第14話王都にて
庭園の
泉の上に拵えられた四阿は、簡素でありながらも細部に渡り贅と粋の限りを尽くされて建築されており、屋形船に似た外観と、庭園を彩る庭木や花が、あたかも幻想郷に流れ着いた一艘の小舟といった体をなしている。
その幻想郷にふさわしい楽の音が囁く様に流れている。楽は一人の老人が紡ぎ出し、もう一人の老人は、それを味わう様に聴いていた。
老人の奏でる楽器は、歴史は古いがありふれた大衆楽器のギタールで、昨今の宮廷楽団では廃れてしまい、一人を除いては全く使われなくなっていた。しかし老人はそのギタールで時には軽快で、時には重厚に、コミカルなメロディを紡いだかと思うと荘厳なメロディを紡ぎ出し、リズミカルに、そしてメロディアスに歌い上げ、哭き、一音一音が人の心に訴えかけ、感動を呼び起こす。
「素晴らしい、その歳で新しい境地を切り拓くとは、流石は最年少で筆頭となった楽聖だな」
贅沢極まりないリサイタルを堪能した老人は、音の余韻が消えていくのを惜しむ様に口を開いた。彼の名前はアクセル・ローズ・アルステリア、この国の先代の国王である。
「この分だと、あの『鳴らずの神器』から、音を復活させるのも時間の問題かな? 」
「まぁ、それは楽しみですわ。どんな音色なのかしら? 」
アクセルが満足そうに微笑んで楽士の老人にそう問いかけると、ティーセットを載せたワゴンを押しながら四阿に入って来た少女が二人の話に参加する。彼女は単なるメイドでは無い、王位継承権十五位を持つ王女、キャンディス・クロックモア・アルステリアである。彼女はアクセルお気に入りの『お祖父ちゃんっ子』で、暇を見つけては彼付きのメイドの様な事をしていた。聡明なキャンディスはそうして早くから見聞を深め、幅広い人脈と知識、見識を持っていた。彼女はテキパキとお茶の仕度をすると、老楽士の前に芳醇な香りを立ち上らせる、温かい琥珀色の液体の入ったカップを差し出し、満面の笑みを浮かべた。
「きっと素晴らしい音色なんでしょうね、いつか聴かせて下さいませ、ポールお爺様」
老楽士の名前はポール・ドット・モーリア、アルステリア王国音楽史に残る立志伝中の人物で、所謂リビングレジェンドというヤツである。彼は今、生まれ故郷のモーリア辺境伯領に駐在監察官として出向中の身であり、今回の王都訪問はその中間報告及び、二期目の拝命の為だった。しかしこれは形式的なもので、本来の目的は二人が四十五年前から画策し、今となっては悪巧みと化したある計画の実行作戦を練る為だった。その計画とは、ポールの兄トミーが没した翌年から行われる民間行事についてである。黒死病と戦い没したトミーに感謝と哀悼の意を捧げ、同時に亡くなった犠牲者の霊を慰める慰霊祭、
何故にこの墓林祭でこの二人が悪巧みを企むのかというと、これも話は四十五年前に遡る。トミーの一年目の命日に、アクセルは大規模な慰霊祭を企画し、その席にトミーが生前自分の婚約者だと公言していたミゼット族の族長の娘、アナスタシアを第一位の貴賓として招いたのだが、彼女は
「醜い私がそんな席に招かれるのは憚られます、婚約者というのも正式なものではなく、トミー様のお情けにすぎません。どうか私の事はお忘れ下さいます様に」
と、出席を固辞して、そのまま修道院に出家してしまった。その日から「未来有るうら若き娘が、世を儚んで過去に生きるのは良い事では無い」と、アクセルとポールが手を変え品を変えアナスタシアの出席を促していた。
そのやり取りが始まった当初は、時候の挨拶から始まる真っ当な文章での誘いだったが、頑なに辞退し続けるアナスタシアに二人は「このまま続けてもラチが開かない」と、強制召喚を匂わせる文章を送ると、アナスタシアはそれを見事な頓智で切り返し、二人をやり込めてしまった。これ以来、二人はもうアナスタシアの好きにさせようと、彼女を招待する事をほぼ諦めたのだが、感謝の気持ちを忘れていない事を示す為、毎年頓智合戦さながらの文のやり取りをしていたのだ。今年もその季節が近づき、本当に来てくれたら嬉しいなという気持ちを込めて、どんな風に誘おうかとポールは王都に赴き、アクセルのもとを尋ねたのだ。
