第7話ギターを弾ける者は!?

 薄暗い部屋の片隅で、猫耳幼女がシーツを頭から被って震えている。


 ごめんにゃさい

 ごめんにゃさい

 ごめんにゃさい

 ごめんにゃさい


 彼女はしっかりと目を閉じ、震えながら膝を抱えて、ただ一日中「ごめんにゃさい」と、その言葉だけを繰り返して過ごしていた。


 猫耳幼女の名前は、タバサ・スチーブンスという。


 両親の愛情を一身に受けて、この世界に産まれた彼女は、乳児の頃は他の赤子と変わらない、よく笑いよく泣く元気で無邪気な赤子だった。


 このまま無事に成長して欲しい。


 そう願うスチーブンス夫妻の想いも虚しく、タバサが今の様になったのは物心がつき始めた頃だった。言葉を覚えて間も無い、三才の七五三を目前にした頃、彼女は酷い夜泣きをしたのである。その時から、彼女はそれまでの『元気で無邪気』な幼女ではなくなってしまった。


 夜泣きの原因は悪夢である。


 タバサはその晩、前世の自分の死の瞬間を『明晰夢』として見てしまい、前世の記憶を取り戻したのだ。

 前世、ある野良猫の四匹兄弟姉妹の中の一匹として生を受けた彼女は、オッドアイとサビ柄が特徴的な子猫だった。公園通りの商店街で一番の器量良しと言われた母猫に似た子猫達は次々に飼い主に巡り会い、拾われていった。しかしただ1匹、子猫の中で一番の器量良しだった彼女は、拾われる事無く母猫の元に残っていた。理由は彼女のもう一つの特徴、二本の尻尾のせいだった。如何なるDNAの気まぐれでこうなったのかは分からない、ただ人はそれを気味悪がって、彼女を拾い育てようとはしなかった。でも彼女は幸せだった、何故なら彼女の母猫は、たった一匹になった子猫に、たっぷりの愛情を注いで育てていたからだ。


 母猫は子猫に優しく言い聞かせる。


「二本の尻尾は、猫又という神様からの贈り物なの、だから恥じてはダメよ」

「はい、ママ」


 子猫はオッドアイをクリっと輝かせ、二本の尻尾をピンと立てて、母猫の言葉を心に刻んだ。


 だが、そんな子猫の幸せは長く続かなかった。

 ある時彼女は母猫とはぐれて、一人ぼっちになる、理由はわからない。

 何かあった時は『鉄のけもの』の来ない『ここ』でじっとして待つ様にとの母猫の言いつけを守り、子猫は公園通りの物陰に身を潜めていた。「ママは何処に行ったのだろう? いつ帰って来るのだろう? お腹空いたなぁ……」時が経つにつれ、子猫に寂しさとひもじさが積もっていった。心細さがピークに達した子猫が、現状を打開しようと、意を決して隠れていた物陰から這い出した。「ママ、どこ? 」辺りを見回した子猫の目の中に、ベンチに腰掛ける人間の男の姿が映る。子猫はこの人間の男は善人であると即座に理解した、理由は彼女のオッドアイの力だった。

 通常、オッドアイを持つ猫は、片方の視覚と聴覚が弱いと言われているが、彼女のオッドアイには善意や悪意をオーラとして見抜く能力が備わっていた。


 あの人間の男の人には、ママと同じオーラが見える! きっと助けてもらえる!


 そう確信した子猫は、それまでの心細さの反動から辺りを警戒する事も忘れ、無我夢中で男に向って走り出していた。


「おじちゃーん! おじちゃーん! 」


 子猫が走りながら、必死で男に叫んで呼びかける。男も子猫の存在に気がついた様子で、彼の発する善意のオーラが収束し、子猫に向って伸びてきた。それを視認した子猫は嬉しくなり、空腹感も忘れて四本の足に力を込め、全速力で男に駆け向かって行った。


