第8話開け心!!マジカルイリュージョンライブ



 レイラを奏でる俺の演奏はクライマックスを迎える。久しぶりのギターに舞い上がり、歯止めの効かなくなっていた俺の演奏内容は脈絡無く多岐に渡っていた。現代音楽はもとより、クラシック、雅楽、和洋の民謡、童謡に民族音楽と心の赴くままに弾きまくり、最後は逆手のフィードバックからエイトフィンガーを駆使した早弾きで締めくくった。


 ああ、楽しかった。


 久しぶりの感動の余韻に暫しひたった後、異様な雰囲気がして振り返った俺は後悔した。


 まーた、やっちまった。


 心の中で頭を掻く俺の目の前には、元々そこにいた俺の両親とポール爺ちゃんはもとより、ウィリ兄ヨッヘン兄、アルディー姉ダルシー姉の家族全員、そして家令頭を筆頭に果てはコックから庭師に至る使用人一同が驚きの表情で立ち尽くしていた。いかん、メイド長を始めとする女性陣の大半は、滂沱の涙を流してうっとりと俺を見つめている、泣きのギターテクニックがマズかったか? ああ、姉ちゃん達二人共、手を取り合って泣いてるよ、本当にわかりやすいよ、あの二人……


 さて、なんと言って誤魔化そうかと思案を始めた俺に、思わぬ助け舟が流れて来た。


「うーん……」


 ポール爺ちゃんが泡を吹いて目を回したのだ、どうやら幼児が初めて触れた『鳴らずの神器』を弾きこなしたのがショックだった様だ。ポール爺ちゃんの異変に気付いた親父が「ポール伯父さん、大丈夫ですか!? 気を確かに!! 」と大声を上げたもんで、その場はエライこっちゃと大騒ぎとなったのだ。

 爺ちゃんが助け舟になったにもかかわらず、ここ数日の家族の扱いにひねくれていた俺は、不謹慎にも心の中でこう呟いた。


「しーらねっと……」


 いくら内心で知らないと言っても、世知辛い事にポール爺ちゃんは一族の人間で、なおかつ新任の駐在監察官である。これを知らぬ存ぜぬで済む訳が無い……って言うか、爺ちゃんの方が俺を放っておかなかった。

 客間に担ぎ込まれ、一昼夜うなされ寝込んだ後、ガバと飛び起きたポール爺ちゃんは、まずは親父を呼び出すとクビり殺さん程に問い詰めた。


 何でお前の息子は幼児の癖にギタールを弾ける!? それから伝統からは些か外れているが、あの音楽の才能とギタールのテクニックは尋常ではないぞ、どんな英才教育を施した!? それ以前に、あの『鳴らずの神器』からどうやって音を出した、さぁ言え! 言ってみろ!? この儂に、納得いく様に説明しろ!! 何ぃ、知らんじゃと!? お前の息子じゃ!! 親の貴様が知らん筈は無いじゃろう!!


 云々かんぬん喧喧囂囂と、嵐の様に親父を問い詰めたそうだが、生憎親父殿は俺が転生前の記憶を持つ、幼児の皮を被ったオッサンだという事を知らない。当然の如く、息子の前世の音楽知識と修練の賜物ですなんて知る筈も無く、答えられる筈も無い。そうして出た二人の結論は、これまた当然の如く『本人に聞くのが手っ取り早い』であった。そんな理由で俺は今、白洲に引き出された下手人の心境で、北町南町両奉行二人の前に立っている。


「ご快癒おめでとうございます、ポールお爺様。……ええっと、僕にご用とは一体何でしょう? 」


 こんな時には、猫を被ってやり過ごすに限る。そう肚を決めた俺は、めいっぱいカワイコぶって、戸惑う幼児を演じてみせた。そんな俺にポール爺ちゃんは椅子を勧め、控えの間で待機するメイドを呼ぶと、菓子と飲物を俺に振る舞う様に命じた。メイドが畏まりましたと頭を下げ、控えの間に下がると、控えの間が俄に騒がしくなる。突然流れて来た相争う物音に、俺達三人がギョッとして控えの間に目を向けると「これは私がお持ちするわ」「いえ、ここは一番長くお仕えしている私の出番です、新入りには任せられません。」「何よ、一日しか違わないじゃない。」「私がお受けしたから、私がお持ちします。」「あーっ、抜け駆けは狡いわ。」「お待ちなさい! みんな、取り押さえるわよ!」「「「おーっ!!!!」」」という声が漏れてきた。その後どんがらがっしゃんと、一際大きな争う物音が流れて来る。暫らくして、ちゅどーんという擬音を当てるに相応しい炸裂音が響き渡り、俺達三人は思わず首を竦めた。炸裂音の後の静寂の中、威厳を纏いワゴンキャリアを押しながら現れたのは我が家に仕えて二十と五年、無遅刻無欠勤を誇るメイド長である。パッと見ではわからないが、謹厳実直な彼女に着衣と髪型の乱れが僅かに存在する事から、控えの間で何が有ったのか想像できた。


「クリスロード様、失礼致します」


 そう言ってメイド長は、テキパキとした中にも気品と優雅さを含む動作で、俺の前に飲み物とお菓子を並べていった、その所作の美しさに俺は思わず見蕩れてしまう。一般的な人間の平均身長をはるかに下回る彼女が、これ程までの技を身につけたのは、ただただ年季だけではなく、弛まぬ向上心と血のにじむような修練の賜物であろう。メイド長は流れる様に作業を進めていく、しかし……、このお菓子の量、ちょっと多過ぎねえ? 食いきれねぇよ、俺。

 因みに彼女はヒト族ではない、ドワーフ族の女性である。前世でドワーフ族と言えば、小柄でずんぐりとした体格に子供の頃から髭面のオッサン顔と、男の方は相場が決まっていたが、女性の方は多種多様な描かれ方をしていた。ドワーフに女性はいないとか、男と同じ様に髭面のオッサン顔とか、そして……


「あのロリババァ! いつか目に物を見せてやる!! 」


 控えの間から漏れ聞こえる、メイド達の怨嗟の声を聞き流し、満面の笑顔で「クリスロード様、はい、アーン」と、取り分けたケーキをフォークに刺して俺の口元に差し出すメイド長の姿は、どう見ても十二歳程度の童女である。そう、この世界のドワーフ族の女性は、十歳から十三歳位で成長、老化の止まる『死ぬまでロリ』なのだ、そのくせ身体能力は他種族の成人男性をぶっちぎりで凌駕するのだから驚きである。そんな理由でドワーフ族の女性は、要人家族、主に幼児子女のボディーガードとして重用されている。当然俺の兄姉達も幼児の頃は、ボディーガードとしてのメイド長に世話になっていて、姉二人は彼女に対して頭が上がらないと共に、母ちゃんには出来ない相談事を持ち込む程に慕っており、ヨッヘン兄はグラップルの稽古相手として、彼女を相手に連敗街道を突き進んでいる。