「さて、今年は何と言って誘おうか……」
「宇宙人襲来の危機が天文所から報告されたから、王都に避難する様にというのはどうかな? 」
「それは一昨年やっただろう、アクセル」
「そうだったっけ、流石に三十年以上やってたらネタも尽きてきたのう、ポール、お主も考えい」
「儂もネタ切れじゃ、そろそろお手上げかのう……」
ため息をつく二人の話を耳にしながらキャンディスはお茶を替えると、呆れ顔でわざと聞こえる様に呟きながら自分のお茶と菓子を用意する。
「全く、王侯貴族とは本当に度し難い存在ですわね」
二人の耳目を集めた事を自覚したカップから立ち上る芳香を楽しみながら、キャンディスは自らの立場を否定する様な際どいセリフをしれっと口にする。
「世に進歩的と言われたお二人がこれでは、アルステリア王国の行く末も知れていますわね。私、今のうちにどこか亡命先を確保しておこうかしら」
剣呑なセリフを吐いたキャンディスは、カップを口つけてしばし目を閉じ、口中に広がる味わいを楽しんだ。そして消えていったその味わいを惜しむ様に、ほうっと息を吐き出して瞼を開いたキャンディスの視線の先には、驚き呆れた目を向ける二人の爺さんがいた。
良し、どうやら掴みはオーケーの様ね
してやったりの心を、おすまし顔の仮面に隠し、キャンディスは仕上げを御覧じる。
「どうして呼びつける事しか考えられないのかしら? あちらから来なければ、こちらから行けば良いんですわ」
そうか、その手が有った
思わず膝を叩く爺さん二人の前には、満面の笑みを浮かべて茶菓子のケーキを頬張るキャンディスの姿が有った。彼女の笑みの原因は、爺さん二人をやり込めた事か、それとも茶菓子のケーキの味なのか、二人にはとても判別が出来なかった。
アナスタシア様はとても奥ゆかしく、芯の強いお方のようですね、きっとトミー様はそこに惹かれたのでしょう。そんな方をただ呼びつけても、お出でにならないのは当然の事です。きっと彼女はお二人の厚情に感謝しながらも、お立場を慮って固辞しているのです。黒死病克服の功績はトミー様によるもの、ただ身の回りのお世話をさせていただいただけの私が、代わりにそれを受ける事は筋が違う、そうお考えなのでしょう。それに種族間融和政策を推し進めているとはいえ、有力貴族を中心とする反対勢力が有るのも事実です。アナスタシア様が招聘を受け、王都に赴き王家主催の墓林祭に出席する事は、反対勢力に言質を与える事にもなりかねず、融和政策が停滞する事が懸念されます……
キャンディスがこれまでアナスタシアが招聘を固辞してきた理由を考察し、説明する途中でアクセルとポールが目を剥いて口を挟む。
「そんな不届き者、この儂が成敗してくれる! ギッタンバッタンのケチョンケチョンじゃ! のうポール」
「おうともさ! やらいでか! アクセル」
いきり立って気炎をあげる二人の老人をジト目で睨み、キャンディスは話を続ける。
「そう、まさにそれですわ。そうやって争う事で、全ての者の心が醜く歪んでしまわれるのを、アナスタシア様は危惧されているのです。なんと奥ゆかしい方なのでしょう、流石は私の憧れる女性の鑑ですわ。それに比べて何処かのジジイ二人は本当にもう、爪の垢を煎じて飲むだけでは足りませんね、お二人共去勢して修道院に入り、アナスタシア様に弟子入りしては如何です」
いつの間にか背後に立ち、腰に手を当ててキッと睨みお小言として締めくくったキャンディスにタジタジとなり、首をすくめたポールとアクセルが囁き合う。
「お前さんの孫、本当に十歳なのか? 会う度に聡明さと辛辣さが増していくのう」
「バカもん、辛辣さは余計じゃ! とはいえ、大人の腹の探り合いを見せ過ぎたかのう」
「何か言いまして!? 」