「!! 」


 不意に男の発するオーラが揺らいだ、善意のオーラに混じり警戒のオーラが最大級で溢れている。子猫が「あれっ? 」と思った時はもう遅かった、振り返るとここには来ないはずの、怖い『鉄の獣』が猛スピードで迫っていたのだ。恐怖に身を竦めた子猫に向かい、善意のオーラが爆発した。子猫は自分の身体がふわりと浮かび、優しく包まれるのを感じた、目を開けるとあの人間の男が自分を庇う様に抱きかかえていた。自分を抱きかかえる男の手の感触と、包み込む優しいオーラの感触で、子猫は死に直面する恐怖感が和らぎ、気持ちが安らいでいった。


「おじちゃん、ごめんにゃさい……」


 子猫の意識は途絶え、暗い闇に飲まれていった。


 こうして前世の記憶を取り戻したタバサは、強い自責の念に苛まされる事となる。

 あの時自分が命を喪ったのは、自業自得である。しかし、あのおじちゃんは違う、軽率に自分が頼ってしまったが為に命を喪ったのだ。それを想うと、今自分が生まれ変わり、こうして幸せな生活を手に入れた事が、とても罪深い事だと感じてしまったのだ。


 この想いに、幼いタバサの心は押し潰されてしまう。


「自分は幸せになってはいけない」


 そう結論を出したタバサは、その日を境に笑う事を止め、心を塞いでしまった。


 我が子の異変を心配した両親は、八方手を尽くして快復する様に努力したが、どんな手段も望む結果には繋がらない。モーリア領のみならず、アルステリア王国における医療魔法の最高権威、メリッサ魔導官ですら、タバサの異変を『気鬱』診断したのみで、その効果的な対処法を示せずにいた。



 気鬱解消作戦があえなく失敗し、モーリア辺境伯城から両親に抱かれ帰宅したタバサは、エリザベスからの連絡を受けたメリッサの往診で魔力注入を受け、その後程なくしてベッドの上で目を覚ました。周りを見渡すと、沢山のぬいぐるみや人形、そして女の子が喜びそうなおもちゃに囲まれている。これらは全て、両親が何とか彼女の気鬱の病を改善しようと買ってきた物である。


 このぬいぐるみなら喜んでくれるだろうか?

 この人形なら心を開いてくれるだろうか?

 このおもちゃなら慰めになるだろうか?


 一縷の希望を胸に抱き、ハグしてキスしてプレゼントしてみる、しかしタバサは微笑まない。今度こそ、今度こそはとの想いが虚しく積み上がっていった。

 しかし、それでもスチーブンス夫妻は諦めなかった、毎日毎日タバサを抱き締め、微笑みかけて愛を伝える。そして効果が有ると聞けば、どんな方法でも試していた。ただタバサが笑顔を取り戻す事を、元気な子供に戻る事を望んで……


 一方のタバサは、そんな両親の想いを痛い程理解していた、両親の愛情を思うと、張り裂ける程に胸を傷めていた。しかしそれでも尚、前世の記憶が蘇った彼女は、自分は幸せになってはいけない、幸せになる資格など無いのだと、強く思い込んでいたのだ。

 怖い大きな『鉄の獣』に挽き潰された、前世の最期の瞬間。幸せな転生、それに伴った犠牲の存在。明晰夢として蘇った記憶に、タバサは恐怖にも似た激しい悔恨の念を抱き、激しく涙したのだった。


 前世での人間の男に対する悔恨の想い、今世での両親の愛情に背信する罪の意識に挟まれ、タバサの心は限界を迎えようとしていた。



「さて、これからどうしたものか……」


 かの玄関ホール破壊事件から二日経ち、俺は途方に暮れている。タバサの魔力暴走は、俺の『魔法形成炸薬弾』による破壊により、関係者の頭の中から綺麗に削除されていた。そんな理由で俺はタバサを怯えさせた罪と、玄関ホールを木端微塵に破壊した罪を甘受する事と相成った。ハイハイ、分かりました分かりました、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、狐が人を化かすのも、ぜ〜んぶ俺が悪いんだよこん畜生め!!

 まぁ、タバサのアレが人の記憶から消えたのは幸いだ、あんな事でいちいち罪に問われちゃ可哀想過ぎる。元はといえば、ウチの家族バカどもの安請け合いが原因なんだ、全く!