 不意にメイド長の背後からゲフンゲフンと咳払いの声がして、彼女の目が一瞬点になった。そうして声の方向へ目を向けた彼女の視線の先では、欠食児童宜しく二人の大人が物欲しそうに見つめていた。


「取り込み中すまんがメイド長……」

「儂等にもお茶とお菓子を貰えんかの? 」


 大の大人二人の些か締りのない姿を視認したメイド長は、一瞬「しまった」と罰の悪そうな表情を浮かべると、電光石火の早技でポカンと開いた俺の口の中にケーキを突っ込んだ。それは確実にケーキが俺の口の中に入り、その甘味を充分に堪能出来る様にと計算された角度、そして絶対に口の中をフォークで傷つけない絶妙な力加減だった。これを一瞥もせずに一瞬の内にやってのけたメイド長、やはり只者ではない。俺の口からフォークを引き抜いたメイド長は、後ろ頭を掻きながら豪快にガハハと笑って一言。


「いっけねぇ~、すっかり忘れてた。悪ぃ、今取って来る」


 思わずズッコケた親父とポール爺ちゃんに、片手で謝罪の手刀を何度も斬りながら、メイド長は控えの間に引っ込んで行った。メイド長の怒号が控えの間から漏れ聞こえる。


「こら、あんた達!! 何をいつまで腑抜けているんだい、全くもう。領主様とお客様にお茶とお菓子だよ!! さっさとしな! 何だって!? クリスロード様にお出ししたから、どっちも切らしてるって!? そんなもん番茶と沢庵の尻尾で充分だよ!! いいから早く持ってお行き!! 」


 卓越した指示能力と磨き抜かれた家事労働技術、その二つの力と技で現在の地位に就いた筈ではあるが、力技でモノにしたとの噂がまことしやかに囁かれるメイド長、アヤメ・ゴーリキィー四十歳(ただし外見は十二歳)であった。


 閑話休題。


 メイドに饗された沢庵の尻尾をコリコリと齧り、ズズっと番茶で胃の腑に流すと、ポール爺ちゃんは遠い目をして昔話を始めた。ギタールについての事は本人レイラから確認済みなので割愛する、今から紹介するのは爺ちゃん本人の過去の話である。


 俺の父親カーレイ・モーリアの伯父であるポール・ドット・モーリアは、前述の通り先代領主の兄に当たる人物だ。血筋からいけばばウチの親父なんかではなく、ポール爺ちゃんがここの領主をやっていてしかるべき人物なのだが、そうならなかったのには訳が有る。先々代領主ジミ・モーリアは三人の息子に恵まれた、長男トミー、次男ポール、三男クレイダーである。長男のトミーは麒麟児と呼ばれ、心・技・体全てにおいて卓越した資質を幼い時から示していた。次男のポールはトミーの三歳年下で、偉大過ぎる兄を持ったせいか典型的な次男坊気質の持ち主で、領地は兄貴が継ぐんだからといって自由気ままに伸び伸びと成長していった。三男クレイダーはポールから更に三歳年下で、英才の誉れ高き長兄を目標に、そして自らを極楽蜻蛉と称してはばからない次兄を反面教師に成長し、小天狗と称される程になる。

 弟が誕生したポールの喜びは、とても言い表す事が出来ない、それこそ天にも登る心持ちだったそうだ。同世代の親しい友人の証言によると


「兄貴のリザーブが出来た、これで万が一の事があっても大丈夫だ」


 と語っていたらしい、どうやらかなり早い時期から、領地継承に興味が無かったと判断して間違いはないだろう。

 ポールの自由人ぶりはもはや歯止めが利かなくなり、貴族社会に『モーリア家の昼行灯』という有り難くない認識が広まる事となる。しかし本人にとっては馬の耳に念仏、意に介するどころかはいそのとおりとちゃらけていた。そしてクレイダーが大きくなるにつれ、俺の弟は凄い奴だとあちこちで自慢をして歩く。


 弟自慢の昼行灯バカあにき


 そんな二つ名が領地にも広がっていった。初代モーリア辺境伯、家祖バトラー以来、貴族社会にて囁かれ続けた畏怖の言葉、モーリアの男子に凡愚無し、この伝統に終止符を打ったポールを、家臣達は次第に疎んじ始めた。目端の利く重臣達はポールに早々に見切りをつけ、トミーとクレイダーを次代のモーリア辺境伯家の光として推戴していった。

 この現実に我慢ができなかったのが、三男クレイダーである。彼は事あるごとに、次兄ポールに諫言を繰り返す。


「兄上、どうして兄上は……」「兄上! ちゃんとして下さい!! 」「兄上は皆にあんな言われ方をして悔しくはないんですか!? それでもモーリア家の男ですか!? 答えて下さい、兄上! 」


 血相を変えて食い下がるクレイダーを、ポールは笑顔であしらい、煙に巻いて高笑いして逃げて行く。次兄ポールの後ろ姿を見つめながら、歯噛みして悔しがるクレイダーを宥めて仲裁に入るのは、いつも長兄トミーであった。ポールにあしらわれ逃げられる度に、クレイダーは涙声でトミーに訴える。


「兄上が本気を出したなら僕は遠く及ばない、何故兄上は本気を出さないのですか。本気の兄上を知らない者のが、兄上の陰口を叩く姿を見ると、僕は悔しくて仕方がありません! 」


 兄上が本気を出したなら


 このクレイダーの言葉には、トミーにも思い当たる節が山ほどあった。


 トミーは父親ジミの元で、次代の領主として領地経営を学ぶ傍ら、自らのライフワークを医療の発展に貢献する事業を行う事と決め、実践していた。領民の健康の維持と増進、これこそが領地及び国の発展に繋がると言うのがトミーの持論であり、次期領主としての行動指標だ、彼は自らの持論と行動指標に基づいて初等教育後半から、医療魔導師を学び始めるが、早々に壁にぶち当たる事となる。

 医療魔導に頼ったこの世界の医療水準は低く、地球で言う所の中世から近代の水準しかない。頼みの医療魔導師も決して万能とは言えず、完治出来るのは外傷に限られており、疾病や内傷はアシスト魔法で患者の抵抗力や免疫力を高めるに留まり、最終的には自己治癒能力に頼るのみで、事実上伝染病には無力であった。


