第6話 そして五歳を前にして

 三才の御祝いと儀式が終わってから、俺は兄姉に連れられて、城下のあちこちに行く様になった。前世における公園デビューみたいなもので、俺にも友達がたくさんできた、領主の子供も庶民の子供も関係無い、毎日陽が暮れるまで泥だらけになって遊んだ。

 この世界には、どうやら託児所や保育所、幼稚園等の施設は無いようで、幼児の世話は上の兄弟なんかが見る事になっている。初子の場合はどうするか? という疑問はすぐに氷解した、兄も姉も、俺を連れ出す時にはサマンサさんに声をかけ、必ずタバサも誘うのだ。要するに、合同出産で一緒になった家族は、家族ぐるみの付き合いとなり、その中で上の子供が下の子供の面倒を見るシステムが出来上がっているのだ。


 これはなかなか優れたシステムだと俺は思う。前世では核家族化が進み、家族の中でブレーキになる者が少なく、血縁上位者が下位者を一方的に過度の強制を強い、虐待にまで進化するケースが多々ある。しかし、この世界では、面倒を見る下の子供は、必ずしも自分の弟妹とは限らない。あまり酷い扱いをすると、必ず誰かに注意され、間違いに気付かされる。そして実の兄が血縁上位を理由に弟や妹に辛く当たっても、周りの年長者達や同い年の者がそれを認めず必ず注意指摘し、矯正される。前世日本でも、地縁というものがしっかり機能していた時代はそんな感じだった、時代が進めば何事も進化する訳ではないのだ。


 さて、兄も姉もタバサを誘うのだが、肝心のタバサが出て来ない、例の気鬱の病で伏せっているのだ。その上ゴーツク・フォン・バーバリー駐在監察官殿が、その事に関しても文句をつけてきたのだ。みみっちい。そんな訳で、表面上はヒト族の子供とだけ付き合っていたが、当然隠れて他の種族の子供達とも当然友達になっている。目をごまかす相手は、筋金入りの無能駐在監察官だ、子供達のネットワークなど見抜ける筈も無い。それにこれは俺を馬鹿監察官から救い出すという、子供達にとってちょっとした冒険となり、共通の悪事を働く事でむしろ強い連帯感を産む結果になっていた、他種族の子供達がノリノリだったのは言うまでもない。

 しかし肝心のタバサだが、彼女の気鬱が一向に良くなる様子が無い、本当に申し訳無さそうに謝るサマンサさんが気の毒で、誘いに行く足が次第に遠退いていった……。


 そして月日は経ち、俺も四歳も半ば過ぎ、ゴーツク卿は任期終了直前で帰還していった。この直前の帰還劇には裏がある、なんとゴーツク卿は家をいつまでもイビるつもりで、任期の延長を望み、中央でロビー活動を行っていたそうだ。ロビー活動は着々と進み、裁可の書類が国王ヴィニーの執務机に上る事となる。国王ヴィニーはこの書類を目にすると、それを手に取って鼻をかみ、そのまま丸めて屑籠の中に放り込んだ。


「俺は馬鹿を送るけど、四年間だけ我慢してくれとカーレイに頭を下げたんだ。お前ら国王を嘘つきにするつもりか」


 そう言ってサインをして書類をここまで上げた役人にお灸をすえると、ゴーツク卿に即時帰還命令を下したのだ。忌々しげな表情を浮かべ、馬車に乗り込むゴーツク卿を、領民達は万歳三唱で見送っていたが、これはこれで後々の禍になると予測した親父は、胃の辺りを擦って顔をしかめていた。

 ゴーツク卿のロビー活動のせいで、次の駐在監察官は決まっておらず、その選考を一から始めたため、新任監察官の着任は当初の予定より遅れ、その遅れは本来の着任日より後にずれ込んだ。

 前任者がアレだったんだ、後任もどうだかと、俺達は命の洗濯を存分に楽しんだ。これは子供達に限った事ではなく、大人達も同様である。


 さて、そんなこんなで五歳の七五三イベントを一か月後に控え、事件は起こった。気鬱で引きこもっていたタバサを、何とか気分転換させるため、サマンサさんが城に連れてやって来たのである。

