第8話こんな教訓は望んでない!

 男湯から出た俺を待っていたのは、ガルジーナさんたちだった。彼女たちの頬は皆上気している。髪はしっとりと肌に吸い付いており、それが妙に色っぽい。

 ちなみに彼女たちは皆一様に浴衣を身に纏っている。金髪美女であるガルジーナさんがそのような姿を見せるのは、ある種新鮮だ。

 ガルジーナさんは俺の視線に気づいたのか、わずかに着物をはだけさせてみせる。その大きなふくらみがこぼれ落ちそうな様を見て俺はとっさに顔をそむけたが、一方で彼女はクスクスと笑う。こちらの反応を楽しんでいる顔だ。

 ガルジーナさんがさらに面白がって俺の方に寄ろうとした時、新たな影が俺たちの間に割って入る。タマさんだ。

「それにしても、ガルちゃんのおっぱいはおっきいにゃぁ……」

 彼女は感心したような声を漏らし、ガルジーナさんの胸をもみしだく。彼女もまんざらでもなさそうに笑みを作っていた。その口からは微かに色っぽい声が漏れている。

 タマさんは何かに憑りつかれたかのようにガルジーナさんの胸を弄んでいた。その姿はさながら、水風船で遊ぶ猫の様だ。やはり、幻獣とはいえ猫としての性質も強いのかもしれない。

「お風呂でも見たけど、やっぱりすごいにゃぁ……こんな大きいのは初めて見たにゃ」

 とは言うけれど、麻衣さんや芽衣もそれなりに胸はある方だ。タマさんは幼児体型だが、そこは遺伝しなかったらしい。それは、もしかしたら半妖であるということが関係しているのかもしれない。

 と、そこでタマさんの頭をはたくものが一人。麻衣さんだ。彼女は笑いながらも額に青筋を浮かべている。

「お母さん? 公共の場でそういうことするのはやめましょうね?」

「わ、わかってるにゃ……麻衣は頭が固いにゃ……いったい、誰に似たのやら」

 タマさんはぶつくさと呟きながら家の方へと歩き出し、俺たちも遅れてその後をついていく。その時、芽衣が俺の横にそっと身を寄せてきた。彼女は申し訳なさそうに頭を下げる。

「すいません、うちのおばあちゃんが……」

「いいって。ガルジーナさんも嫌そうじゃないしさ」

 俺の言葉に微笑んだ後で、芽衣は少しだけ視線を下に移した。

「……よかったです。蜂須賀くんが優しい人で」

 その時、風呂場で修二さんが言われたことが頭をよぎる。

 やはり、彼女も不安だったのだ。自分の、自分たちの正体を明かして、それが受け入れてもらえるのかどうか。

 たぶん、彼女は人間生活に溶け込む努力をしており、それがストレスとなっている部分もあったのだろう。ここに来てからというもの、俺は彼女が大学では見せないような顔を見ることができていた。

 だとすれば、ここは彼女が本来の自分でいられる唯一の安住の地というわけだ。

 俺は口角をニッと吊り上げて言ってやる。

「こっちこそ、ありがとうな。芽衣。ここに連れてきてくれて」

「え?」

「いや、だってさ、お前はずっとこのことを隠していたわけだろ? でも、それを俺に教えてくれた。それが嬉しくてさ」

 実際、少しばかり距離が縮まったようにも感じる。彼女が抱えていたことの一部でも知れたのだから。

 なりゆきとはいえ、俺はこうやって彼女が抱えていたことを知れたわけだ。だからこそ、これからは彼女の助けになれるようにしよう。それが、秘密をこうやって明かしてくれた芽衣への恩義だ。

 芽衣はしばしポカンとしていた後で、クスリと笑った。

「……やっぱり、蜂須賀くんはいい人です」

「芽衣だっていい奴だよ」

 俺たちは顔を見合わせて同時に笑う。芽衣はどこかすっきりした表情となっていた。

「ほぉ~……ええ雰囲気やん」

 不意にガルジーナさんがそんな声を上げる。彼女はにやにやと意地汚い笑みを浮かべながら俺たちを交互に見渡していた。芽衣は恥ずかしいのか、赤面しながら俯いている。耳までもペタンとなっている様に、俺はつい吹き出してしまった。