キャンディスのキツい詰問に、アクセルとポールはブンブンと首を左右に振ってとぼけてみせる。小さくため息をついてキャンディスは、空になった二人のティーカップを片付けながら、墓林祭の作戦を開陳していく。
「アクセルお爺様は王位を退きもう五年が経ちます、完全にとは言えませんが内外的に国政への、特に外交面での影響力は薄れた、そう判断されていると見て良いでしょう」
キャンディスの情勢分析に納得した二人は、大いに首を縦に振り同意を示した。
「従って、今までモーリア領に行く事で懸念された、隣国への軍事的圧迫というおバカな言い掛かりも少ないかと存じます」
モーリア辺境伯軍は『王国親衛隊』を自認して喧伝しており、有事の際の防衛や救助以外は、王命無くば行動しないと宣言していた。アルステリア王国最強かつ、大陸でも有数と言われる精強さを誇る常備軍、モーリア辺境伯軍が隣接するアマデウス帝国を無用に刺激しない様に、二代目以降のモーリア辺境伯が内外に向けて発表していた所信表明であり、現モーリア辺境伯カーレイもそれを踏襲していた。だが、これを逆手に取った政敵が、国王がモーリア辺境伯領を訪れると、アマデウス帝国に国王親征の危惧を抱かせ、我がアルステリアと要らぬ緊張を産む懸念がある、国王によるモーリア辺境伯領行幸などもってのほか、と論陣を展開して嫌がらせをしていた。退位して五年が経ち、政治、経済、軍事の全ての権限を移譲し、引継ぎをつつがなく終え、一線を退き趣味人として悠々自適な生活を送るアクセルは、これから経験を積まなくてはならない王子達に比べ、その危惧が減じつつあった。
だから今こそモーリア辺境伯領を訪れて、トミー様の墓前で直接感謝の意を伝えるチャンスである、そしてトミー様の墓はアナスタシア様の寺院に有る、個人としてそこを訪れる旨を伝えればアナスタシア様とて無碍に断る事は出来ないでしょう、その時に彼女にお二人が感謝のお気持ちを伝えれば良いのです。
キャンディスの披露した見事な作戦に、アクセルとポールの両名はその見識と成長に驚き、最早降参して頷く以外の選択肢は存在しなかった。二人の降参を確認したキャンディスは、作戦の最終フェイズへと移行する。
「勿論その時は私も連れて行って下さいね! アナスタシア様と、トミー様タバサ様の墓前で、これから医療魔導師として生きる私の、決意と誓いを立てておきたいんです! 決して退屈な王宮暮らしの気分転換のワガママでは有りませんのよ」
本音はそこかい!
剥いた目がそう語る二人の老人に背中を向け、キャンディスはペロッと舌を出した。そして誤魔化し笑いを浮かべて振り返ると、追い討ち代わりに当たれば儲けものともう一つ希望を捩じ込んだ。
「ついでに私の誕生日もそこでやっちゃいましょう。その席ではポールお爺様、是非鳴らずの神器の演奏を御披露して下さいね! 」
我ながらナイスアイデアですわ、これならお二人の存念を叶える事もできますし、アナスタシア様も好意を無にしてきた負い目を感じる事も無くなります。私も念願の遠出をする事が、ふっふっふ。モーリア辺境伯領の方々も、ポールお爺様の鳴らずの神器の演奏を耳にしてうっとり、どんなに素晴らしい音色なのかしら? 楽しみですわ……
自画自賛してはしゃぐキャンディスに、ポールは一瞬済まなそうに顔を曇らせる。
「済まんがキャンディス、儂にはそれは荷が勝ち過ぎている」
「どうしてですの? あんなに素晴らしい演奏をするポールお爺様に、そんな事ございませんわ」
「おう、そうじゃとも。あの演奏の冴え、お主に出来なければ、この先千年は音の復活は有り得んじゃろう、謙遜も過ぎれば嫌味じゃぞ」
驚いて自分の顔をのぞき込む二人に、ポールは首を振る。
「謙遜などでは無い、本当に無理なんじゃ。ついてはアクセル、遅ればせながらお主に詫びねばならん事がある」
「何じゃ? その詫びねばならん事というのは」
「実はな、あの『鳴らずの神器』なんだが……、済まん、人に譲ってしまったんじゃ」