 しかし、そんな事よりも焦眉の急はタバサの事だ。


 屋敷に来た彼女を見て俺は確信した、彼女は前世で俺が助けられず、一緒に死んだあの子猫だ。今際の際に、子猫の来世の幸福を願ったのが功を奏したのか、彼女は俺と一緒にこの世界に転生した様だ。それもサマンサさんダーリンさんという、素敵な若夫婦の所に転生するなんて、この上ないラッキーじゃん! 今世は幸せに過ごして欲しいと俺は願う。

 たかだか子猫一匹に何を大袈裟な、と思われるかも知れないが、最後の最後で頼られた身としては、そう願わずにはいられないんだよ、べらんめぇ!! 気鬱の病だかなんだか知らねぇが、折角一緒に転生したんだ、どうにかしてやりてぇって思うのが人情だろう、べらんめぇ!!


 べらんめぇべらんめぇと、俺がトボトボやって来たのは、城からほど近い河原である。


「何を黄昏ちょるんじゃ、坊」


 俺がタバサの事を考えながら、ぼんやりと川面を眺めていると、隣にかつて俺とタバサをこの世に無事とりあげた、モーリア辺境伯領の筆頭魔導官メリッサ婆ちゃんがやって来た。婆ちゃんは俺の隣に、やれどっこいしょと腰を落ち着ける。


「聞いたぞ聞いたぞ、色々やらかしたそうじゃの? ふぇっふぇっふぇっ……」

「ふんだ、僕は悪くないやい、悪いのはウチのみんなだ」


 俺は口を尖らせ、プイッと横むくと、メリッサ婆ちゃんは楽しそうにカラカラと笑い声を上げる。


「はっはっは、そうじゃ、坊は悪くない。少なくともタバサの心に触れた様じゃからのう。魔法の事も聞いたぞ、派手にやったのう」

「ちぇっ」


 仏頂面で舌打ちをした俺に、メリッサ婆ちゃんは優しく目を細めて言葉を続けた。


「これこれ、あたしゃ咎めとる訳じゃないぞ、むしろ褒めとるんじゃ」


 意外な言葉をかけられた俺は、思わずメリッサ婆ちゃんの顔を見上げる。


「タバサを庇ったんじゃろう? 坊は立派にナイトの役割を果たしたぞよ」


 ニンマリと褒め言葉を俺にかけ、メリッサ婆ちゃんは言葉を続ける。


「今までは他人に声をかけられても、まるで無反応だったタバサが、あんな反応をするなんて驚きじゃ。成功したとは言えないが、それでも大きな前進じゃ」


 うんうんと頷きながらそう語るメリッサ婆ちゃんに、俺は前世の事を話そうかと一瞬考えた。しかし、そんな荒唐無稽な事が信じて貰える筈が無い、気違い扱いされるのがオチだ。

 同時に産まれた俺達が、気鬱に気触れの迷コンビなどと笑われるハメになったら目も当てられねぇ。

 そう思い直した俺は、石を拾って川に投げ込み、大きなため息をついた。そんな俺にを、メリッサ婆ちゃんはたしなめる。


「これ、坊! そんなため息をついたらいかんぞ」

「だって……」


 俺が口を尖らせて見上げると、メリッサ婆ちゃんは優しく微笑んで俺の頭に手を置いた。撫でられる感覚が心地よい。


「坊は思い通りにすれば良い、きっとそれが嬢のためになるじゃろう」

「ちぇっ、結局丸投げかよ……」


 俺は婆ちゃんから視線を逸らし、吐き捨てる様にそう言うと、婆ちゃんはそんな俺のささくれた心を刺激する一言を発した。


「ならば、何もせんのかえ? 」

「するよ! するに決まってるだろう!! だってタバサは……」


 そこまで言って俺は気がついた、俺はタバサを救えない無力感や苛立ちを、丸投げとか何とか言って家族や誰かのせいにして八つ当たりしていた事を……。


 かっこ悪いじゃん、俺。ダメダメじゃん、俺!


