第5話 三才になりました

「まぁ、よく似合っているわよ、クリス」


 俺に服を着せ、そう言って鏡の前に立たせて、御満悦なのは姉のアルドンサである。


「あら、こっちの方が似合うんじゃなくて? 」


 そう言って別の服を俺に合わせるのは、もう一人の姉のダルシネアである。因みにこの二人は一卵性の双生児であり、俺はいまだに区別がつかない時がある。


「クリスはどっちがお気に入り?」

「勿論お姉ちゃんが選んだ服よね、クリス」


 この二人、確かに服選びのセンスは良い、流石に貴族の娘である。だが俺は気に入らない、どっちも絶対気に入らない、断固抗議すべく俺は口を開いた。


「おねえたま、ぼくはこのおようふくはいやです」


 舌っ足らずの自分の口がもどかしいぜ!


「何故!? どうしてなの、クリス……」

「クリス、もしかして、お姉ちゃんの事が嫌いになったの!? 」


 また始まったよ、俺がこう言うと、いつもこれだよ。この世の終わりが来たみたいな顔で崩れ落ちる事ないじゃんか、いまガーンって音が聞こえたよ全く……。仕方ない、フォローの一つも入れておくか。


「いいえ、ぼくはおねえたまたちがだいすきです」

「ええ、そんな事分かってますよ、可愛いクリス」

「勿論 わたくしだって。ならどうしてこのお洋服は嫌なのかしら? 」


 全く毎度毎度同じ反応だよ、大好きだって言った途端に立ち直る。立ち直るどころか、テンション更に上がったよ、今度はパァッって音が聞こえたよ、本当にもう。

 それから何だって? どうしてこのお洋服は嫌なのかしらって? 嫌だよこの人達は全くもう、そんなの毎度毎日口が酸っぱくなるほど言ってるじゃねえか、そろそろ耳にタコが出来てもいい頃合いだよ、耳にイボコロリでも流し込んでいるんじゃないの、この姉達は本当に。分かった、分かりました、何度でも言ってあげます、今晩夢にうなされるほど、これでもかって程言って差し上げます。


「おねえたま、ぼくはおとこのこです。だから、スカートなんかいやです」


 なっ、何だよその反応は? 目を潤ませて体をわななかせて、一体全体何が込み上げて来てるんだ?


「聞いた、ダルシー?」

「ええ、しっかりと、アルディー」

「『ぼくはおとこのこです』ですって! 」

「『だから、スカートなんかいやです』ですって! 」


 ち、ちょっと待て、そんなうっとりした目で俺を見るな! 見るなぁ~! うげっ……。


「「可愛いぃ~~~~~~~」」


 くっ、苦しい~~、抱きしめてブンブン振り回すなぁ~~!


 乳児の頃にはっちゃけたせいで、俺は暫く兄弟達から腫れ物の様に扱われたが、自重して魔法を封印していたら、又すぐに可愛がられる様になった。

 立ち上がっては抱き上げられ、歩き出したら頬擦りされ、まさに蝶よ花よと育てられてきた。やがてオシメが取れ、一人でトイレが出来るようになり、片言ながら言葉を使いだし、ある程度感情が抑制でき物心がつきだしたのがつい最近。

 不思議なもので、前世記憶が有っても、感情なんかは肉体年齢相応であるらしい。まぁ、その方が気持ち悪がられずに済むから、好都合なんだけどね。俺は前世で母親兄貴に散々イビられてきたから、あの魔法事件には正直頭を抱えたよ、また今世でもイビられるのかと世を儚んだよ。まさか乳児のうちに、ダザイさんの気持ちが理解出来るとは思わなかった、産まれてスミマセン。

 そんな思いは杞憂に終わり、骨格も足腰もしっかりして、産着を卒業して子供服を着る様になり、初めて鏡の前に立って自分の姿というものを見て俺は愕然とした、目を疑った、腰を抜かす所だった。

 雪の様に白い肌、ガーネットの様な赤い髪の毛、そしてルビーの様なあかい瞳。そして卵形の小顔の中にバランス良く配置された目鼻口とその造形、綺麗に整った完璧なEライン! どこの美幼女だよ、……って、まさか!?