「みんな。そろそろ着くわよ」

 と、麻衣さんの声が響く。彼女が指差す先には小さな一軒家があった。どうやらあそこが芽衣の家らしい。どことなく古風な日本建築だ。まぁ、ここは全部の建物がそういう感じだから、それに合わせた感じかもしれないけど。

 麻衣さんたちはそそくさと中へと入っていく。俺たちも急いでその後を追うと、そこには予想通りの光景が広がっていた。廊下の床板はピカピカに磨かれており、その中腹には時代錯誤的とも取れる黒電話が置かれている。居間に入るとそこには畳が敷かれているし、中央にはちゃぶ台が鎮座していた。これ以上ないほどの日本の家、という感じだ。

 しかもかなり広い。俺のアパートと比べるのも馬鹿らしくなるほどである。

 感嘆する俺に、修二さんがぼそりと耳打ちしてくれた。

「……あまり下手に触らない方がいいよ。怪我するから」

「えっ!? ちょ、修二さん!? 今、なんて言いました!?」

「さて、僕も麻衣の手伝いをしてくるよ」

「待って! 待ってください! せ、説明を!」

 俺の懇願を一蹴し、先に厨房に行った麻衣さんの後を追う修二さん。呆然とする俺の肩に、タマさんがトンと手を置いてきた。彼女は笑みを作りながらお猪口を運ぶような仕草をしてみせる。

「ところで、少年。君はいくつかにゃ?」

「俺はまだ十八ですけど」

 タマさんはその言葉を聞き、小さく舌打ちしつつ指を鳴らした。

「惜しいにゃ……飲み友達ができると思ったのに」

「あ、タマちゃん。ウチは二十歳やからお酒付き合うで?」

「本当かにゃ!? やったにゃ! じゃあ、蔵から秘蔵のお酒を持ってくるにゃ!」

 タマさんは元気に走り去っていってしまう。ガルジーナさんはその後ろ姿を微笑ましそうに眺めていた。

「にしても、元気のいいおばあちゃんやな」

「……元気すぎる気もしますけど」

 芽衣が心底恥ずかしそうに言う。

 確かにタマさんは御年二百歳とは思えないほどパワフルだ。それこそ修二さんが言っていたみたいに、猫又界じゃまだ若い方なのかもしれない。

 芽衣は深いため息をついた後で、そっと床に座る。俺たちもそこに腰掛けつつ、辺りを見渡した。本当に絵に描いたような家だ。テレビは昔のブラウン管のようだし、よくわからない動物の絵が描かれたふすまなども見られる。正直、映画のセットのようだ。

「ん? ……何や、匂うな」

 ふと、ガルジーナさんが首を傾げた。かと思うと、彼女は四つん這いになりながら障子の方まで向かう。だが、それは至って普通の障子だ。特に変なところも見受けられない。けれど、ガルジーナさんは不審げに鼻をひくつかせている。

「あ、もしかして……」

 その様を見て、何かしら思うところがあったようだ。芽衣は近くにあった鉛筆を取って障子の方に寄り、その内の一つに鉛筆の先端を近づけようとした。

 その直後だった。障子に無数の目が出現したのは。

「うぉおおおおっ!」

 驚きのあまり声を上げてしまう俺。だが、ガルジーナさんと芽衣は驚く様子もなく、そいつをじっと見やっていた。

「やっぱりか。芽衣。こいつは?」

「も、目目蓮(もくもくれん)という妖怪、幻獣の一種です……たまにこうして現れるんですが……」

 芽衣はどこか恥ずかしそうに頬を染めていた。障子に浮かんだ目がギロリとそんな彼女を捉える。

「うむ。恥じらう乙女とはよきかな」

「喋った!?」

 こいつ、喋れんの!? 口ないのに!?

