第3話 煉獄、そして転生輪廻《サンサーラ》

 男は気がつくと、真っ黒い空間の中にいた。寝ているような、立っているような、地に足がつかない不思議な感覚で、ゆっくりと前に進んでいた。


 俺は、一体どうしたんだ……確か……、事故に遭って……


 とりとめもなく男が考えていると、不意にフラッシュの様な眩しい光に包まれた、思わず顔を覆って目を瞑る。

 視界が回復すると、そこは幼少期に住んでいたアパートだった。余り懐かしさは感じない、何故ならここは……


 じんわりと不快感に包まれていく男の耳に、乾いた打撃音が響いた。驚いて振り返ると、そこには鬼の様な形相で、女が幼児を箒の柄で、滅多打ちの折檻を加えている。

 泣き叫び逃げる幼児を執拗に追い詰め、箒の柄を振り下ろす。


 おい、止めろ!


 男が女に向って叫ぼうとするが、声が出ない。取り押さえ様にも、手が届かない。


 そうだ、この光景を俺は知っている、あの女は俺の母親で、あの幼児は幼い頃の自分だ!


 止めろ!止めてくれ!


 再び手を伸ばすと、その光景は急速に遠ざかり、男は元の空間に戻されていた。

 男は気を鎮め、荒い息を整えようと試みる。


 そうだった、俺は虐待されていたんだ。


 走馬灯の様に、虐待されていた思い出が映像となって俺の周りを取り囲み、流れていく。


 幼児期は酷い折檻だったが、小学生になると俺の一挙手一投足に因縁をつけ、口汚く罵り、からかい、小突き回し続けた。俺が耐えきれなくなり、悔し泣きする姿を嘲る様に見下ろしながら、母親は満足気にいつもこう言っていた。


「ああ、胸がスーっとした」


 あの頃、俺にとって家は地獄だった。


 いつも母親に、恩着せがましく聞かされた事が二つ有る、俺を産んだ理由と名前の由来だ。


「お母さん本当はお医者さんに、九朗を産んだら危ないから止めなさいって言われたんだよ。どうして産んでやったかわかる? それはね、九朗を産まないと、お兄ちゃんが独りぼっちで寂しい思いをして可哀想でしょう、だから九朗を産んでやったんだよ」


 そんな理由の、一体何に感謝しろと言うのだ!


「九朗という名前はね、お母さんが昔、お世話になった人の名前なんだよ。本当は九郎にしたかったけど、お父さんが九朗で申請したから……」


 俺は後から知る事になる、九郎は昔世話になった男ではなく、初めての男の名前だという事を。

 九郎を九朗で登録したのは、父親のせめてもの抵抗だった事を。


 そんな名前をつけられて、一体何を誇ればいいんだ!

 これなら、キラキラネームの方がまだマシだ!


 そんな理由からかどうかは知らないが、年子の兄も幼少期から俺をイビリ抜いた。学校でクラスメートを誘い、大勢で俺を囲んで虐め抜く。下校後親に報告させまいと先回りして、玄関前で金属バットを素振りして、家に入れない様に画策する。


 何て家族だ!


 一時期ながら、俺に対する二人の虐待が止まった事が有る。兄の振り回す金属バットを頭に受け、俺が救急車で病院に運ばれた時だ。

 父親に何故、母親と兄がこんなに酷い虐待をするのか、涙ながらに訴えた事がある。

 俺の入院中家で何があったか知らないが、退院後暫くは虐待が止まった。


 兄については確かに止まったが、母親については止まったとはいえないかもしれない、正確には虐待の質が変化していったという方が正しいだろう。


 幼児期からこんな母親に育てられた俺は、きっと友達の母親も同じに違い無いと思い込み、身を守る為に努めて礼儀正しく接して来た。

 近所の大人に対しても同様である。


 加えて学校の成績も割と高い方で、教師達からの受けも良く、自分が望んだ訳ではないが、気がつくとクラスで評判の優等生というポジションについていた。


 中学校のPTAの会合で、それを耳にした母親は、優越感に酔い痴れる。


 その日から、過干渉という地獄が始まった。

 PTAの会合で自慢話をする為に、あれをしなさい、これはダメだとしつこく干渉を繰り返し、俺が意のままの行動をしなければ、酷いヒステリーを炸裂させる。

 そんな親の姿は見たくない、俺は表面上は従って、やり過ごす事を覚えた。母親はそんな俺に満足して、喜々としてPTAの会合に出掛け、脚色満載の自慢話をし、優越感に浸るのだ。