 俺は急いでトイレに駆け込んで股間を確かめた。よかった、付いてる!


 トイレから出て、恐る恐るもう一度鏡の前に立って、しげしげと中を覗き込む。

 右手を上げる、鏡の中の正面の手が上がる。

 左足を上げる、鏡の中の正面の足が上がる。

 あかんべーをする、鏡の中からあかんべーされた。

 うん、間違いない、鏡の中の美幼女は……、俺だよ(涙)


 俺は姉二人の『生きた着せ替え人形』となり、今に至る。因みに髪の毛は毛先を整えるだけで、バッサリと切った事など一度も無く、長さは肩を過ぎて背中迄に達していた。二人が学校から帰ると、宿題などそっちのけで俺を着せ替え、髪をいじってキャアキャア言って喜んでいる、マジで勘弁して欲しい。そして今そのボルテージはMAXになっている、何故ならば子供の一大イベント、俺の初めての七五三を目前に控えているからである。

 面白い事に、こちらの世界にも七五三イベントがある。内容と性格は日本の七五三と同じく子供の成長を祝い願う物で、違う所は全年齢性別関係無くその年齢に達した子供達全てが、誕生日に教会で儀式を行うという所だ。

 三歳の今年は、悪霊に地獄に連れ去られない様にカムフラージュするため、教会で髪を切り悪霊に持っていかせる、という儀式をするそうだ。それに加えて俺は継承権三位を持つ領主の息子で、初めての公式の御披露目となる。これが姉二人を熱くする理由である。熱くなるのは良いが、俺としてはなるべく脱線しないで欲しい。


 俺が辟易とし、同時に途方に暮れている時、姉二人の脱線を修正するべく福音が訪れる。母親エリザベスが侍女サマンサと一緒に部屋に入って来た、サマンサは俺の七五三の衣装、勿論男の子用の貴族の子供礼服を手にしていた。


「アルディー、ダルシー、悪ふざけもいい加減にしなさい」


 母ちゃん、助かったぜ!


 俺が胸を撫で下ろしている隣で、姉二人は口を尖らせて反駁する。


「だってお母様、クリスはこんなに可愛らしいんですよ!」

「私達に罪は有りません、悪いのはクリスをこんなに可愛くお作りになった神様ですわ!」


 何を言ってるんだよこの姉達は、と俺が思う間も無く母エリザベスはぴしゃりと二人の反駁を叩き潰した。


「クリスが産まれた時、メリッサ筆頭魔導官が何と仰っていたか、二人共忘れたのですか?」

「「……そ、それは」」


 母親の一言で、この暴走ツインズが一気に萎れ項垂れる、一体何を言われたんだろう? 謎だ。しかしこんな姿を見せられると、着せ替え人形扱いされていた事は一時棚上げして庇ってあげたくなる。こんな姉達でも責任感は強いんだ、その証拠が今二人が頭に着けている猫耳カチューシャだ。これはファッションやおふざけで着けているのではない、このモーリア辺境伯領では女性医療魔導官を示すいわばナースキャップの様な物である。由来はこの地で医療魔導官の育成に生涯を尽くした人が、猫人族の女性だったという事だ。彼女の生涯と功績に敬意を表し、誰からともなく自然発生的に着け始め、それが正式採用されて今に至っている。因みに階級で色分けされていて、一番下の白から始まり、茶寅、雉寅、鯖寅、灰、三毛、黒、錆柄の八段階に分かれている。現在最高位の医療魔導官は、筆頭魔導官を兼任するメリッサ魔導官で、彼女の猫耳カチューシャの色は黒である。錆柄は黒カチューシャの医療魔導官の中で、特に功績のあった者に引退後贈られる名誉賞的な物で、死後に贈られる事が多い。これは由来の女性の髪が錆柄だった事に起因する、まあ、畏れ多いという事だろう。

