第7話こんな裸の付き合いは望んでない!
それからしばらくして、親子喧嘩を終えたタマさんが俺たちの方にやってきた。彼女は尻尾をふりふりと振りながら俺の横に腰掛ける。わずかに甘い匂いがして、思わずドキリとしてしまった。
タマさんは団子をぱくつきながら呟く。
「それにしても、芽衣が友達を連れてくるなんて初めてのことだから嬉しいにゃぁ」
……まぁ、気持ちはわからないでもない。幻獣の血を引いているということは俺の想像よりもこの世の中では生きづらいことだろう。きっと家に友達を呼びたくても呼べなかったに違いない。それこそ、同族……もしくはその存在を知る人間しか。
タマさんはやや流し目気味に俺の方をチラリと見てきた。金色の瞳が俺を捉える。彼女は団子の串をピコピコと動かしながら口の端を歪めた。
「それで? 君は芽衣の彼氏くんなのかにゃ?」
「お、おばあちゃん!」
芽衣が顔を真っ赤にしながら立ち上がる。
よほどからかわれるのが嫌だったのか、彼女は体を震わせていた。
その様を見て、タマさんはいたずらっぽく笑う。
「にゃはは、ごめんごめん。まぁ、その反応が答えみたいなもんだにゃぁ」
タマさんはにやにやと芽衣の方を見つめていた。なぜだかガルジーナさんも机に頬杖をついて同様に視線を送っている。芽衣はすっかり縮こまっていた。
――と、タマさんは今度はガルジーナさんの方に目線をやった。
「ところで、そこの子は幻獣みたいだにゃ」
「はい。私は……」
ガルジーナさんはピンと背筋を伸ばして答えようとした。が、タマさんは彼女の言葉を手で遮り、ブンブンと首を振った。
「あぁ、別に気楽にしてくれて構わんにゃ。無理に敬語を使う必要もないし、気軽にタマちゃんとでも呼んでくれていいにゃよ」
「あ、じゃあ、改めて。ウチは角谷ガルジーナって言います。幻獣、アルミラージのハーフです」
タマさんは何度か意味ありげに頷いた。
「にゃるほど。ウチの麻衣と同じか……ちなみに、両親のどちらが幻獣にゃ?」
「母です」
ガルジーナさんの答えを聞いて、タマさんはクスクスと笑った。
「それにゃら、旦那さんは大変だったんじゃないかにゃ?」
「えぇ、そう聞いてます」
二人は顔を見合わせて楽しげに笑い合う。一方でカヤの外である俺と芽衣は首を傾げていた。
「みんな。そろそろお店を閉める時間よ」
いつの間にかこちらにやってきていた麻衣さんが声をかけてきた。見れば、店内にはもう俺たちしか客はいない。店先の方では旦那さんが看板をしまっているところだった。
俺はそれを受け、立ち上がろうとする。が、麻衣さんは微笑みながらそれを制し、パンッと手を打ちあわせた。
「もう今日は遅いし、ウチでゆっくりしていったら?」
「いいんですか?」
俺は彼女に問いかけた。流石にいきなり押しかけるのはどうかと思ったからだ。
が、麻衣さんとタマさんは同時に首を振る。
「いいんですよ。せっかく芽衣のお友達が来てくれたんですもの。いっぱいおもてなししなくちゃね。それに、夜は危ないから」
「……最近は色々物騒だからにゃぁ」
麻衣さんたちは少しだけ声のトーンを落として呟いた。
この人たち――幻獣や妖怪は本来夜を領分とする生き物たちだろう。だが、そんな彼女たちがそこまで言うことに、俺は少しばかり違和感を覚えた。チラリと横を見れば、芽衣も同様に表情を陰らせている。
ガルジーナさんは首を捻っているところを見るに、どうやら知っているのは芽衣の家族たちだけのようだ。何か、訳ありらしい。
俺はすぐに頷きを返した。
「わかりました。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「ほな、ウチも。よろしゅうお願いします」
「ええ、こちらこそ。待っててね。もう少ししたら店のお片付けが終わるから」
麻衣さんは再び業務に戻ろうとした……が、急に足を止めてこちらに振り返り、ニッコリと笑みを作りながら告げた。
「あ、そうだ。お店の片づけが終わったらみんなで銭湯に行きましょうか」
さて、それから数十分後。俺たちは店を出てある場所へと向かっていた。この通りをずっと行ったところにある大きな銭湯だ。今は結構人が出入りしているのが見える。
ちなみに、ここには俺とガルジーナさん、そして芽衣の家族が全員揃っていた。
芽衣がおずおずとしながら俺に語りかける。