 医療魔導の限界


 トミーは医療魔導を極めるに従い、思い知らされる現実に苦悩する。深く思い悩むトミーを救ったのは弟ポールであった。ある日トミーは厨房で、珍妙な飲み方で水を飲んでいるポールを見かけた。通常水を飲む時は、持った器の手前側に口をつけ、やや上を向きながら器を傾けて水を口の中に流し込んで飲むのが普通だ。しかしこの時のポールは、器の奥側に口をつけ、身体を『くの字』どころか『のの字』に折り曲げて水を飲んでいた、しかも器を逆手で持っているのだ、飲みにくいだろう事は一目瞭然である。トミーはポールが何故そんな飲みにくい方法で水を飲んでいるのかを不思議に思い、聞いてみる事にした。


「いやぁ、しゃっくりが止まんなくてさぁ、ドワーフ族の友達に聞いた方法を思い出して試してみたんだ。こうして一滴もこぼさないで水を飲んだら、しゃっくりが止まるんだってさ」


 その言葉を聞いたトミーは、ずんぐりむっくりのドワーフ族の男が、あんな格好で水を飲んでいる姿を想像し、思わず吹き出してしまった。暫らくの間、腹を抱えて笑っていたトミーは、これは悩む自分を気遣った行動だと察し、そのお礼にしゃっくりを止めてやろうと申し出るが、ポールは笑顔でそれを断った「今ので止まったから、要らない」と、そしてそれに続いた言葉にトミーは激しい衝撃を受けた。


「兄ちゃん、今のって魔法かな? 」


 トミーは自分自身の愚かさを思い知った、医療魔導に限界が有るならば、人間の知恵で補ってやれば良いんだ。ポールの真意は医療魔導のみが医療と決めつけ、視野狭窄になっていて悩まなくても良い事を悩んでいた自分を啓蒙する事に有ったのだと悟った。その日からトミーは、古くから伝わる民間医療法の研究に没頭する、図書館に篭もって手当り次第に資料を漁り、また各種族の古老の家を訪ねては膝を折って教えてを乞うた。そうして集めた資料から、種族別症例別に分類して纏め、更にそれが本当に治療効果があるかどうか検証していった。そして効果のあるものは、他の種族にも有効かどうかも検証し、統計的にデーターを纏めて行った。この研究の過程で、衛生と健康に密接な関係が有る事に気付いたトミーは、領地開発に当たって衛生環境を念頭に置いた開発を心掛け、更に領民達に対しても衛生理念を啓蒙して、入浴、手洗い、うがい、歯磨きといった習慣を定着させていった。そしてこれらの結果を医療魔導と併用する事で、モーリア辺境領の医療技術は長足の進歩を遂げ、王国の医療の発展に貢献していった。これは今なおモーリア辺境領の医療改革として、王国全土に語り継がれる偉業である。

 この偉業のきっかけはポールに有る、その事を訴えても「御謙遜とは、トミー殿は奥ゆかしい」「無為な弟殿に功績を分け与えたいのですね、トミー殿はお優しい」と、誰もが耳を貸そうとしない。クレイダー以上にトミーは歯痒い思いをしていたのだった。だが、ポールの真価は自由な立場でのみ、十全に発揮される。その事に気づいていたトミーは、断腸の思いで弟に対する不当な評価を堪えていたのだった。

 他人からは昼行灯と呼ばれ、兄弟達からは爪を隠して鳶のふりをする鷹と評価されていたポールに、転機が訪れたのは中等教育を終えようとしていた頃である。モーリア辺境伯家王都利益代表の引退で、その座が空席となり、ポールを後釜に据えようとトミーとクレイダーが画策したのである。

 ポールが鷹になるには、モーリア辺境伯領の空は狭すぎる、だから広い空で伸び伸び翼を広げて欲しいと願っての画策だ。

 ポールは兄弟達の評価を、買いかぶりの過大評価だと苦笑いしつつも、この計らいには感謝した。彼は彼なりに広い世界に憧れていたのだった。こうして王都利益代表就任を兼ねて、王立魔導大学への入学を決め、王都にやって来たポールは、二つの大きな出会いを果たす、まず一つはやんごとなき身分の『御学友』と、もう一つは楽器ギタールである。王都での彼の生活は、親友となったやんごとなき御学友と一緒に馬鹿をやらかしているか、ギタールを弾いているかのどちらかであった。彼がギタールを始めた理由は、王都の麗しき女性の心を射止める為だったが、すぐにギタールの魅力に取り憑かれ、のめり込んでいった。

 やんごとなき身分の御学友は後に証言する、女をギタールで魅了するつもりが、逆に自分がギタールに魅了されちまった、と。そして皮肉な事に、無心でギタールに打ち込んでから女性にモテる様になったと証言を結んでいる。

 そんなポールの利益代表としての働きぶりは、六十五点であったという。彼は救いを求める者には常に手を差し伸べ、利害関係が対立している者に対しては譲れる箇所は全部譲り、和解をして解決していった。

 尚武の気風を以て良しとするモーリア辺境伯領渉外班には、ポールの交渉は弱腰と歯噛みをしていたが相手をしていた者の証言は全く逆であった。


「アイツは綺麗な顔をして、とんだ狸だ。気前良く譲っているのは、この件に関してモーリア辺境伯領が譲歩しても困らない事だけだ。そうしてコッチの気持ちを良くして協力関係を持ちかけて、譲った三十五点分をしっかりかすめ取っていく。奴等に損は全く出ない、六十五足す三十五で百点満点の交渉だ。しかも憎たらしい事にコッチにとっても予想外とも言える最良の落とし所を提示してくるから始末に負えねぇ、今後モーリア辺境伯家に難癖つけるのは難しくなるぜ。一体どこのどいつだ、アイツを昼行灯だなんて言った奴は!? 」


 王都では密かに激しくポール引き抜き争奪戦が行われる事となる、一番熱心に戦いをリードしていたのは、やんごとなき身分の御学友であらせられた。


 ポールの身辺が俄に風雲急を告げた頃、アルステリア王国全土にも国の根幹を揺るがす大事件が発生する。黒死病の大流行、パンデミックである。この世界の黒死病とは、地球のペストとコレラを掛け合わせた様な伝染病で、発熱、嘔吐による脱水症状と、臓器不全による敗血症を起こして死に至る、極めて致死率の高い伝染病である。これに立ち向かったのがトミーである、彼は過去の文献から発生率の地域差に着目し、低い地域と他の地域との習慣や生物、植物分布の差を徹底的に調べ上た。そしてげっ歯類が媒介する不潔な物が体内に入り、発病する事を突き止めたトミーは、げっ歯類の駆除を始めとする数多くの予防法を示した。集落の衛生化の徹底、食器や衣服、家財道具を強い蒸留酒に浸したり拭いたりする事、食物は必ず火を通してから食べる事、発生した汚物は必ず焼き捨てる事、排泄物を撒き散らす事を禁じ、一カ所に纏め石灰を撒いて処理する事、外出から帰宅したら必ず手足を洗う事、この時一度蒸留酒に手足を浸すとより効果的である、毎日の入浴等多岐に渡る。