 で、実質黒が最高位の猫耳カチューシャだが、うちの姉達はというと、当然一番下っぱの白である。


 彼女達は、初等教育後半で基礎魔導師クラスに進級すると、逡巡する事無く専攻科目のトップに医療魔導の授業を選んだそうだ。その理由は、領民の健康を守るのは領主の一族に生を受けた私達の務めである、その事を俺の誕生を通じて自覚したからだそうだ。そんな訳で、本来はまだ早いのだが、彼女達は既に見習い医療魔導官として活動を始めている、自宅でもカチューシャを外さないのは常在戦場の精神であり、高貴なる者の務めノブレスオブリージュを果たさんとする覚悟の現れである。まだ子供のくせに、姉ちゃんスゲェ。

 そんな訳で知らず知らずの内にストレスが溜まるのだろう、その解消法として俺を着せ替え人形にして遊ぶのである。あっ、何か少し腹が立ってきたな。よし、今回は庇うのは止めだ、この二人が俺の愛で方を良い方向に変えたら、何かあった時に庇ってやろう。うん、それが良い。


 項垂れる姉達に、母エリザベスはパンパンと手を叩いて指示を出す。


「分かったら顔を上げて。クリスが七五三に着る衣装を持ってきたから、試着させて頂戴」

「「はい、お母様」」


 母親の指示が気分を変えるきっかけとなり、新たなモチベーションとなった二人は、サマンサから衣装を受け取ると喜々として俺の着替えを始めた。……、着替えなんか一人で出来るんだが……、まぁ、良いか。

 俺の着替えの間、エリザベスはサマンサに頭を下げ、詫びの言葉を口にしていた。


「本当にご免なさいね、サマンサ。家が至らないせいで、あなた達に恥をかかせてしまって」

「いえ、いいんです、頭をお上げ下さい、奥様。仕方のない事です」

「ああ、思い出す度に頭に来るわ! うちの宿六と来たら全くもう、あんな奴を気にするなんて、悔しいったらありゃしない! 」


 ……おっかねぇ。


 サマンサは憤慨する俺の母親エリザベスの手を取ると、目を閉じて首を左右に振り、感謝の表情を浮かべながらも諫言を口にする。


「奥様、私達家族の為にお怒り下さって本当に有難うございます。ですがモーリア辺境伯領は王国直轄地に比肩する面積と経済力を持つ大領地です、そのため国内の貴族達のいわれのない妬みに、アマデウス帝国の離間の計と問題を抱えているのも事実。どんな些細な事でも、中央に疑念を持たせてはなりません。御館様の判断は正しいと存じます」

「貴女にそう言って貰えると助かります、サマンサ。有難う」


 エリザベスはサマンサの手を握り返し、素直に諫言を受け入れた。


 俺の七五三を前にして、今何が起こっているのかというと、宮廷社会上流社会に付き物の、しょーもないが深刻な出来事が起こっていた、下らない。

 我がモーリア辺境伯領は、150年前に初代バトラーが臣籍降下して、難治の土地と言われたこの地に任官して治め、統治に成功して現在に至る。彼一代で失地を回復し、経済成長をさせたのだが、彼の偉業は決して楽に達成された訳ではなく、困難に次ぐ困難の棘の道だった。特に失地回復のきっかけとなった、第一公子の戦死は彼に取って耐え難い痛手だっただろう。因みにこの出来事は物語となり王国全土に広がっており、幼児向けの寝物語から青少年向けのヒロイックファンタジー、果ては貴婦人向けのメロドラマとして、彼の死後120年間に渡り国民の心をガッチリと鷲掴みにして離さない。余談ながら彼の伝記は当然舞台化され、毎年年末興行が上演され、これを観ないと年が越せないという程に深く社会に浸透している。


 当然の如く俺も寝物語に聞いたその話は、かいつまんで説明するとこういう話だ。




 初代モーリア辺境伯バトラーが種族融和の為に自ら行った、異種族を交えた合同出産で産まれた第一公子、彼はその場で同時に父親となった全ての者が名付け親となり、クリスロードと命名された。