 俺は自分に活を入れる為、右の拳を握り締め、自分の頬をぶん殴った。


「これ、坊……」

「婆ちゃん、ありがとう。俺、目が覚めたよ! じゃーね! 」


 おろおろするメリッサ婆ちゃんを見上げ、俺はそう言って城に向って駆け出した。俺は今度こそタバサを助けるんだ、でもどうしたら出来るか分からない、だから何だってんだ、出たとこ勝負で良いじゃないか! ノープラン上等だ!!


 メリッサ婆ちゃんと別れ、城内の屋敷に帰って来た俺は、見慣れない馬車を発見する、なんだ客かと思いながら屋敷に入ると、メイドの一人に声をかけられた。

 親父が俺を呼んでるらしい。


 応接室に入ると、親父と母ちゃんが、俺の知らない爺さんの前で片膝をついつて挨拶をしていた。爺さんはまさに好々爺といった感じの老人で、福福しい笑顔で親父達の挨拶を受けている。


「クリスロード、こっちへ来なさい」


 親父は俺の姿を認めるや、直ぐに呼び寄せて老人に紹介した。


「ポール伯父さん、この子が一番下の息子のクリスロードです。ほら、クリス、挨拶なさい」

「お初にお目にかかります、モーリア辺境伯が三男、クリスロードと申します、以後お見知りおき下さいませ」


 親父が下にも置かない対応をするこの老人は誰だろうと思いながら、俺は促されるままに挨拶をする。すると老人は相好を崩しながら俺の頭には手を置いてなでた。


「おうおう、利発そうな子じゃな。儂はポールじゃ、お主の父の伯父さんじゃ。ポールじいちゃんとでも呼んでくれ」

「ポール伯父さんは、私の父親、つまりお前の祖父の兄に当たる方で、新任の駐在監察官として赴任された。クリス、くれぐれも失礼の無い様にな」


 親父が簡単にこの来客、ポール爺さんを俺に簡単に紹介した。そういや俺、まだ祖父じいちゃんに会った事ないな……ま、いっか。


「はい、父上。ポールお爺様、改めまして、以後宜しくお願いします」


 俺が躾通りの挨拶をこの好々爺にすると、二人はまた昔話に花を咲かせ始めた。俺は親父からの退出の許しが出なかったので、親父の隣のソファーに腰掛け、退屈な話を上の空で聞き流していた。さて、タバサだ、彼女の心をどうやって開こうか……


「……あんときゃ、大変じゃったのう、カーレイよ」

「伯父さん、クリスの前です、止めて下さい」


 なんて話がとりとめもなく、俺の頭上を飛び交った頃、俺の目の中にある物が止まった。


 ……あれは……、ひょっとして……


 タバサの事を考えながら、何気なく眺めていたポールじいちゃんの荷物の中で、ふと俺の心を強く惹き付けた黒いケースがあった。長さにして約1メートル前後だろうか? いびつな瓢箪を縦に切り飛ばした形の物体に、細長い棒を突き刺した形状の黒いケース。


 これはひょっとしてアレだろうか?


 俺の脳裏に、前世の若い時に極めようと、毎日毎日狂った様に没頭したあの楽器 ギター が鮮明に蘇る。ああ、久しぶりに思い切りギターが弾きてぇ!


 そう思いながら、俺は吸い寄せられる様に、その黒いケースに近寄ると、ケースから「さぁ、早く開けてごらん」と囁く声が聞こえた様な気がした。勝手に開けて大丈夫だろうかと、親父達を一瞥するに、二人は俺に気づかずに楽しそうに話を続けている。

 再びケースに目をやった俺は、魅入られた様にケースに手をかけた、すると……。


 カチャリ


 ロックを外す操作などしていないのに、小さな金属音が響くと共にケースの蓋が開いた、俺は息を飲んで中に入っている物体に目を見張った。


 ケースの中に有ったのは、一基の弦楽器だった。


 弦楽器はエレクトリックシタールとストラトキャスターを融合させた様な形をしている。弦は六本、フレットの数は24、うん、一般的なギターと同じだ、よし、弾けるぞ!!


