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 卯月とはじめて出会ったのは今日のような暑い夏の日だった。

「いらっしゃいませ!」

「八人おるからテーブル席二つな」

「かしこまりました。って、なんで姉ちゃんが!?」

 うちの姉ちゃんは大学生になるなり、家を飛び出して神戸にある大学の近くで一人暮らしをしていた。姉ちゃんは大学周辺の街並みが気に入ったようで、裏返せば天神橋筋商店街のコテコテした空気がどうも幼少期から合わなかったらしく、実家に帰ってくるのは月に一度くらいのものだった。

 その姉ちゃんがまさかお客さんとして現れるとは。

「うちはイヤやったんやけどな。うちの大学って余所から来る子多いから、一度本場のお好み焼き食べてみたいって言い出しよって」

 ゼミの仲間で、試験が終わったから打ち上げをしようという話になったらしい。そこで、実家のお好み焼き屋の話が出てしまったらしい。

「適当に焼いたって。お金はちゃんと払わすから」


 テーブル席二つに分かれて、宴が始まった。賑やかだったけど、うるさいということもなく、姉ちゃんがいるということ以外は特に印象は残らなかった。

「妹ちゃん、ビールおかわり」

「まいど!」

 冷えた瓶ビールを、姉ちゃんがいないほうのテーブルに置く。

「一応、梅子って名前があるんやで」

 お客さんにお嬢ちゃんだとか呼ばれることはよくあることだ。そういうときは、コミュニケーションをとるつもりで名前を名乗るようにしている。

「梅子ちゃん、かわいいな」

「そやろ、かわいいやろー」

 こういうやりとりはいつものことだった。

 ここまでは。

「うん。似合ってると思うわ」

 左側の奥の席に座っていた男がお冷を口にしてからそう言った。

「似合ってる……?」

 名前についてそう言われたのははじめてで。おしとやかだから静香ちゃん、だとか、夏っぽくて元気だから夏海ちゃん、というのならわかる。

 でも、「梅子」という名前が似合うっていったいどんな子だろう。正直、自分でも「梅子」という名前は少々古臭い気がする。小学校の頃に、よく喧嘩してた男子に「ウメババァ」だなんて言われたこともあったし。

「なぁ、どういうことなん?」

 その男――卯月は、え、だってなぁ、と言ったあと。

「梅って大阪っぽいやん」

「はぁ?」

 いったい何を言っているのだ、この男は。

「梅って大阪府花やねん。大阪天満宮は梅の名所やし、梅田は元々そこにあった神社の梅が名前の由来やし」

 卯月はそこまで言って、一旦お冷に口をつけた。

「そしたら、いかにも大阪らしい、元気で明るくておもろい女の子が出てきて、梅子だなんていうから。だから、似合ってるなーって」

「はうっ」

 お客さんにかわいいとか元気とか冗談で言われるのは慣れていたはずなのに、不覚にもこのときうちはどきっとしてしまった。

「お前、中学生相手に何マジになって口説いてるの……」

 卯月の目の前に座っていた男の人はこのとき明らかに引いていたらしい。らしい、というのは後で卯月本人から聞いた話だから。

「や、そんなつもりやないって。梅子ちゃんも、あんま真に受けんといてな」

 ここでようやくうちは我に返った。

「せやな。もう、兄ちゃん! 冗談きついで」

「ごめんなー。あ、お冷おかわりお願いできる?」

 一度頭冷やすわ、と卯月は苦笑いを浮かべた。

「お冷は金にならんからなー」

「ならウーロン茶でもええよ」

「冗談やって。今持ってくるな」


 お客さんが絡んでくるなんて、いつものことだ。いちいち、真に受けて恥ずかしがっていても仕方がない。

 それなのに。顔がほころんでいるのはなぜなのだろう。なんでうちは……こんなにも嬉しいのだろう。

 このときは、まだこの気持ちが何なのかはわからなかった。

 でも。

「また来てな」

 いつも店を後にするお客さんにかけるこの一言。姉ちゃんのゼミ仲間のご一行が帰るときは、卯月のほうをずっと見つめていた。

 その願いが叶いますように、と言わんばかりに。

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