 PTAからの帰宅後、母親は軽躁状態で、何度も何度も会合で注目されたという同じ話を、繰り返し繰り返し話し続ける。


 俺が覚めた目で見いる事すら気付かずに。


 しかし、まぁこの程度ならば、以前の虐待よりはだいぶマシである。そう思って折り合いをつけていた俺だったが、事態は急変する。


 事業の失敗で、父親が自殺したのだ。


 これにより、母親のブレーキは完全に消失した。

 父親の葬儀の日、俺や兄の存在が、他人からの同情を引く為の、有効な道具になる事を母親は知ると、新たに得た悲劇の女という地位を磐石にする為、過干渉に溺愛という行為が加わった。


 愚かにも母親は、子供である俺からも、憐れみを乞おうとしていたのだ。


 俺が高校生になり、家から巣立つ時期が近づくと、母親は子供に執着する化物になっていた。

 これを察知していた兄は、母親に対して暴力、暴言の反抗を繰り返し、母親の執着心が俺に向く様に仕向けた。更に兄は俺に対しても、虐めイビリを再開して母親と共闘する様に画策した。


 自分がいつまでも他人から憐れみを乞い称賛を得、虚栄心を満たす為に子供に将来を縛り、自分の元から巣立つのを禁じた母親。彼女の思惑を、兄は俺を生け贄にする事でかわし、自由を獲得して望む進路を手に入れ、家を出て行った。


 さて、そんな経緯が有って、俺の高校卒業後の進路決定は迷走を極める。


 幼稚園の年長組である程度の漢字を使いこなし、足し算引き算だけではなく、掛け算割り算まで理解し、小中高と通じ『学校始まって以来の天才』と称された、当時の俺の夢は三つ有った。


 現実的に実現可能な夢は二つ。


 大学教授

 研究所、もしくは企業の研究員


 である。


 父親の自殺で、一度は大学進学を諦め、進学校から工業高校へ路線変更していた俺だった。

 しかし、国立工業大学への推薦入試枠に必要な成績を、ぶっちぎりでクリアしていた俺は、新聞奨学生等の勤労学生や、各種奨学金制度の存在を知った。唯一の懸念である学費の問題が解決すれば、この道を躊躇う事は無い。