 トミーが示した予防法を、モーリア辺境伯領と王都を始めとする王国直轄地で忠実に行なった結果、効果絶大である事が判明し、王国全土に爆発的に波及した。

 蛇口の元栓を閉める事に成功したトミーにとって、ここからが真の戦いであった、それは一人でも多くの患者を完治に導き、命を救う事である。まずトミーが苦心したのは、予防法の中に酒を使う事を示した為、強い酒が特効薬であると、誤った認識が広がってしまい、これを改めて真の特効薬を世に広める事だった。トミーは過去の記録を精査して、過去に黒死病の流行で影響を受けなかった種族が一つだけ有るのを発見した、ドワーフ族の亜種で、ミゼット族と呼ばれる種族である。トミーはミゼット族の元に足を運び、頭を垂れて他種族との生活習慣の違いを学びに行った。そこで彼が注目したのは、ミゼット族が飲用する茶であった。およそ他種族が茶として用いないであろう植物を、彼らは茶として喫していたのである。この茶をモーリア辺境伯領に持ち帰り、薬理作用が有る事を確認したトミーは、ミゼット族から譲り受けたこの茶の苗を領地のエルフ族に託し、大量速成栽培する様に依頼した。こうしてその茶を元にする薬湯が完成したのだが、ここで大きな問題が彼の前に立ちはだかる。ミゼット族は矮躯と醜い容姿の為、いわれなき偏見を持たれる非差別少数種族だった。異種族間の融和が進み、種族間差別を克服したモーリア辺境伯領は別として、未だ種族間差別の横行する他地域では、当然の如くこの薬湯は拒絶された。

 焦燥感を募らせるトミーに、福音をもたらしたのはまたしても弟ポールであった。彼は黒死病に臥せるやんごとなき身分の親友の為、その薬湯を急ぎ王都に取り寄せた。そして医療魔導によるアシストで辛うじて命を繋いでいた親友に、取り寄せた薬湯を投与すると劇的に症状が改善し、完治に至った。そして死の淵から生還したポールの親友が、全国民に向かって呼びかけた。


「偏見を捨ててこの薬湯を飲もう、そうすれば私の様に愛する者の元に帰る事が出来る。愛する者の生命の繋ぐ事が出来る」


 ポールの親友とは、後に王国内で種族間の相互理解と融和を第一政策として行い、功績を上げた事で『融和王』と呼ばれる事となる、王太子時代の先王アクセルその人だった。アクセル王太子の呼びかけで薬湯は全国に広がり、黒死病は沈静化に向かうのだがいかんせん患者の絶対数が多過ぎた。薬湯は作っても間に合わない日々が続き、トミーも一医療魔導師として患者に向かう日々が続いた。そうした激務がたたり、遂にトミー本人が黒死病に罹患してしまう。周囲の人々は、出来上がった薬湯をトミーに飲ませようとするが、彼は頑としてそれを拒否し、患者を優先する様に指示を出した。


「私は黒死病を克服する為の先鞭をつけた、今後は私の記した資料を元に研究が進むだろう。それに私には優秀な弟が二人もいる、もし万が一の事が起きても代わりがいるのだ。しかし、今薬湯を待っている患者さんは、その家族にとってかけがえの無い一人なんだ、そんな人達より先に薬湯を飲む事は出来ない」


 完成した薬湯を患者達に譲り続けた結果、遂に最悪の事態が訪れた、黒死病の進行が進んだトミーは、帰らぬ者達の名簿にその名を連ねる事になってしまったのだ。享年二十五歳、恐怖の伝染病黒死病に挑み、最期まで果敢に戦い続け、若すぎる壮烈な戦死を遂げたのだった。

 トミーの上げた戦果は一目瞭然である、大陸全土に及んだパンデミックの嵐で、各国が平均して人口の三分の一を失ったにもかかわらず、アルステリア王国はわずか一年で終息宣言を出し、犠牲者の数は人口の一割に満たない数字だったという。トミーは見事に戦いに勝ったのだ、彼の功績を称え国葬が行われ、戦場で最も勇敢に戦った戦士にのみ贈られるクリスロード十字勲章が贈られた。


 誰もがトミーの死を悼み、哀しみにくれる中、ポールにとって想定外の、頭の痛い深刻な状況が発生する。モーリア辺境伯家継承権問題である。継承権一位のトミー亡き場合、なんとなくではあるが、領内の雰囲気ではクレイダーが継ぐんだろうという流れが出来ていたこの問題、そこに待ったをかける者が現れたのだ。誰あろうその人は弟のクレイダーである、彼は王都利益代表として、敵対する貴族を激減させた功績と、誰もが拒絶した薬湯を皇太子に飲ませ命を救い、パンデミックを終息させるきっかけを作った次兄ポールこそ次期領主に相応しいと強硬に主張した。


 いやいやいやいやまてまてまてまて


 この事態にポールは頭を抱える、俺の領主としての器は亡きトミーどころか、弟クレイダーにも遠く及ばない、俺の持ち味はフットワークと思いつきであり、しっかりと手綱を握る者がいないとどこまでも暴走し、領地経営を混乱させる恐れが有る。やはり次期領主は堅実さと果断さを併せ持つ弟クレイダーが相応しい、何と言っても俺の本質は極楽蜻蛉なのだから。

 ポールはその旨を話し、グレイダーを説得するが聞く耳を持たない。ならば俺が今更のこのこ継承権を主張してもついて来る家臣がいない、領政を滞らせてしまうぞと危惧を諭しても「御心配には及びません兄上、僕が全力で兄上を支えます」と、取り付く島がない。ならばと父親ジミに訴えかけるが、彼はうーんと唸るだけだった。