「すいません、蜂須賀くん……付き合わせてしまって」
「いいって。むしろ、ありがとうな。ここに連れてきてくれて」
「……怖くないんですか?」
芽衣が放った言葉に俺は首を傾げ、それから辺りを見渡した。確かにすれ違うのはみんな幻獣たちばかりだ。人間らしい姿形をしている奴もいれば、それこそ動物が二足歩行しているような姿の奴もいるし、巨大な骸骨だって歩いていた。
けれど、怖いとは思えない。彼らはみんな人間と同じように笑っているし、楽しそうに酒を飲みかわしたりしている。外見こそ違うが、それでも人間味に溢れていると感じた。
だからこそ、俺は首を振る。
「別に怖くはないな。まぁ、ちょっと驚きはしたけど」
「……ありがとうございます」
「え? 今、何か言ったか?」
「何でもありません」
芽衣はフルフルと首を振り、そう告げた。
まぁ、怖い人なら若干二名このグループの中にいるけど……某ガルジーナさんとか、二メートル近いスキンヘッドのおじさんだとか。
――と、そうこうしているうちにいつの間にか戦闘に到着していた。俺たちは入り口を通って中に入る。すでに中は大勢の幻獣たちで賑わっていた。
「おやおや、珍しいお客だねぇ」
ふと、そんな声が頭上から聞こえてくる。何事かと見てみれば……そこには老婆の生首が浮かんでいた。その様に、俺はギョッと目を見開いてしまう。
だが、芽衣さんたちはいたって平然としていた。
「久しぶりだにゃ、黒ばあ」
タマさんの言葉に、その生首は妖しげに笑いながらしゃがれた声を絞り出す。
「ひっひっひ。まぁ、ゆっくりとしておいで。お代はキッチリと払っておくれよ」
「わかってるにゃ。そこまでがめつくないにゃ。ほら」
タマさんはポケットからがまぐちの財布を取り出し、それを丸ごと首の方に投げた。その首はそれを器用に口で咥え、それから顎で右の方を指さした。
「ひひ、それじゃ、楽しんで」
タマさんは老婆に別れを告げ、先へと進んでいく。俺はそっと芽衣に尋ねた。
「なぁ、今の人は?」
「『ろくろ首』の黒婆さんです。この銭湯の番台さんをしているんですよ」
「え? でも、ろくろ首って首が伸びる奴じゃ?」
「いや、そういうタイプもおるらしいで。まぁ、そっちは別に『抜け首』って名前があるらしいけどな」
俺の問いに答えたのはガルジーナさんだった。だから、どうして変なところで博識なんですか、あなたは。
ガルジーナさんの言葉に、タマさんは驚いたように目を丸くしていた。
「詳しいにゃぁ。もしかして、日本の幻獣に知り合いがいるのかにゃ?」
「ハハ、ちゃいますよ。ウチのオトンが幻獣ハンターで、その資料が山ほどあったから知ってるだけです」
タマさんの耳がピクリと揺れた――気がした。が、彼女は依然として笑いながらこう返す。
「にゃはは、そうか。で? 君のお父さんは今はどうしているのかにゃ?」
「もう死んでますわ。まぁ、殺されたって言った方がいいかもしれませんけど」
ダメだ。これ以上深入りしてはいけない。たぶん色んな意味で泣きたくなるから。
俺の念が伝わったのか、麻衣さんが不意に口を開く。
「お母さん、そこら辺にしておいたらどうです?」
「にゃは、ごめんごめん。そういうことだったら、仕方ないにゃぁ」
タマさんはカラカラと笑う。だが、どこか無理しているように見えたのは気のせいだろうか。
一方で、芽衣は目をキラキラとさせていた。彼女はうっとりとした様子でガルジーナさんに問いかける。
「幻獣ハンターと幻獣の禁じられた恋……ロマンチックですねぇ。ロミオとジュリエットみたいです」
いや、芽衣。それは違う。その真相はそんな美しいものじゃないんだ。
と、これまで無言だった芽衣のお父さん――修二さんが前方を指さした。そこには、赤い暖簾と青い暖簾がかけられている。あそこが入口だ。
「じゃあ、また後で会いましょう。あなた。お風呂から上がったら連絡をお願いします」
「……わかった」
修二さんはぼそりと呟き、そそくさと浴場へと入っていく。俺もその後を追おうとしたが、いきなりギュッと袖を引っ張られてつんのめってしまう。何事かと見れば、ガルジーナさんが俺の服の袖を掴みながら笑みを作っていた。
「忍。ウチらと入らんか?」
「は!?」
目を剥く俺をよそに、ガルジーナさんは続ける。
「ええやん。こういう時くらい。裸の付き合いって奴や」
