第9話すげぇ! でけぇ! かっけー!!

 早く!早く!!

 急げ!急げ!! 


 逸る心の赴くままに、一人の猫耳幼女が駆けている場所は、最早勝手知ったるモーリア辺境伯居城、パウエル城である。


「おはようございますですにゃ! 」


 すれ違う人々に元気良く挨拶をしながら、城内の廊下を全速力で駆け抜ける猫耳幼女を、皆は微笑みながら見送っている。


「おお、おはようタバサちゃん、あまり急ぐと危ないよ」

「大丈夫だにゃ! 」

「気をつけてな~」

「はいですにゃ~」


 老境に差し掛かった一人のヒト族の紳士が、急ぎ駆け抜けるタバサを微笑みながら見送ると、上着の内ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。


「ふむ、あの子は今日も時間通りじゃ。という事は、そろそろ秘書官が閣議の資料を持って来る頃じゃな、儂も急がねば」


 懐中時計を懐にしまうと、モーリア辺境伯領内務執政官グレン・ミラー子爵は足早に執務室に向かうのだった。


 気鬱の病がクリスロードの手によって快癒して以来、元の無邪気な明るい子供に戻ったタバサは、臥せっていたそれまでの時間を取り戻すかの様に活発に活動を始めた。家の中では積極的にお手伝いに励み、両親に甘え、外では新しく出来た友達に囲まれて、充実した楽しい日々を送っていた。

 そんなタバサの朝の日課は、朝食の後片付けのお手伝いの後で、お城の中庭で大好きな元おじちゃんの、クリスロードと一緒に遊ぶ事である。毎朝決まった時間に訪問する猫耳幼女を見て、時間を確認する閣僚や役人は大勢いる、グレン・ミラー子爵もその一人だった。因みに何故城内に侵入したタバサを誰も咎めないのか? この城の警備は大丈夫なのか? とお思いの方々の為に説明すると、モーリア辺境伯領においては、限られたプライベート空間以外のモーリア辺境伯私有地は、領民に公共施設として一般開放されており、領民ならば誰もが特別な許可が無くとも足を踏み入れて良い事になっている。特に居城は一度有事が発生すると、付近の領民の避難所として機能させる為、子供達の遊び場として開放しているのだ。

 子供達は城で自由に遊び、探検する事で自然に避難経路を身に付ける事となる。そしてこれはモーリア辺境伯領の強さの源となっていた、城に勤める者は子供達の姿を前に「この子らに恥じぬ大人にならねば」と自らの襟を正して職務に励み、子供達もその姿を手本に成長していく。さらに余談ではあるが、城勤めの者はその役職に関わらず、城内に遊びに来た子供達の保護監督義務があり、必ず何らかの形で子供達と触れ合う事となる。こうして子供達が城の大人達と触れ合ううちに、大好きなおじちゃん、おばちゃんができ、成長に伴いそれが自然に師弟関係に発展する事が往々にしてあった。それは人材育成や技術の伝承にとどまらず、領地内の人々全ての団結力に繋がっていった。まさに人は石垣人は城である。

 故に政治経済軍事のいずれも精強なモーリア辺境伯領は、ここアルステリア王国において国の要石としての重責を担っている、家祖が王子だったからではないのだ。


「あの角を曲がると近道にゃ! 」


 そう思って廊下の角を曲がったタバサは、重量感の有る肉の壁に思い切り衝突して弾き飛ばされた。


「ふぎゃ! 」

「大丈夫かい、タバサちゃん。廊下を走ると危ないよ」


 肉の壁が優しく声をかけながら、転がるタバサを助け起こした。


「にゃうー、大丈夫ですにゃ若様。ごめんなさいですにゃ」


 鼻を押さえながら上体を起こしたタバサが見上げると、そこにはモーリア辺境伯家第一公子、長男ウィリバルトの姿があった。そして膝を着き、自分を助け起こして埃を払う彼の背後に、美しく着飾った見慣れない女が、蔑みの表情を隠さず、まるで汚い物を見る様な目で自分を見下ろす姿を認めた。


「賎しい獣人ふぜいが、ウィリバルト様に何て無礼な! 」


 その言葉にタバサはオッドアイを凝らすと、彼女から湧き上がる負のオーラが見えた。

 女の名前は、バーバラー・フォン・ストライザンド、御年十八歳、王都の法衣軍務貴族、名門ストライザンド家の長女である。彼女は尚もタバサに罵りの言葉を浴びせる。


「我が屋敷であれば、即座に手打ちですわよ! 汚らしいその手を、早くウィリバルト様からお離しなさい! 」

「まぁそう仰らずに、お気をお鎮め下さい、フロイライン・ストライザンド。我が領には我が領のやり方があるのです。それに、この子は私の妹に等しい子なんです……」


 タバサの頭を撫でながら、いきり立つストライザンド嬢をウィリバルトが宥める。すると、ストライザンド嬢は大袈裟で芝居がかった仕草でウィリバルトの言葉に感動して見せる。


「ああ、流石は仁愛の君として噂に名高いウィリバルト様、このような賎しい獣人に何という慈悲深さでしょう。このバーバラー・フォン・ストライザンド、感服致しました……」


 このやり取りを眺め上げながら、タバサが更にオッドアイを凝らしてバーバラーのオーラを分析する。


 あーっ、このお姉ちゃん、若様スキスキオーラが沢山出てるにゃあ。きっと若様にナデナデして貰いたいんだにゃ、みんなおんなじだにゃ。でもこのままじゃダメだにゃ、今の一言で若様ドン引きだにゃ。でも……


 タバサは思案をして、結局バーバラー嬢に一つ有益なアドバイスをする事にした。自分を口汚く罵った彼女であるが、それは彼女自身の資質の問題というよりは、今までの周りの教育環境に問題があったと彼女のオーラが教えたからだ。むしろ彼女自身のオーラは疑う事を知らない、素直で純心な人間性を示している事をタバサは見て取った。バーバラー嬢が獣人差別をするのは、周りの教育のせいであり、それを彼女は疑いもせずに素直に受け止めただけなのである。ならば教育は可能だ、タバサはそう判断した。