 これは俺の母ちゃんと、筆頭魔導官にして医療魔導師長、メリッサ婆ちゃんが、とにかくタバサを外に出して、外は怖くない事を教える、もしくは気鬱の原因を探ろうと考えた作戦だ。物心ついてから今までの間、一歩も外に出た事の無いタバサを徐々に外に慣らすため、まずは城に招待して自宅以外の空気に触れさせようとの魂胆だ。幸い俺達の七五三イベントの打ち合わせという大義名分がある、それを入口にタバサを連れ出し、彼女の気鬱をじっくりほぐしてやろうというこの作戦に、我が家一同拳を握り締めて乗ったのは言うまでもない。


 待ってろタバサ、お外の楽しさを骨の髄まで教えてやると、手ぐすね引いて待ち構える我が家の者共が、異様に張り切って俺をめかしこむ、なぜだ……。


「いいか、クリス、女心というものはだなぁ……」

「よーしクリス、俺が女の子のハートを鷲掴みにする方法を、特別に伝授してやろう!」

「……」


 滔々と女心について語る長兄ウィリ兄と、得意気にナンパの口説き文句をレクチャーする次兄のヨッヘン兄。


「このお洋服はどうかしら? クリス」

「いーえ、こっちのお洋服が良いわよねー、クリス」

「……」


 相も変わらず俺を着せ替え人形にして喜ぶアルディー姉とダルシー姉。


「ゴメンよ……、タバサ……」

「ああ、この白鳥は、もしかして貴方なの、クリスロード」

「……」


 念願叶い、某少女歌劇団の年末公演を観た母ちゃんは、感動のクライマックスシーンを父ちゃんと一緒に再現して見せるし、一体なんのこっちゃと思っていたら……。


「「「「「「そう言うことだから、後は宜しくな、クリス」」」」」」


 外出を嫌がり、むずかるタバサを宥めるため、この家族は俺を生き餌にする事にしたらしい。やはりダメでしたと頭を下げたサマンサに、最後の手段と言って、タバサに俺が会いたがっていると伝える様に強要したそうだ。それは良い、実際俺も彼女の気鬱の病を治す為なら、一肌も二肌も脱ぐつもりだ。しかし、方法というものが有るだろう。なんと家の連中はタバサの気を引くため、優しく強く逞しく、天より高い気高さと、海より深い思いやりを持つ、見目麗しい第三公子、クリスロードが思いこがれて待っていると吹き込むよう、サマンサさんに迫ったらしい。


 好き放題煽っておいて、肝心な所は幼児オレに丸投げかい。てか、そんな完璧幼児が何処にいる!?


「奥様達のプレッシャーに抗えず、申し訳ありません、若様……」


 涙を流して跪くサマンサさんを前にして、俺は頭に来る前に力が抜けたよ、マジ。そして、今俺は屋敷の玄関ホールの階段の踊り場に立っている。


「頑張れ」

「ガッツだ」

「素敵よ」

「自信を持って」

「男になるんだぞ」

「さぁ、いってらっしゃい」


 自分勝手で無責任なエールと共に、全てを丸投げにして寄越した家族を横目に睨むが、抱えた歓迎のプレゼントの大きなクマのぬいぐるみに阻まれ、俺の視線は誰にも気付かれる事は無かった。こんちくしょう。やりきれない想いを抱く俺の肩を、親父がポンと叩く。思わず見上げた俺の目の中に、輝く笑顔でサムズアップしている家族ばかどもがいた。


 全員歯のが、キラリと光ってやがる。


「ダメだこりゃ……」


 脱力感丸出しの俺のため息をかき消す様に、扉が開く音が玄関ホールに響き渡る。そしてサマンサさんとダーリンさんに手を引かれ、不安気に玄関ホールに入って来た猫耳幼女の姿を見て、俺は思わず息を呑んだ。

 この世界には『猫人族に不細工無し、醜女も愛嬌美人のうち』という言葉がある位、猫人族女性は美しい容姿を持つ事で知られている。特に乳幼児期は、無意識魅了魔法ナチュラルチャームと言われる程に愛らしい容姿を持つ事で有名だ。

 しかし、そんな例えが陳腐に思える程に、俺の目の前に現れた猫耳幼女は美しかった、前に鏡で見た美幼女オレなんか問題にならないほどに。そして、この猫耳幼女を俺は知っている。


 忘れもしない特徴的な錆柄、そしてオッドアイ、間違いない、あの時の子猫だ! あの子も一緒にこの世界に転生していたんだ!