 こうしてアルステリア王国始まって以来の珍妙な後継者争い、地位を奪い合うのではなく譲り合う争いが勃発した。ポールは必死に王都でロビー活動を行い、如何に弟クレイダーが優れた人物で次期領主に相応しいかを中央政府、貴族社会に説いて圧力をかけるが、やはり地元にいるクレイダーに地の利の面で敵わない。ありとあらゆる正論と屁理屈をゴネ回し、クレイダーを推すが、何と言っても皇太子の命を救った功績がポールの首を締める。畜生、俺が助けたのは親友で、皇太子じゃねぇぞ!! というポールの叫びも虚しく次期領主はポールと決まりつつある中、彼は逆転の秘策を思いつく。

 ポールは魔導大学を卒業すると、次期領主としてモーリア辺境伯領に帰還する事が決定していた為、後任の王都利益代表が着任してお役御免となった隙を突き、正規の手続きを踏んで宮廷楽師の地位を得る。この行動に、クレイダーを始めとするポール擁立派は頭を抱える、ポールがなにを狙っているのか理解したからである。ポールが狙っていた物、それは筆頭宮廷楽師の地位だった。アルステリア王国で宮廷楽師とは国家公務員であり、その筆頭は尚書、つまり大臣に準ずる扱いとなる為、紐付きの立場は許されず、就任に当って実家からの離籍を行い、一代貴族として伯爵位を与えられる決まりとなっていたのだ。しかしその地位へと至る道は茨の道である、音楽の才能や楽器の腕前は言うに及ばず、金にコネといったドロドロの派閥争いを勝ち抜き、宮廷楽師着任からおよそ三十年程かけてたどり着く、遠い道程なのだ。その事に考えが及んだクレイダーは、兄の最後の悪足掻きを黙認し、モーリア辺境伯を嗣ぐ迄の間、悔いなく生きて貰おうと情けをかけたのだった。

 しかし、それは甘い考えだったとクレイダーは思い知る、モーリアの男子に凡愚無し、クレイダーを始めとする宮廷社会の住人は、改めてその言葉を思い知る事となる。

 ポールは何と宮廷楽師着任から、ギタールの腕前だけで全ての慣習をねじ伏せ、僅か一年で筆頭宮廷楽師の地位を射止めたのである。二十三歳での就任は、絶対に破られないだろうと言われる最年少記録である。

 こうしてモーリア辺境伯家相続問題は幕を引き、ポール爺ちゃんの弟で親父の父親クレイダーが後を継いで現在に至る訳である、なんか爺ちゃんに親近感を感じるな。

 さて、件の『鳴らずの神器』ギタール、つまりレイラは、筆頭宮廷楽師就任のお祝いに、親友のアクセル皇太子に贈られた物だそうで、いつか音を出してみせると約束したそうだが、それは叶わぬ夢だったなぁ……、としみじみ語ってポール爺ちゃんの昔話は終わった。

 昔を懐かしむ様に、しばらく目を閉じたポール爺ちゃんは、笑みを浮かべる様に、ほうっと息を吐き出した。


「クリスロードや、お主、何故あの『鳴らずの神器』から音を出す事ができたんじゃ? 」


 目を開けたポール爺ちゃんが俺に問いかける、その目は何十年もトライし続けていたのに叶わず、目の前の年端もいかないガキンチョにやられた悔しさとかやっかみみたいな陰湿な色は微塵も無い。その瞳の輝きは、未知への扉を開かんとする憧れと好奇心に満ちた、無邪気な子供の物だった。ああ、俺はあのまま前世で事故に遭わず、年をとっていたら、こんな瞳を持つ老人になれただろうか?


「僕、ギタールに呼ばれたんだ」

「そうか、呼ばれたのか……」


 少し寂しそうな目で爺ちゃんは窓の外の夕陽を見上げた、そしてまた沢庵をコリコリと齧り、すっかりぬるくなった番茶で流し込む。


「なぁクリスロード、また弾いてはくれんかの? 」

「はい、良いですよ」


 爺ちゃんの頼みを二つ返事で了解した俺は、姉達に団子に結われた髪から髪飾りを引き抜く。そういえば俺は三歳の儀式で髪を切って以来、伸ばしっぱなしだよな、兄貴達は短いのになんでだろ? まぁ、前世でバンドをやってた時は腰まで伸ばしてたから、別に良いけど……

 なんて考えながら、俺は引き抜いた髪飾りに魔力を込めた、すると髪飾りはあのギタール、レイラの姿を取り戻した。レイラは俺の物になって以来、俺の望む大きさや形に変化出来る様になっている、当然フィンガーボードは早弾きギタリストの定番のスキャロップだ、これでトレモロアームが付いていたら完璧なのだが、これについてはレイラの理解の範疇を越えていたらしく、再現不可能だった。

 鳴らずの神器の変貌ぶりに、ポール爺ちゃんは一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに納得した表情になる。俺はチョーキングビブラートをゴリゴリに効かせた、ややゆっくりめのブルースロックを即興で弾き始めた。しばらく俺の演奏を聴き入っていた爺ちゃんは、やがて傍らからギタールを取り出すと、俺の演奏に合わせて弾き始めた。俺と爺ちゃんの、世代と世界を越えたジャムセッションに、その場の全ての者が心を奪われた様に聴き入っている。ああ、やっぱり音楽ってすげぇ!!


「クリスロードや、今更じゃが、そのギタールはお主にやろう、大切にせえよ」

「はい、ありがとうございます、お爺様」

「うむ。なぁクリスロード、その代わりと言っては何じゃが……」

「何ですか、お爺様」


 ポール爺ちゃんの目が、少年の様に輝く。


「儂にこれ、教えてくれんかの? 」


 ポール爺ちゃんの手つきでピンときた俺は、嬉しくなって首を縦に振った。


「エイトフィンガーですね、良いですよ」


 俺と爺ちゃんのジャムセッションは、その日遅くまで続いたのだった。



「ごめんください」


 ポール爺ちゃんとのジャムセッションをした翌日の午後、俺は母ちゃんのお使いで届け物をしにある家を訪ねた。届け物は上等のハチミツ、そして可愛らしい意匠の大きなクマのぬいぐるみである、玄関のドアを開けて迎えてくれたのは……