「お姉ちゃん、若様スキスキなら、今のはダメダメだにゃ」

「何ですって!? 獣人ふぜいがわたくしに向って『お姉ちゃん』ですって! いくらウィリバルト様の覚えがめでたいからといっても、増上するにも程が……」

「お姉ちゃん、今はダメダメだけど、お姉ちゃんが持っている綺麗なオーラに免じて教えてあげるにゃ。これも何かの縁にゃ」


 タバサはいきり立つストライザンド嬢を無視し、特徴的なオッドアイをクリッと輝かせて話し始める。そのタバサの態度にバーバラーの不快感と屈辱感が沸点に達し、怒りのマグマが噴火寸前となった……


 さて王都の法衣軍務貴族の娘である彼女、バーバラー・フォン・ストライザンドが何故朝からモーリア辺境伯の居城に居るのかと言うと、その理由はモーリア辺境伯家長男ウィリバルトにあった。実は彼は昨年王都で行われた剣術の御前試合において、初出場準優勝の快挙を挙げていた。その事がきっかけとなり、現在王国の社交界は激震に揺れまくっている。

 御前試合の決勝戦は苛烈を極め、若い力と円熟の技がぶつかり合い、両者気力を振り絞り秘術の限りを尽くす、見る者全てが手に汗握る名勝負となった。優勝者は王室剣術指南役のミハエル・フォン・シェンクであり、制限時間ギリギリまで戦った末の決着であった。勝者ミハエルをして「勝負は僅差であり、次もそれがしが勝てるとは言いきれない。モーリアの男子に凡愚無しの言葉に曇り無し、最後の咆号と斬撃の鋭さには心底怖気が震えた」と言わしめた。この事から『吼える巨人』という二つ名を戴いたウィリバルトには、未だ婚約者無しとの事実が発覚すると、王国全土の貴族社会は騒然となる。王室に匹敵する財産と王国最強の軍事力を持つ上に、ポチョムキン大森海を始めとする未開発の広大な領地を持つ、この先々まで発展性が見込めるモーリア辺境伯家。かの家とよしみを結びたいと考えない者などこの国にいるはずも無い、「我が娘を是非」という貴族豪族が大挙してモーリア辺境伯王都屋敷に押し寄せた。

 そんな騒ぎの中で王都滞在中に社交界デビューしたウィリバルトの人となり 気は優しくて力持ち が遍く社交界に知れ渡ると、状況は更にヒートアップしていく。身長百九十センチを超える万武不倒の『吼える巨人』、その素顔は心優しき純朴青年、貴族の娘達がたちまちウィリバルトに夢中になった。妙齢の娘が居ない貴族達もただ指をくわえてこの騒ぎを見ている訳が無い、権謀術数手練手管の貴族社会、チャンスが無ければ作れば良いと親類縁者の娘は当然の事、依子依孫の娘を養子にして彼の婚約者にと手を上げる。中には領地で急遽美人コンテストを開き、その優勝者を養子にしてまでこの優良物件を物にし、縁を結ぼうと画策した豪の者もいる。ウィリバルトの王都滞在が終わり領地に帰って行くと、彼女達は『モーリア辺境伯領駐在渉外官』という役職をでっち上げ、彼の婚約者の座を射止めようと後を追ってやって来たのだ。御前試合でのウィリバルトの雄姿に一目で虜となり、社交界で彼の人柄に触れてKOされたバーバラー嬢も無論その口であった。バーバラー嬢は念願の第一歩であるモーリア辺境伯領入りを昨日果たし、挨拶と歓迎を兼ねた朝食会に招待されて今此処に居る。


「お姉ちゃん、ここに来たからには、今まで王都で聞いた事は全部忘れるのがいいにゃ。そして、自分の心のおめめとお耳をキチンと開いて周りを見てみるにゃ。それで景色が変わったなら、いい事があるかも知れないにゃ」

「何を獣人ふぜいが生意気に!! 」


 獣人タバサふぜいが高貴なる者にアドバイスをした、その事実に激昂したバーバラーは、怒りに任せてタバサの頬にビンタを張ろうとしたが、それは叶わなかった。別にウィリバルトに止められたのでは無い、彼もそんな事をする必要は無かった、何故なら……


「きゃーっ、タバサちゃんのオーラ占いよー!!」


 バーバラーがタバサの頬を張る前に、タバサは黄色い歓声と共に現れた美少女軍団に囲まれ、もみくちゃにされてしまったからだ。


「タバサちゃん、タバサちゃんのオーラ占いのおかげで、私、持病のしゃくが治りましてよ、アリガトー」

「タバサちゃん、昨日家の領地から届いた名産品の甘いお菓子よ。後でお友達と召し上がれ」

「タバサちゃん、後でお姉さんのお家に遊びにいらっしゃい、一緒に楽しいゲームをしましょう。勿論お友達を連れていらしても構いませんのよ、沢山連れていらっしゃいね」


 美少女軍団のスタンピートに巻き込まれ、渡り廊下の脇の植え込みに弾き飛ばされたバーバラが顔を上げると、そこには異様な光景が展開されていた。ある者はタバサをハグして頬ずりをし、ある者は愛しそうに撫でまわし、ある者は山のような沢山のお菓子を持たせ、その中心でタバサはご満悦な表情でモフられている。タバサをモフっている美少女は、いずれもバーバラが王都の社交界で見知った顔である。


「何なのよ、これは一体……」

「な~に魂消てんだァ~、おさん。こっただ事ぁ、ここじゃああったりめぇの事だぁ」


 状況が飲み込めずに呆然と呟いたバーバラー嬢に、気さくに声をかけて説明役をかって出た者がいた。バーバラがその声の方向を見上げると、息を呑む程に美しい少女が微笑みながら手を差し伸べて立っていた。


 彼女もウィリバルト様の婚約者候補か!?