 母親に進路をどうするのかと聞かれ、以上の様に答えた瞬間、彼女は狂乱した。


「そんな大学に入って、将来どうするつもりだ、お母さんは絶対許さない! お前は地元に就職しなさい!」


 そんな大学といわれても、単科の工業大学としては、上から二番目の大学だし、地元に就職しろと言われても、その就職口が地元に無いし……


 そう答えても、彼女に聞く耳は存在しない、許さないの一点張りで、受験費用など一切出さないと宣言。


 それならそれで仕方が無い、俺は高校入学後に始めたバイトで貯めた貯金を受験費用に当て、推薦入試を受けた。

 入試は見事に合格し、大手新聞社の新聞奨学生の手続きを開始した。

 その事実、結果が有れば母親も俺の努力を認め、同意してくれるに違いないだろう、今までの経緯はどうあれ、肉親なんだから。


 その俺の想いは、木っ端微塵に砕け散る。


 合格通知、入学願書、奨学生契約書


 これらの書類を前に、母親は絶対に許さない認めないとヒステリーを全開させる。


 出願期日まで説得するが、聞く耳持たない母親は、ただ狂乱するだけで話にすらならない。


 虚しく時は過ぎ、推薦入学の道は閉ざされてしまった。


 しかし夢を諦めきれない俺は、就職後に、私立大学の夜学への通学を奨励している企業を発見した。

 報告するも、駄目だ許さん認めんの三つの言葉しか喋らない母親を無視し、貯金を切り崩して入社及び入学試験を受験した。

 結果は合格、しかし母親の説得は再び困難を極める。


 試験の後に行われた、人事部長との面接の際、俺は母親の事を相談していた。

 推薦入学の失敗の内容も包み隠す話し、母親が俺を放したがらない、でも俺は夢を諦めきれない、どうしたらいいのだろう? と。

 人事部長は、まだ入社していない俺の相談を親身に受けてくれて、寮母や社食に受け入れる余裕がある、お母さんと一緒に来なさい、と提案してくれた。


 数日後、採用通知が二通送られて来た。

 一通は俺への採用通知、もう一通は、母親への寮母としての採用通知。

 これなら大丈夫だろうと、母親に報告すると、彼女は更なる狂体を示す。


 地元からの転居を頑なに拒否、幼児に退行したかの様に手足をばたつかせ、入社書類提出の期日まで抵抗した。


 説得はまたもや失敗した。貯金の尽きた俺は、更なる進学、就職活動が不可能となり、今年度中の進路決定を諦め、やむなく浪人を決意。

 地元の居酒屋にアルバイトを決め、資金を貯めて翌年度の再チャレンジに備えた。


 そんな俺に、二つの進路を叩き潰し、勝ち誇った様に母親は地元への就職を強要する。


 お前は地元に就職しなさい。

 この世知辛い世の中、夢なんか持つ何て間違ってる、地元で地道に生きるのが利口なんだ。

 いつまで駄々をこねているんだ。お母さんはお前の為に、心を鬼にして言ってあげているんだよ。


 アホか……


 俺が折れないと見るや、母親はあろう事か、実の子供に品をつくって説得する。


 お前はね、地元に就職するのが一番の幸せんだよ、だってお前まで出て行ったら、お母さん独りぼっちになるんだよ、お母さんが可哀想だと思わないのかい。お前の為に言ってるんだよ。


 何だ、そりゃ?


 お母さんね、お前が地元に就職したら、車を買ってあげる。お店のお客さんに車屋さんがいて、五万円で良い車があるからどうかって。


 俺の人生の価値は五万円かよ……


 九朗は地元に就職したら、お給料は全部お母さんに頂戴ね、そしたら毎月一万円お小遣いをあげる。一万円だよ、嬉しいでしょう。


 それが目的か……


 九朗は一流大学や一流企業に入る実力があるのに、私が独りぼっちなったら可哀想と言って、地元に就職してくれたのよ、よよよよよ(涙)。さぁ皆さん、お涙頂戴な、ああ、この薄幸の女をチヤホヤしておくんなまし。


 安い優越感に浸るための小道具

 愛玩奴隷

 経済奴隷


 自分の子供にそんな人生を強要する母親に、因果応報のブーメランが炸裂する。


 全国的な新卒採用、就職シーズンが終了する遥か前、地元の就職シーズンは早々に終了していた。

 というか、地元はマイナスシーリングの就職難で、高卒採用枠など初めから無かったのだが。


 母親が青い顔で今後どうするのか詰問すると、俺は前述の通り、今年一年間アルバイトでお金を貯めて、来年また大学受験するか、最悪専門学校に入学する、と答えた。


 母親は俺の答えを聞くや、幼児の頃の俺を折檻したあの顔で俺を睨みつけ、こう言った。


「そんなみっともない事誰が許すか! お前は東京に行きたかったんだろう、さっさと家から出て行け!! 」


 だったら推薦入試に受かった時にそう言ってくれよ……


 こうして家を追い出される事となった俺は、まず住む所、働く場所を確保する為、とりあえず奨学生申し込みで縁の出来た新聞販売店で、専業員として働く事を決めて上京し、三つ目の夢を追う事にした。


 中学、高校時代、演劇部と軽音部で活動していた俺の最後の夢は、役者かミュージシャンだった。

 働いて劇団入団資金を貯めながら、バンド活動を始めたのだが、働き出して半年程して困った事が起こる。

 勤め先の人間関係が徐々におかしくなっていく、始めは気さくに面倒を見てくれた上司、先輩、同僚が、段々とよそよそしくなり、俺を排斥する様になっていった。

 身に覚えの無い嫌疑をかけられたり、お前は嘘つきだから信用出来ないと暴言を吐かれたり。いたたまれなくなった俺は職を替えたが、替えた先でも同じ様な事が起こる。


 それでもメゲずに頑張って、二年の歳月をかけてお金を貯め、有名声優が主宰する、小さな劇団に入団を果たした。

 夢の入り口に手をかけた俺は、一応その旨を母親に伝えると、母親は電話の向こうで狂乱する。


「お前何やってるんだい!! そんな事をさせる為に東京に出したんじゃないよ!」


 母親の反対も、これだけ距離があれば関係ない、あとは頑張って修行して成功して結果を出せばよい。


 そう考えて、寸暇を惜しんで劇団、バンド、アルバイトと精力的に活動し、その甲斐あって、劇団の代表に可愛がってもらい、公演準備にも重要な役職を任され、舞台にも重要な役を与えられる様になった。


