第20話スタンピード

 ギリリ……


 トミー・モーリア慰霊の式典、その会場の片隅で、人知れず歯ぎしりをする男がいる。


 何と情けない、王族ともあろう者が、臣下の、それも爵位を継ぐ前の者に謝意を示すとは!!


 ギリリ……


 王女ともあろうお方が、決意表明の為に、汚ならしい獣人の墓に跪くとはもってのほか!!


 ゴーツク・フォン・バーバリーはここ数日、目の前で繰り広げられる、有ってはならない事に、腸の煮えくり返る思いで歯軋りをしていた。

 それは、先王アクセルが黒死病から大陸を救った英雄、トミー・モーリアに医聖王の称号を諡して、最大級の謝辞と栄誉を与えた事。そして、王女キャンディスが誕生日を前に、トミー・モーリアと聖タバサの墓前に跪き、自分も二人の後に続き、医療魔導師として国民の為に生きる決意を示した事である。更にモーリア辺境伯カーレイが、その見届け人としての栄誉を受けた事、ゴーツクには全く許せない事だった。


「おのれ、モーリア、本来ならばこの私がその栄誉を賜るはずだったのに……」


 会場の片隅で、ゴーツクは怨嗟の瞳で式典を眺めていた。


 何故、彼はそこまでモーリアを憎むのか?


 それは彼が養子として家督を継いだ為である。それ故に、祖先のコンガとバトラー王子の篤い友情を理解してはいなかったのだ。加えて分家と言うよりも、依子に近い家格の、貧乏貴族の五男という冷飯食いだった、という出自も影響していると言えよう。


 他の貴族家に入り婿として迎えられなければ、成人後は貴族籍を抹消され、平民になる運命であった彼は、その恐怖に怯え歪んだ人格形成をして成長していた。しかし本家に嫡男が産まれ無かった事と、血族男子の中で自分だけが婚姻予定の無かった事で、本家の家督を継ぐ為に養子として選ばれたのだ。

 降ってわいた幸運に、自分は選ばれし者なのだと勘違いし、性格の歪み具合をさらにいびつなものにしてしまった。


 本家に迎えられ、貧乏な生家の冷飯食いという立場から解放されたゴーツクは、これからは本当の貴族として華美絢爛な人生が始まるのだと夢想していた。


 だが、彼の思惑に反して、バーバリー本家は質実剛健を家訓としており、無用な贅沢を禁止していた。特に普段の食事は質素なものであり、思う存分贅沢三昧できると想像していたゴーツクには耐え難いものであった。


 さらに本家の教育も、ゴーツクには耐え難いものだった。王の藩兵となって平民を護る、ノブレスオブリージュに則った貴族の在り方、その為の教養と武術、魔法技術を徹底的に教育される毎日に、彼は憤懣を蓄積していくのだった。


 産まれ故に、平民以上に貴族社会の絢爛さに憧れていたゴーツクが、初めて自分の夢想していた貴族社会に出会ったのは、王都の騎士学校の寄宿舎生活であった。

 貴族の子弟として恥じないよう、家格に合った装備と支度金で、ゴーツクは初めて自分の望む、貴族らしい生活を始める。毎晩のパーティーにかまけた自堕落な日々を送るゴーツクは、当然ながら学校の成績は芳しいはずも無く、いつも落第スレスレの成績で、教師達の頭痛の種だった。

 しかし、当のゴーツクはそれで良いと思っていた。あくせく働くのは、平民や騎士爵などの下級貴族に任せ、自分は彼らを顎で使えば良いのだ、それが本物の貴族なのだと、本気で思っていたのだ。


 卒業してしまえば家格と爵位が物を言う、高い成績を目指すのは、所詮それしか栄達の道が無い下級貴族の悪あがき、自分達高級貴族は人脈を作る為に入学したのだ、奴ら下郎とは住む世界が違うのだ。