「まぁ、若様、一体どうして!? 」


 ドアを開け、俺の姿を見て、目を丸くして驚くサマンサさんだった。気の毒に、憔悴しているのか少しやつれ気味だ。


「この前はタバサちゃんを怖がらせてごめんなさい、サマンサさん」

「そんな、若様のせいではありません」

「これ、母様かあさまから、タバサちゃんにお約束のハチミツと、サマンサさんにお手紙です。それからこれは、僕からタバサちゃんに、ごめんなさいのプレゼント」


 恐縮するサマンサさんを、子供ぶりっ子の笑顔で見上げ、母ちゃんからの届け物を差し出し、最後にクマのぬいぐるみを手渡した。


「若様、タバサの為にわざわざ……、お疲れでしょう。何もありませんが、どうぞ中へ」

「ごめんなさいサマンサさん、早く帰りなさいって、母様の言いつけなんです。母ちゃん怒らせたら怖いから、またね、サマンサさん」


 サマンサさんはお使いに来た俺を歓待しようとしたが、気鬱のタバサの世話でかなり憔悴している様で、あまり面倒かけるとかえって気の毒だ、俺は母ちゃんを持ち出しておいとまする事にした。最後の一言で地金を見せたのは、ウチの家族も俺も先日の一件はなんとも思っていないから気にしない様にとのメッセージのつもりだ。サマンサさんもそれに気がついた様子で、走り去る俺の背中に声をかけた。


「若様、走ると転びますよ、お気をつけて」


 うん、メッセージは正しく届いた様だ、さっき迄の気に病む口調から、何時もの口調にやや戻っている。俺は振り返ってサマンサさんに手を振って叫んだ。


「サマンサさん、もうすぐタバサは絶対良くなるからね! きっと大丈夫だから安心してね! 」




 サマンサはクリスロードの背中が見えなくなるまで見送ると、家の中に入って贈られた品物をテーブルの上に並べた。贈られたハチミツは、領内マヌカ地方で採れる最高級の皇蜜である、王室御用達の逸品に目を丸くしたサマンサは、慌ててエリザベスからの手紙の封を切った。その内容はタバサの様子を案じる内容と、早めの現場復帰を望むが、慌てずタバサの事を優先するようにと気遣う内容、そして現状は育休扱いにするので安心する様にと結んであった。先日のタバサの粗相にあえて触れない文章に、エリザベスの厚情がサマンサの深く心に染み入る。主家の温情に感謝しながら、サマンサは追伸まで読み進めると、そこにはこんな文章が書いてあった。


 家のクリスが何か画策しているみたい、だからサマンサ、きっとタバサちゃんは大丈夫よ、安心して。親バカと笑われるかもしれないけど、あの子は他の子とは違う何かを持ってる気がするの。


 サマンサはさっきのクリスロードの言葉を思い出し反芻する、「大丈夫だから安心してね」、その言葉に何故か安心して勇気づけられた事実を。エリザベスの言う通り、クリスロードは普通の幼児離れした面が多く見受けられる気がする。そう考えたサマンサは、クリスロードがふうふう言いながら抱えてきた大きなクマのぬいぐるみを抱え、殊更明るい笑顔を作り、愛娘のいる子供部屋に入って行った。


「タバサ、今ね、お城からクリスロード若様がおいでになったのよ。ほら、こんなに可愛いクマさんのぬいぐるみ、若様からタバサへプレゼントだって、良かったわね……」


 サマンサはクリスロードから贈られたクマのぬいぐるみを、頭を抱えてベッドの片隅に座り込むタバサの隣に座らせて、いつもの様に優しくハグをしながら語りかけた。いつも放心状態のタバサだったが、この日はクリスロードの名前に僅かながらの反応をした様に感じた。


 やはり奥様の仰られる通り、クリス様は何かを持っているに違い無い。もう今はそれにお縋りするしか方法は無いのかも知れない。どうか元の無邪気なタバサに戻ります様に、そう願いを込めてサマンサはかけがえのない愛娘を優しく抱き締めて頬ずりをした。


 その日の夜更け、タバサは目を覚ました。彼女には昼も夜無い、目が覚めている時か、眠っている時かである。目が覚めると部屋を抜け出しこっそりとトイレを済ませ、少量の食事を摂るとまた逃げる様に部屋に戻り、ベッドの上でシーツを被り、自分を責めながら過ごすのだ。そして責め疲れて眠る、その繰り返しであった。

 いつもの様に目が覚めたタバサだったが、今夜は何だか部屋の雰囲気がいつもと違う気がした。何だろうと思ったタバサが見回すと、淡い赤や黄色の光の珠が浮かび上がり、優しい輝きを放ちながらふわふわと彼女の周りをゆっくりと周り出した。優しい輝きに見蕩れながらタバサが立ち上がると、どこからともなく優しいがくが流れてくる、そしてそのおとに乗せて今度は優しい歌声が聞こえてきた。


♪大きなノッポの古時計、お爺さんの時計……


 不意に壁の柱時計の針が勢い良く回り出し、十二時を指して止まった。すると時を告げる鐘が鳴り、仕掛けのギミックが一斉に動き出し、文字盤の上の扉が開く。

 子供部屋用の柱時計は鳩時計も兼ねていて、扉が開くと鳩がマジックハンド仕掛けで飛び出す仕組みなのだが今夜の鳩は違った。なんと鳩は台座から離れて飛び立ったのだ。鳩はスイスイと自由に部屋の中を飛び回り、幻想的に空中を漂う光球を次々と嘴で割って行く。光球はまるで花火の様に弾けると、鮮やかな光のシャワーとなってタバサを包み込んでいった。突然起こった不思議な出来事に、タバサは心を奪われる。驚くタバサの前で、昼間クリスロードから贈られたクマのぬいぐるみが、カクテル光線に照らされて立ち上がった。目をパチクリとさせるタバサに、クマのぬいぐるみが恭しく頭を下げて挨拶をする、すると楽の音は楽しいマーチを奏で始め、クマのぬいぐるみは彼女の手を取って踊り始めた。


♪おもちゃのチャチャチャ おもちゃのチャチャチャ

 チャチャチャ おもちゃのチャチャチャ

 空にキラキラお星さま みんなスヤスヤ眠る頃

 おもちゃが箱を飛び出して 踊るおもちゃのチャチャチャ


 歌と音楽に合わせ、タバサの手を取って踊るクマのぬいぐるみ。

 そしてその周りを取り囲み、今までに両親が気鬱に沈んだタバサの心を慰める為に買い与えた、数々の人形やぬいぐるみ、そしておもちゃ達が楽しそうに踊っていた。



「さーて、これで掴みはオッケーかな……」


 おもちゃ達が幻想的な夜会を繰り広げるタバサの部屋の窓の外、その直上の屋根の上で、ギタールを抱えて胡座をかいて座る幼児のシルエットが月明かりに浮んでいる。この幼児は誰あろう、我らがクリスロードその人である。

 クリスロードが目を閉じて魔力を集中すると、今タバサの部屋で起こっている全ての事が、頭の中に浮かび上がった。


「さて、お次の曲は何にしょうか……」


 クリスロードがタバサの部屋の中を明確に捉えている事にはカラクリがあった、タネと仕掛けは昼間にサマンサを通して贈ったクマのぬいぐるみにある。

 クリスロードはギタールという武器を手に入れると、すぐにタバサの気鬱解消の手段を思いつく、それはタバサの為のワンマンライブを開く事だ。しかし、ここで障壁が一つ存在する、先日の一件でタバサの心に過度の警戒心が生まれ、拒絶されて伝えたい事が伝わらない可能性が否めない事である。


 さて、どうしてくれようホトトギス


 思案するクリスロードの頭の中に去来したのは、乳児の時に受講した二人の兄による魔法教室の記憶である。強力な魔導師になる為に必要なのは、詳細なイマジネーションであると説いたウィリ兄、そしてその通りにぬいぐるみを操ったヨッヘン兄、ありがとう兄さん達、二人は一番大事な事を最初に教えていてくれた!


