第9話こんな涙は望んでない!

 ようやく騒ぎも収拾がついてきた頃になって、麻衣さんが料理を抱えてやってきた。その後ろでは、修二さんが大皿を軽々と持ち上げてついてきている。エプロン姿が、妙に板についていた。

「お待たせ。できましたよ」

 彼女は朗らかに笑ってちゃぶ台に皿を置く。もしかして人間が食べないような料理ではないか……とも思ったが、それは杞憂に終わった。ご飯とみそ汁、アジの干物と煮物など、いかにもといった和食だ。

 タマさんは今にも飛びつかんばかりの勢いでアジの干物を見つめている。やはり、猫又。本能には抗いがたいのだろう。

 見れば、芽衣も珍しく待ちきれない様子できょろきょろと辺りを疑っていた。学校ではこんな風になっているのを見たことがない。それは実家にいる安心感からなのか、それとも猫耳を出して幻獣としての性質を強めているのか……どちらでも可能性はありそうだ。

 まぁ、それはいいだろう。俺はひとつため息をついた。

「美味そうやな。待ちきれんわ」

「ところで、ガルちゃん。お肉はないけど、大丈夫かにゃ?」

 タマさんが問いかける。この人はガルジーナさんの種族――アルミラージについて多少知っているらしい。その問いに、ガルジーナさんは首を振った。

「あぁ、だいじょぶだいじょぶ。ウチはハーフやから、別に肉だけ食べる必要はないんよ。まあ、好物ではあるけども」

 彼女は言いつつひょいと肩をすくめてみせる。その言葉にタマさんは少しばかり不満げに頬を膨らませた。

「いいにゃぁ。アタイは猫又だから、色々制限があるにゃ。多少無理すれば食べられるけど、美味しそうなものが食べられないのは何かと辛いにゃ」

 半妖になるということは、悪いことばかりではないらしい。むしろ、タマさんからすれば羨ましい面も多いようだ。芽衣はその横で苦笑を浮かべながら頬を掻いている。思えば彼女はクォーターだと言っていたし、そこまで猫又の性質は受け継いでいないのかもしれない。

 タマさんは微笑を浮かべながら肩をすくめた。

「けど、アタイにはこれがあるからいいにゃ!」

 彼女は自分の脇にある一升瓶をバシバシと叩いてみせる。この人もフリーダムな人だ。ガルジーナさんといい勝負だと思う。

 ってか、見た目が幼女だからお酒を飲んでいると色々アウトに見えそうなんですけどね!

 俺のツッコミが聞こえたかのようにタマさんはブイサインを作ってみせる。その横ではガルジーナさんがジロジロと酒瓶を眺めていた。この人も呑兵衛か。

 そうこうしているうちにいつの間にかちゃぶ台の上は料理でいっぱいになっていた。麻衣さんは腰かけながら頬に手を置く。

「ごめんなさいね。来るってわかっていたらもっとご馳走が用意できたんだけど……」

「いやいや、これも十分ご馳走ですよ」

「ふふ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ」

 ガルジーナさんのフォローに麻衣さんは微笑を返した。その後で、彼女は手を合わせる。

「それじゃ、いただきます」

 俺たちもその後にバラバラに声をかけてから料理に箸を伸ばす。まず俺が口に運んだのは煮物だ。甘辛い味付けでご飯が進む。野菜はいい塩梅に柔らかくなっているし、それでいて味がしっかり染みている。完璧、と言うほかないだろう。

 さらに特筆すべきは干物だ。焼き加減が絶妙で、箸を入れるとほろりと崩れるのである。これまた絶妙な味わいで箸が止まらない。タマさんに至っては猫のように頭としっぽを押さえてむしゃぶりついていた。ただし、それを咎める者はいない。猫又の世界では常識のようだ。

「タマちゃん。はい」

 タマさんの横にいたガルジーナさんがコップを渡す。そこにはすでに先ほどタマさんが持ってきていた酒が注がれていた。彼女はそれを受け取るなり、一気に煽る。

「く~……やっぱり美味いにゃ! いいつまみもあるしにゃ」

 タマさんは煮物や魚を酒の肴にしているようだった。彼女はそれらをちびちびと口に放り込みながら、憂い気な瞳で小さく息を吐いた。

「それにしても、芽衣が友達を連れてくるなんてにゃぁ……今日は本当にいい日だにゃ……うぅ」

 な、泣きはじめちゃったよ、タマさん!

