第19話悪意は巡る

 前夜祭の翌日、モーリア領では例年に増して墓林祭のボルテージは上がっていた。何しろ今年の祭りはめでたいイベントが目白押しなのだ。まず始めにモーリア辺境伯長男、ウィリバルトの婚約と、カーレイの後を継ぎ、正式に次期領主となる事を内外に発表し、その御披露目の式典が開かれる。次に先王アクセルを喪主とする、トミー・モーリアの慰霊祭、そして最後に王位継承権十五位を持つ、プリンセス・キャンディスの誕生パーティーと、怒涛の如くイベントが続くのだ。このためモーリア領には、アルステリア王国全土は勿論の事、近隣友好国からも貴族や祝いの使者が訪問していた。特にホクホク顔をしているのは、ウィリバルトの嫁となった百人の娘の親達である。彼等はモーリア辺境伯家だけではなく、先王アクセルと王女キャンディスからも直々に祝いの言葉を貰い、好(よしみ)を結ぶ事となり、家格を大いに上げていた。だが、これを快く思わない人間も少なからず存在した、彼等はヒト族至上主義の高級貴族であり、虎人族の娘マリアがウィリバルトの百人の嫁の筆頭である事を苦々しく思っていた。


「上級貴族の娘を差し置いて、獣人の娘が筆頭などと……、それでも族長の娘ならともかく、平民の娘が……、忌々しいにも程がある。貴族の誇りを傷つけられた心中、お察し致しますぞ、ストライザンド卿」


 渋面を浮かべ、百人の嫁の一人、バーバラの父親である、法衣軍務貴族ストライザンド侯爵にそう小声で言うのは、前モーリア辺境領駐在観察官のバーバリー子爵ゴーツクである。彼は前述の通り、本来なら先祖のコンガが拝命していたモーリア領封土を、王子である身分を利用して盗み取ったと思い込み、逆恨みをしているのだ。彼は駐在観察官時代から、少しでもモーリア辺境伯家の瑕疵をでっち上げては、針小棒大に騒ぎ立て、ネガティブキャンペーンを行っていた。


「はて? 何の事かね、バーバリー卿?」


 婚約発表披露宴の席で、他の嫁の家族と歓談中、いつの間にかすり寄って来て、苦々しい表情で讒言を囁いてきたゴーツクに、ストライザンド卿がきょとんとしてそう答える。するとゴーツクは人目を憚る様に辺りを見回してから、更に小声でストライザンド卿に囁いた。


「私めには、体面を取り繕う必要はございませんぞ、ストライザンド卿、本音でお話し下さい」

「だから、何の事かね? バーバリー卿」


 尚も話しが見えないと、ストライザンド卿が聞き直すと、ゴーツクは忌々しげに次の様に答えた。


「此度の、ウィリバルト殿の婚約披露です。百人も正妻を娶るのも論外ですが、これは良いとしましょう。ですが、その筆頭には家格から言って、ストライザンド卿のご令嬢、バーバラー殿こそが相応しいと言うもの。それを有ろう事か、得体の知れぬ獣人の、それも平民の娘が筆頭とは! 先王陛下の面前故、ご自重なされているのでしょうが、内心は断腸の思いでしょう、お察し致しますぞ」


 同情しているような表情ではあるが、したり顔の目付きで囁くゴーツクだった。彼は反モーリア辺境伯勢力を築き上げ、批判非難の嵐を浴びせる事で、自分がモーリア辺境領主になる未来が、生まれる前に失われていたという我慢ならない現実の溜飲を下げようとしていた。彼は自分と同じように、軍務卿ストライザンド侯爵も、自分の娘がウィリバルトの筆頭正妻ではない事に、内心では腹を立てているに違いないと断じて、接近したのだった。

 高名な軍務卿として知られるストライザンド卿が仲間になれば、自分に同心する者も増え、宮廷内に確固たる勢力を築く事が出来るだろう。更に彼の娘を利用して、内心で不満を抱えているであろう嫁達を味方にすれば、モーリア辺境伯家の獅子身中の虫となり、彼女達の子供は子々孫々迄に自分の影響下に置けると、胸算用をしていたのだ。

 忌々しいモーリア辺境伯家に一泡ふかせ、長きに渡って吠え面をかかせられるであろう未来を想像して、笑みを浮かべるゴーツクに対し、ストライザンド卿は穏やかな口調で次の様に答える。


「バーバリー卿、君は何か勘違いをしている様だね? この采配は私の娘のバーバラーの提案だ、これっぽっちも不満に思ってなどおらんよ。むしろ、娘の判断を誇らしく思うくらいさ」

「何ですと!?」


 意外な答えにギョッとして、目を剥くゴーツクにストライザンド卿は諭す様に語りかける。


「良いかね、バーバリー卿、種族融和はこのアルステリア王国の、いわば国是だよ。王家が先導し、多くの国民が支持するこの政策に、範を示さねばならぬ我等貴族が異を唱えてなんとするかね?」

「いえ、しかし、それでは貴族の体面という物が……」


 ストライザンド卿の言葉に狼狽え、目を泳がせながら、ゴーツクは言葉を取り繕おうとするが、ストライザンド卿は軍務卿としての眼力のこもった視線でそれを制して更に持論を展開した。


「貴族の体面とは、民や国が平穏無事にあるために、貴族が張らねばならぬ見栄の事をいうのだよ、バーバリー卿。卿の言う体面とは、虚勢の様に思えてならない。考えを改めるべきだな、では失礼するよ」


