第15話尼になる!!
アルステリア王国の学校は、秋の収穫が終わってから新学年を迎える。理由の一つとして、この世界の主要産業は農業である点が挙げられる。魔導文化が発達したせいで、利便性を追求するための機械がほぼ無用の為、重化学工業に発展の余地が無く、農業基本の産業分布となっていた。規模の大小を問わず、農業というものは基本家族総出で行うもので、乳幼児以外の子供も重要な労働力である。よって初等教育では農閑期に集中的に教育を行い、農繁期には家の手伝いの妨げにならない様にカリキュラムが組まれていた。学期は二期制で収穫後から種まき前までを前期、種まき後から収穫前までを後期と定め、収穫期と種まき期に約一ヶ月の長期休暇が組まれていた。
この長期休暇だが、親が農業従事者の家の子供は言わずもがなで、殆どが家の手伝いに忙殺される。親が農業従事者以外の子供は何をしているかというと、約八割は友達の農家の手伝いをしているが、残りの二割、つまり富裕層の子供達はほぼ上級学校に進学する為、その準備のために私塾等の教育施設に通い、知識や教養を深めるのが一般的な過ごし方である。
さて、クリスロードの生活するモーリア辺境伯領でもご多分にもれず、他の区域と同じ様に子供達が長期休暇を過ごしていたが、少々趣きの違う箇所も有った。どう趣きが違うのかというと、教育熱心なこの土地では、富裕層でなくとも私塾通いをする子供が多かった。ともすると需要過多になりがちだったのだが、ここ数年は需要と供給のバランスが取れていた、何故ならここモーリア辺境伯領には多くの『暇人』が存在していたからである。その暇人とは、かつてウィリバルトに惹かれてやって来た『押しかけ婚約者候補』だ、彼女達は彼のハートを射止めるべく『駐在渉外官』という役職をでっち上げ、赴任してきたのは良いが、赴任後に大きな誤算が有った事を確認して頭を抱えてしまった。
彼女達の誤算とは、ウィリバルトが彼女達を『婚約希望者』としてやって来たのでは無く、そんまんま彼女達が口にした『駐在渉外官』として赴任してきたと理解してしまった事である。事が領政に関わる場合は狐にも狸にもなれるウィリバルトなのだが、人間の根っこの部分が純朴な彼は男女間の機微、恋する乙女の心の襞など知ってるつもりで全く無知であった。
こうして彼女達は難攻不落の
彼女達の攻城兵器は知性と教養である。若い小娘と侮るなかれ、こう見えても貴族の嗜みで、習い事お稽古事を幼少のみぎりから続けてきた彼女達は、その道十年以上のベテランも存在するのだ。その知性と教養を以て「私は使える女なのよ、うふ」と、アピールするため、彼女達はこぞって私塾を開き、教鞭をとっていた。
だがしかし、この程度で陥落するウィリバルト要塞では無い、その朴念仁さに輪をかけて素直に彼女達の教育熱心さを褒めたたえ、教育文化水準の向上を喜んでいた。全くを以て噛み合わない思いではあるが、それでも彼女達はメゲずに明日の栄光を夢見、今日も今日とて教鞭を振るうのであった。
こんな流れで、話がおかしな方向に進み、五里霧中の恋愛バトルを続ける彼女達の中で、一人出遅れて迷走する娘がいた。
バーバラー・フォン・ストライサンド
王都の名門法衣軍事貴族、ストライザンド家の娘である彼女は、タバサとベッシーとの出会いの翌日から、モーリア辺境伯領の伝承、歴史を調査していた。王都で学習したそれと、ベッシーの語るそれの微妙だが深刻な差異、聖タバサが猫人族という妄言を打破すべく、鋭意調査に邁進する。ベッシーの言を無視して王都で勉強した事を是としなかったのは、タバサのオッドアイが看破した通り、バーバラーの心根は素直で純粋なものであったからだ。それでも初めは、自分が正しい、それを証明する! そう息を巻いていたのだが、その気炎は1か月もしないうちに半減期を迎えてエネルギーを失い崩壊してしまった。それもそのはず、誰かにとって都合の良い『真実』など、実際に起こった『事実』の前には全く意味をなさないのだから、その事実にバーバラーは完膚なきまでに叩きのめされた。ニンマリと笑うベッシーの前で、がっくりと項垂れるバーバラーだったが、幸か不幸か彼女がモーリア辺境伯領の歴史と風土について勉強していると知ったウィリバルトは、彼女のために便宜をはかるだけではなく、マンツーマンであちこちを周り、一緒に勉強する仲になっていった。