 クリスロードは父親の思想を体現した様な息子で、教育の結果としてではなく本人のもって産まれた資質として、異種族差別や偏見を持たない子供だった。身分の差など意に介さず、どんな被差別種族の子供でも、分け隔てなく友達となり、城を脱け出してはやんちゃを繰り返していた。そんな子供達の姿に、大人達も次第に差別意識を無くしていった。いつしか領民達の希望のアイドルになったクリスロードの初恋の相手は、合同出産で一緒に産まれたタバサという名前の可愛らしい少女である。彼女は美しい緑と白の瞳という、特徴的なオッドアイを持ち、これまた特徴的な錆柄の髪の毛を持つ猫人族の娘だった。二人はやがて将来を誓い合うのだが、折しも隣接するアマデウス帝国の圧力が強まり、クリスロードは一部隊の隊長として国境の砦へと赴任していった。国境の防備が終わらぬうちに、アマデウス帝国軍の夜襲により戦端はひらかれた。奇襲を受け浮き足たつモーリア辺境伯軍の中で、唯一クリスロード率いる部隊が奮戦し、襲いかかるアマデウス帝国軍に敢然と立ち塞がった。

 クリスロード部隊が最前線に残り奮戦するなか、他の各部隊はその隙に一時後退して再編に成功、逆襲に転じるが時既に遅かった。



 クリスロードは迎撃に先んじて、部隊の中の初年兵少年兵を召集して一喝した。


「諸君等にこれから重要な命令を与える、心して拝命せよ」

「はい!」


 敵陣突撃の命令を受けると思った少年兵は、皆その栄誉に顔を紅潮させ、気合いの入った返事を返した。しかし、クリスロードが与えた命令は、そんな彼等の期待を裏切る物だった。


「諸君等はこれより、伝令として城に走り、一刻も早くこの窮地を我が父親バトラーに伝え、援軍を要請するのだ。全軍を救い、我等が領地を守れるか否かは、諸君等の双肩、両足にかかっている、良いな! 」


 拍子抜けした表情を浮かべた少年兵達に、クリスロードが一喝する。


「何をしている! 兵隊! 復唱!」

「はっ、自分達は今から城に走り、バトラー様に援軍を要請します」

「よし、命令遂行後はどう行動するか!? アダム二等兵」

「はっ、命令遂行後は速やかに原隊復帰し……」


 淀みなく答える猫人族のアダム二等兵を殴り倒し、クリスロードは全員を厳しい目で睨み付けた。


「馬鹿野郎! 命令遂行後は、原隊復帰はこれを禁じる。貴様達は命令遂行後は現地指揮官の指揮下に入り、その指示に従う事、良いな。従わない者は、抗命罪で今すぐ処刑する」


 そう言って、クリスロードは全員に命令書を手渡した。最後に殴り倒したアダム二等兵を助け起こし、命令書を手渡しながら彼の耳元に囁いた。


「タバサを……、君の姉さんを頼む」

「はい……」


 クシャクシャに顔を歪め、涙を流して答えたアダム二等兵は、クリスロードの恋人、タバサの弟だった。クリスロードはアダム二等兵を隊列に戻すと、鬼神も逃げ出す様な荒々しさで少年兵達に最後の命令を下した。


「兵隊! 回れぇー右! 駆け足、前ぇー進め! 」



 少年兵達を後方に送り出したクロスロードは、後ろに控えていた青年兵 ━幼なじみ達━ を振り返る。


「悪い、みんなには貧乏クジを引いて貰う」


 謝罪するクロスロードに向かい、幼なじみ達は笑顔で口々にこう答える。


「言いっこ無しだぜ、クリス」

「俺達はどこまでも一緒だぜ、なぁ、みんな! 」

「おうともさ、アマデウスの連中に、目にものを見せてやろうぜ!」

「そうだ、そうだ!! 」


 幼なじみ達の言葉を聞くと、クロスロードは深く彼等に頭を下げて、腹の底から大きな声で一言「すまん!! 」と言った。そして頭を上げると、幼い頃、皆を誘い出して領地を駆け回っていたあの時の顔で全員を見回した。


