第7話 剣豪
里の入口の杉林に入ってほどなくしたときだった。頼邑は、背後から歩いてくるふたりの男に気づいた。男が途方からふたり歩いている。川を渡る前からの気配はこのふたりだったのかと直感した。
……私をつけているのか。
だが、ふたりは頼邑に近づくとわけでもなく、一定の距離を保ち襲ってくる気配はない。ふたりに尾行されているような気がしたが、それにしては、身を隠さず、普通に歩いている。
しばらく、振り返るのをやめ、先に進んでいたが、また振り返って見たらふたりの姿はなかった。途中にあった横道に入ったらしい。
やはり、気のせいだったようである。近くに川があるのか汀に寄せる川波の音と枝葉を揺らす音だけが聞こえていた。
陽は山の向こうに沈み、樹陰に淡い夕闇へと変わる。霧が辺りを覆い、視界が悪くなってきた頃、前方に畑や町家が見えてきたとき、背後にかすかな足音がした。ヒタヒタと跡をつけている音である。頼邑は振り返った。月光の中に人影が見える。ふたりいた。脛が夜陰に白く浮き上がったように見えた。
……あのふたりだ。
杉林に入った頃、眼にしたふたりである。ただ、そのときと違ったのはふたりと脇差を差し、草鞋をはいていることだった。
ふたりの男は、小走りに近寄ってきた。その姿には殺気があった。
他に人影がないので頼邑を狙っているようだ。
狙われる覚えはなかったし、追剥ぎにも見えなかった。
頼邑は、アオからおり、ゆっくりとした歩調で歩いた。恐れはなかった。相手はふたりだが、身なりは町人である。後れをとることはないはずだった。
頼邑は足をとめ、アオを背にして立った。
見ると、ふたりの男の双眸が夜陰に白くひかっていた。野犬を思わせるような男たちである。
「そなた等、何者だ」
頼邑が誰何した。
ふたりの男は”ここから去れ“とつぶやく。その言葉に頼邑は、
「里の者か」
と訊いたが、男たちはなお、“去れ、去れ” と同じ言葉を繰り返すばかりだ。
すばやい動きで頼邑の左右にまわり込み、腰の脇差を抜いた。
少し前屈みの格好で、脇差を構えている。ふたりの脇差が月光の反射でにぶくひかった。
短い抜き身が頼邑の眼に野獣の牙のように映った。
「やむを得ぬ」
頼邑も抜いた。
頼邑の顔が引き締まり、双眸がひかっている。頼邑は左手にいる顎のとがった男へ切っ先を向けた。もうひとり、右手の小柄な男も視野に入れている。
ふたりの男は、脇差を前に突き出すように構えていた。剣術を修行した者の構えではないが、一撃必殺の気魄がある。ふたりはジリジリと間介をせばめてきた。
獲物に迫る野犬のようである。
……初手は右手の男。
と頼邑は読んだ。
ウワッ!
ふいた、右手の男が喉のつまったような気合を発し、踏み込みざま青眼に構えた頼邑の刀身を弾こうと脇差を水平に払った。
右手の男が脇差を水平に構えたまま体ごと突っ込んできた。頼邑の脇腹を突くつもりだ。頼邑は体をひねりざま、その切っ先を揆ね上げた。
すばやい太刀捌きだった。頼邑は右手の男の斬撃を読んでいたのである。
キーン、という甲高い金属音がひびき、夜陰に青火が散った。
小柄な男の脇差が揆ね上がり、勢いあまって体が泳いだ。間切っ先が男の肩口をとらえた。
肩口から血の線が吹く。
ヒッ、と悲鳴を上げ、男は後じさりし、恐怖に顔をゆがめた。脇差が大きく揺れている。まだ脇差を手にしていたが構えられないのだ。顎のとがった男の顔にも驚愕と恐怖の色があった。
旅人の頼邑が、これほどの遣い手と思っても見なかったに違いない。
ふいに顔をゆがめ、手にした刀を足元に落とした。
「か、堪忍してくれ。命、命だけは」
ふたりは、声をふるわせて言った。
「なぜ、私を襲った」
頼邑が鋭い声で訊いた。
ふたりの男は答えず、恐怖に顔をゆがめたままだ。頼邑は納刀し、荷物から、行李から晒や貝殻につめた金創膏などを取り出した。
小柄な男は、怪訝な顔をしているが、かまわず頼邑は、小柄な男の着物を裂き、金創膏をたっぷり塗った油紙で傷口を押さえ、晒を幾重に巻いた。
「情けなどいらね……」
と、憎まれ口を叩いたが、抵抗することはなく、頼邑をじっと見ていた。
「しばらくすれば血もとまるだろう」
骨や筋に異常はないので傷口さえ塞がれば心配ないはずである。
「可笑しなやつだ」
そう言葉を洩らし、視線をおとした。
それにしても、どう訳あって頼邑を襲ったのか分からない。恨みを買うような覚えもないので、もう一度訊いてみた。
すると、顎のとがった男が、
「話せば長くなる」
と、小声で言った。
「話す前に我らの里へ案内しよう」
と、頼邑の背を向けた方向に眼を向けた。
その道は霧と闇に覆われていた。
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