 現実離れをした美貌を持つ少女を前に、一瞬気後れしたバーバラだったが、少女のやや控えめな胸と訛りのきつい言葉遣いに勝機を見出し、なんとか自信を取り繕って彼女の手を取り立ち上がった。


「あの姫さん達は、みぃ〜んなタバサちゃんのオーラ占いん世話になったごたるよ、ほんで今じゃぁ毎朝あん調子ごたるね」

「あら、御説明感謝致しますわ、それに免じて一つご忠告。あなた訛りがキツすぎますわよ、そんな事でよろしいんですの? 」

「ほへ? 何かいけんちゃね? 」


 バーバラの高飛車な言葉を、美少女は不思議な物を見る目で聞き返す。


「いけないに決まっているでしょう! 仮にもウィリバルト様の婚約者にしていただこうというなら、そのくらい当然ですわ! どこの田舎者よ、本当に。お里が知れますわ、全く」


 宣戦布告の意を込めたつもりの嫌味の言葉を天然で返され、カチンときたバーバラが思わず声を荒らげると、美少女は可笑しそうに大声で笑い出した。


「ぎゃははははは」

「きぃーっ、何が可笑しいんですの!? 」


 更にいきり立つバーバラに向かい、美少女は涙を拭いながら自己紹介を始めた。


わだすはベッシー。マヌカの地、サラの森出身、族長ボーンの娘、ベッシー・サラ・ボーンて言うだ。見ての通りの森林エルフだがね。エルフが田舎者なんは、あったりめぇでねぇか」

「あら、エルフでしたの……、気が付きませんでしたわ…… 」


 ベッシーが笹の葉状に細長く尖った耳を強調して、初めてそれに気がついたバーバラは、毒気を抜かれた様にそう呟いた。ベッシーの顔の美しさに目を取られ、そこまで見る余裕など無かった事を口にしなかったのは、彼女の最後のプライドだった。そんなバーバラの意など介するつもりも無く、エルフ娘ベッシーは言葉を続ける。


「それにしてもおさん、折角タバサちゃんにオーラ占いして貰ったんに、活かさにゃ駄目だちかんぞな。初対面でオーラ占いして貰えるなんて、なまらラッキーぞな~、わだすは初めて見るタイね」

「ふんっ! 所詮は獣人の子供の戯言、誰が騙されるものですか! 」

「全く、頭の固い娘ごたるねぇ。駄目だちかん駄目だちかん」


 頑なに拒絶するバーバラーに、呆れ顔でため息をつきながら、ベッシーは最後のアドバイスを送る。


「お前さん、ウィリバルトさぁの婚約者になりに来ただやか?」

「当然ですわ! 」

「そったら、この領地の歴史を正しく勉強すっ事やね。ほいど、ウィリバルト様は初代様と大クリス様、せからトミー様を心ん底から尊敬しとるち、お三方の伝記も調べるち良いだよ」

「そんな事、既に王都で勉強済ですわ! 」


 何を当たり前な事をと、バーバラーは言い返すが、ベッシーは鼻で笑って取り合わない。


「ほいは、王都で執筆、編纂さいた、お貴族様向けの本じゃろう。ほんなん駄目だちかんぞな、今タバサちゃんに言われたけろ、ここで、ここの人ん書いた本さ読み。ほいどなぁ、搦手も教えちゃるき、よう聞きなせ」

「搦手……、何ですの? それは? 」


 搦手に食いついたバーバラーに、思わせぶりな笑みを浮かべ、ベッシーは言葉をを続ける。


「将を射んと欲すれば、お前さんなぁどがいすっと? 」

「馬鹿にしてますの!? わたくしストライザンド家の娘ですわよ! まず馬を射るに決まってますわ」

「だば、ウィリバルトさぁという将を射っことにゃあ、どげん馬を射るたいね? 」


 将を射んと欲すればまず馬を射よ、この故事を軍務貴族の娘たる自分に講釈するとは何と愚かな。そう呆れたバーバラだったが、続くベッシーの質問には回答に詰まった、とどのつまり彼女は、人から得た知識を自分の知恵であると勘違いをして振り回しているに過ぎないのだ。受けた教育や得た情報、知識は自分の目で見、耳で聞き、自分の物にてし生かす事が出来なければ全く意味をなさない、生兵法は大怪我の元なのだ。タバサのオーラ占いを「所詮は獣人の子供の戯言」と斬り捨てた口舌の刃は、まずもって自分自身に向けるべきである、ベッシーはこの事を指摘しているのだが、残念な事にバーバラにはまだまだそれが分かる程に経験を積んではいなかった。


「……そうねぇ、やっぱり御両親かしら……」


 あちゃぁ、やっぱ全然分かってないな、この娘。少し思案してそう答えたバーバラに、ベッシーは心の中でダメ出しをする。軍務貴族の娘のくせに、事前斥候の重要性を全く理解していない、頭では分かっているのだろうが、やはり所詮は生兵法なのだ。まぁ元々そこまで期待してないし、自分から乗りかかった舟である、タバサちゃんのオーラ占いに免じて、今少しモーリア辺境伯領での身の処し方を教育してやるか。そう考えて、ベッシーは口を開いた。


「あんれまぁ、そう来ただか」

「えっ! 違いますの!? 」


 更に深まるベッシーの意味深な笑顔に、不安になったバーバラが問い質す。すると、コロコロと鈴のように笑いながら、ベッシーは正解へと導いていく。


「ん~、何て言うだがなぁ……、御両親様も同じ馬に乗ってるみたいなモンだがね」

「同じ馬……」


 眉間に皺を寄せ、訝しげに呟くバーバラを見て、ベッシーは上手い例えを思いついた。


「ウィリバルト様も御両親様も、同じ馬車に乗ってると思えばいいとね。馬車を牽いた馬を射るにはどうすっぺか? 」

「う~ん、でしたら先ず御者を射ますかしら……」


 思い通りの誘導に成功したベッシーは、心の中で会心の笑みを浮かべた。軍務貴族の娘である事を鼻にかけるバーバラに対して、釣り野伏を成功させたのである。ちょっとした稚気を満足させたベッシーは、仕上げの包囲殲滅に取り掛かった。


「それが正解だがね。ほいで、この馬っちゅうのが、御三男様のクリス様じゃきね」

「まぁ、それなら納得出来ますわ。一番下の弟さんをたいそう可愛がられていると、王都でもお噂になっておいででしたし……、では御者って誰ですの? 」


 その問いに対して、ベッシーは言葉ではなく行動で答えた、美少女軍団の中心でモフモフされてご満悦の、猫耳美幼女に優しい笑顔で視線を向けたのである。その行動で答えを察したバーバラは愕然とした。