 作戦を閃いたクリスロードは、心の中で二人の兄に礼を言うと、先日プレゼントする予定だったクマのぬいぐるみに魔導アイテム『簡易水晶眼』と自分の髪の毛を仕込んで改造した。それはタバサの部屋の様子を正確に知るのと、クマのぬいぐるみを精密にコントロールするのが目的だ。その為に通称『ママの目』と呼ばれる子供の躾アイテム、簡易水晶眼を仕込んだ、因みにこれは留守番中に子供が悪戯をしないか、お遣い先で粗相をしていないかを監視するアイテムで、この世界ではごくありふれたアイテムである。髪の毛は、アンテナ代わりというかなんと言うか、打てる手は何でも打っておきたいと云う彼の強い意志の表れだった。

 こうしてクリスロードはクマのぬいぐるみを身代わりのMCに仕立て、タバサの部屋をステージにしてワンマンライブを敢行したのだ。他の誰にも迷惑がかからない様に、部屋を魔法で完全防音処理を行うと共に、壁そのものをサラウンドスピーカーシステムとして音響効果を高める、そこにヒーリング効果の魔法を込めた歌声とギタールの音を流し込むのだ。そうして視覚効果としての光魔法と、おもちゃ達の遠隔操作魔法等の系統の異なる魔法を並列起動して制御する。どんなに工夫しても魔力消費の激しいこのライブを行う為に、クリスロードは夜更けに屋敷をこっそり抜け出し、タバサの部屋の直上に陣取った魔力の燃費を抑える必要があったのだ。

 実はこの魔法使用方法は、この世界の常識からかけ離れた使用法である、この世界で魔法は回転五系統と相剋二系統の七つの系統に分類されており、普通は一~二系統を使えれば御の字で、三つ以上使える者は天才と呼ばれているのだ。クリスロードが七つの系統の魔法を並列起動し、シームレスに展開出来たのは、実は乳児の時に受けた兄の言葉、魔法に必要なのはイマジネーションである、に素直に従った結果である。先にこの世界の魔法常識を習っていたならば、如何にクリスロードとてこの方法を思いつかなかっただろう。

 このワンマンライブは、有利な魔法空間マジックフィールドの形成と、多系統の攻撃魔法をシームレスで繋げて駆使し相手の弱点を突く、戦闘魔導師としてのクリスロードの戦闘魔法スタイル開眼の第一歩だった。そして同時に、ギタールの演奏法に革命をもたらした彼の演奏法に並び、後にクリスロードスタイルと呼ばれる事になろうとは、神ならぬクリスロードはまだ知らない。


♪大きな栗の木の下で あなたと私

 仲良く遊びましょう 大きな栗の木の下で


 クマのぬいぐるみに抱っこされながら、タバサは不思議な気持ちでおもちゃ達のお遊戯会を眺めている。これは夢なんだろうか? 自分はどうしてこんな夢を見ているんだろう? 罪深い自分が、こんな楽しい夢を見て良いわけがない。

 子供らしく、素直な楽しい気持ちが湧き上がり、流されそうになる度に、タバサはそれに抗い心を強ばらせる。しかし、そんな気持ちを察知するかの様に、タバサの気持ちが強ばる度に、クマのぬいぐるみはリズムに合わせ、あやす様に彼女の身体を優しく揺すって気持ちをときほぐしていく。いつしかタバサは、この楽しく心地よい夢のひとときに心を委ねていった。


♪汽車汽車ポッポポッポ シュッポシュッポシュッポシュッポッポ

 僕等を乗せて シュッポシュッポシュッポッポ


 汽車ポッポの歌が始まると、クマのぬいぐるみはタバサを抱き上げ、コミカルな足取りで部屋の中を軽快に駆け出した、おもちゃ達がその後に続き、電車ごっこのお遊戯が始まる。タバサは抱き上げられた時、ある感覚を思い出しハッとした、そして大粒の涙を流して泣き出してしまった。


♪スピードスピード窓の外 畑も飛ぶ飛ぶ家も飛ぶ

 走れ走れ走れ 鉄橋だ鉄橋だ楽しい……な……ゲッ!!


 泣き出したタバサに気がついたクマのぬいぐるみは、慌ててタバサを下ろして座らせると、心配そうに顔をのぞき込む。おもちゃ達も心配そうに、その周りを取り囲んでいた。


「どうしたの、タバサちゃん? ぽんぽん痛いの? 」


 突然泣き出したタバサに、クリスロードはオロオロしながらぬいぐるみを通して問いかけた。するとタバサは激しく頭を振ってそれを否定すると、ぬいぐるみの手を力一杯握り締め、カッと目を見開いてぬいぐるみの目を見つめる。


「おじちゃん……にゃの……? 」


 震える声で問うタバサのオッドアイは、クマのぬいぐるみの中に前世で自分を助けようと命を散らした、あの優しい人間の男のオーラの輝きを捉えていた。その姿を水晶眼越しに見ていたクリスロードが、どう答えようかと戸惑っていると、その沈黙を肯定と理解しタバサは、激しく泣きながら「ごめんにゃさい」と謝罪を始めた。前世での最期の時、独りぼっちになって寂しかった事、優しいオーラを持つおじちゃんを見つけて安心した事、気がついて貰えて嬉しかった事、そのせいで夢中で駆け出してしまい、あんな結果になってしまった事、でもおじちゃんのおかげで怖く無かった事を矢継ぎ早に訴えるタバサの話しを、クリスロードは水晶眼越しに黙って聞いていた。タバサの話しは続く、気がついたら転生していた事、でもおじちゃんがどこにもいなかった事、自分だけが幸せになってしまってごめんにゃさいと話しを結ぶと、後はただ「ごめんにゃさい」と激しく泣きじゃくるだけだった。