 俺のツッコミを受けた目目蓮はこちらをジト目で睨む。

「当然だ。私が喋ってはいけないというのか?」

「いや、そうだろ! だってお前、障子だぞ!?」

「貴様はアニミズムというものを知らぬのか? 万物には魂が宿り……」

「ちょっと静かにせえ」

 ガルジーナさんが苛立った様子で呟く。その迫力に、俺はつい黙り込んでしまった。目目蓮も全部の目でガルジーナさんを見つめている。そこには確かな怯えが見てとれた。

「で? 何しとったんや?」

「い、いや、別に……ただ驚かそうと……」

 嘘だ、と直感した。奴は目を必死に逸らしている。目は口ほどにものを言う、という言葉がここまで似合う奴もそういないだろう。

 ガルジーナさんは芽衣の方に視線を戻した。

「芽衣。こいつの言っとることは本当か?」

「い、いえ、違います……」

 芽衣はもじもじとした様子で黙り込んでしまった。が、ガルジーナさんは続けて尋ねる。

「教えてくれ。こいつのこと知っとるんやろ?」

 芽衣はしばらく黙りこんでいたが、やがて意を決したように声を絞り出した。

「そ、その……たまに私の部屋に現れて、き、着替え、を……覗くんです」

「ほぉ……やってくれるやないか」

 ガルジーナさんが身震いするほどの殺気を全身から放つ。目目蓮はそれだけで小さい悲鳴を漏らした。ガルジーナさんはボキボキと指を鳴らす。完全に、ヤンキーのそれだった。

 ガルジーナさんが拳を振りかざした時、ちょうどお酒を取ってきたらしきタマさんが今に入ってきた。彼女は目目蓮と俺たちを交互に見た後で、大きなため息をついた。

「ガルちゃん。暴力はダメにゃ。どんな事情があったかは知らにゃいけど……」

「け、けどタマちゃん。こいつはこれまでにも芽衣の着替えを覗いとったらしいで?」

 一瞬のことだった。それまで俺たちの真ん前にいたはずのタマさんがいつの間にか俺の横まで来ていて、目目蓮の目玉の一つを指で潰したのは。

「ぎゃぁああああああああああっ!」

 悲鳴をあげる目目蓮。だが、タマさんはギリギリと歯ぎしりしながら目目蓮を親の仇の如く睨みつける。やはり猫だからだろう。彼女の爪は伸びており、その鋭さたるやまるで日本刀のようだった。

 彼女は獰猛そうな唸りをあげながら問いかける。

「ウチの可愛い孫娘の裸を覗いた……? 死ぬ覚悟はできているのかにゃ?」

「ま、待って……」

「悪い目はこれかにゃ?」

「うぎゃぁあああああああああああっ!」

 つ、次々と目目蓮の目が潰されていく。タマさんの瞳孔は完全に開き切っており、耳もピンと逆立っている。完全にキレていた。ガルジーナさんですらその変貌ぶりに絶句しており、芽衣に至ってはがくがくと震えているだけだ。

 気づけば目目蓮の目は一つだけとなっていた。そこで、タマさんは静かに告げる。

「言い残すことはあるかにゃ?」

「……絶景でした」

 それが奴の最後の言葉だった。タマさんは目を突き破るだけでは飽き足らず、障子をその鋭い爪で八つ裂きにしてしまった。その後で、またいつもの笑みに戻ってみせる。

「にゃはは、ちょっとやりすぎたかにゃ?」

「い、いや、そのレベルじゃないような……」

「大丈夫にゃ。あいつらは霊体みたいなもんだからにゃ。またどっかで再生しているにゃ」

 だからといってここまでやっていいのだろうか?