「……まさか、あの子がそうですの……」

「んだ、タバサちゃんが御者だがね。お二人の仲の良さといったらもう、大クリス様と聖タバサ様の生まれ変わりのごたるって、城中城下、領内じゃぁそん噂でもちきりだっぺ」


 そう答えたベッシーは、バーバラにクリスロードとタバサが合同出産で一緒に産まれた時、ベビーベッドでしっかり手を繋いでいたエピソードや、気鬱の病に沈むタバサをクリスロードが救った美談、そして今ではどこに行くのも何をするのも一緒である事を話して聞かせた。ベッシーの話しを聞いて、バーバラは不快な表情を浮かべて抗議する。


「クリスロード様と彼女の仲は理解しました、でも私が尊敬する聖タバサ様とあんな獣人の娘を一緒にするなんて、冒涜するにも程がありますわ! 」

「何で? 聖タバサ様もタバサちゃんも、同じ猫人族でねえか」

「嘘仰い! 私、王都で観たお芝居でも、読んだ伝記でもそんな事……」

「じゃき、そいは王都のお貴族様向けに編纂されたもんだがね、わだすの言う事を嘘じゃち決めつけんのは構わねぇけ、だどもここは聖タバサ様の生まれ故郷のモーリア辺境伯領だ、ぺっこ勉強したらすぐにわかるっぺよ」


 ベッシーの言葉通り、王都や他の貴族の領地、特に他種族差別の根深い地では、先代クリスロードの英雄譚において、先代タバサは種族をぼかして描かれる事が一般的でった。中には露骨に『ヒト族』として描き、高級貴族や差別主義者の歓心を買う作者すら存在する。そんな事は露ほども知らない箱入り娘のバーバラは、彼女の話しを聞くや事実を信じられずに「そんな馬鹿な」と唇を噛みわなわなと震えていた。

 そんなバーバラの姿に少しやり過ぎたかなと感じたベッシーは、気分を変える為に話題を変える事にした。


「まぁ、おさんもウィリバルト様の嫁っ子になりたいだば、せいぜいけっぱるこっただね。今のままじゃぁ、あん娘っ子達に敵わんたいね」

「そうね、一番の好敵手ライバルが言う事だから間違い無いんでしょうね。」


 バーバラの言葉に虚を突かれたベッシーは、「えっ!」と目を見開き言葉の主を見詰める。


「敵に塩を贈った事、必ず後悔させて差し上げますわ」


 ズビシィ! と自分に指を差して見栄と啖呵を切るバーバラに、思わずベッシーは大爆笑してしまう。お腹を抱えて笑い転げるベッシーに、怒りと戸惑いをないまぜにしてバーバラが叫ぶ。


「失礼な! 一体何がそんなに可笑しいんですの!? 」


 顔を真っ赤にして問いかけるバーバラに、別の意味で顔を赤くしてベッシーは謝罪の手刀を斬りながら爆笑した理由を説明する。


「わっ……、わだすは、ウィリバルト様じゃのうて、クリス様の第三夫人狙いじゃき……」

「へぇ、クリスロード様狙いでしたの」


 最大のライバルと目していた彼女の言葉に、バーバラーは内心安堵のため息をついた。そんなバーバラーにはお構い無しに、ベッシーはクリスロードについて熱く語り始める。


わだすはクリス様の魔法の家庭教師さ雇われて森から出てきたんだがね、初めてお会いした時はぶったまげたなぁ、あっただ魔力と素質はエルフにもまんずおらんきに。でなぁ、すんごいのは魔法の才能だけじゃねえんだ、お美しい上にお優しいし。それにクリス様と言ったら、やっぱしギタールに止めを刺すべ。クリス様の紡ぎ出す音色を聞いたら、もう天国さいる様な心地になるぞな、ありゃあきっと楽神ミューズも虜にするっぺよ。」


 恥ずかしげに身体をくねらせ、照れながらも第三夫人となるその日を夢見てか、うっとりとした表情で告白するベッシーの姿を白い目で見ながらバーバラーの頭に一つの疑念が湧く。


「どうして第三夫人ですの? 」

「第一夫人はタバサちゃんで決まりだけろ、後継ぎの問題から第二はヒト族から選ばれるのは間違いねえべ。じゃどんわだすは第三夫人ば狙っとるばい」


 話しを聞いているうちに、更にある種の疑念がバーバラーの心の中でむくりと鎌首をもたげた。確かウィリバルト様は今年で二十一歳、末弟のクリスロード様はその十四歳年下と聞く、あれ……? あれぇ?


 この時二人の攻守は逆転した。


「あなた、ひょっとして……、ショタ? 」

「ばっ、馬鹿言うでねぇ! ショタな事ある訳ねえべ!! 」

「でも確か、クリスロード様って、今年七歳になるんじゃなかったかしら……」


 今までの意趣返しと、バーバラーは意地の悪い含み笑いを浮かべ、ベッシーを追い詰める。


わだすは今百六十だすけ、後十年経ったらクリス様は十七歳で、わだすも百七十だべはぁ、どっちも適齢期だで構わんち、ショタな訳あるか!! 」

「あらぁ、そう仰られても、さっきの熱の篭った語り口の後では、説得力がございませんですわよ、おほほほほ」

「きぃ〜っ!! こっただ事言うなら教えてやらんば良かった!! 」


 こうして出会った二人の娘は、後に友好を深めて無二の親友となっていくのだが、それはまた別の機会のお話という事で。


「ちょっと遅くなったにゃ、でも、お菓子いっぱいだからきっと大丈夫だにゃ」


 大勢の美姫にモフられたタバサは、大漁のお菓子を両手いっぱいに抱え、ニコニコ笑顔で中庭に向かう。道中考えていたのは、バーバラーの事だった。

 あのお姉ちゃん、ちゃんと理解わかってくれるかにゃ? 理解わかってくれたら、他のお姉ちゃん達みたいにお菓子をくれるかにゃ? もしくれたら、いまよりお菓子いっぱいになって嬉しいにゃ。