「俺はこれから地獄に攻め込み、領地を切り取って国を建てに行く、お前達はどうする?」


 そう聞いたクロスロードに幼なじみ達も、一緒に悪さをしていたあの時の顔で応じる。


「クリス、俺を将軍にしてくれよ」

「俺は宰相が良いな」

「じゃあ僕は筆頭魔導官! 」

「お前、魔法使えないだろう」


 ある者は冗談混じりに、そしてある者は真面目な中に諧謔を込めて、またある者は茶目っ気たっぷりに答えた。そして澄みきった目でクリスロードに敬礼を捧げる。

 皆の顔を、彼等に劣らぬ澄んだ目で見回したクリスロードは実に色気のある答礼を返し、砦の門の前に歩み進んだ。幼なじみ達は、その後ろを横隊整列でついていく。

 クリスロードは門を開け放ち、敵陣を見回しながら、幼なじみ達に指示を出した。


「我等はこれより地獄に向かって突喊する、総員抜剣! 」


 幼なじみ達はこれに従い、鞘から白刃を引き抜く。


「クリスロード・モーリア隊、突撃にぃー移れぇー! 」


 クリスロードがそう叫び、槍を構えて駆け出すと、彼の幼なじみ達は雄叫びをあげて後に続く。その瞬間、アマデウス帝国軍の最前線で、地獄の釜の蓋が開いた。


 少数部隊の突撃など鎧袖一触、奴等の自殺願望を望み通り叶えてやれと、たかをくくっていたアマデウス帝国軍は、鬼神と化したクリスロード部隊に蹂躙された。勝ちの見えたいくさになると、どうしても兵士の心理は自己の生存、保身に傾く。生存本能の基本は、恐怖に対して従順に従う事である。だがしかし、戦場でのそれは、逆に自己の命を危険に晒す事になる。恐怖に呑まれた部隊では、兵は指揮官の指示より自己の生存本能を優先し始める、余程の手柄が予測出来ない限り、敵に対して及び腰となり、戦場が混乱していく。その最悪の結果が、士気の崩壊から来る全面壊走だ。現代戦ではこれを防ぐ手立てとして、遠距離から圧倒的な鉄量を叩きつけ、守備側の士気を根こそぎ粉砕してからの進軍という手段がある。しかし、この世界のこの戦場においてアマデウス帝国軍にそれを行う術はなかった、逆襲に転じた敵の一部隊、主に鬼神の表情で無双を続けるクリスロードを前にアマデウス帝国軍は、怯懦という内なる見えない敵に蝕まれていった。

 アマデウス帝国軍がこの戦場に踏み留まっていられるのは、数の上での優位のみという危うい状況である、ここに敵の援軍が来たら、あっという間に突き崩され、全面壊走に陥るだろう。それを危惧した指揮官の一人が、前線からやや引いて戦場を俯瞰した、敵陣後方に伝令とおぼしき兵隊が、後方に向かって走る姿を視認する、まずい。


「魔弩弓部隊、後方の伝令を狙え! 」


 魔弩弓とは、魔力を弩弓に込めて、射程距離と殺傷力を高めた、この世界における長距離兵器である、魔力の強い兵が用いると、精密狙撃も可能な代物だ。その声を聞きつけたクリスロードは素早く戦場を見回す、そして伝令として逃がした少年兵達を狙う魔弩弓部隊を発見した。


「!」


 狙撃を阻止するには距離が有りすぎる、身体強化魔法を使っても間に合わない! ならば!


