第5話 死ぬ運命

薄らと夜が明け始めた紺色の空に細かい枝葉が影を落としている。秋らしい清やかな風が吹いている。庭にある柔らかい緑が青白く浮かんでいた。

チュン、チュンと鳥の鳴き声が聞こえる。二羽の鳥が庭先で餌をついばんでいる。

和尚は、頼邑が寝ている部屋に足を進めた。その足は、腰高障子の向こうでとまり 、和尚は障子に手をかけた。しかし一瞬、時がとまったかのように手が動かない。遠方から聞こえてくる鳥の鳴き声が耳元で聞こえる錯覚がした。

がらり、と障子を開け和尚が見たのは、すでに畳まれていた布団とその上に紅葉が置かれていた。

「行ってしまわれたか」

呟くような声であったが、その声は空へと向かって消えていった。


林の中を風と共に駆け抜けていく。途中で白い斑点模様の小鹿が、ぴょんと林からとびだした。 小鹿は、アオに驚き、また林の奥に消えていく。やがて橋の傍の渓流を渡った。頼邑は支流沿いの道を上流に向かって進むことにした。それから山林の傾斜を登り始めてから時が経ち、いつのまにか西日に太陽が傾き始めていることに気づいた。

……もう陽が沈みかけているとは。

頼邑は、手綱を強く握りしめ、体勢を低くするとアオはみるみると速度を上げ、力強く斜面をかけ上がっていく。せめて、一軒の家でも見つけたいと思っていたのだが、今日は諦めるしかないとみた。

仕方なく、一晩過ごせそうな場所を注意深く、辺りに視線を配りながら見た。もうすでに辺りは暗闇につつまれているため、あまりむやみに動くことはできない。

どうしたものか、と思いながら少し前に進んでいくと、岩があった。ちょうど頼邑が隠れるくらいの大きさである。傍にあった枝や葉をかき集め、焚いた。辺りは静寂として、焚かれた枝が亀裂と共に音をたてる。

静か闇の中で、何かの気配を感じたアオは耳をたてた。頼邑もその気配を感じる。

……人か!

ペタ、ペタとゆっくりと足音が聞こえる。頼邑は火を消し、腰刀に手をそえ、張りつめた空気の中で息をひそめつめた空気の中で息をひそめる。 ところが、足音がしだいに遠ざかり再び、辺りは静寂が戻った。

「アオ、すまない。ここで待っていてくれ」

そう言い、月の明かりだけを頼りに頼邑は歩き出す。しばらくあるいていると、目にうつったのは小さな村だった。

……村? こんなところに。

小屋の前に人が横たわっている。慌てて、傍に駆け寄り、肩を揺すろうとしたが、もう体が硬直していた。それだけではない、この遺体は皮と骨だけになっている。とても人の姿とは思えないほどだった。

辺りをよく見ると、遺体がいくつも転がっている。心の鼓動が大きく鳴る。そのとき、頼邑の耳にかすかな呻き声が聞こえてきた。それは、小屋の内部から息を吐くような声がする。頼邑は動きをとめた。生きている者がいることはあきらかである。その声は、口からもれる声のようであった。頼邑は、内部をうかがってから足をふみ入れた。

暗さに眼がようやく慣れ、入口に近づくと小屋の中に何があるか識別できるようになる。寝間に誰かが横たわっている。声の主は、この者らしい。

「大丈夫か」

頼邑は慌てて駆け寄ると、女だった。

月の光に照らし出された女の体に頼邑は顔をゆがめた。頬はこけ、骨が浮き彫りになっている。

「あんた、誰?」

その口からもれるかすかに言葉がもれた。

「私は、旅をしている者だ。この村で何があった?」

女はゆっくり起き上がり、おぼつかない足で歩き出した。

「そんな体で歩いてはだめだ」

頼邑の声に反応した女は、

「もう村で生き残ったのはあたしだけ……。夫も死んで、きのう赤ん坊も死んだ……」

女の片腕に布でくるまれたものを抱えたまま頼邑の足元に下ろした。布で包まれていたのは赤ん坊だった。

「ここだけじゃない。いくつもの村がなくなった。皆、飢え死にして、豊かだった森は死んだ…。もう何もない…」

女はうなだれるようにその場に座りこんだ。

頼邑は、うつ向いたまま赤ん坊を抱え、女に言った。

「私の村も同じだった。ここまでひどくはないが、それでも答えを求めて」

女は、ゆっくりと顔を上げる。

「倶にくるか」

頼邑の思わぬ問いに女は口を開けていたが、

「行けば、何があるというの」

と、すがるような眼で言った。

「それは分からぬ……。だから無理にとは言わない」

苦々しい顔で頼邑は答えた。

しばらく女は黙っていたが、身をふるわせ、

「あんた馬鹿だね。どうせあんたも死ぬ運命なんだ。そうやって、死ぬことから逃げたって結局、みんな死んでいったんだ!」

そう言うと、頼邑の腰刀に手をのばし、刀を抜くと自分の首を切りつけようとした。

「やめろっ」

頼邑は必死に女の腕をつかみ、刀を取り上げようとしたとき、女は頼邑の腕を斬りつけた。一瞬、女の腕から手をはなした隙に女は、自分の首を斬りつけた。

ビュッと いう音ともに赤い帯のように血が噴出した。女の首根から噴出した血が驟雨 のように頼邑の顔にかかった。

女は、その場に倒れこむと、震えながら顔を上げて、

「ありがと……。村にあった鎌は錆びて切れなくてさぁ」

消えるような声で言うと、ガクンと頭が倒れ、もう動くことはなかった。

頼邑は、くちびるを噛み締め、止めることができなかった悔しさと悲しみが沸き上がった。

……なぜ、生きようとしない。この女は、ただ死ぬために今日まで生きていたというのか。

やりきれない思いがなお、自分の無力さを思い知らされた。刀を納め、村を後にしうとしたら茂みから音がしたので振り返るとアオがいた。

「心配したか、アオ。すまなさい……。来てくれたのか」

アオは、頼邑の頬を舐めた。まるで、頼邑の心境を理解したかのように。頼邑は、 さっきの女の言葉を思い出した。

『死ぬ運命なんだ』

山間から日の出が見え始める。

「夜が明ける」

頼邑の眼に眩しい光が映えた。

……死ぬ運命などない。生きる運命があってこその死がある。

「行こう、アオ」

チラッと村を見た後、再び出立した。その後、飢え死にでなくなった村に唯一、ここだけ墓があることを人が知った。

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