 タバサは別に、深謀遠慮があってバーバラーにアドバイスしたのでは無かった。ただ、上手くいったらお菓子が貰えるかもしれない、そうなったら儲けもの、そんな子供らしい動機でのアドバイスだった。ただし、タバサがお菓子を欲しがるのは彼女が『卑しん坊』だからではなかった。


 駆け足で急ぐタバサの視界が中庭の様子を捉える、彼女のオッドアイが好奇心を刺激された子猫の様にキラーンと輝いた。その視線の先には、大好きな『元おじちゃん』クリスロードの背中があった、そして更にその先に見えた者は……


「さぁ、どうしたクリス、もうお終いか? 」

「まだまだ! 負けるもんか! 」

「言ったな、クリス。それでこそ俺の弟だと褒めてやる、しかぁし、兄の威厳とはどういうものか、今日も思い知るがいい! 」

「やぁあああああああ」

「はぁあああああああ」


 中庭では第二公子ヨッヘンリントと、その弟クリスロードがメイド長アヤメの指導の元で、アルステリア王国軍隊格闘技『グラップル』の朝練の真っ最中であった。

 気合いと身体強化魔法を込めて、クリスロードは次兄ヨッヘンリントに立ち向かっていく。長兄ウィリバルト程の体躯は無いにしろ、ヨッヘンリントも同世代の者の中では大柄な方であり、七歳を目前にしたクリスロードにとっては山の様に大きな巨人である。その巨人に小さなクリスロードは果敢に立ち向かって行った、全力でぶつかって行っても山は小揺ぎもしない、だがクリスロードはめげずに攻め続ける。


 六歳の誕生日を迎えた日から、モーリア家ではクリスロードに対して武術指導を行い始めた。これはいざと言う時に領民を守る事が出来なければ、領主の家に産まれた価値は無し、というモーリア家の家訓に従って施されるものである。長男ウィリバルトや次男ヨッヘンリントは勿論の事、双子の姉アルドンサとダルシネアさえも例外なく六歳から武術を叩き込まれている。基本は主として剣術を修め、長兄ウィリバルトは長剣ロングソードを得意としており、アルドンサとダルシネアは細剣レイピアを得意にしているが、次男ヨッヘンリントは剣術は得意ではなかった。彼はその事を深く悩んでいたが、士官学校を見学した時にこの軍隊格闘技『グラップル』に出会い、それ以降精進に励んでいた。


 クリスロードは微動だにしない『山』を崩すために体ごとぶつかって行く、彼は外で友達と遊ぶ様になってから気がついた事がある、前世の身体よりも今世の身体の方がスペックがダンチで高いという事だ。彼はこの身体ならば、崩せないまでもひと泡吹かせる事が出来るのではないか? そんな大それた事を考えていたりしていた、その根拠は前世で培った記憶とう言う抽斗である。前世では幼少期に病弱だった彼は、健康体に強い憧れを持っていた、そしていつか強い男になりたいと願っていた。そんな彼を励ますかの様に、前世では度々『格闘技ブーム』というのが発生した。


 キックボクシングの真空飛び膝蹴りに目を見張り

 地上最強のカラテに息を飲み

 香港カンフー映画に熱くなり

 沖縄出身ボクサーの連続防衛戦に喝采し

 プロレス名勝負数え唄に燃え

 一子相伝の拳法漫画を読み耽り

 年末格闘技中継の関節技に目を皿にした。


 それらが今のクリスロードの抽斗になっている、転生して夢の健康体を手に入れた今、彼はそれらの知識がこの身体でどれだけ通用するのかを試してみたくて仕方がなかった。従って一方のヨッヘンリントも、そんなクリスロードを相手にしているのだから、幼児とて手を抜く事が出来なかった。彼は手を抜くどころか、その向こうが見たいと更に攻防に熱を入れる。そんなヨッヘンリントの姿が、駆け込んで来たタバサの目の中に入って来た。


 やれやれ、若たまったら、子供相手に大人げないにゃ。


「これお願いにゃ! 」


 そう言って両手に抱えたお菓子の山をメイド長に預けたタバサは、クリスロードに加勢すべくヨッヘンリントに向って飛びかかる。二年間引きこもっていた彼女であったが、そんな過去はまるで無かったかのような鋭い踏み込みを見せながら、クリスロードに声をかけた。


「若ちゃま、加勢するにゃ! 」

「オッケー、タバサ! 」


 幼児二人は阿吽の呼吸で『山』の攻略を開始する、それはさながらルチャリブレやカンフー映画のクライマックスの攻撃の様だった。二人の合体技ツープラトン攻撃に、『山』であるヨッヘンリントはタジタジとなっていく。二人は好機とばかりに、サンドイッチ延髄斬りを決めた。


「お前らなぁ……」


 やはりそこは大人と子供である、二人の渾身の合体攻撃を受けても『ヨッヘンリント山』は小揺ぎもしなかった。それどころか鬱陶しいとばかりに二人の頭をむんずと掴むと、空中高く放り投げる。


「調子に乗り過ぎだ!! 」

「うわぁああああー」

「ニャぁああああー」


 お約束的なわざとらしい悲鳴を上げ、二人はばしゃんばしゃんと、中庭の噴水の中に落下していった。勿論二人にダメージは無い、エアクッション魔法を使い、落下の衝撃は全て吸収したのだ、当然二人は濡れてすらいない。ヨッヘンリントは二人がそうする事を見越して、稽古終了の意味を込めて噴水に投げ込んだのである、いい加減の所で切り上げなければ幼児の体力の限界まで付き合わされてしまう……

 しかし毎度の事ながらこの二人には驚かされる、タオルで汗を拭いながらヨッヘンリントは心の中で呻き声を上げた。この朝練を始めてからこっち、彼はこの組み手勝負で自分が勝ったと思った事は一度も無かった、もし二人が自分と同じ体格なら、いや、暗器を忍ばせた敵の子供ゲリラだとしたら骸を晒すのは自分であると分析していた。