 敵指揮官の「撃て」の号令に合わせ、クリスロードは身体強化魔法を使い、少年兵達を庇い矢の雨の中に飛び込む。


「クリス!」


 矢を受け地に膝を着くクリスロードに、幼なじみ達が駆け寄る。


「今だ! 遠巻きにして矢を射よ! 」


 敵指揮官の号令の下、無数の矢の雨が彼等に襲いかかる。クリスロード部隊の青年兵達は、互いに幼なじみを矢の雨から守るため、身を投げ出して庇い合い、一人また一人と倒れていった。しかし、クリスロードは倒れない、槍を杖に立ち上がると、雄叫びをあげて手近にいた敵兵を屠る。クリスロードは敵指揮官を鋭い眼光で見据え、敵兵を屠りながら歩み進む。


「何をしている、奴を射よ! 有りったけの矢を浴びせろ! 」


 恐怖におののく敵指揮官の号令の下、アマデウス帝国軍から殺戮の集中豪雨がクリスロードに襲いかかる。しかし、クリスロードは倒れない、全身に矢をうけながらも、一歩進んでは一人倒し、二歩進んでは二人倒し、不敵な笑みを浮かべつつ、確実に敵指揮官に近づいて行った。


「ば、化け物だ……」


 敵指揮官がそう呟いた、その呟きが周囲の兵達に伝播する。


 化け物だ

 化け物だ

 化け物だ

 化け物だ


「に、逃げろー」


 敵指揮官の怯懦が全軍に波及し、敵兵達は我先に逃げ出した。

 壊走する敵兵の背中を確認すると、クリスロードは満足気ではあるが、困った様な表情で笑みを浮かべ、一言こう言って立ち往生を遂げる。


「ごめんよ……、タバサ……」


 この知らせを聞いたタバサは髪を下ろし、クリスロードの菩提を守り純愛を貫く傍ら、医療魔導官の育成にその生涯を捧げたのである。



 以上が事の顛末である、最後の一言は物語のクライマックスを飾る為に創作された一文で、あざとさが見え見えなのだが、その破壊力は天罰てきめん、御婦人達の涙腺を守る防壁は粉微塵に粉砕され、滂沱の津波による洪水被害の報告が絶えないという。噂によると、とある少女歌劇団では、立ち往生したクリスロードの魂が白鳥になってタバサの許に舞い降りて、愛の讃歌を歌って幕を下ろす演出だそうだ。日本武尊ヤマトタケルかい、全く。そう言えば家の女衆はこれがどうしても観たいらしい。


 クリスロードの武名は天下に轟き、敵であるアマデウス帝国ですら、彼を軍神戦神に祭り上げて信仰している。


 俺はこの話を寝物語で聞かされた時、我が亜父ダーリン氏は一体何を考えて俺にこんな重たい名前をつけたのか疑問に思った。きっと深く考えていないんだろうな……、俺は今世では絶対に畳の上で死ぬんだい!


 さて、話が横道に逸れたので本題に戻すが、こんな150年に渡る先達の苦労を、綺麗さっぱり忘れてしまう馬鹿な御仁も存在する。モーリア辺境伯領に王国政府から派遣された、駐在監察官ゴーツク・フォン・バーバリー氏がその御仁である。駐在監察官とは、半独立の権限を持つ王国内の各辺境伯領に赴任して、王国政府の意向を伝えながら、反乱の兆しが無いか監視する役人で、任期は四年間である。まあ簡単にいうと大使みたいな役職だ。

 辺境伯領にも色々特色が有り、王国政府に対して常に野党的な態度を取る所も有れば、王国政府の方針に従順に従う所も有る。前者には有能で遣り手の監察官が派遣され、後者には引退直前の法衣貴族にその功績を慰労する、慰安旅行を下賜する意味合いで派遣されるのが一般的だが、時として全く使えない無能な法衣貴族が赴任する場合も有る。

 我がモーリア辺境伯家は、王家から派生した由緒正しい家柄で、王家や王国政府からの信頼も篤く、後者のパターンでの監察官が赴任するのだが、王家からの信頼は甘えになる場合が往々にして存在する。つまり、悪いけどコイツを頼むよ、と後者の後者というパターンが、他の辺境伯領に比べて圧倒的に多いのだ。


 今赴任しているゴーツク・フォン・バーバリー氏も先に触れた通り、どうしようもない馬鹿監察官である。彼の先祖は150年前に、この地に封じられる予定のコンガ・フォン・バーバリー氏である。