 そう直感した俺は、たまらずタバサに向って駆け出していた。あの時救えなかった事を謝りに、そして再会できた事の喜びを伝えるために、乳児の時にやらかして自ら封印した魔法を解禁して身体強化を行い、全速力で駆け寄った……、だが……。


「にゃあああああああああああああ!!!! 」


 タバサはそんな俺の姿を認めると、驚いた様に一瞬目を見開いたが、すぐに怯えた表情を顔一杯に広げた。そしてギュッと目を瞑って頭を抱えてうずくまり、悲鳴を上げて魔法障壁を展開した。


「おわっ!! 」


 タバサの魔法障壁に弾き飛ばされ、床に転がった俺の視界に、弾けて落下する家具調度品が映る。


「危ない!! 」


 俺は咄嗟に家族とサマンサさんダーリンさんに魔法障壁を展開して破片から守り、タバサを見た。彼女はどうやら無意識の防衛本能で展開した魔法を制御できず、暴走させてしまった様だ。タバサの暴走した魔力の奔流は我が家の玄関ホールに吹き荒れ、破壊の限りを尽くしている。吹き荒れる魔力のサイクロンに俺達はただ耐える事しかできなかった、やがて魔力を使い切ったタバサは、怯えた様な後悔する様な瞳で俺を見つめて力なくこう言った。


「ごめんにゃさい……」


 その一言を絞り出すと、タバサは魔力を暴走させた反動で力尽き、気を失って倒れてしまった。


「タバサ!! 」


 サマンサさんとダーリンさんが、倒れたタバサに大声で呼びかける、俺もタバサの安否を確認しようと駆け寄った。


「申し訳ございません!! 」

「罰は私達夫婦が受けます! どうかタバサをお許しください!! 」


 サマンサさんとダーリンさんは土下座をして俺達一家に謝罪する、肩を震わせながら床に額をこすりつけて必死に謝罪する姿を見て、俺は何を大袈裟なと思ったが、すぐに思い直す。そうだった、この世界は封建社会だった、貴族に対して平民が粗相をするだけで処罰の対象となる、ましてや領主を相手に魔力を暴走させ、生命を危険に晒したのだ、普通に考えて死罪になってもおかしくない。不慮だの何だのは通用しないのだ。俺は三人の助命嘆願をするべく家族達を振り返った瞬間、頭上に福音代わりの鉄拳が落とされた。痛え、目から火が出た。


「こら、クリス、いきなりあんな勢いで突撃したら、タバサちゃんがびっくりするのは当然だろう! 」


 ぶたれた頭をさすりながら見上げると、ウィリ兄が呆れ顔で俺を見下ろしている。無かった事にするつもりだな、ナイスだぜ、兄ちゃん!


「さぁ、ダーリンさんもサマンサさんも頭を上げて、立って下さい」


 ウィリ兄は膝をついて二人の肩に優しく手を添えて、そう声をかけた。


「しかし……、若様……」

「いやぁー、ウチの弟が迷惑かけてすいません、せっかく来ていただいたのにこんな事になるなんて。本当に申し訳ありません、ほら、お前も突っ立ってないで頭を下げろ」


 なおも何かを言い募ろうとするダーリンさんの言葉を遮り、愛想の良い笑顔を浮かべながら、ヨッヘン兄が俺の頭を強引に下げさせる。流れ的には兄ちゃんグッジョブなんだがちょっと待て、何で俺だけが悪い事になっているんだ!?


「まぁ、なんて愛らしいのかしら、タバサちゃん」

「本当に天使みたい。これじゃあクリスが辛抱出来なくなるはずよ」

「「ねぇー」」


 タバサに治癒魔法をかけながら、アルディー姉とダルシー姉が勝手な事を言いながら盛り上がっている。有無を言わさず有耶無耶にしようという作戦の様だが、それじゃぁ俺は幼女に欲情した変態だよ、それって何? 酷くね!?