 ヨッヘンリントという男が凄いのはここから先である、彼はこの事実を素直に受け入れ、己を伸ばす糧にしているのである。彼は現在、この朝練で弟クリスロードから盗み取った技を練磨して、士官学校での実技において、並み居る上級生の猛者を退け、校内白兵戦ランキングのトップに君臨しているのだ。学生達はもしヨッヘンリントが本気で立ち会えば、叩き上げの下士官である実技教官すら歯が立たないのではないかと噂している。

 この他も、ヨッヘンリントは弟クリスロードから様々な影響を受けていた、剣術の苦手な彼は、クリスロードが「最強の白兵戦兵器は剣先スコップである」と言うと、早速剣先スコップを元に特製の『剣』をでっち上げ、これまたクリスロードのアドバイス「本能の赴くままに振り回す」に忠実に従い、目下兄ウィリバルトの背中を猛追中である。

 偉大過ぎる兄と、規格外過ぎる弟に挟まれた、地味な狭間の男、それが当代及び後世のヨッヘンリントの評価だが、面白いと言うか有りがちと言うか、評価の向いている方向は真逆である。後世での彼の評価は『非凡なる凡人』であり、兄や弟、特に弟クリスロードの活躍の大半はヨッヘンリントの支えが有っての物であると、手放しで高い評価を得ており『モーリア三兄弟の壁』『モーリア辺境伯領の動く堅忍不抜』と称されるのだが、今は違った。


「うーん、まだまだ詰めが甘いか……、あとせめて十センチ身長が有れば関節技が極められるのに、そしたら……」

「若ちゃま、そんな無い物言っても駄目だにゃ、ここはもっとスピードを早くして」

「うーん、それだと技に重さが……」


 噴水の噴き上げる水の上に正座して、額をくっつけ合い真剣に反省会を開いている幼児二人を、半ば呆れながらも頼もしそうに目を細めるヨッヘンリントではあったが、同時に二人の中に危うさを見出してもいた。


 コイツら、本気で俺を倒そうとしていやがる。確かにボーン氏族史上最強と言われるベッシー嬢を家庭教師に迎えてから、クリスとタバサの魔法戦闘力は長足の進歩を遂げている。特にクリスのあの『爆裂魔法』は、元々の破壊力貫通力もシャレにはならなかったが、彼女から効率的な魔力集中法の手ほどきを受けた今、威力は一発で一個軍を凌駕する程の力を持つに至っている。


 純粋な魔法戦を行えば、自分は既にクリスに敵わないのかも知れない。


 そう思うからこそ、ヨッヘンリントは二人に、特にクリスロードに危うさを感じていた。彼の感じた危うさとは『増長』である。二人が産まれた時にメリッサ筆頭魔導官が言っていた『聖痕スティグマ』の事もある、もし二人が増長して道を誤れば、無敵の破壊力を鼻にかけ、わがまま勝手に振る舞う日が来るやも知れぬ。ヨッヘンリントは二人を頼もしく思う一方、そう危惧もしていたのである、流石は後世において、壁とか堅忍不抜とか称される男である。彼はここらでクリスロードの鼻をあかし、世界とこの兄はまだまだ凄いところが沢山有るのだという事を、キッチリその幼い心に刻み込んでおこうと決めた。


「おい、クリスにタバサ、お前ら随分と威勢のいい事言ってるじゃねえか、マジで俺に勝つつもりか」

「ヨッヘン兄さん、僕が兄さんに勝てる訳ないですよ、なぁ、タバサ」

「にゃ」


 馬鹿野郎、顔はそう言って無いじゃねえか。


「せめて、五本に一本位は冷や汗をかかせたいなと、なぁ、タバサ」

「にゃ」


 何が五本に一本位だ、こちとら毎回冷や汗モンだっての。だがなぁクリス、お前がいくら規格外の力を持っているからといって、やすやすと越えられる訳にはいかないんだよ、俺にも意地が有るし、何よりお前のためにならない、見ていろよ。


「それを威勢が良いと言うんだよ。いいかクリス、タバサ、確かにお前達は規格外れだ、魔力なら既に大人を凌駕する力を持っている。幼児と侮り舐めてかかれば、中堅魔導師程度なら軽く返り討ちに出来るだろう、兄も誇らしく思う」


 目を閉じて腕を組み、うんうんと頷きながら語り始めたヨッヘンリントを、ゲンナリとした呆れ顔で見つめた後、幼児二人はため息をつく。


「若たま、また始まったにゃ」

「ヨッヘン兄さん、語り出したら長いんだよなぁ……」


 愚痴る幼児二人を、ヨッヘンリントは片目で睨む。


「何か言ったか? 」

「いえいえいえいえ! 」

「にゃにゃにゃにゃ! 」


 慌てて愛想笑いを顔に貼り付け、額に流れる冷汗を吹き飛ばす勢いで首と両手を激しく左右に振る二人の幼児を胡乱気に見やったヨッヘンリントだったが、コホンと軽く咳払いをして気分を変えると、続きの口上を語り始めた。


「しかぁし、だからと言って調子に乗ってはいけない、むしろもう一度自分の足下を見つめ直して襟を正す姿勢が肝要だ、毎日の食卓に上るオリザを見ろ、実る程に頭を垂れるあの姿勢、あの姿に我々は学ばなくてはならない! 良いか二人共、オリザを食べる時は、ちゃんとその教えを胸に刻み、感謝して八十八回噛んで食べるんだぞ! 」


 オリザとは、この世界での主食の一つで、米に似た……というか、まんま米な食べ物である。食感は今は余り出回らない『ササニシキ』に近いあっさりとした食感で、クリスロードが離乳食を終えて、初めてホカホカに炊いたオリザを口にした時、これでこの異世界転生は良いものになると泣いて喜んだのは言うまでもない。


「それにだ、世の中は広い! 果てしなく広い! そしてお前達の道も果てしなく続く、そんな道の途中ではとんでもなく凄い物に出会う事も有る。ここで良い、これで極めたと思うな! その先に行かなければ、そんな凄い物には出会えない! 良いか! こんな凄い物にお目にかかる機会を失うんだぞ! 心して見ろ!! 」