 当時この内示を賜ったコンガ氏は頭を抱えた、いくら王命とはいえ住み慣れた王都を離れ、あの難治の地に赴任するなど真っ平御免である。悩みに悩んだ末、彼は親友のバトラー王子に相談を持ちかける。これがバトラー王子の上奏、臣籍降下に繋がった。 後にクリスロードの葬儀に参列したコンガ氏は、バトラーの手を握りしめ、自分ではこの難局を乗り切れなかった、自分の無能さがクリスロードの死に繋がったと涙を流して詫び続けたという。


 しかし、150年経た今代バーバリー卿ゴーツク殿は、そんな祖先の想いなどこれっぽっちも持ち合わせてはいなかった。モーリア辺境伯領に赴任した彼は、王都に匹敵する発展ぶりを見せるこの地を見て、激しくモーリア辺境伯カーレイに嫉妬の情を覚えた。

 本来ならば祖先コンガが領有し、そして自分が相続するはずだったこの地を、王族という立場を利用して掠め取ったバトラー王子を憎んだ。

 予定通りコンガ氏が封じられていたら、今自分が存在していない可能性が高いという事にも考えが及ばない彼は、言いがかりにすぎない自分の思想に則り、中央政府に向けて誹謗中傷の報告を繰り返し、中央政府の役人という地位を嵩に着て、モーリア辺境伯家に無理難題を押し付けるのであった。

 そしてヒト族至上主義でもある彼にとって、俺が猫人族の幼女と今回の七五三の儀式を一緒に行う事は耐え難い屈辱であるらしい。彼はその行為を、他種族を糾合して中央に反逆する意思の表れである、とイチャモンをつけてきたのである。ゴーツク氏の的外れな糾弾に辟易した父カーレイは、今回はご免なさいとスチーブンス家に頭を下げたのだった。母エリザベスは、そんな夫カーレイに軽く不満を持ってサマンサに愚痴をこぼしていたのだ。


 姉達の着せ替え人形に甘んじている俺の耳に、母と亜母の会話が聞こえる。


「監察官様の任期は来年で終わりです、奥様、どうか自重なさって下さい」

「そうね、でもそれが一番難しいのよ~」

「奥様!」


 サマンサが苦笑いで母エリザベスを諌める、母ちゃん武闘派なんだ……


 母ちゃんと同意見の俺は、七五三の最中に、出席しているゴーツク氏に対して何かやらかしてやろうと考えていたが、サマンサの言葉に従い自重する事にした。奴の任期は後一年、障らぬ馬鹿かみに祟りは無い。それより亜母の心を安んじる方が重要だ。


「ああ、そうそう、七五三が終わったら、みんなでお祝いの食事会なんてどうかしら? 久しぶりにタバサちゃんに会いたいわ。大きくなったでしょう」

「……奥様、申し訳ありません。実は、タバサは今臥せっていまして、折角のお誘いですが、お受け出来ないかも知れません」

「まぁ、それは心配ね」

「健康状態に異常は無いのですが、メリッサ様は気鬱の病と仰っていました」

「私に出来る事が有れば何でもするわ、遠慮なく言ってね」

「はい、有難うございます、奥様」


 タバサが気鬱の病とは心配だ、彼女は俺と一緒に産まれた女の子だ。ダーリン氏が俺にクリスロードと命名した代わりに、父カーレイが彼女にタバサと命名したそうだ、何を考えているんだかね、全く。


「お母様、試着終わりました」

「ジャーン」


 俺の着替えを終えた姉達が、母エリザベスにその報告して俺の背中を押す。その手のままに、母親に向かって一歩踏み出した俺の姿を見て、母と亜母は瞠目して称賛のため息をもらした。


「良く似合ってるわ、クリスロード……」

「若様、何て凛々しい……」


 四人の女性がうっとりと俺を眺めていたが、俺はちっとも有頂天にはなれなかった。それよりも、まだ見ぬタバサの気鬱が気になって仕方がなかった。

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