 釈然としない俺の心に、親父と母ちゃんが更に釈然としないものを積み上げる。


「いやいや、ウチの息子が失礼をした。どうも私に似たらしく、美人には目が無い様で申し訳無い」


 ……お、親父ィ……


「アナタっ!! でも本当にタバサちゃん可愛く育ったわね、クリスがつい夢中になるのも無理ないわね」


 ……か、母ちゃん……


 親父達の対応に、呆気にとられてぽかんと見上げるサマンサさんとダーリンさんを囲み、親父達は豪快な笑い声で包み込む。


 俺一人だけ蚊帳の外な感じがするのは気のせいなのだろうか、この疎外感は何?


「クリスには後でよく言って聞かせておきます、今日のところはもう帰って、タバサちゃんを休ませてあげるといいでしよう」


 あくまでも『領主』としてではなく、合同出産で一緒に妻と産まれてくる赤子の無事を祈った、『同志』としての立場を崩さない親父は、そう言って二人の手を取り立ち上がらせた。母ちゃんは母ちゃんで、親父の言葉に相槌を打ち、サマンサさんに気遣う様に声をかける。


「そうね、それが良いわ。サマンサ、お詫びに後で取っておきの蜂蜜を届けさせるわ、タバサちゃんに食べさせてあげて」


 こうして何もかもが俺のせいとして処理され、恐縮しながら帰路に着いたスチーブンス一家を見送り、タバサの気鬱解消作戦は失敗に終わった。


「さて、後はこれをどう誤魔化すかだな」

「あの駐在監察官バカが、王都に帰還した後だったのが幸いでしたわね、あなた」

「全くだ」


 頭を掻きながら、親父は間もなく到着するであろう警備隊に、この玄関ホールの惨状をどう説明するか悩みながらも、母ちゃんの意見に同意する。


「父上、この後始末なら心配有りませんよ」

「ええ、これは僕達がタバサちゃんを歓迎するためにやった『魔法合戦』の跡なんですから」


 ウィリ兄とヨッヘン兄が親父に向ってそう言うと、タバサの魔法暴走で廃墟と化した玄関ホールを、自らの魔法で更に荒らし始めた。確かにこの手ならタバサを庇う事が出来る、流石は兄貴達、上手い事考えると思ったが、続いて二人から発せられた言葉いらんことが、俺のその思いを打ち砕いた。


「弟の不始末は、兄がフォローしなくちゃな」

「全く、一個貸しだからな、クリス」


 俺の眉間に深い皺が刻まれた。元はと言えば、あんた達がノープランの癖に安請け合いして、無責任に幼児オレに丸投げしたせいじゃねえか。


「ほら、クリスも手伝え」


 少し乱暴にワシワシと俺の頭を撫で回すウィリ兄の手が、俺の心の不快指数を急上昇させる。


「お前も少しは出来るんだろう、一丁派手にお披露目しろよ」


 ヨッヘン兄さん、忘れたのかい、俺が乳児の時に何をしたのか。


 宜しい、ならば教育して差し上げよう。それにこれはタバサを庇うためなのだ、躊躇う必要はどこにもない。

 俺は静かに右手を振り上げながら例の逸物をイメージする、そしてそのイメージが固まったところで、成長と共に増えた魔力を上乗せして右手を振り下ろした。


 ほとばしる閃光、鳴り響く轟音、木端微塵に吹き飛ばされた玄関ホール、腰を抜かしへたり込む家族達……。ああ、胸がスーッとしたぜ、へーんだ、こんちくしょう。


 しかし俺が溜飲を下げても現状は解決しない、タバサの気鬱は解消しないのだ。これは自分の無力に苛立った挙句の八つ当たりに過ぎない、俺の胸の中は急速に自己嫌悪で満たされていった。


 せっかく巡り会えたあの子猫タバサの力に、今度こそなってあげたいと俺は強く思う。しかしその方法が見つからず悶々とする俺には、数日後王都から解決策がやって来るなんて知るよしもなかった。

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