 そう叫ぶとヨッヘンリントは、腰のポーチから装飾品と思われる、刃の無い小さな青いナイフを取り出して頭上高く掲げた。クリスとタバサは何をするんだろうと、噴き上げる水の上で正座の姿勢のまま身を乗り出した、青いと思われたナイフは実は単色の青ではなく、カメレオンメタリックブルーだった。ナイフは陽光の輝きに照らされ、七色に煌めく。その妖しい輝きに目を奪われ、呆けた様な表情を浮かべるクリスとタバサの姿を認めたヨッヘンリントは、掴みはOKとほくそ笑んだ。彼は目を閉じて呼吸を整え軽く精神を統一をした、そして自身の気が充実するのを自覚すると目を見開いて朗々と呪文の詠唱を開始した。


「万物を支える力強き大地の精霊よ、我が使役しオリハルコンに力を与えよ! 創主ヨッヘンリントの名の元に顕現せよゴーレム!! 仇なす者を粉砕し、愛する者を守り抜け!! 」


 クリスとタバサはこのヨッヘンリントのは行動を、驚きの表情で見つめていた、呆気に取られていたと言っても良い。何故ならモーリア家では、優れた魔法資質を持つ子弟には、無詠唱魔法サイレントマギカを徹底的に教え込むからだ、理由は窮地に陥った時の生存率を上げる為である。クリスロードの兄、姉達もこれをマスターしている、因みにヨッヘンリントはカムフラージュ呪文を唱えながら、全く別系統の魔法を無詠唱発動する技術に長けており、魔法戦の世界において『ペテン師』という二つ名を戴いていた。

 そんなヨッヘンリントが本気の呪文を唱えなければ発動出来ない魔法、それはどれ程のものか幼児二人は想像もつかなかった。


 ヨッヘンリントの周りの空間は彼の魔力が干渉して大地の気が逆巻き、空間を激しく震わせて収束していく。その様をクリスロードは肌で感じ、タバサはオッドアイの力で目視していた。


 すげえ!


 生唾を飲むクリスロードの腕をタバサは無意識に掴む、気が満ちたのを感じたヨッヘンリントは、クルリと器用に回してナイフを逆手に持ち替え、大地に突き立てた。すると大地は激しく揺れ動きながら隆起していく、そして見る間に噴水の頂点で正座する幼児二人を遥かに見下ろす高さに達していく。


 でけえ!


 隆起した大地は激しい魔力放電の光に包まれ、ぶつかり合い、ひしゃげ、やがてオリハルコンの鎧を纏う巨人の姿を形成した。


 かっけー!!


 ヨッヘンリントのクリエイトしたゴーレムの姿に二人の幼児は度肝を抜かれ、魔力維持を忘れた二人の幼児は今度こそ本当に噴水の中に落下してずぶ濡れになった。


 すげえ! でけえ! かっけー!!


 何だおい、この世界の魔法には、こんなゴキゲンな魔法も有るのか! クリスはずぶ濡れである事もお構い無しに、ワクテカキラキラの表情でヨッヘンリントのクリエイトしたゴーレムを見上げる、そして自分もやってみようと見よう見まねで呪文を唱え、ナイフの代わりに拳を地面に打ちつけた。すると、 大地は振動隆起し、特大の魔力放電を繰り返して巨大な人型を形成して収束する。


「できた!!! 」

「嘘だろぉ!!! 」


 今度はヨッヘンリントが度肝を抜かれた、彼はあんぐりと口を開け、喜色満面でタバサの手を取り踊り出す弟をまじまじと見つめていた。そんな兄の視線に気づいたのか、クリスはどんなもんだいという表情にキラキラの笑顔を浮かべ、兄に向って高らかに勝負を挑んだ。


「ヨッヘン兄さん、勝負! 」

「お、おう! 」


 一瞬対応の遅れたヨッヘンリントのゴーレムに、クリスロードのゴーレムが襲いかかる、クリスロードが渾身の魔力を込めたゴーレムの拳に、ヨッヘンリントのゴーレムは防御する間もなく打ち据えられた、しかし……


「えええええ~、何でぇ~??? 」


 クリスロードのゴーレムは、殴った拳から崩壊し、ただの土塊つちくれに戻っていく、そしてヨッヘンリントのゴーレムは微動だにせず無傷であった。確かな手応えを感じていたクリスロードは、信じられない光景にショックを受け、膝から崩れ落ちて項垂れた。


「危ねぇ危ねぇ……」


 内心でそう安堵しながらも、ヨッヘンリントは両手をついて膝をつき項垂れる弟クリスロードに、何故彼のゴーレムが土塊に戻ったのかを説明する。


「バーカ、ゴーレムはコアとなる触媒が無けりゃ、形を維持出来ないんだよ。俺のは、ほれ」


 そう言ってヨッヘンリントが掲げて見せたナイフを、涙目でクリスロードが見詰める。


「オリハルコンだ」

「そんなの狡いです! 反則です! それ僕に下さい!! 」


 クリスロードはウルウルの涙目で必死にヨッヘンリントの手からオリハルコンのナイフを奪おうと試みるが、本気になったヨッヘンリントは弟の動きを読み、あしらう様に躱していく。その様子を見て、タバサは呆れ顔でため息をつく。