 しかし、認めてくれるのは代表や一部の上の人達で、他の同輩や先輩達は、俺が結果を出す度に白い目で見る様になっていく。陰湿な陰口を叩いて排斥し、公演準備では面従腹背のサボタージュ……

 彼等の中で、俺はどうやら嘘つきであるらしい。

 彼等のサボタージュで公演準備は滞るが、初日は待ってくれない。穴を埋める為にアルバイトをギリギリまで絞り、公演準備の追い込みをかけた。

 アルバイト先も何故か、次第に希望のシフトに入れなくなっていく、日にちを削られ、収入が激減していった。

 しかし、努力が実り、中堅以上の規模を持つプロダクションとマネジメント契約を結ぶ直前まで漕ぎ着けた。

 夢の第一段階をクリアした俺は、希望に胸をふくらませて、契約書のサインをするべくプロダクションの事務所に向かった。

 そこで、俺は信じられない出来事に遭遇した、あれだけ乗り気だったプロダクションが難色を示し、契約は出来ないと言ってきたのだ。

 俺は約束が違う、何故駄目になったのかと尋ねると、プロダクションの人はこう答えた。


 君のお母さんから電話が有ってね、それで決まったんだ。君さ、田舎に帰って、お母さんを安心させてあげたら。


 契約がご破算となり、劇団活動の無理が祟った俺は、経済的に活動を続ける事が困難となった為に劇団を退団し、再起のために寮付きのパチンコ店に住み込みで働き、経済再建を図る。幸い社長は理解のある人で、バンド活動を認めてくれ、積極的に応援してくれた。


 ひと月程たち、仕事にも慣れてきた頃、俺は社長に呼び出され、今までの勤め先で起こった、俺に対する排斥の原因を知った。


 新田君、君のお母さんから電話がかかって来たんだけど……


 社長は母親が電話で、俺は嘘つきで手癖が悪く、実家にいた時は何度も補導され、警察の世話になっている。母親の目の届かない所で、どんな悪さをしているか、心配で夜も眠れない。という内容の話を、泣きべそをかきながら話したと教えてくれた。


 新田君の今日までの仕事ぶりを見ていると、この話は全く信じられないのだけど、本当の所どうなんだね?


 勿論そんな事実は無い、俺は進路決定のすったもんだを話し、母親の真意を説明した。社長は理解してくれて、今後も安心して働いて欲しい。そう声をかけてくれた。


 今まで何処でも排斥されたのは、母親のこの電話のせいだった。


 ここまでするのか!?


 俺はもはや怨念とも言える、母親の執着心の根深さに恐怖した、既に再婚していた事もあり、その後近況を伝える事を控える事にした。


 新しい職場にしっかりと受け入れられ、経済再建も確実に進んでいき、仕事にバンド活動に充実した日々を過ごしながら、俺は胸につかえたある気がかりを解消しようと考えた。


 俺はかねてから、父親の生前に家族が深く世話になっていた、父方の親類縁者にお礼をしなくてはならないと考えていた。父親の自殺後に疎遠になった事を詫びねばならぬと、父方の親類縁者を探し歩いた。そうして探し当てた親類宅に、菓子折りを持って訪ねると、親類は怪訝な顔で俺を迎え入れ、一通の書類を出してきて、俺の前に広げた。


