こえた。そのとき、障子が音を立てて揺れた。障子の破れ穴から、こっちを覗いている者がいる。

治丘衛は、障子をあけた。里の者たちが障子のむこうに折り重なるようにつっ立っていた。

いずれも女である。四十過ぎのおしげ、平八郎の隣に住むお静……。男の顔もあったのは、平八郎だ。

さきほど、井戸端で見かけたお花とみねもいる。どうやら、頼邑のことが気になって治丘衛の後をついてきたらしい。

「ええいっ、やかましいぞ!」

そう言って、治丘衛は手で女たちを払いのけるようにやった。

「やかましいのは、あんたの方だよ。いつまでも子供みたいにすねた態度とって見てらんないよ」

お静が脇から口を挟んだ。

お静の言葉に怪訝な顔をした。

「図体だけ大きくて、中身はちっさいってことだよ」

「な、なぁにぃ」

それでも、お静は治丘衛にふん、と鼻で笑った。すると、そばにいた女たちは大笑いした。

治兵衛は、ぐっぬぬ! と唸り声を出した。

「おい、きさま! 長居は許さぬからな」

治丘衛が声をつまらせて、頼邑に向かって罵声をあびると女たちをかきわけながら帰っていった。

その後ろ姿に女たちは舌を出して、べーっと言った。

すぐに振り返り、

「あの人の言うことなんか気にしないでおくれ。いつもあんなんでさぁ」

お静は、照れたような顔をして言った。

「私に非がある。あの者にも悪いことをしてしまった」

頼邑がそのようなことを言うのでお静は、

「あっはっはっは! 本当にいい男だねぇ、あんた」

と、声を上げた。

すると、みねがお花に身を寄せ、

「お花ちゃん、本当にいい男ね」

と耳元でささやいた。

お花が、うんと、嬉しそうにうなずく。

「頼邑さま、ちょっとお願げぇがありやして」

平八郎が揉み手をしながら言った。

「なにさ平八郎、仕事は行かないのか。だからいつまでも貰い手がいないんだよ」

と、お静があきれたようにため息をついた。

「今から行くんで! 貰い手がいないのはお互い様だろっ」

と、つまむように言った後、ふたたび頼邑に眼をむけ、

「その伊助が怪我をしているだろう……。最初は仕事休めと言ったんだが、ちっとも言うこと聞かなくてなぁ。だからと言って人手不足で困ってるんでさ」

と、機嫌良くいかにもわざとらしい言い方をした。

初めは、仕事を休むつもりだったが、懐が寂しかったので行くことにしたのである。

頼邑は、黙って聞いていたが、

「私で良ければ手伝いたい」

と言った。

「いやぁー、すまねぇな頼邑さま。まさか手伝ってくれるとは思ってもなかった」

平八郎が感嘆の声を上げた。

最初からそのつもりでいたくせに、と女たちは思った。平八郎は、朝めしをすましたら家に来るように言うと上機嫌で帰っていく。

「本当、あきれた男だわ」

お静は、そう言い残し部屋から離れ、歩き出した。

女たちも一緒についていくように行く。ただ、お花は用があると言ってみねを先に帰した。

……頼邑さまが、ひとりになる。

お花の手には、ふろしきでつつまれた浅蜊と葱の煮染の入った丼がある。昨夕、お花が夕餉の際に煮付けたものだが、頼邑に食べさせようと余分に作ったのだ。

お花は、頼邑がひとりになったときに煮染をとどけたかった。頼邑とふたりだけで話をしたかったのである。

自分でも不思議だった。まだ見たこともない男の人の噂話を聞いたときから、特別な感情があった。頼邑を見たとき、思った通りの人だったことがより、いっそうお花の胸に頼邑のそばにいたいと思いが衝き上げてくるのだ。

「わたし、お花です。あの、朝餉はおすみですか」

色白の豊頬を熟した桃のように染めて、もじもじして言った。

「いや、まだ」

初めてそばで聞く頼邑の声は、凜として聞こえた。

「あの、頼邑さまに食べてもらおうと思って……」

お花は、おずおずと手にしたふろしきを布を取り、丼を前に出した。

上気して、お花の豊頬が林檎のように赤く染まっている。

「よいのか」

「は、はい」

お花が答えると、頼邑はそれを受け取ろうとしたとき、お花の指に少し触れた。お花はいきなり心ノ臓でもつかまれたよう抑天し、顔が火のように赤くなった。

そんなお花の心情など知らぬ頼邑は、

「ありがとう」

と、やさしい顔で言った。

……頼邑さまが私に礼を言ってくださった。

と、思うと嬉しくてたまらない。

ふと、話がとぎれ、ふたりを静寂がつつんだ。お花は話を続けたいができない。

頼邑は、元々無口な御方なのだとお花は思った。

お花は何を話していいか分からず、身を硬くしていると、胸の鼓動が体中から聞こえだした。

顔が熱くなり、手が震えている。

「お花さん、つかぬことを聞く」

頼邑が急に口を開いた。

「何ですか」

お花は、頼邑を見た。

「昨夜、覡という人の話を聞いたのだが、その者について知る限りのことを教えてくれ」

頼邑は、お花を見つめて言った。

その瞳は何か決意したような強いひかりが宿っていた。浮いた話ではないのでお花の胸の高鳴りが、いくぶん収まった。

「神ならぬ身でありながら、強い霊力を持っています。その力は、大地を操ると言われています。でも、人間を憎んでいて私たちを殺そうとしている」

お花は低い声で言った。

その眼には憎悪に近い炎が燃えていた。

「そうか」

頼邑の顔は、いつしか険しくなっていた。

「あっ……」

お花は、余計なことまで言ってしまったと後悔した。

頼邑と緊迫な話をしたいわけではない。それにもっと別の言い方をするべきだったかと頭の中でもんもんとしていると、

「話をしてくれて助かった。私は、もう行かねばならない」

と、軽く解釈すると部屋に入って行った。

お花は、さきほど頼邑に触れた指の場所に手をそいて、

……頼邑さまは何か思いつめていた。旅の訳も聞きたかった。

と、思い少し口をつぐむ。

斜向かいの腰高障子に淡い陽が当たっていた。 頼邑とは、自分とはちがう世界にすんでいる人のように思えた。

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