第13話学園生活

「おはよう! ビッグジョン、リトルジョン!! 」


 朝の通学路を登校中の双子の兄弟、ビッグジョンとリトルジョンの首と腰に、後ろから勢いよく腕が絡められる。二人の後ろ姿を見るや、全速力で走って来たと思われる声の主の両足が宙を蹴り、腕を絡められた二人の視界に入って来る。


「お、おっす、クリス……」

「やぁ、おはよう、クリス君」


 二人は自分たちを航空母艦の着艦ワイヤー代わりにした張本人、クリスロードに顔を向け、小柄で気の早いビッグジョンは早口にやや噛みながら、巨漢でおっとりとしたリトルジョンはゆっくりと間延びしている、それぞれの性格を表す口調で朝の挨拶を返す。ただし、ビッグジョンが挨拶を噛んだのは、早口が高じただけではなく、もう一つの理由が有った。


「あれ、どうしたの? ビッグジョン、顔が赤いよ? 」


 七歳の七五三での出来事を機に、クリスと件の五人組は仲の良いグループを形成していた。とはいえ派閥とかそういう排他的な性質の集まりではなく、クリスを中心に集まったクラスの中核グループという性格のものである。彼等は自らの好奇心の趣くままに行動するクリスロードに巻き込まれたり、はたまた自分から首を突っ込んだりと、楽しく結束を深める毎日を送ってきた。………のではあるが、出会ってからこの二人と五人の間に、ある種の認識の齟齬が有り、その解決に些か難渋していた。その齟齬というのは、クリスロードの性別である。五人組は彼の容姿、類い稀な美幼女っぷりから当然の如く女の子と認識しており、本人がいくら男の子だと主張しても全く信じようとはしなかった。ある日、遊びの最中に催した五人組がこっそり連れションをしているのを発見したクリスロードが


「僕も入れて」


 と、その列に加わり、力業で納得させるという経緯が有った。しかし出会った瞬間、初恋に落ちたビッグジョンにとって、それは頭で理解出来ても感情の奥深い場所で納得のいかない事象であり、つまりどういう事かというと、彼にとってクリスロードとは未だに麗しのマドンナなのだ。その麗しの君がフェイストゥフェイスの位置にいる、胸の鼓動はバックンバックン高鳴って、顔が赤くなるのも仕方ない事である。


「なっ、何でもないよ……」

「熱とかない? 無理しちゃダメだよ」


 顔を背け、距離を取ろうとするビッグジョンに、クリスロードはお構い無しに顔を近づけ、おでこを合わせて熱を計ろうとする。


「いいったら!」

「ダメだよ」


 押し問答をする二人を眺めていたリトルジョンが、ああそうかと得心した表情で口を開いた。


「ああそうか、兄ちゃん照れてるな」

「照れてる? どうして? 」


 不思議そうに見上げるクリスロードに答えるという形で、リトルジョンの口舌の槍は、ゆっくりと兄ビッグジョンの心を突き殺す。


「だって兄ちゃんの初恋の相手「わーっ! バカ! 黙ってろ!! 」はクリス君だもん、そんなにくっつかれちゃ……あ痛っ、兄ちゃん尻を蹴るなよ、痛いだろう、痛くないけど」


 秘密の暴露の阻止に失敗したビッグジョンは、リトルジョンの尻を思い切り蹴り上げると、大粒の涙を流しながら、一目散に学校へと向かってダッシュして消えていった。


「リトルジョンもクリスロードもみんな嫌いだァァァ〜! バカヤロー! 」


 土煙を上げ遠ざかるビッグジョンの背中を見ながら、「参ったなぁ、もう……」と照れ笑いを浮かべたクリスロードは、背後に異様な雰囲気の視線を感じ振り返る。


「いっ!? 」


 振り返ったクリスロードの眼前には、リトルジョンの巨顔がどアップで存在した。


「オイラ、兄ちゃんみたいにせっかちじゃないから、クリス君のおっぱいが膨らむまで待つつもりなんだ。膨らんだら教えてね」

「いや、ほら僕男だし、膨らまないから」


 異様な迫力のリトルジョンに、クリスロードは思わずタジっと後ずさる。


「いやぁ、クリス君の魔法の力なら、もしかすると……」

「ひぃいいっ……あ、あれ……? 」


 腰を抜かすクリスロードを、ずいっと迫るリトルジョンの影が覆い隠した刹那、その巨体が一瞬にして視界から掻き消された。安堵のため息をつくクリスロードと、自分の身に何が起こったのか理解が追いつかないリトルジョン。


「あれ? クリス君いなくなったな。なんでオイラ空飛んでるんだ? 」


 魔法を用いず物理法則も無視して、いかなる手段か自身の意にもそまず、巨体を空に浮かべ学校へと空を飛んで消えていくリトルジョンだった。


「全く、人の婚約者になんて事言うのかしら」

「若ちゃま、大丈夫ですにゃ? 」


 消えたリトルジョンの代わりに、二人の少女の姿がクリスロードの視界に入ってきた。一人はお馴染みの猫耳少女、錆柄の髪とオッドアイ、二本尻尾が特徴のタバサである。もう一人、その隣で拳を突き上げ、残心を決めているのはドワーフの少女、カエデ・ゴーリキィである。彼女の強烈なパンチが、リトルジョンを学校へと飛ばしたのだ。