 そんな考えに耽溺していたゴーツクは、入学から二年後に世の中そんなに甘くないと思い知る事になる。二年後輩にスーパースターが入学したのが、その理由だ。


 一人目のスーパースターは、王太子ヴィニー・アルステリア、そして二人目はカーレイ・モーリアである。


 線の細い貴公子ヴィニー王子と、野性味溢れる外見と性格ながら、礼節も弁えるカーレイは、たちまち学生の中心人物となっていった。二人の入学以降、ゴーツクの主宰するパーティーは、目に見えて参加者が減少していった。と、同時に『洒落者』と自分を持ち上げていた取り巻き達も、気がつくと櫛の歯が欠ける様に、自分の元を去っていた。

 一方、ヴィニーとカーレイの周りには、黙っていても人が集まっていく。その中には、かつての自分の取り巻き達もいた。

 ヴィニーは王位継承権筆頭の王太子であるからやむを得ない、しかし田舎貴族のカーレイは許せなかった。ゴーツクは何とか王子に取り入ろうと、カーレイの讒言をしていたが、ヴィニー王子は全く意に介さず、逆にこう諭される。


「卿は卿自身を売り込みたいのならば、他者を貶めるのではなく、卿自身の魅力をアピールすべきだな。私とカーレイとは幼い時から親交が有り、卿以上にカーレイの事を知っている。卿にその気は無いのだろうが、私達の友義に楔を打ち込む様な言動は、何かしらの利益を狙った離環の計と取られ、逆に疑われてしまう可能性も高い。気をつけるべきだ」


 腹の中で苦虫を噛み潰すゴーツクに、ヴィニーはこんな言葉を付け加えるのだった。


「卿はバーバリー家の当主となる男なのだろう? バーバリー家といえば、モーリア辺境伯家とは並々ならぬ信義で結ばれた仲ではないか? カーレイに対する讒言、祖先のコンガ殿が知れば、大いに嘆くであろうな」


 そう言い残し、去っていくヴィニーの背中を、ゴーツクは屈辱にまみれて見送るのだった。


「おのれ……カーレイ・モーリア」


 先程の王子の忠告を忘れ、ゴーツクは王子の顰蹙をかった理由を、カーレイに有ると転化して憎悪の炎を燃やし始めた。


 ゴーツクは養子に迎えられた後、本家の基本教育として、モーリア辺境伯家との関係を教えてられていた。しかし、ゴーツクはその教えを、どうせ話し半分だろうと解釈していた。


 そんな話は貴族社会に有りがちな、ありふれた美談で、かなり脚色されて喧伝されているに違いない。それもモーリア辺境伯家に有利な形で。モーリア辺境伯家の領地経営の正統性を確立するための、貴族社会の暗部に違いない。自分自身の幼少期が、文字通りの貴族社会の暗部であったゴーツクは、そのように信じ込んでいたのだ。


 そう考えていたゴーツクは、もしもコンガが王命に従い、かの地に封じられていたら、自分の人生はどうなっていただろうかと夢想した。


 憎い! 本来ならばヴィニー王子の隣に居るのは、この私であるのに!!

 憎い! 王族である立場を利用し、コンガからモーリア領を奪ったバトラーが憎い!

 憎い! 何の苦労もせずに、その栄誉に浴するカーレイが憎い!


 物心ついた時から、部屋住みの冷飯食いという日陰の日々で、ねじ曲がりきった心と、曇った目ではゴーツクは現実を直視する事が出来なかった。僻み心の赴くままに、有りもしない真実をでっち上げ、逆恨みしながら卒業まで鬱憤を溜めていくのだった。


 卒業後も、ゴーツクの受難は続く。コンガ以来の名門軍務卿だったバーバリー家は、ゴーツクの代で一気に傾く事となった。理由はアルステリア王国の上級官僚システムは、基本的に貴族世襲制ではあるが、冷徹な実力主義でもあったからだ。


 家格と爵位で全て解決すると信じ、勉学を疎かにしていたゴーツクが、通用する余地など、存在するはずも無い。ヴィニーが王位に着いた直後、ゴーツクは度重なる山賊討伐の失敗と汚職の発覚で、世襲した軍務卿の地位をあっさり失う事になったのだ。