他の婚約希望者が歯噛みをして悔しがる中、バーバラーはモーリア辺境伯領の郷土学に精通していく事になる。それは同時に王都で学び培ってきた、ヒト族は貴種であるという一部上流貴族達に蔓延する思想の誤ちに気づき、今まで自分を支えてきた価値観の崩壊に繋がっていき、深める毎に拍車をかけて行った。こうなると、根が素直で純粋なバーバラーは極端から極端に走る。世話役の従者に今までの自分を見つめ直すと言い残し、一週間ほど自室に引きこもり、出てきたバーバラーの姿を見て従者は腰を抜かした。
「ごめんなさいね、タバサちゃん。賎しいのは私の心根でした」
美しく煌びやかな衣服を脱ぎ捨て、みすぼらしい
バーバラーはウィリバルトと領内を巡り、モーリア辺境伯領の歴史を知り、領民の異種族人と触れ合ううちに、自分が貴族である事、ヒト族である事を心の底から恥じる様になっていった。そんな彼女はウィリバルトに連れられて、とある修道院に足を運び、そこでの出会いが彼女の心を激しく揺さぶった。その人の名前はマザー・ナターシャ、かつてトミーの研究を支え、偉業の手助けをしたミゼット族の族長の娘、アナスタシアその人である。彼女はマザー・ナターシャの人柄に触れ、トミーとの深い純愛を知ると、こんな私がウィリバルト様の婚約者になるなんて烏滸がましいにも程があると結論を下し、ある決断をするに至った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私は、尼になります〜!!」
突然血相を変えて現れたバーバラーに、何事かと二本の尻尾の逆毛を立てて飛び退いたタバサだったが、額を地面に打ちつけて泣きながら謝罪を続ける彼女のオーラの輝きに納得する。
ああ、このお姉ちゃん、分かってくれたんにゃ、でも、これじゃダメダメにゃ。
タバサは通りかかったベッシーと共に、尼になると泣き叫ぶバーバラーを宥め、駆けつけたストライザント家のバーバラー付きの家令に引き渡す。タバサ的にはバーバラーを子供達のお菓子の供給源に目論んでいた為、尼になられるのは論外だった。
その後バーバラーはストライザント家との絶縁を宣言すると、目を白黒させ大わらわで取りすがり引き留める家令を足蹴にして館を引き払い、林の中の巨木の
半ば世捨て人と化した彼女とはいえ、それでも生計を立てる必要がある。実家からの援助を拒絶した彼女は、青空私塾を開き、モーリア辺境伯領の郷土学と、女子護身術を実地で教え生業とした。月謝としてのお金は取らず、気持ちとして少量の農産物を受け取るにとどめていた。彼女は郷土学者として教師として優秀な人であったが、授業がたまに横道にズレていく傾向が見受けられた。それはそれで新しい発見等に繋がり、有益といえば有益なのだが、その発見が彼女の琴線に触れると
「皆さん、私の私塾は今日で終わります、今までありがとうございました。私これより、尼になります」
と、授業も何もかも放り出し、出家を試みる事がしばしば、そして……
「馬鹿な事をお言いでないよ! 燃えるような恋もした事の無いあんたごときが、出家するなんて百年早いわぁ!!」
と、マザー・ナターシャの一喝を喰らい、すごすごと引き下がるのが常であった。
こうしてバーバラーは林に住む、ちょっと変わった糞掃衣の女先生として、モーリア辺境伯領の民に温かく見守られて隠棲生活を過ごしていた。
クリスロード達が無事初等教育前半を終え、新学期に向かう長期休暇のおり、またぞろバーバラーの病気が頭をもたげる。今回の原因は青空私塾にクリスロードを始めタバサ、カエデ達、種族の枠を越えた仲間達が出席してきた事が発端となった。彼等が仲良く自分の周りに車座になって座る姿を目のあたりにしたバーバラーは、癒される風景に一瞬和んだ後、同世代の時の自分の有り様をフラッシュバックしてしまった。そうして
「皆さん、私は悪い女の子でした。こんな私が皆さんとまみえる事は許されない事です」
突然泣き出して訥々と語り始めたバーバラーに、子供達はまた始まったと身構える。
「尼になって罪を償います、皆さんごきげんよう! 」
修道院に向かい、全速力で走るバーバラーの頭の中では、幼い時分に上級貴族の常識に則り、家に仕えていた異種族人に心無い暴言を吐いたり、鞭で打ったりしていた自分がフラッシュバックされていた。彼女の頭に浮かぶのは、いわれの無い暴言暴力に、怯えの表情を浮かべる異種族人の顔であった。
知らなかったとはいえ、私はなんと恐ろしい事をしていたのだろう
そう自分を責め、息があがり絶え絶えになっても足を止めず、力尽き倒れ込んでも喘ぎ喘ぎ這いずってマザー・ナターシャの住む修道院へとたどり着いた。
「……マザー・ナターシャ、今度こそ私、尼になります、愚かで罪深い私を、どうかお導き下さいませ」
そう言ってバーバラーは気を失ってしまった。
