Ⅲ 夏休みの絵日記  



 ハルガは、土地の妖精だ。

 住宅街の中にある小さな空き地に、古くから住み着いている。妖精というだけあって、容姿は幼い女の子そのもので、小さな身体に似合わない大きなポンチョを身に纏っている。髪の毛と瞳、服装は灰色だが、皮膚は肌色で、見た目は人間とほとんど変わらない。

 妖精だから、大人には見ることができない。心が純粋な、小さな子供にしか見ることができない。しかし、住んでいる土地から出ることができず、空を飛ぶこともできないので、妖精というよりは、その土地の地縛霊と言った方が正しいかもしれない。年老いた桜の木が一本だけ生えている、小さな原っぱがハルガの生活範囲だった。

 空き地の両側は、民家と自営業の酒屋に挟まれていて、土地の前には一本の道路が横切っている。道の先が公道と交わっているせいか、人よりも車の通りの方が激しい。交通の面でも、立地の面でもそれほど悪くはない土地なのだが、桜の木が空き地のど真ん中に生えているせいか、周りの土地が売れていく中で、ただ一つだけ売れ残ってしまった。


 この垂れ桜は、百年以上もこの土地に居続けている。町内の老人会の間では、由緒正しき神木として扱われているのだが、未だに花を咲かせたことがない。そのため、近隣の住民からは気味悪がられ、様々な噂が生まれている。

 例えば、桜の枝が無数に不気味に垂れ下がっていることから、柳の木と間違われ、深夜に行くと首を吊った女性の霊が見える。他には、桜の木の下には死体が埋まっていて、その死体に養分を取られて花が咲かない、もし咲くことがあれば、死体の血を充分に吸った血染めの桜になるだろう、等。

 老人会の保護の支援もあり、根も葉もない作り話が拍車をかけてこの土地の評判を落としているため、購入しようという人間は全く現れなかった。あるいは、この土地に住み着いている妖精、ハルガの力かもしれないが。


 未だに住宅街の中で、ひっそりと咲き続ける桜の老木。

 ただでさえ人通りの少なく、不気味な噂ばかりがあるその空き地には、いつものように男の子の姿があった。




「おはよう、ハルガ!」

「おはよう。今日は馬鹿に早いな」

 ハルガはタカヒロの姿を確認すると、黄色いタンポポの花から指を離し、地面から立ち上がった。

 今日もタカヒロは、元気いっぱいのようだ。膝小僧に絆創膏を貼りながらも、あっという間に私の所まで走ってきた。

「今日からね、学校がお休みなんだ! なつ休みっていう、長いお休みなんだよ!」

「ああ、そっか。学校にはそういう期間があるらしいね」

 ふと、タカヒロが何かを持っていることに気付いた。紺色の、長方形の物体。どうやら、本のようだ。

「タカヒロ、その本は?」

「うん、これ、なつ休みのしゅくだい。日記を書いてくるように、って先生に言われたから。だからもってきたんだ」

 タカヒロはにこにこしながら、何度も頷いた。そういえば昨年は、紫陽花の観察日記をしたって言ってたっけ。今年は少しだけ趣向が変わったようだ。

「ふーん、なんだか最近の子供は忙しそうだね」

「だから、ハルガのことを書くんだ。絵も書かないといけないから」

 思わず、吹き出しそうになった。

「……私のことを?」

「うん、そうだよ」

 じーっと、タカヒロの顔を見る。この嬉しそうな顔を壊してしまうかと思うと、少し言い淀んだ。

「ダメだって、タカヒロ。私のことなんか書いたら、頭がおかしい子供だって思われるよ」

「え、なんで」

 思った通り、タカヒロは泣きそうな顔になった。ハルガは、はぁっ、と息を吐くと、タカヒロに人差し指を向けた。

「ねえ、この間も、タカヒロが友達を連れてきたときにも言ったでしょ? 私は、大人には見えないんだって」

「あ、そうだった」

 タカヒロは思い出したように、パッと表情を明るくさせた。ああ、やっぱりタカヒロには素というか、天然っぽさが入っているんだろうな。忘れていたわけでは無いのが、唯一許せることだけど。

「でも、ほかに書くことなんてないよ」

「家族で旅行とか……あ、ごめん」

 言ってから、自分の失言に気付いた。慌てて取り繕おうとしたけど、その前にタカヒロが大きな声を出した。

「じゃあさ、今日もあそぼうよ! なにをしてあそぶ?」

 子供ならではの転換の早さに、ハルガは心の中で安堵と徒労の溜息をついた。

「じゃあ、今日はだるまさんが転んだをしよう」

「おれ、それ知ってる! 今日、学校のともだちとやったよ」

 少しだけ、胸が苦しくなった。

「そっか。じゃあ、パイナツプルでもしようか」

「ううん、おれ、だるまさんが転んだがいい。だるまさん、やりたい」

「でも、今日同じ遊びをやったんでしょ? それなら……」

「だるまさんがいい!」

 タカヒロは頑として、譲らなかった。ハルガにとっては何をして遊んでもよかったのだが、ここまでタカヒロが意地になるのは、初めてのことだった。

「気まぐれのタカヒロらしくないね。いつもはそんなに頑固にならないのに」

 多分、学校の友達だけではなく、私とも遊んでくれるつもりなのだろう。タカヒロの心配りに、思わず微笑んでしまう。

 そうだよね。私達は、ともだちだもんね。

「それなら、鬼はタカヒロにやってもらおう。ルールも分かっているみたいだしね」

「うん!」

 タカヒロは笑顔になって頷くと、燐家の塀へと走っていった。昨日転んだばかりだというのに、タカヒロは本当に元気だ。

 ハルガはその後ろ姿を見ながら、ふと、原っぱに本が落ちていることに気付いた。夏休みの宿題だ。

「もー、忘れっぽいんだから」

 ハルガは、いやに分厚い本を拾うと、表紙を捲った。絵日記の絵の欄には、すでにハルガの絵がクレヨンで描かれていた。

 頭とおぼしき部分には灰色の塊が、顔には異様に大きな目と口が。そして体も頭と同じ灰色でぐちゃぐちゃに塗りつぶされていた。それはまるで、串団子のようだった。

「ぷっ、これが私か……」

「ハルガー、まだー?」

 声の方を見ると、タカヒロが塀の壁におでこをくっつけて、大きく手を振っていた。どうやら、準備万全のようだ。

「ああ、今行く」

 踏むと不味いので、原っぱの隅っこに置いておく。

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