 この結果にもかかわらず、ゴーツクは自分の行いを省みる事は無く、理由を自分以外のものに見いだそうとしていた。


 自分が捨て扶持同様の年金を頂く無役貴族に転落したのは、きっと学生時代の恨みを晴らすために、カーレイが王位についたヴィニーに讒言したのに違いないと空想し、一層怨嗟の炎を燃やすのだった。そうして恥辱の数年間を過ごした後、駐在監察官として赴任したモーリア辺境領の、王都に匹敵する発展ぶりを見て、ゴーツクの逆恨みは頂点に達して現在に至る。


 おのれバトラー、おのれカーレイ


 怨嗟の歯軋りをしながら式典の進行を眺めるゴーツクの堪忍袋は、キャンディス王女の誕生日パーティーで遂に切れた。


「はじめまして、クリスロード・モーリア、タバサ・スチーブンス」


 パーティー会場の隣の控えの間で、キャンディスは、祝いの音楽と舞いを披露する役目を負った、クリスロードとタバサの元に激励に訪れた。


「王女殿下、お気遣い痛み入ります」

「いっ、痛み入りますにゃ」


 貴族の子弟らしく、堂々と臣下の礼を取るクリスロードだったが、タバサの方は先日目撃した魔法戦闘の記憶が生々しく、しどろもどろになっていた。そんなタバサの緊張を解きほぐそうと、キャンディスは親しく声をかける。


「タバサちゃん、確かに私の身分は王女ですが、ここには私達の他には誰も居ません。私とあなたは同い年、身分を越えて、お友達になっていただけますか?」


 その言葉に目を丸くして、軽いパニックに陥ったタバサは傍らのクリスロードに助けを求めた。


「わっ、若ちゃま、お、お、お、王女様がお友達って……、良いのかにゃ? 大丈夫かにゃ? 後で偉い人に怒られないかにゃ? 断った方が……。ダメにゃ、断ったら赤ちゃんにされちゃうにゃ! どうしたら良いんにゃ!?」

「大丈夫だからタバサ、落ち着いて」

「落ち着くって若ちゃま」

「ほら、いつもみたいに、王女様のオーラをちゃんと見てごらん」


 優しく肩に手を置いて、クリスロードが宥めると、少し安心したタバサは、オッドアイを凝らしてキャンディスを見つめた。キャンディスの綺麗なオーラに、タバサは落ち着きを取り戻し、恭しくカーテシーをする。


「もったいないですにゃ、アタイで良ければ、宜しくお願いしますにゃ」

「まぁ、嬉しい! これから宜しくね、タバサちゃん。クリス君も」

「はいですにゃ、王女様」

「御厚配、痛み入ります、殿下」


 二人の返事を聞いて、キャンディス王女は眉をひそめて膨れっ面になった。


「もうっ、二人共、意地悪ですわ」

「殿下、何かお気に障りましたのでしょうか」


 俄に不機嫌になったキャンディスに驚き、クリスロードがあわてて聞き返す。タバサはクリスロードの後ろに隠れ、二本の尻尾を太くした。そんな二人に、ツンと顔を背け、キャンディスは不満を口にする。


「私達は、身分を越えたお友達になったのですよ。余人の居ない場所で、他人行儀とはあんまりです。二人は、私を仲間外れにするおつもりですか?」

「そんなつもりは……」

「無いですにゃ……」


 可愛らしく拗ねて見せるキャンディスに、二人は呆気に取られて顔を見合わせる。そんな二人にお構い無しに、キャンディスは言葉を続けた。


「なら私の事は、王女ではなく、キャンディとお呼び下さいまし」

「え……」

「良いのかにゃ」


 ためらう二人に焦れたキャンディスは、有無を言わさず畳み掛ける。


「ほら、クリス君、タバサちゃん、早く」

「キ、キャンディ……様……」

「キャンディ様……」

「様は要りません」


 笑顔で眉をひそめるキャンディスに、とうとう二人はやけくそになった。


「キャンディ」

「キャンディ」


 叫ぶ様に二人が呼ぶと、キャンディスは心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべ、二人に抱きついた。