「はぁっ、本当に若たまも若ちゃま子供だにゃ、こんな事やってたら……、ほら、来たにゃ」


 タバサの視線の先には、地響きを上げて向かって来る衛兵一個小隊が有った。そしてその先頭を駆け、小隊の指揮を執っているのは……


「こんな場所でゴーレムを出すとは何事だ!? 一体誰だ! こんな馬鹿な事をする奴は!? 」

「ゲッ、親父!! 」

「ヨッヘンリント、またお前か!! 」

「またってどう言う事だよ! またって!! 」


 ヨッヘンリントは反駁するが、怒り心頭の父カーレイは聞く耳を持たず、にべもなく言い放つ。


「自分の胸に聞いてみろ、ヨッヘンリント」

「はぁっ!? 訳分んねぇよ! 」

「つべこべ言わずに聞いてみろ! 」

「親父の理不尽な言いがかりに抗議して、バクバクドキドキ言ってるよ!! 」

「親に向って軽口を叩くな! 」


 ヨッヘンリントの頭上に、カーレイの鉄拳制裁が下る。


「あ痛っ! 酷でぇよ! 親父!! 」

「何が酷いんだ、この馬鹿息子!! 」


 追撃の鉄拳制裁がヨッヘンリントの頭に炸裂した。


 ヨッヘンリントは所謂『教えて小僧』であり、自分の興味と合致した凄い技術の持ち主に対して、何でもかんでも教えを乞う性癖があった。教えを乞う対象は実に多岐に渡り、年齢性別関係無く、年下だろうが女性だろうがお構い無しに膝を折り頭を垂れるのである。この姿勢は美点ではあるのだが、度を越すとプライドの無い無節操な軽い人間と誤解される危険が有る。更に加えて誰にでも親しみやすい彼の人格と、今現在ある理由で彼がハマっているお菓子作りの技術を学ぶ為の行動が、この誤解に拍車と輪をかけていた。ヨッヘンリントはお菓子作りが得意と聞けば、城内のメイド達は勿論の事、城下の女性達に見境なく声をかけて教えを乞うているのだ。その姿は傍目には手当り次第のナンパに見えており、声をかけられた女性達にあらぬ夢を見せた上に、碌でもない下世話な噂話が街雀の間に広まっていく。そんな訳でヨッヘンリントの素行は常に両親の頭痛のタネであった。従って現在の彼の社会的評価は、後世とは真逆の『軽佻浮薄』『チャランポラン』であり社会的信用度は著しく低かった。それがカーレイがヨッヘンリントの言葉に対して聞く耳を持たない理由である、ヨッヘンリントの『壁』『堅忍不抜』への道程は、今のところ険しく遠い様だ。


 話しの途中で闖入しいきなり親子喧嘩を始めた父カーレイと兄ヨッヘンリントの間に、クリスロードは再び兄との会話の主導権を取り返そうと強引に割って入った。


「そんな事はどうでも良いから、それを僕に下さいよ、兄さん。下さらないのなら、ちょっとだけ貸して下さい! 兄さん、兄さんってば、ちょっとぐらい触らせてくれても良いでしょ~、兄さんのケチんぼ、意地悪~」

「貸してやっても良いが、これでクリスがゴーレムクリエイトなんて出来ないぞ。」

「え~っ、何でです!? 」

「これを作るには、製造段階で願いと魔力を込めた聖文字ルーンを直筆で刻み、契約と誓いの証明に自分の血を垂らさなければいかんのだ、だからこれでゴーレムをクリエイト出来るのは俺だけ、お前にゃ無理」

「ええ~っ、そんなぁ~」

「お前も魔道士学校か士官学校に進んだ時、適性が有れば作って貰える。それまでは我慢して、ベッシー嬢の下で修行に励め」

「そんなの嫌だぁ~、今すぐ僕も同じの欲しい~」


 クリスロードがへこんだ隙に、再度カーレイが割り込んでヨッヘンリントを詰問する。


「お前は一体何のつもりで城の中でゴーレムを出した!? ふざけているのか!? 執務室で聞いてやるからついて来い!! 」


 耳を掴んで引きずろうとする父親カーレイに対し、ヨッヘンリントはグラップルの関節技で抵抗する。


「ふざけてなんかいねぇ! クリスの教育に必要だと思って出したんだ! もう子供じゃないんだから、耳を引っ張るな、親父!! 」


 ヨッヘンリントに関節を極められる前に、カーレイは甘いとばかりに関節を取り返す。


「クリスに教育だと、父親に手を出すお前にこそ教育が必要だ、この馬鹿息子!! 」

「息子の言う事を頭ごなしに否定するあんたにこそ教育が必要だ、この馬鹿親父!! 」


 ヨッヘンリントが再び関節を取り返すと、カーレイはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「ほほう、この俺を教育するだと、誰が教育するんだ? 馬鹿息子」

「俺に決まってんだろ! 馬鹿親父」

「よく言った! 来い! 息子よ!! 」

「行くぜ! 親父!! 」


 どう対処すべきか戸惑い緊張する衛兵達を余所に、こうして始まった教育の名を騙った親子喧嘩、高度な関節技の攻防は五十合程繰り広げられ、互いに手詰まりの千日手状態となった。


「腕を上げたな、ヨッヘンリント」

「まだ息が切れないのか、バケモンかよ、親父」


 ひとしきり激しく睨み合った二人は、余人には到底理解出来ない精神経緯を辿り、互いに肩を組んで破顔する。


「ちっくしょー、今日こそ行けると思ったのに、父さんはやっぱ強えなぁ~」

「当たり前だ、父親として、まだまだお前達に負ける訳にはいかんからな」

「チェッ」


 この姿を見て、衛兵達は緊張からようやく解放され、安堵のため息をついたのだった。


「さてヨッヘンリント、クリスの教育とか言っていたな、話を聞くから執務室に来なさい。」

「分かった、ゴーレムを消したらすぐ行くよ。」


 衛兵達を連れて歩き去る父親の背中にかけたヨッヘンリントのこの言に、へこんでいたクリスロードがぴくりと反応する。


「そんな、消すだなんて駄目ですよ兄さん! 僕にゴーレムクリエイトができないのなら、せめてこのゴーレムだけでもここに置いといて下さい!」

「そんな事出来るか、見たけりゃ士官学校に遊びに来い」


 足に取りすがって懇願するクリスロードを一顧だにせず、ヨッヘンリントが解除呪文を唱えると、巨大なゴーレムは光の粒子となり土に還って行った。その様子を見たクリスロードは慌てて消え行くゴーレムに駆け寄り、光の粒子を必死に掻き集める。そんな事は無駄だと中のおっさんは知っているのだが、タバサを気鬱から解放して以来、記憶や思考は別として感情面での幼児との同化が顕著に進んでおり、もはやこの行動を止める事は出来なかった。

 ゴーレムが全て光の粒子と化し、土に還って消えてしまうと、クリスロードは力無くペタリと座り込み、天を仰いで泣き叫んだ。


「行かないで! ゴーレム! 僕のゴーレム!! 」


 これが後に最強のゴーレム魔導師と謳われるクリスロードの、初めてのゴーレムとの出会いだった。



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