彼女は言いつつ体を押し付けてきた。それに従って腕にむにゅっという柔らかい感触が伝わってくる。俺は目を白黒させながら生唾を飲んだ。
だが、こうしていてはいけないと思い彼女を逆の手で振り払おうとしたその時、そちらにも温かい感触が伝わってくる。見れば、タマさんが妖艶な笑みを浮かべながら俺の腕に抱きついていた。
「少年。こ~んな美女が揃うことは中々ないにゃよ? それに、幻獣の女はみんな美人にゃ。あそこの奥には、桃源郷が広がっているにゃよ?」
タマさんはすっと女湯の方を指さす。すると、見計らったかのように中から獣耳を生やした色っぽい女性たちが出てきた。その光景に俺はついごくりと唾を飲んでしまう。
二人の温かさやら甘い匂いやら柔らかい感触やらが伝わってきて、とうとう脳が溶けそうになってきた時だった。ゴロゴロと喉を鳴らしていたタマさんの頭を麻衣さんががっしりと鷲掴みにしたのは。
麻衣さんは静かな声音で告げる。
「お母さん……? 若い子を見たら誘惑する癖、そろそろ治しましょうね?」
「にゃ、いたたたたたっ! 麻衣! それが親に対する態度……あだだだだっ! ご、ごめんにゃ! ごめんにゃ! で、でも、お前の父親もこうやって……にぎゃああああっ!」
「うふふ、嫌だわ、母さんったら。もうボケがきているのかしら?」
麻衣さんは悲鳴を上げるタマさんを問答無用と言わんばかりに引きずっていった。いつも通りのニコニコ顔だったが、逆にそれが恐ろしい。見かねてか、ガルジーナさんも俺の体から離れて彼女の後を追う。芽衣は何度も俺に頭を下げながら彼女たちの後を追っていった。
「タマさん……どうぞご無事で……って、しまった!」
修二さんはもう中に入っている。俺はすぐさま脱衣所に駆け込んだ。すると、そこには大勢の幻獣の男たちがたむろしていた。その中でもやはり、修二さんの外見は目立つ。パンツ一丁となった彼は楽しげに三つ目の男性と話し込んでいた。
俺は慌てて彼の方に駆け寄って頭を下げた。彼はこちらの存在に気づくなり、朗らかな笑みを浮かべてみせる。
「す、すいません! 遅くなってしまって……」
「いいさ。それより、ほら」
彼はこちらに大きな袋を渡してくれる。そこには、下着などの着替えが入っていた。どうやらここで売っているものらしく、どれにも特徴的な温泉のマークが描かれていた。
「あ、ありがとうございます。おいくらでしたか?」
「芽衣の友達からお金は取らないよ。それより、早く入ろう。ここのお風呂はすごいから」
この人、見た目によらずいい人だ。いや、めちゃくちゃ失礼なこと言っているのは承知だけど。
俺はすぐさま服を脱いでタオルを取った。それを受け、修二さんは俺を中へとエスコートしてくれる。俺はまたしても息を呑んだ。
やはり幻獣には体が大きいものもいるからだろう。浴槽の一つ一つが大きい。しかも、どことなく古風だ。五右衛門風呂や、打たせ湯なんかもある。しかも、露天風呂まであるようだ。銭湯の域を軽く超えていると思う。
ただ、どうしても気になるのは周りにいる幻獣たちだ。見れば、お年寄りから子供までいる。その誰もが温泉を満喫しているようだった。
修二さんはやはりここに暮らしているのが長いからか、大して驚くこともなく体を洗い始める。まぁ、幻獣たちに負けないくらいのガタイをしているしな。さっきの様子を見るに、ここの生活にも慣れているらしい。色々と貴重な話が聞けそうだ。
俺はそんなことを思いながら、彼の後を追った。
十分後。俺と修二さんは大きな釜風呂に入っていた。彼は頭の上にちょこんと手拭いを置いている。それが妙に愛嬌があって笑いそうになった。
「ところで、忍くん」
「なんですか?」
「君は、ガルジーナちゃんと付き合っているのかい?」
「ぶっ!?」
思わず吹き出してしまった。俺はすかさず反論する。
「いや、付き合ってませんよ!」
「そうなのかい? 同棲しているって聞いたから、てっきり……」
「……いや、違うんですよ。雨の中ウサギを拾ったと思ったらそれがガルジーナさんでしてね? それで童貞扱いされるわ、ボコボコにされるわ、土手を走らされるわ、散々だったんですよ……」
「そうだったんだ……でも、その割には嫌そうじゃないね」
彼の言葉に、俺は少しだけ答えに詰まってしまう。
そう。実際、その通りなのだ。最初こそ、迷惑だと思ったし、どうしてこんなことになったのか納得がいかなかった。