 カエデはその名字が示す通り、メイド長アヤメの娘である。彼女は学校に上がる時、タバサとは他にクリスロードにつけられた護衛であり、学友であった。初顔合わせの時、母親アヤメと見間違える程に瓜二つのカエデに対し、思わず「母娘!? 双子の間違いじゃないの? 」と心の中で突っ込んでしまったクリスロードである。魔法力は人並みだが膂力はドワーフの常識を超えるパワーを持っている彼女が、通学路にてクリスロードにピントのズレたアプローチをかけるリトルジョンを、学校へと殴り飛ばすのは、入学してからの日課となっていた。

 ちなみにこの三人は入学時、学園創立以来の美少女トリオとして注目を集め、上下三学年の男子生徒の初恋の相手として、彼等の思い出になっている。特にクリスロードは男である事を彼等が納得して以来、トラウマ黒歴史として悶絶物の記憶になっていた。しかし彼等が成人して結婚をした相手は、ほぼ全てボクっ娘であったという。


 それはさておき


 三人は連れ立って登校し、やがて校門に着いた。そこには日本の小学校よろしく先生が立って生徒達に朝の挨拶をしていた。


「先生、おはようございます」

「おはようございますにゃ、先生」


 クリスロードとタバサが挨拶をすると、先生は満面の笑みで挨拶を返す。


「あんれまぁ、ふったりども~、今日も元気だなやぁ~。おっはようさん」


 先生は元クリスロードの魔法の家庭教師、ベッシー・サラ・ボーンである、彼女はクリスロードが初等学校に入学すると同時に、目指せ第三夫人計画の一環として教師資格を取り、ちゃっかり先生の座を射止め、赴任していたのだった。


「あら、先生、おはようございます。今朝も無駄に元気ですのね」


 カエデが冷ややかな視線でベッシーを一瞥する。


「あら、おはようカエデさん、今日も二人の護衛ご苦労様」


 底冷えのする眼差しをカエデに向け、トーンを抑えた共通語に近い発音でアヤメの労をねぎらうベッシー。だがその態度と口調は友好的なものとは程遠く、二人の間に火花が飛ぶ様な視殺戦が行われていた。


「二人とも何やってるの? カエデ、早く教室に行こう」

「はい、クリス様、ただいま参ります」


 クリスロードがカエデにそう声をかけると、二人の明暗がくっきりとわかれた。声をかけられたカエデは勝ち誇った笑みをベッシーに向けると、邪気の無い輝く笑顔で駆け足しながらクリスロードの後を追って教室へと向かった。一方ベッシーの方はというと、蒼白な表情でガックリと膝を着いて崩れ落ちる。周囲の生徒達には、ベッシーから『ガーン』という音が聞こえた様な気がしていた。


「ベッシーも後でね! 今日の魔法の授業、楽しみにしてるから~」

「まんず、任せてけろ~! 」


 クリスロードが膝を着くベッシーにそう言うと、彼女は心のエネルギー充填1000パーセントで復活した。この光景を目にした周囲の生徒達は、今度はベッシーから『シャキーン』という音を幻聴していた。

 カエデとベッシーは目下、クリスロードの第三夫人の座をかけて暗闘の真っ最中であった、知らぬはクリスロードただ一人である。

 これがクリスロード入学以来続く、モーリア辺境伯領パウエル城学区の毎朝の光景だった。


 だいたいこんな毎日でクリスロード達は楽しい初等学校生活を送っていたのだが、今日は彼等にとって今後の人生を大きく左右する、エポックメイキングなイベントが待っていた。それは初等教育後半のクラス分けの為のイベント、魔法力測定だった。終業式が終わり成績通知表が渡された後、クリスロード達初等教育前半終了者は講堂に集められ、魔法力の測定が行われる。


「えー、諸君。君たちは今後進むカリキュラムを決めるため、これから魔法力の測定を行います」


 壇上に立つメリッサ筆頭魔導官がそこまで言うと、生徒達はわっと歓声を上げた。


「はい、静粛に、はしゃぐでない。まず始めに注意しておく。これは決して人間としての価値を測定するものではない。もし魔法力が少なくとも悲観してはならないし、馬鹿にしてはいけない。そういう個性に生まれたという事じゃ。勘違いしちゃならんぞえ。では始めるぞ、順番に水晶球に手を触れていくんじゃ、終わった者は教室に戻る様に。ああ、そうそう、クリスロード・モーリア」

「はい、何でしょう? 」


 進行の注意事項を生徒達に話すメリッサ筆頭魔導官が、思い出した様にクリスロードを呼びだした、返事をして進み出る。


「クリス、悪いがお主は一番最後に並んでくれ」

「はい、いいですよ」

「すまんの」

「若ちゃま、アタイも一緒に並ぶにゃ」

「うん、行こう、タバサ」

「では始めるぞえ、」


 最後尾に向かって駆け出した二人の背中を微笑んで見送ったメリッサが開始の合図をすると、ベッシー達魔法教官の誘導で生徒達の魔法力測定が実施された。メリッサが開始前に注意した事ではあるが、やはりそこは子供である。魔法力の寡多で落胆する子供もいれば喜ぶ子供もいる。