 障子はこま切れとなっており、見る影もない。あのガルジーナさんも、乾いた笑いを漏らしていた。

「お母さん? 何かあったんですか?」

 騒ぎを聞きつけたらしき麻衣さんが厨房からやってきた。彼女は俺たちを見渡した後で、地面に散乱している障子を見つめ、大きくため息をついた。

「お母さん。あなたがやったんですか?」

「しょうがないにゃ。目目蓮が出たんにゃ」

「だからといって……」

「しかもそいつ、芽衣の着替えを覗いたこともあったらしいにゃ」

 刹那、麻衣さんの頭頂部から二つの耳が飛び出てきた。さらに、その目がネコ科生物のようになり、わずかに爪も出ているようだった。けれど、彼女はあくまで笑みを絶やさず告げる。

「あらあら……目目蓮さんは運がいいですね。私がいたらこれくらいじゃ済まなかったでしょうから」

 芽衣さんは妖しげな笑いと共に厨房へと消えていった。芽衣さんは一升瓶を抱きかかえながらぼそりと囁く。

「実は、麻衣も目目蓮の被害にあったことがあるんにゃ」

「ど、どうなったんです?」

 正直、聞くのが恐ろしかった。だけど、どうしてか尋ねずにはいられなかったのだ。

 タマさんは身震いし、一層強く酒瓶を抱きしめた。

「酷いもんだったにゃ。時間をかけて一つ一つ目を潰して、挙句の果てには火炙りにゃ。目目蓮は基本一度障子に憑りついたら中々離れられないからにゃ。それを利用した巧妙な手口……我が娘ながら、戦慄したにゃ」

 やっぱり、麻衣さんは少しばかり恐ろしい一面を隠し持っているようだ。普段は温厚そうだけど、怒らせたらいけない部類だと思う。注意しておこう。

 ごくりと息を呑む俺を一瞥した後で、タマさんは少しばかり厳しめな視線を芽衣に向けた。

「芽衣。お前はもうちょっと自己主張しろにゃ。着替えを覗かれたってちゃんと言えば、アタイか麻衣が対処するから」

「ご、ごめんなさい……」

 たぶん、芽衣が言い出しづらかったのはこうなることがわかっていたからじゃないのか?

 と思ったけど、言わないでおこう。言ったらたぶん俺が殺される。

「と、ところでタマちゃん。もし忍が芽衣の着替えを覗いたらどうするん?」

 が、ガルジーナさん!? と、とんでもない爆弾投げ込んできやがった!

 彼女はクスクスと笑いながら俺に視線を寄越してきた。か、完全に楽しんでいやがる。

 勘弁してくれよ! 俺もあんな風になりたくないよ!

 俺が内心嘆きまくる一方で、タマさんは思案気に首を捻っていた。が、しばらくしてポンと手を打ちあわせる。

「まぁ、双方が合意の上なら構わんにゃ。芽衣ももうすぐ大人になるし、そこまで束縛するつもりはないにゃ」

 よかった……問答無用で八つ裂きにされるかと思った。

 芽衣と俺は同時に胸を撫で下ろす。が、タマさんはギロリと眼光を強めたかと思うとこちらに歩み寄り、俺の喉元に長く伸びた爪を突き付けてみせる。

「ただし、芽衣を泣かせた時には……わかるにゃ?」

「は、はい……」

 タマさんの視線は障子の残骸へと向いていた。俺は赤べこのように何度も首肯する。それを受け、彼女は俺から身を離した。

「ま、そんなことは置いといてそろそろ飲むにゃ」

 タマさんはカラカラと陽気に笑いながら厨房に消えていった。俺はその後ろ姿を見送りながら喉元に手をやる。血は出ていないようだったが、少し刺さっていたせいで軽い痛みが走った。

 本当に危なかった……うん、気をつけよう。ガチで殺される。

「……芽衣も大変やな」

「……はい」

 見れば、ガルジーナさんは芽衣を慰めるように肩を抱いていた。芽衣は羞恥からか顔を両手で覆っている。その気持ちは察するに余りある。俺はそっとため息をついた。

 とりあえず、わかったことがまた一つ増えた。

 幻獣の人たちには逆らわない方が賢明、ということだ。

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