 そう確信してケースからその弦楽器を取り出し、構える。前世で初めてギターに触れた時のときめきと興奮が、今世の俺の中に蘇る。

 弾きたい、早く弾きたい、そんな焦りにも似た昂りを抑えるために、俺は目を閉じて軽く深呼吸をして呼吸を整え、弦楽器を爪弾き始めた。

 まず弾いた曲は、ギター入門曲の定番曲『禁じられた遊び』である、俺はギターを始めた時、この曲を繰り返し弾いたものだ。まず楽譜を見つめながら、思う様に動かない指ももどかしく、たどたどしく、でも時間が経つのも忘れて弾き続けた。やがて指が自由に動く様になり、楽譜も頭の中に入り、一通り弾きこなせる様になった時の喜び、そして他人に聴かせて凄いと言われた時の快感。

 その記憶を噛み締めながら、一音一音丁寧に指運を確かめる。よし、久しぶりにしては上々だ。ウォーミングアップを充分済ませた俺は、前世で憧れたギタリストの名曲を弾きまくる、ハードロック、ヘビーメタル、ジャズ、フュージョン、ブルース……

 ああ、楽しい!! でも流石に幼児の手には、このネックはやっぱり太過ぎるな、コードが上手く押さえられないや……、なら奥の手! タッピング奏法、必殺のエイトフィンガーだ!

 エイトフィンガーを皮切りに、前世で夢を実現させるために、寝る間を惜しんで狂った様に磨いたテクニックを確認しながら演奏する俺の魂は、前世を含めて久しぶりの快感にトランスしていく。そのトランスの過程で、弦楽器に刻まれた記憶が俺の中に流れ込んできた。


 この弦楽器は、この世界で『ギタール』と呼ばれる楽器で、製作されたのは今から千年ほど昔である。製作者は特に名工として名を成していた者ではなく、ただの無名氏だったという。ただしこの無名氏は比類無き頑固者で、ギタール製作に一切の妥協をせず、奏者のため聴衆のためにと一基一基全身全霊を込めて、丹念に丹念に製作していたのだという。このギタールは、そんな製作者の最高傑作である。ある時、練習用に気軽に使える良品を欲した高名な音楽家に求められ、製作されたこのギタールは、ありふれてはいるが徹底的に吟味され選び抜かれた材料と、持てる製作技術の全てをつぎ込んだ逸品として完成した。

 完成したギタールの出来に満足した音楽家が受け取って持ち帰り、早速試し弾きをすると、今まで手にした名器に優るとも劣らないその弾き心地と音に満足したのだった。

 このギタールが他のギタールとは違うと音楽家が知ったのは、それから程なくしての事である。貴族のお抱え音楽家であった彼は、その貴族の命令で、意に添わぬ仕事をする事となった。気に入らない仕事を終え帰宅した彼は、ささくれた気持ちと乗らない心であのギタールを手に取り、日課の練習をしよう弾いて愕然とした。それまでそのギタールが発していた極上の音色とは思えない、最低の音が出たのである、それに弾き心地も最悪だった。あまりの違いに音楽家は、別のギタールを取り違えたのではと思い、見直してみたが間違いは無い。気を取り直して音楽家が練習を再開すると、元の極上の音色と弾き心地であった。この様な事が数度あり、音楽家は確信に至る、このギタールには魂が込められていると。

 真摯な気持ちで演奏をすると、極上の音色と弾き心地を提供し、乗らない気持ちで演奏すると、最低の音で応えるこのギタールはこの音楽家の心根から鍛え直す事となる。そうして彼は、その時代最高のギタール奏者として宮廷に仕える事となった。

 彼はこのギタールをただ練習用として用いる事を惜しみ、メインの演奏用として舞台上でも用いる様になった。公演会では常に自身最高の演奏を追求する彼に、ギタールは最高の音色で応えた。彼らの鬼気迫る演奏と、奏でられる極上の音色に聴衆は酔いしれ、惜しみない賛辞を贈るのだった。