けど、ガルジーナさんと過ごしてわかったことがいくつかある。あの人は決して悪い人じゃないし、見せないだけで色んなものを抱えている。いつしか、そんな彼女に惹かれていたのも事実だ。
と、そこで俺は修二さんがにやにやとこちらを見ていることに気づき、話題を変えるべく口を開いた。
「そ、そういえば修二さんってどうやって麻衣さんと知り合ったんですか?」
「僕かい? そうだねぇ……あれは僕が高校生のころ、校舎裏でカツアゲをされていた時だった……」
「カツアゲをされていた!? え!? していた方じゃなくて!?」
俺は耳を疑った。この巨漢がカツアゲされている姿なんて想像もできない。
だが、修二さんは困ったように頬を掻いた。
「まぁね。僕はこう見えて気が小さくてね。それで、カツアゲを喰らっていたところに麻衣が来てくれてね。僕を助けてくれたんだ。不良たちをバッタバッタとなぎ倒してね。その時の彼女の姿が忘れられなくて、会うたびに猛アプローチを繰り返していたよ。ちなみに彼女は僕より二つ上の学年だったんだけど、わざわざ教室に行ってまでラブレターを届けたりしたなぁ」
遠い目でそんなことを呟く修二さん。この人、ラブレターとか書くのか?
どう見ても果たし状とか書いていそうなのに。
彼はそのままの調子で続ける。
「で、僕があまりにも構うから彼女もイライラしていたんだろうね。校舎裏に呼び出されたと思ったら、いきなり殴られたよ」
ま、麻衣さん、今は大人しそうだけど昔はやんちゃだったのかな……?
唖然とする俺に構わず修二さんはさらに告げる。
「その後で正体を見せられて、こう言われたんだ。『私は幻獣で、人じゃない化け物だ』って」
「……で、どうしたんですか?」
「決まってるじゃないか。『そんなこと関係ない。僕はあなたの優しい心に惚れたんだ。外見なんて、些細なことだ』と」
……何、この人。超イケメンじゃん。
「そしたら、麻衣はいきなりボロボロと泣き始めてね。後で聞いたら、怖かったんだって。人に正体を見せて、避けられることが。それに、自分を偽るのも嫌だったらしいんだ。だから、嬉しかったんだってさ。ありのままの自分を受け入れてくれる存在が」
……だとすれば、芽衣もそう思っているのではないだろうか?
彼女も自分が人ではない存在――人外であることを隠している。それはつまり、自分のアイデンティティを無理矢理押し殺すようなものだ。その辛さは想像に難くない。
修二さんは額に浮かんだ汗を拭い、それから大きく息を吐いた。
「……まぁ、正直言うと、幻獣と人間が結ばれることにはいくつかの障害があるんだ。特に、人間と幻獣ではどうしても寿命に差があるからね。僕も間違いなく、彼女より先に死ぬと思うよ」
「確か、麻衣さんは八十歳ですよね? 猫又の寿命ってどれくらいなんですか?」
「明確には示されていないらしいけど、五百歳の猫又もいるって聞くね。ただ、麻衣は半妖だから、どうかわからない。でも、僕より長生きするのは確かさ」
……ということは、タマさんの旦那さんはもうすでに死んでいるということだろう。それに、修二さんだってそれなりに年を重ねている。幻獣と結ばれることは、やはり人の場合とは違うらしい。
修二さんは眉根を寄せる俺に向かって優しく笑みを向けてくれる。
「そう考え込む必要はないよ。ただ、忍くんも心のどこかに留めておいてほしい。幻獣と人間は交わることができる。けど、それなりの覚悟が必要だということをね」
彼はそれだけ言って、風呂場を後にしていった。だが……俺は、そこを動くことができなかった。
寿命差がある……それは避けては通れない壁だ。つまり、幻獣たちはほぼ確実に愛する者たちの死を看取ることとなる。短い生を持つ人間ですら辛いのだ。長い人生の中で何人も親しくなった人たちが死んでいくのを見るのは、どれだけ酷なことだろう。
もしかしたら、タマさんは旦那さんだけでなく、娘である麻衣さんや、その夫である修二さん、そして孫娘の芽衣の死とも直面しなければいけないかもしれない。そう思うと、なぜだか胸が締め付けられるように感じた。
俺は小さくため息をつく。それは水面にわずかな波紋を残していった。
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