「はい、良くできました! いいこと、他に誰も居ない時は、私の事をキャンディと呼んで下さいね。じゃないと、泣いちゃいますわよ」


 弾ける様な笑顔でそう言うキャンディスを挟み、クリスロードとタバサは微笑み頷き合った。三人の友義が深まった時、式典の進行係の者がやって来て、キャンディスの前に跪いて言上する。


「王女殿下、入場のお時間です、どうぞこちらへ」


 畏まる係の者に鷹揚に頷き、キャンディスは先程の親しげな態度を一変させ、威容を正して二人に向き直った。


「うむ、相分かった。では、クリスロード、鳴らずの神器の演奏、楽しみにしているぞ」

「ははっ、心して演奏させていただきます」

「うむ」


 胸に手を当てて跪くクリスロードとタバサに大きく頷いて、キャンディスは進行係の先導で、控え室から出て行った。部屋から出る間際に、誰にも気づかれない様に振り返り、二人に向かって無邪気な笑顔でウィンクをして。


 会場入りしたキャンディスは、先王アクセルのエスコートで主賓席へと向かう。その姿を見て来賓として招かれた貴族達は、気品溢れる凛とした佇まいに、感嘆のうめき声を漏らし、ただただ見惚れていた。


「どうであった、二人の印象は」


 キャンディスをエスコートするアクセルが小声で聞くと、周囲に笑顔を振り撒きながらキャンディスは嬉しそうに答える。


「はい、お二人共、とても素敵な方達で、私、お友達にして貰いました」

「そうか、それは良かったの」

「ええ、私、今まで同い年の友達なんて居ませんでしたから、本当に嬉しくて」


 会場奥の一段高い主賓席に着いた所で、二人は話しを切り上げ、来賓達に向かってにこやかに手を振ると、会場から大きな歓声が上がり、宴が始まった。


「本日は私、キャンディスの誕生日パーティーにご来場頂き、ありがとうございます。会場を提供してくださったモーリア辺境伯にも感謝致します。本日は皆さん、どうか楽しんでいって下さい」


 キャンディスの挨拶が終わると、会場には割れんばかりの拍手が沸き起こる。会場の熱気を確認して、アクセルが片手に持ったグラスを高々と掲げると、それを合図にしたように、会場は水を打った様に鎮まりかえる。そして来賓達はアクセルに倣ってグラスを掲げ持つ。


「では、皆の衆、我が孫娘キャンディスの誕生日を祝し、我がアルステリア王国と、その藩兵たる諸君らの益々の繁栄を祈り、乾杯!!」


 アクセルの乾杯の音頭で、パーティーが始まった。キャンディスとアクセルの前には、貴族達や近隣諸国の慶賀の使節が引きも切らずに訪れて、祝いの挨拶と贈り物を献上していく。流石にこの様な流れでは、表立って不満げな表情を出す訳にもいかず、ゴーツクは表面上にこやかな笑顔で誤魔化し、王女と先王の前に跪いて祝辞を述べていた。しかし、その演技も長続きはしなかった。


「キャンディス王女、お誕生日おめでとうございます。祝賀パーティーの会場に、我が領地をお選び頂いた事、モーリア家末代までの栄誉となるでしょう」

「うむ、大義である。モーリア辺境伯差配のパーティー、妾も一生の思い出になるであろう」

「我が愛孫への心尽くし、感謝するぞ、若きモーリア辺境伯」


 キャンディス王女にそう言上したのは、先日婚約と次期領主相続の指名披露宴を終えたウィリバルトである。彼は百人の婚約者を引き連れ、キャンディス王女とアクセル先王の前に跪いて祝辞と謝辞を述べると、二人は親しげに言葉をかけ、彼の労を労った。特に先王アクセルより若きモーリア辺境伯と言葉をかけられた事は、ウィリバルトの地位を磐石にし、彼の面目を大いに上げるのだった。