 音楽家の相棒として、ギタールはいつしか『名器』として有名になり、好事家達のコレクションの格好の目的となる。

 是非とも譲って欲しいと、何人もの好事家が音楽家の許に訪れ、目もくらむ様な大金を積み上げたが、音楽家は「自分のソウルを売る事は出来ない」と断り続けていた。

 諦められない好事家の一人が、日陰の者を雇って音楽家の元からギタールを盗み出そうとしたが、賊が手にした瞬間にギタールは騒音を掻き鳴らして気付かれてことごとく失敗の憂き目にあった。また、内緒の金欠に悩む魔導師を雇い、防音の魔法を施して一旦は盗み出す事に成功しても、翌朝になると盗んだ者の手の中から消え失せ、音楽家の枕元に戻っていたりした。

 そんな不思議が続いた事や、これ以上無理に入手しようとして音楽家の機嫌を損ね、珠玉の音色が聴けなくなる事を恐れた好事家達は、ギタールの入手を諦めたのだった。

 一連の出来事が世に知られると、かのギタールは、持ち主を選び忠義を尽くす『忠誠のギタール』『絆のギタール』と称され、音楽家共々その名声を高めていった。


 このギタールを所有しようと欲し、争奪戦が再開したのは、音楽家の没後である。彼がもし若くして夭折していたならば、持ち主の魂を喰らう魔楽器として忌避されていただろうが、生憎彼は平均寿命を遥かに越える130歳の天寿を全うし、眠る様に大往生をとげたのだった。普通なら遺産として子や孫が相続するところではあるがこの音楽家、家庭なんぞを持った事など無く、晩年まで花から花へと舞い移る、蝶の様な生活を送っていた、これが間違えた認識に輪を掛けた。


 かのギタールを所有すれば、『男の夢』を叶える事かが出来ると。


 ギタールにしては甚だ迷惑な話である、音楽家の寿命も女性遍歴も、全て彼の資質のなせる技なのだ、自分には一切関係無い。

 もしこのギタールが言葉を操れたならば、その旨をはっきり申し述べたであろう。しかしながら当然の如くそんな事が出来る筈も無い、人々の誤解は噂に尾ひれ背びれ胸びれを付け、やがて手が出て足が出て、角だし槍だし目玉だし、ウネウネと勝手に一人歩きを開始した。

 そんなこんなでギタール争奪戦は、音楽家の弟子、金持ちの好事家、珍しい物好きな貴族を巻き込んで、一大騒動となった。

 激化する争奪戦は流血沙汰となり、命のやり取りにまで発展していく、この状況を憂いた音楽家の弟子の一人が、「師匠もギタールも、こんな状況を望んていない」と、密かに持ち出し、国王に献上した。

 かねてより音楽家のギタールの調べを愛していた国王はこれを喜んで受け取った、そして自ら奏でようと弦をつま弾くと……


 وσڡง〜☆★Σゞゞゞ


 かの音楽家の様な、珠玉の音色を再現するどころか、地獄の底でガチョウが絞め殺された時の様な不快音が響き渡る。


 これに怒った国王は、偽物を掴まされたと件の弟子を捕縛して問い詰めた。弟子は恐れながらも、師匠の音楽家の言葉を伝える。


「師匠はかつて私にこう申しました。このギタールには魂が篭っている、音楽に対して真摯に向き合えば天上の音色を、疎かであれば最低の音色を発すると。又こうも申しました、下手くそが引弾けば、腹を立てて音も出さなくなると」


 これを聞いた国王は、魂が篭っているという話は俄に信じられないが、市井の噂話を鑑みれば、その様な不思議もあるのやも知れぬと言い、試しに弾いてみる様に命じたが、弟子は頭を振り、自分は師匠の境地に遠く及ばない、誰か別の者をと辞退した。

 そこで国王は宮廷楽士を全て集め、ギタールを弾かせてみるが、誰もあの音色を再現する事が出来なかった。

 落胆する国王に、筆頭宮廷楽士が言上する、触れを出して身分を問わず国中の楽士を集め、弾かせてみればいかがでしょうか、見事弾きこなす者が現れたら、私はその者に筆頭宮廷楽士の地位を譲りましょう。