 泣き伏せるタバサの話しで、彼女の気鬱についての全てを知ったクリスロードは、自分の様に気持ちを切り替え、新しい人生で得た幸せを楽しめば良かったのに、馬鹿だなぁとは決して思わなかった。自分が今回の人生を目いっぱい楽しんでやれと開き直れたのは、どう考えても前世の人生が既に詰んでいた事と、五十を目前にしたオッサンだったからである、生後間もない子猫に同じ事を求めるのは酷というものだろう。それよりも前世と今世での罪を、心が壊れそうになるまで真摯に受け止め続けてきた優しさと思いやりの深さに心を打たれた。


「タバサちゃん、おじちゃんに会いたいの? 」

「クマさん……、おじちゃんじゃにゃいの? 」


 クリスロードがぬいぐるみを操り、泣きじゃくるタバサの肩にそっと手を添えて聞くと、タバサはハッと顔を上げて聞き返す。クマのぬいぐるみが頷くと、タバサは取りすがって訴える。


「会いたい! おじちゃんに会いたい!! 」


 クマのぬいぐるみは優しくタバサを抱き上げると、窓へと歩み寄り、優しく耳元に囁く。


「さぁ、開けてごらん」


 促されるままに、タバサが窓を開けると、黒い小さな人影が飛び込んできた。


「やぁ、タバサ」


 人影が優しくタバサに声をかけ、ジャランとギタールを掻き鳴らして頭を下げる。月明かりに照らされ微笑むその顔にタバサは見覚えが有った、数日前にお城のお館に連れられて行った時に見たクリスロードという若様だ。あの時は何故か会うのが怖くて、無意識のうちに魔法障壁を出し、魔力暴走をさせてしまったタバサだったが、今回はライブの効果なのか、怖いと感じる事は無かった。


「この前は怖がらせてしまってゴメンね。それから……、あの時助けてあげられなくて、本当にゴメン」


 小さくしたギタールを髪飾りの様に髪に挿しながら謝罪するクリスロードに、あの時のおじちゃん 新田九朗 のオーラを見たタバサは、泣きながら彼の胸に飛び込んで何度も何度も「ごめんにゃさい」の言葉を繰り返した。そんなタバサをクリスロードは優しく抱き締め、頭を撫でながら何度も頷いてみせた。


「もういいんだよ、これからは一緒に、いっぱい楽しもう」


 沢山泣いて、胸にたまっていた物を流し尽くし、タバサの感情が落ち着きを取り戻した頃合いを見計らって、クリスロードがそう声をかけると、タバサは泣き笑いの笑顔で「うん」と答えると、泣き疲れて眠ってしまった。その姿を見届け安心したクリスロードを、魔力枯渇の倦怠感が襲う。


「ヤバい、帰って寝なきゃ」


 そう思ったクリスロードだったが、残念な事に身体が言う事を聞いてくれなかった、そのままタバサの横に倒れ込むと、そのまま隣で安らかな寝息をたてたのだった。

 翌朝、屋敷の部屋からクリスロードが消えている事が発覚すると、城はてんやわんやの大騒ぎとなった。すぐに捜索隊が編成され、いざ出陣となった時、血相を変えてサマンサがエリザベスの元に駆け込んで来た。


「若様が、うちで寝ています」


 サマンサの報告を受け、押取り刀でスチーブンス宅に駆け込んだモーリア家の面々は、タバサの部屋のベッドの上で、安らかな寝息を立てるクリスロードを発見し、安堵の胸を撫で下ろすと同時に、心配をかけた息子の行いを質す為に揺り起こした。


「ああ、父上、おはようございます」

「おはようございますじゃない、バカ者! 」


 寝ぼけるクリスロードの頭に、父親カーレイの拳骨が炸裂した。


「あ痛っ! 」

「あ痛っ、じゃないバカ者、お前はどれだけ人に心配をかけたと思っているんだ!! 」


 もう一発、カーレイの拳骨がクリスロードの頭上に炸裂する直前、居合わせた一同は思い掛けない光景を見た。


「ダメ、若ちゃまをぶたないで! 」


 今まで気鬱の病で何事にも無表情で無関心だったタバサが、感情を露わにクリスロードを庇ったのである、そして一同は何をするためにクリスロードがここに来ていたのかを悟った。


「「タ……タバサ……」」


 信じられない出来事に、恐る恐るスチーブンス夫妻は娘に声をかける。


「ママ、パパ、今までごめんにゃさい」


 うっすらと涙を浮かべて見上げる娘の姿に、気鬱の病から解放された事を確信した夫妻は、愛しい娘を抱き締めた。


「いいのよタバサ、もういいのよ……」

「タバサ……、よかった……」


 一頻り抱き合って喜びを分かちあった後、スチーブンス夫妻はクリスロードの前に膝を着き、その手を握り締めて感謝の言葉を投げかける。


「ありがとうございます若様、ありがとうございます若様……」

「若様、何とお礼を言ったら良いのか……」


 この光景を目の当たりにしたカーレイは、握った拳の落とし所を失い、やや複雑な表情を浮かべて息子の頭をワシワシと乱暴に撫で回す。


「そういう事なら仕方が無いが、ちゃんと一言断ってからにしなさい、母さんや姉さん達がどれだけ心配したと思うんだ、ああん」

「申し訳ありません、父上」

「母さん達にも、後でちゃんと謝るんだぞ」

「はい、父上」

「うむ」


 この件については全く失念しており、指摘され過ちに気づいたクリスロードは素直に父カーレイに謝罪した。カーレイは息子の謝罪を受け入れると、今度は誇らしそうな笑顔を見せてサムズアップする。


「でかした、息子よ! 」

「はい、父上! 」




 こうしてタバサの気鬱の病は解消され、無事に二人一緒の五歳の七五三の儀式を迎えたクリスロードは、釈然としない渋面を浮かべていた。五歳の儀式を執り行うに望んで、何故自分の髪の毛が三歳以降切られていないかを知ったからである。クリスロードの隣には、マニッシュに髪の毛を短く纏めた男装の猫耳美幼女が、おすまし顔で立っている。

 この世界での五歳の七五三の儀式は、三歳の時に髪の毛で騙されて怒ってやって来る悪霊に対して、今度は性別を謀ってやり過ごす、という儀式を行うのだ。つまりは当然クリスロードは女装である。極上の素材二つを前に、彼の二人の姉が入れた気合の量は、もはや語るまでもないだろう。

 儀式の間中、この式典を最初に考えた奴の名前を心の中のデスノートに書きなぐっていたクリスロードだったが、その気持ちとはまた別に、前世からの懸念事項を解決した彼の心はどこまでも晴れやかであった。

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