 この事がゴーツクの嫉妬心を刺激する。自身の面子が潰された訳ではないのだが、本来ならば自分が、という思いが抑えられず、爪が手のひらに食い込むほどに拳を握りしめた。

 表情が変わるのを抑えきれないと自覚したゴーツクは、誰にも気づかれない様に、飲み物を取りに行く振りをして、主賓席から離れて行った。


「勿体無きお言葉、有りがたき幸せにございます。ではキャンディス殿下、アクセル陛下、今日の善き日を祝う為、我が末弟クリスロードの『鳴らずの神器』の演奏、妹タバサの舞いを披露致します。どうかお楽しみ下さいませ」


 ウィリバルトが頭を下げ、彼の婚約者達が左右に控えると、主賓席の正面に設えられたステージに照明が灯る。その照明に照らされた少年と少女の姿を見た会場の人々は、二人の人間離れした美しさに息を飲んだ。一見すると少女に見間違えるクリスロードと、おとぎ話の猫妖精の国から迷い込んで来たかのようなタバサの姿に、会場は水を打った様に鎮まりかえる。

 二人がステージ上から一礼すると、おおっ、と会場のあちこちからどよめきが起こる、会場に居た何人かは、二人の余りの美しさに、人間ではなく人形だと錯覚した者も多く居たのだ。しかし、一礼する優雅な立ち振舞いに、二人が紛れもなく人間だとわかり、驚きを新たにして瞠目する。上がったどよめきは一瞬にして鎮まるが、会場を支配したのは静寂ではなかった。


 ♪~


 クリスロードが鳴らずの神器と謳われたギタール、レイラから音を紡ぎ出すと、天上界を思わせる音色、その心地よいメロディーに会場の皆は心を奪われ、言葉を失っていた。そのメロディーに合わせて優雅に舞うタバサの姿は、まさしく妖精そのものであった。誰もが時の流れを忘れ、ステージに釘付けになる。


「素敵よ、タバサちゃん。その調子」


 そう心の中でエールを送るのは、ウィリバルトの百人の嫁の中の一人、エリスである。クリスロードが魔力制御の特訓をするために、中央広場でギタールを弾き始めた頃、タバサは無意識でその音色に合わせて踊り始めたのだが、それは我流の素朴な舞いであった。その素朴な舞いの中に、非凡な才能を見いだしたのが、エリスである。彼女は中央社交界では舞踊と歌唱の天才と呼ばれた存在で、押し掛け婚約者候補としてモーリア辺境領に訪れてからは、ウィリバルトの気を引く為に、舞踊と歌唱、そして礼儀作法を教授する私塾を開いていた。しかし、偶然中央広場で舞うタバサの姿を見てからは、その才能に惚れ込み、彼女一人の為に教える様になり、今日に至る。愛弟子の晴れ姿に、エリスは感無量であった。


 キャンディス王女を祝うための、正しく天上の音楽会と呼べるこの演奏は、会場に居合わせる全ての者に、等しく深い感動を与えていた。それはモーリア辺境伯家に、深い嫉妬心を抱くゴーツク・フォン・バーバリーも例外では無い。彼の心は、クリスロードの演奏と、タバサの舞いで猛烈な勢いでデトックスされていた。


「おお、おおおお…………」


 彼の目と耳はステージに釘付けとなり、感動の為に自分でも気づかぬうちに、滂陀の涙を流していた。


「若ちゃま、怖い感じは無くなったにゃ」

「うん、そうだね、この調子で頑張ろう」

「はいですにゃ」


 ゴーツクの邪なオーラに早々と気づいていたタバサとクリスロードは、大きな危険性を予感していた、式典を害する可能性はもとより、このままではゴーツク氏本人の精神と生命が危ない。

 しかし、ただ気に食わないと考えている事を理由に、ゴーツクを拘束する訳にはいかない。悩んだ末に二人が出した対策は、この演奏会でゴーツク氏の心を浄化する事だった。王女の誕生日を祝う気持ちに加え、浄化の魔力を込めて気合いを入れて演奏をしており、それは順調に進んでいたかに見えた。