 彼の言葉に国王は大いに頷き、早速触れを出す様に命じるのだった。

 こうして国中から名を上げようと、大勢の楽士達が集まったが、彼等は皆、見るも無惨にギタールの返り討ちにされてしまった。

 この結果に国王は落胆するも、かの音楽家の偉大さを再認識し、彼に位階と称号を追贈して称え、ギタールを次の選ばれた正式の持ち主が現れるまでの間、準国宝として預かる事を決定して騒動を収めた。

 次のギタールの持ち主が現れたのは、あの騒動が人々の記憶から薄れ、その存在すらも忘れ去られようとしていたある日の事だった。麗らかな陽射しの穏やかな春の日の昼下り、平和なこの国では珍しい事に、城の衛兵が声を荒らげる誰何が通りに響き渡る。何事かと振り返った住民達の目には、衛兵に取り押さえられるみすぼらしい身なりの男の姿が映った。この男は衛兵に「頼むから自分にかのギタールを弾かせてみて欲しい」と懇願していた。もし酷い音しか鳴らせなければ、その場で打ち首でも構わないという男の言葉に、衛兵の一人が報告に走る。程なくして触れは継続中である、その者を城内に通す様にとの指示を受けた衛兵がその場に戻って来た。衛兵の案内で城内に通され、国王の前に立った男は、よく見るとみすぼらしくはあるが汚らしくはない身なりをしており、国王を前にすると作法に則った見事な礼を行った。

 男の身なりと動作のギャップに心中驚き瞠目したが、国王はそれを顔には出さずに男の礼を鷹揚に受け、かのギタールを弾く様に促す。


 ♪♪⌒♬


 国王の許しを得て、男が紡ぎ出したギタールの音色は、かつての持ち主の音楽家の出した音色に匹敵する素晴らしい音色だった。

 男の演奏に、その場にいた者達は酔いしれ、感動の涙を流すのだった。

 こうしてこのみすぼらしい男は、ギタールと筆頭宮廷楽士の地位を得る事となる。そして人々のギタールへの誤解に、更なる輪を掛けた。


 かのギタールが選んだ者は、富と栄誉が約束される。


 ギタール争奪戦が水面下で、暗く陰湿に再開した。


 筆頭宮廷楽士の地位を得た男の素性は謎だった、彼は多くを語らず、ただギタールを弾く事のみで己を証明する、そんな様子であった。そして彼の行動も謎であった、彼は王都の一角に、小奇麗ではあるがつましく小さな家を買い、身なりも筆頭宮廷楽士の地位に見合った体裁を整えるのみに留めていた。彼が得たであろう財産規模に比べ、非常にささやかな生活態度に人々は、ありゃあ相当貯め込んでるなと噂した。男は王都に自宅を構えたにもかかわらず、あまり自宅にはいない様子で、宮廷からの遣いは全て留守番の子供が取り次いでいた。この事実を知った人々は、前の持ち主の音楽家を思い出し、彼もきっと花から花へ渡り歩いているに違いない、金はそこに使っているんだと妄想を逞しくしたのだった。


 男の謎は呆気なく解ける事となる、男は不法流入した戦災難民孤児を匿い、私設孤児院を開き育てていたのだった。彼は戦災で心に傷ついた孤児達を慰め癒す為に、鍋やバケツ、欠けたグラス等を楽器に見立て、コミカルな演奏をしながら生活していた。しかし増大する孤児達を育てる為に、私財はあっという間に底をつき、途方に暮れていた時、かつてのお触れを思い出し、藁をも掴む思いで王城を訪れたのだった。そして見事にギタールと筆頭宮廷楽士の地位を手に入れた彼は、手にした収入のほぼ全てを孤児院につぎ込み、子供達を養育していたのだ。この事実を知った全ての者の心は色めき立った、何故ならこれらの事実は男の口から語られた言葉では無かったからである。