やれやれ、この子は本当に……、私はトミー様に寄り添い一生分の想いを捧げたから、悔いなく出家できたというのに。それにこの子の場合、罪の意識からの逃避という側面もある、このまま出家させるのは忍びないし、この子のためにもならない。はてさて、どうやって説得したものか……
「目が覚めた様だね、気分はどう? 」
やがて目を覚ましたバーバラーに、マザー・ナターシャが声をかけると、彼女はベッドの上で半身を起こし、満面の笑みを浮かべてこう答えた。
「とても爽快です、出家してナターシャ様のお弟子さんになれると思うと、まるで雲の上にいる気分です」
「そうかい、それは良かった」
それはきっと、まだ頭がふらふらしてるからだよ。心の中でそう突っ込みを入れたマザー・ナターシャは、とりあえずバーバラーの身体に別状が無い事を確認して安堵する。
「でだね、バーバラー」
「はい、なんでしょう? 」
マザー・ナターシャはバーバラーに薬湯の入ったカップを手渡すと、バーバラーは素直にそれを受け取って、黙礼してから口をつける。マザー・ナターシャは、その横顔をまじまじと見つめると、意を決して声をかけた。
「やっぱり、出家はお止めなさい」
「ぶほっ……、ゲホッ……、ゲホッ。いきなり、何を、仰るのですか」
まさかの一言に、口にした薬湯を噴き出し、壮絶にむせながら抗議の目を向けるバーバラーにマザー・ナターシャは優しく、諭す様に語りかける。
「思い出してご覧、バーバラー。貴方は何をしにこのモーリア辺境伯領に来たんだい? 」
「そ、それは……、ウィリバルト様の勇姿と、お人柄に惹かれ……」
「婚約者になりたいと、アピールしに来たんだよね? 」
「はい、そうです……」
恥ずかしそうに顔を赤らめ、小さく返事をするバーバラー。
「で、それはどこまで進んでるんだい? 」
「えっ?」
ともすれば下世話とも言える恋愛話を降ってきたマザー・ナターシャに思わず目を剥くバーバラー、そんな彼女にマザー・ナターシャは茶目っ気たっぷりのウインクをして話を促す。
「私だって女なのよ、恋バナだってしたい時があるわ。さ、ここには私達しかいないから、誰の耳も気にせずに、ガールズトークを楽しみましょう」
「……は、はい」
こうして始まった二人の恋バナだったが、展開はマザー・ナターシャが一方的に話し、バーバラーは頷き、聞き役に徹していた。トミーとの出会いから一緒に過ごした日々、そして悲しい別れに至る全てを、愛おしむ様にバーバラーに話して聞かせるマザー・ナターシャの顔は、いつしかマザーでは無くアナスタシアの顔になっていく。矮躯で醜いと蔑まれ、いわれの無い偏見と根強い差別を受ける被差別種族、ミゼット族の彼女ではあるが、亡き恋人との想い出を話すその姿はバーバラーの瞳にはとても美しく、気高く、そして可愛らしく映っていた。
「こうして目を閉じて、手を合わせるとね、私はいつでもあの人を感じる事ができるの。私の胸の中には、いつだってあの人が居るの。あの人に一生分の愛を捧げた私が、他の誰かに嫁ぐなんて有り得ないわ。それこそその人に失礼よ。でも私は族長の娘として、いつかは誰かに嫁がなくてはならない、それが嫌で出家したの。とても褒められた理由じゃないわ。」
ペロッと舌を出して話を締めくくったマザー・ナターシャは、マザーとしてでは無くアナスタシアとしてバーバラーにもう一度確認した。
「バーバラー、貴方の恋は未だ始まってもいないのよ。それなのに、本当に良いの、出家なんかして? 」
じっと自分の瞳を覗き込むマザー・ナターシャに、バーバラーははにかんだ微笑みを浮かべる。
「はい、だからこそです。あの気高いウィリバルト様に、私の様な心の賎しい女は似つかわしくありません。私はここで、あの方のお幸せをお祈りします。いつまでも」
「そうかい、どうやら決意は固い様だね。長々と話し込んで悪かったわね、疲れたろう。今日はもうおやすみ」
「はい、マザー。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。また明日ね」
カーテンを引き、部屋を出たマザー・ナターシャは後ろ手でドアを閉めると、大きく一つため息をついた。
うーむ、あの頑固娘の気の迷いは、今回は相当厄介な様だね。さてさて、どうしたものか……
マザー・ナターシャは足音を立てない様に気をつけて廊下を歩きながら、自分を慕う可愛い娘の様な女の子をどう導くか思案に耽るのだった。
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