「やった! 魔法鍛冶師マジックスミスになれるかも!! 」

「オイラは並だったよ、兄ちゃん良かったなぁ」


 鍛冶師志望のビッグジョンが、意外に大きな魔法力を持っている事が分かり、素直に喜んでいた。


「クリス様、私もドワーフにしては有る方でした。なんとか同じクラスに進めそうです」


 一足先に測定を終えたカエデが、安堵の胸を撫で下ろしクリスロードに報告する。


「やったぁ、進級してもよろしくね、カエデ」

「よろしくにゃ、カエデ」

「はい、クリス様、タバサ様」

「次、タバサ。タバサ・スチーブンス」


 ハイタッチを交わす三人の耳に、次の測定者の名前が呼ばれた、どうやら測定も最後に来たらしい。


「行ってくるにゃ、若ちゃま」


 名前を呼ばれたタバサが、クリスロードに手を振ってからメリッサの前に進み出る。


「来たな、タバサ。では水晶球に手を添えて、魔法を使う様に魔力を流し込むんじゃ」

「はいですにゃ」


 タバサはオッドアイを光らせて水晶球を見上げる、水晶球は万が一の事も考えて、大人の高位魔道士が使っても大丈夫な大容量の物を使用している。名目は生徒の中に跳ねっ返りが現れたら、上には上がいると凹ませる為なのだが、中には困った事に教師の魔力自慢に使われる事もしばしある。タバサは巨大な水晶球を見上げ、そのキャパシティを測ると、そっと手を添えて魔力を流し込む。


「ほう、流石は二本尻尾という事か、計測限界までとは……、ワシもこれ程までとは思わなんだ」


 七色に輝く水晶球を見上げ、メリッサは感嘆の声をあげた。


「うむ、見事じゃな、タバサ。もう良いぞ」

「はいですにゃ」


 水晶球から手を離し、にっこり笑いながら一礼して出ていくタバサの背中を、メリッサは感慨深い眼差しで見つめていた。気鬱の病を発症した時はどうなる事かと心配したが、この分じゃともう大丈夫じゃろう、よくぞ克服したもんじゃ……


「次、最後、クリスロード・モーリア」

「はい、只今入ります」


 名前を呼ばれ、入室するクリスロードに、すれ違いざまにタバサが耳元で囁く。


「若ちゃま、若ちゃまは触れるだけでいいにゃ」

「えっ? 」

「いいにゃ、魔力なんか流しちゃ、絶対ダメにゃ」

「……うん……、分かった……」


 なんで魔力測定検査なのに、魔力を流しちゃダメなんだろう? そう思いつつクリスロードは扉を開け、検査室に入って行った。


「よう来たな、クリス。では始めるぞえ」

「はい、メリッサ先生」


 クリスロードは頭を切り替え、水晶球の前に立った。一点の曇りの無い水晶球に、クリスロードは一瞬目を奪われる。


「クリスや、気負う事は無いぞ、いつもの通りリラックスして魔力を流せば良い」

「はい、分かりました」


 クリスロードは何気ない気持ちで水晶球に触れ、タバサの忠告を忘れ魔力を流そうとしたその瞬間


 ドカァァァァァァァァン


 目も眩む閃光と耳をつんざく轟音が鳴り響き、水晶球は木っ端微塵に砕け散り大爆発を起こした。その被害は検査室の扉や壁だけにとどまらず、講堂の屋根まで吹き飛ばす。クリスロードの膨大な魔力量を受け止めきれず、水晶球は原型を残さず砕け散り飛散、破片も砂の様な細かい粒子となっていた。

 よろよろと検査室だった場所から、ズタボロになって出てきたクリスロードに、タバサは驚愕の中に少々呆れのエッセンスを含めた顔と口調でたしなめる。


「……だから言ったんにゃ、魔力流しちゃダメにゃって」

「うん、僕も触れただけで、流したつもりはないんだけど……」


 爆発の煙が晴れると、二人の目の前には障壁魔法を展開し、かろうじて体裁を整えているメリッサが茫然と佇んでいた。


「クリスロード・モーリア」


 我に返ったメリッサが、無表情でクリスロードの名を呼ぶ。


「……は、はい」


 怒られる覚悟で目をつぶり、首をすくめるクリスロードをメリッサは茫洋とした瞳で見下ろす。


「クリスロード・モーリア、計測不能……。戻って良し」

「……は、はい」


 逃げる様に教育に戻るクリスロードの背中を、メリッサは複雑な心境で見送った。


「この年でこの魔法力とは……、さてさて、どうしたものか……」


 メリッサは今後のクリスロードの教育に頭を悩ませる。強力な爆裂魔法とゴーレム魔法に別系統の魔法の並列起動、そして底無しの魔法力……

 この学校にはクリスロードに合った魔法技術を教えられる教師は一人もいなかった。

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