 全ては彼に育てられていた孤児達の言葉だったからである。

 どうして男自身が語らなかったのか、それは語りたくとも語れなかったからだ。皆がこの事実を知った時、彼は暗殺されていた、かのギタールを欲する者の手によって……


 それまで宮廷社会になど縁の無かった彼に、宮廷社会での身の処し方や人脈の構築法など知っているはずもなく、ましてやその暗部の闇の深さなど理解の埒外にあった。当然の如く、後ろ盾となって庇護してくれる者も、気をつけてくれる者など存在するはずもない。暗殺計画はとんとん拍子に進んでいき、実行犯達も拍子抜けするほど呆気なく計画は成功する。暗殺計画の黒幕はほくそ笑み、細工は隆々仕上げを御覧じろとばかりに、実行犯を蜥蜴の尻尾宜しく切り飛ばす。そしてあわよくばかのギタールを手に入れ、それが叶わぬとも次の持ち主にそれとなく事実を仄めかして恩と恐怖を売っておき、思う存分甘い汁を堪能しようと画策したが、そうは問屋が卸さなかった。


 悪は天下に栄えない、官吏が事件を調べる過程で男の素性と行いが明らかになると、国王は激怒し世論は沸騰した。


 真犯人を許すまじ! 国王がそう叫び、自ら事件究明の先頭に立つと、国民全体がこぞってそれを支持して協力する。こうして黒幕は動きを封じられ、捕縛こそ叶わなかったものの、悪の野望は潰える事となった。

 国王は男の菩提に事件の完全解明が出来なかった事を詫び、男の経営していた私設孤児院を王立孤児院として引き継ぐ事を約束し、同時に二度とこの様な事が起きぬ様、かのギタールの持ち主は王権を以て庇護する事を誓った。この発表に、ギタール所有希望者は色めき立つ、所有者に数々の恩恵をもたらすという噂に加え、明確な王権が加わったのだ、彼等の所有欲はなお一層掻き立てられた。

 この後もこのギタールを巡る数々の暗闘が発生する、下らない噂、権威、権力、伝統に格式、それらに踊らされ、狂体を繰り広げる人間達、これらに嫌気が差したギタールが音を鳴らすのを止め、天上の音色が伝説となってかれこれ五百年が経つ。


 玄奘みたいな楽器だな……


 俺は流れ込んできたギタールの情報に、そんな感想を思い浮かべる。すると頭の中に直接、透き通るバイオリンの音色にも似た、女の子の声が聞こえてきた。


『主様、玄奘とは何の事でありんすか? 』


 昔昔、こことは別の世界の国、日本にあった琵琶という楽器の名前さ。


『あれ面妖な、楽器に名前をつけるでありんすか』


 高貴な人の、高価で大切な物だったらしいからね。楽器に限らず、愛着のある品物に名前をつけるのは、わりと一般的な文化だったよ、俺もお気にのストラトにお気にの曲から拝借して『レイラ』って名前つけてたし。


『素敵な響きの名前でありんすな、羨ましい。なあ主様、わちきにその名前おくんなまし』


 ああ、良いよ。


『嬉しいわぁ、ありがとなんしぃ』


 ギタールが眩い光を放つ。


『わちきに素敵な名前を付けてくれた主様、主様が今からわちきのお師さんですえ』


 光が収まると、ギタールは俺の身体に相応しい大きさに変化していた。


『さぁお師さん、思う存分わちきを弾いてくりゃさんせ』


 あたぼうよ! コチとら前世でバカ親の借金バックれ逃げの尻拭いを始めて、バンドの夢を諦めてからこの快感に飢えていたんだ、言われなくても弾いてやる! 俺のsoulを聞け!!!


 俺はダウンサイジングして身体に合った大きさに変化メタモルフォーゼしたギタール ーレイラー に、魂と前世で培ったギターテクニックの全てをぶつける。


 楽しい! ああ、楽しい! この楽しさをタバサに伝えられたら、気鬱なんて一発で吹き飛ばしてしまえるだろう、きっとそうに違いない! そう確信した俺の視界は明るく輝いた、ギターは舞台ステージの王様だ、ギターを弾ける者は何でも出来る!!


「レイラ、俺に力を貸してくれ!!」

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