 その書類は、父親が生前に、母親と連名で書いた、百万円の借用書だった。


 親類が言うには、父親の葬儀後に母親がバックレ逃げをし、現在に至るのだそうだ。


 母親が執拗に俺の進路を潰し、地元に留め置こうとした理由が、やっと分かった。

 こんな下らない理由で、俺の人生は実の母親に狂わされたのか……


 出資法の問題もあるが、苦しかった家族の恩に報いる為、これだけ世話になったのに疎遠にしたお詫びとして、それに何より父親の無念を晴らす為、俺が返しますと頭を下げた。

 百万円位なら、今の収入なら二年位で完済出来るだろうと考えていたが、それは甘い見通しだった。


「それなら家からの借金も返してくれ」


と、借用書持参で父方の親類縁者がわらわらと現れ、返済額は優に一千万円を越えていた。


 一人で返済するのは無理だ。


 事の重大さに、俺は母親に連絡を取った。電話でこの事実を詰問すると、母親は始めは憐れみを乞う口調で「お母さんが全部悪いと言うのかい」と、涙声で話していたが、俺の態度が変わらないと判断するや、母親の口調は豹変する。


「黙っていれば逃げ仰せられたのに、このガキは余計な事をしやがって! そんなに返したいならお前が一人で返せばいいだろう。もう私は再婚した女だ、お前なんかもう子供でも何でもない!!」


 母親は一方的にそう言って、電話を切った。


 パチンコ店での給料では、到底返済しきれない、俺は当時実入りの良い仕事だった、工場業務請負の仕事を始め、借金の返済を始めた。

 順調に進んでいた返済だったが、男女雇用機会均等法による、男性社員の基本給引き下げ(注、それまでこの業界では、男子給八千五百円、女子給六千五百円が一般的で、それにセット残業給が加算されていた。それが法施行後、一律六千五百円に統一された)、構造改革による派遣社員への切り替え、そしてリーマンショック……

 非正規雇用者に吹き荒ぶ向かい風に耐え、借金を返済し終えた時は、俺はもう四十を越え、全ての夢も人生も潰された後だった。


 畜生


 これが母親の有難い愛だと、ふざけるな!!


 親の愛とは、子供に与え、伸ばし育むものだろう! 奪い、踏みにじるものでは断じて無い!!


 こんな家にさえ産まれなければ、全く違う人生を歩めたに違い無い!


 畜生!


 こんな家にさえ産まれなければ、幸せな人生を歩めたに違い無い!!


 畜生!

 畜生!

 畜生!


 俺の人生を返せ!!

 俺の人生を返せ!!


 激しい怒りと悲しみに包まれた俺は、見えない力に足を引っ張られた。


 足下を見ると、眩い光が輝いている。気がつくと、俺はその光に向かい、重力加速度を上回る勢いで落下していった……



「!!!!」


 俺は悪夢の末に目が覚めた、本来なら飛び起きる所ではあるが、あんな事故の後では無理である。


 知らない天井だ……


 気分を変える為、某アニメのセリフを脳内再生する。それにしても、あの大事故で生きていたとは流石俺、大怪我の天才と呼ばれたのは伊達ではない、フフン。


 しかし、状況が分からない、誰かいないか?


 不自由な身体に鞭打って、首を左右に振って辺りを見回す。

 すると窓際に、看護師らしい人が二人、こちらに背を向けて立っている。


 よし、あの二人に声をかけて、状況を聞いてみよう。


 すいませーん、看護師さーん。


 俺はそう言ったつもりだったが、耳に入った俺の言葉はこうだった。


「だぁ」


 だぁ? 何だこれは!?


 俺の声に反応して、二人の看護師が振り返る。


「どうちたんでちゅか、クリスちゃん」

「あらぁ〜、バッチリお目覚めでちゅね〜、お姉ちゃんとあちょびたいんでちゅか〜」


 振り返った二人は、俺に歩み寄ると、満面の笑みをうかべ、赤ちゃん言葉で話しかける。

 看護師と思った二人は、双子の姉妹の様だ、後ろ姿で気がつかなかったが、十歳前後の子供の様だ、すまん。


 しかし、状況が更に分からなくなった俺は、何とかコミュニケーションを取ろうと、全身を動かし身振り手振りを交えて訴える。


 何がどうなっているんだ、教えてくれ!


 そう言っているつもりが、口をついて出る言葉が


「だぁ、だぁ、ぶぅ〜」


 それを聞いた姉妹は、俺を抱き上げて愛おしそうに頬ずりをする。その時俺の視界に、バタバタ振り回す俺の手らしき物が飛び込んで来た。


 それは……、モミジの様な赤ちゃんの手!!


 なんじゃこりゃあ!? 

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