 そう言ってストライザンド卿が歩み去って行った。実はストライザンド卿は、この問題で娘バーバラーが幼い頃、ヒト族至上主義にはまっていた事を長く危惧していたのだった。最初に着けた家庭教師の影響でそうなってしまったのだが、ウィリバルトに出会い、モーリア辺境領に赴く事で自ら過ちに気付き、些か極端ではあるが自身を糺し成長した事を喜んでいたのだ。


「おお、これはこれはティグレ殿、グレタ殿、楽しんでおられますかな?」

「ス、ストライザンド侯爵様!!」

「これこれ、この披露宴は身分を超えた無礼講じゃ、」


 婚約披露宴の中、初めて経験する貴族社会の宴席に、所在なさげにしているカラス夫婦に、ストライザンド卿が気さくに声をかけると、驚いたカラス夫婦は慌てて跪き、二メートルを越える巨体を小さく屈める。だがストライザンド卿は、恐縮するカラス夫婦に手をさしのべて立たせると、相好を崩しながら他の嫁父ズの輪の中へと誘って行った。嫁父ズも名だたる貴族達ではあるが、快くカラス夫妻を迎え入れて談笑を始める。カラス夫妻も緊張していたが、皆の心遣いに感動しつつ、些かのぎこちなさが残るのは仕方ないとして、輪の中に溶け込んでいった。


「ぐぬぬぬぬ……」

「あれはいけませんね、貴族ともあろう者が平民、それも獣人と馴れ合うとは、なんと嘆かわしい……」


 そんな光景を、歯噛みをして睨み付けるゴーツクの背後で、誰かが独りごちる声が聞こえた。ゴーツクが振り返ると、そこにはウィリバルトの婚約とキャンディスの誕生祝いに訪れた、アマデウス帝国の使節が嘆かわしいと顔をしかめて立っていた。使節の言葉に我が意を得たりとゴーツクは気色ばんで合意する。


「仰る通りですな、我がアルステリアの精強な貴族団にあるまじき行為、全くを以てけしからん!」


 憤慨するゴーツクの背後で、アマデウス帝国の使節が頷く、そしてその目の奥深くに、微かな黒い笑みを浮かべた。


「我が帝国は、隣国アルステリア王国との過去の遺恨を捨て、これからは切磋琢磨し、共に栄え共存するのが世界の理想と大帝陛下に上奏してはるばるやって来たというのに、国境の要衝を守る領主と、その取り巻きがこれでは……」

「うぬぬぬぬ……使者殿、悔しいが私には返す言葉も無い。あの様な惰弱なモーリアのコソ泥めが、ここの領主であるばかりに……」

「ほう、卿はなかなかに気骨の有る人物とお見受けした、卿の様な方がこの地の領主であったならば、我が帝国も安心して背中を任せられたものを……」

「使者殿もそう思われますか?」

「はい、少し会話しただけでも、卿が相当な国士である事が理解できます」

「ほう、左様ですかな」

「ええ、卿の様な国士は、我が帝国にもそうそう居るものではありません」


 使節の言葉に自尊心をくすぐられ、ゴーツクは有頂天になり相好を崩す。使節はそれを確認すると、懐から金細工の小笛を取り出し、ゴーツクに差し出す。


「これは?」

「お眼鏡に叶うとよろしいのですが、お近づきの印にと思いまして」


 精巧な金細工に目を細めて見つめるゴーツクが顔を上げると、使節の目がゴーツクの心根に突き刺さる様に妖しく輝く。ゴーツクはその輝きに魅入られ、目から精気と焦点を失う。


「これは、我が国の錬金術師が、百人の獣人を生け贄にして作り上げた魔笛です。どうしても許せない事態が起きた時に吹くと、卿の思い通りの結末に改変する事ができるでしょう」

「私の……、思い通りの……、結末……」


 焦点の合わない目と、呂律の回らない口で、ゴーツクは使節の言葉を繰り返した。


「左様、では私はこれで……」


 そう言い残し、使節はゴーツクの影に溶け込む様に消えて行った。


「これは失礼」


 立ち尽くすゴーツクの肩にぶつかった来賓の一人が、謝罪の言葉をかけたところで彼は我に帰ると、手にした小笛をしげしげと見つめた。


「はて? これは何だ? 私はいつこれを手にしたのだ?」


 キラリと妖しく光る小笛の輝きに、ゴーツクの頭に使節の言葉が甦る。


「私の……、思い通りの結末……」


 ゴーツクの口角が卑しく歪んだ。


「狙うのならば、高い標的よりも、低い的ですよ……」


 ゴーツクの下卑た笑みを、会場の片隅から見届けた使節は、冷たい笑みを浮かべて一人呟く。


「王女殿下などを狙うから失敗するのです。狙うならば底抜けの愚か者ですよ、自尊心をくすぐって、焚き付ければ良いのです、この様に……」


 愚か者というのは、本当に常人には理解の及ばない、愚かな行為を平然と行うものなんですよ。王女を拐かすなどという行為はその最たるもの、だから失敗したんです。この手の謀略というのは、使い捨てても構わない愚か者を使うのが一番頭の良い遣り方なのです。成功しても失敗しても、自分は傷まず、相手を混乱させるのだから……


「では、素敵な墓林祭を……」


 使節は、そう言ってグラスを掲げた。誰にもほくそ笑んでいるとは分からない、気品の有る笑顔を浮かべて。しかし掲げたグラスに映った笑顔は、彼の本心を表す様に、醜く歪んでいた……

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