「なんじゃとぉ〜!!」
衝撃の告白に、アクセルは眦吊り上げて激昂する。
「誰じゃ! 誰にくれてやった!? あれはおいそれと他人に譲っていいもんじゃないんだぞ! 儂が親父の目を盗んで宝物庫に忍び込み、お前の門出を祝うために盗ってきた苦労を何とする! 衛兵に追いかけられて、命からがら逃げ回った儂の苦労を! それなのにポール! 貴様という奴はよくも猫の子をくれてやる様にぬけぬけと! 」
「ちょっと待て、くっ、苦しい……、落ち着いて儂の話を聞け! 悪い話ではないんじゃ……」
真っ赤になって襟首を締め上げるアクセルを、ポールは必死になだめて聞く耳を持たせる。
「悪い話ではないじゃと!? ふん、貴様がそう言うなら、話だけは聞いてやろう。話してみろ」
「実はな……」
不機嫌MAXな表情のアクセルに、ポールはクリスロードとの出会いの経緯を詳しく説明する。
「何と!? クレイダーの孫が、それ程のものか……」
「うむ、儂などクリスの足元にも及ばん。儂の新境地なぞ、クリスに拓いて貰った様なもんじゃ」
「ううむ……」
そう言い切ったポールに、アクセルはただ唸るだけだった、だが好奇心に瞳を輝かせるキャンディスは、さらなる質問を投げかけた。
「で、ポールお爺様、鳴らずの神器の音色は、一体……」
その質問に、ポールは何かを思い浮かべる様に目を閉じて、抱えたギタールを爪弾き出す。そろそろ夕刻に差し掛かり、日が傾いて当たりが暗くなり始め、夜光虫の光がうっすらと輝く中でのその音色は、最早幻想的という言葉では言い表せない程の、素晴らしい音色であった。
「クリスの演奏に合せて踊るタバサちゃんの舞い、それに比べれば儂の演奏もこの風景も、みんな色褪せてしまうじゃろうな……」
その言葉に息を飲んだキャンディスの心に、クリスロードとタバサの名前が深く刻み込まれた瞬間であった。
「……クリスロード様、……タバサ様」
キャンディスはポールの奏でる心地よい音楽に身を委ね、まだ見ぬ二人に思いを馳せるのであった。
同時刻、モーリア辺境伯領パウエル城と凱旋門を繋ぐ、大手通り中央部に位置する大きな交差点に面した噴水広場には、山のような人だかりが出来ていた。彼らは皆、うっとりとした表情を浮かべ、噴水の前にいる二人の子供を見つめていた。この二人の子供はモーリア辺境伯領では知らぬ者のいない有名人である。一人は名前をクリスロード・モーリアという。彼は夕刻迫るこの時刻、決まって魔力制御の練習の為にここを訪れていた。練習内容は、淡い光を放つ魔法のオーブを宙に浮かべながら、音色を乱さずにギタール『レイラ』を弾く事である。少しでも制御や心を乱すと、かつて『鳴らずの神器』と呼ばれたレイラは、容赦なく音を歪ませる、そうならない様に注意して演奏をするのだ。そして緊張感を保つ為クリスロードは城を出て、人目の多いここで練習に励んでいるのだった。
もう一人の子供の名前はタバサ・スチーブンスという。合同出産で一緒に生まれた幼馴染の二人は、いつも一緒の仲良しで、当然の如く一緒にここにやって来て同じ時間を過ごしていた。始めはクリスロードの側で練習を眺めているだけの彼女だったが、いつしか彼の演奏に合せて踊る様になっていた。鳴らずの神器の音色にも負けない見事な舞いにクリスロードは気を引き締める、相乗効果で彼の魔力制御技術は長足の進歩を遂げていった。そして同時に二人の評判が街中に広まり、仕事帰りの憩いの場として定着していった。この人だかりも、二人の評判を聞いて一目見ようとやって来た人達だった、カップル比率が高いのは、二人の演奏と舞いには縁結び効果があると、いつからか噂に尾鰭がついた結果である。
参ったな、本当に……
そう思って心の中で苦笑したクリスロードは、たった今自分の運命の歯車が廻った事を知る由も無かった。
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