「もう黒いオーラは消えたにゃ、若ちゃま」

「よし、頃合いだね、後八小節でフィニッシュにしようか?」

「了解ですにゃ」


 クライマックスに向けて、クリスロードの演奏が冴える。テクニックのみが先走らず、エモーショナルに満ち溢れた繊細なメロディーが、聴取一人一人の感情に訴えかける。最後の一音が叙情的に響き、それを惜しむ様な余韻が後を引く。


「どうじゃ? あの子にくれてやったのは、正解だったじゃろう?」


 クリスロードの演奏とタバサの舞い姿に感動し、亡我して固まるアクセルに、してやったりの表情でポールが囁いた。その囁きに、アクセルとキャンディスは、ハッとして我に返った。そして、いち早く我に返ったキャンディスが、立ち上がって拍手をする。


「ブラボー!」


 続いてアクセルも立ち上がり、拍手をすると、会場のあちこちで、我に返った者から順に拍手が沸き上がり、会場を埋め尽くす。その頃、ゴーツクは、剣の抜けた表情で立ち尽くし、もはや何も害の有る様には見えなかった。


 再び一礼をしてステージを降りたクリスロードとタバサは、アクセルとキャンディスの前で跪き、直々に称賛の言葉を頂いていた。それを力無く見つめていたゴーツクの瞳に、再び邪な炎が灯された。


 何故だ?


 キャンディスが親しげに、タバサの手を取り、席を勧める。


 何故だ、何故私ではない?


 楽しげに歓談を始める主賓席の四人を見つめ、ゴーツクは自問する。


 本来コンガが封ぜられるはずだったのに、私があの場所に居るはずなのに……


 クリスロードとタバサに浄化されたはずの、ゴーツクの嫉妬心が再燃する。それは一度消えたはずの炎が、新たな酸素を得て爆発的に再燃するバックドラフトの様な激しさを持っていた。激しい嫉妬心に駈られるゴーツクの頭の中に、ふと、昨日のアマデウス帝国の使節の言葉が浮かび上がる。


 どうしても許せない事態が起きた時に吹くと、卿の思い通りの結末に改変する事ができるでしょう


 その言葉が、ゴーツクの嫉妬の炎の新たな燃料となる。


 そうだ、あるべき結末に変えねばならぬ。バトラーではなく、コンガが。モーリアではなく、バーバリーが……


 過度に装飾された上着の内ポケットから金細工の笛を取り出すと、ゴーツクは焦点の合わない瞳で、吸い寄せられる様にそれを口に咥えた。


 どうしても許せない事態が起きた時に吹くと、卿の思い通りの結末に改変する事ができるでしょう


 その言葉に後押しされ、ゴーツクは笛に息を吹き込んだ、その時……


「あ~あ、ついてねぇなぁ~」


 ポチョムキン大森海の警備に着く、治安維持部隊の一人が星空を眺めて不平を漏らす。


「なんだ、何がついてないって?」


 相棒の隊員が聞くと、不平を漏らした隊員が、やるせなさそうにその理由を答える。


「だってよぉ、城じゃ今頃お姫様の誕生パーティーだぜ、確かに俺達下っぱは会場には入れないけどよぉ、別間でご馳走を食べながらクリス様の生演奏を聴けるんだぜ、そんな日に当直だなんて……」

「ぼやくなぼやくな、今日当直の全員には、後日慰問のパーティーが開かれるんだ、そっちの方が気楽で良いだろ、な?」

「そりゃ分かるけどよぉ……。お姫様の誕生日パーティーだぜ、雰囲気ってもんが……」

「ちょっと待て、様子が変だ!」


 愚痴を聞いていた隊員が、手にした魔道具の変化に気がつき、相棒の愚痴を制する。すると、愚痴っていた隊員も、仕事モードに気持ちを切り替えて魔道具に注目する。魔道具は、森の中の魔力の激しい揺らぎと波動に反応し、小刻みに激しく振動し、点滅していた。


「おいおい、こりゃあ……」

「ああ、間違い無い!」

「スタンピードの兆候だ、急いで城に連絡だ!」

「おう!」


 二人は頷き合うと、城に連絡すべく、詰所に向かって全速力で走り出した。



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