 まだいっぱいしか飲んでいないのに! 案外弱いのか?

 彼女は鼻水をすすりながらもさらに続ける。

「本当によかったにゃ。猫又の血を引いているせいで色々と苦労をかけることもあって、学校でうまくやれているか心配だったにゃ。でも……今日こうしてガルちゃんたちが来てくれて……うぅ……今日の煮物はちょっとしょっぱいにゃ」

「お母さん。私の時もそう言ってましたよね?」

「うん、よく覚えているにゃ。あれは修ちゃんが来てくれた時だったにゃ……あの麻衣が友達を飛び越えて彼氏を連れてくるなんて……正直ウチの娘に手を出した男をぶん殴ってやろうと思ったけど、修ちゃんがいい子でよかったにゃ」

「お義母さん。それ、初耳なんですが」

 修二さんが戦慄した様子で呟く。この人は見た目がこんなだけでやはり気が小さいらしい。見たところ、麻衣さんにも尻に敷かれているようだ。まるで自分の未来を見ているようで泣けてくる。

 タマさんは依然としてむせび泣いていた。まだコップ二杯分しか飲んでいないというのに、すさまじい酔いっぷりだ。チラリとアルコール度数を見たけど、そこまで高くはない。平均値くらいだ。だとすれば、彼女がただただ弱いだけなのだろう。

 タマさんはいきなり立ち上がり、それからビシッと麻衣さんを指さした。

「麻衣! お前も呑むにゃ!」

「わ、私はちょっと……」

「いいから呑むにゃ!」

 問答無用、と言わんばかりに麻衣さんのコップに酒を注ぐタマさん。俺は麻衣さんがブチ切れるのではないかと思ったけど、結果的にその予想は外れた。彼女は困ったような笑みを浮かべながらも酒を煽る。

 若干頬が赤くなった程度で、タマさんのように酔いつぶれる気配はない。これなら安心できそうだ。

 ――と、思った直後だった。彼女がいきなりタマさんが持っていた酒瓶をぶんどり、自分のコップにとくとくと注ぎはじめたのは。

 麻衣さんはなみなみと注がれた酒を一気に煽り、コップを勢いよくちゃぶ台に叩きつけた。見れば、完全に目が座っている。修二さんに至っては、がくがくと震えていた。

「えぇ、そうですね、お母さん。私も当初は何でこんな男に惚れたのかわかりませんでしたよ。気弱で意気地なしで、それでどうしようもなくお人よしで、どれだけ突っぱねても諦めずにアプローチしてくる訳がわからない子でしたよ。大体、年の差いくつだと思ってるんです? 私あの時五十超えてましたからね? えぇ、年齢詐称ですよ。年齢を偽って学生生活を満喫してましたよ。悪いんですか? 悪いですよ。私はどうせ幻獣ですよ」

 ま、麻衣さん!?

 酒が入ったらキャラが変わりすぎてません!?

 自虐と惚気がごっちゃになってるんですが……。

 俺はすっかり変貌してしまった麻衣さんに絶句していた。その有様に芽衣は顔を手で覆い、修二さんはおろおろと手をこまねいていた。一方で、タマさんとガルジーナさんはげらげらと笑いながらその光景を見ている。

 ……あれ?

 ガルジーナさん、まだ素面だよな?

 思わずそんなことを思ってしまう。確かに彼女のコップにはお茶しか注がれていない。まだ素面のはずなのにここまでとは……酔ったら一体どうなるのだろうか?

 俺の気持ちを読み取ったかのように、タマさんが不敵に唇を歪めた。そして、修二さんに寄りかかる麻衣さんの脇にある酒瓶を取ってガルジーナさんの方に差し出した。

「ほら! ガルちゃんも呑むにゃ!」

「もちろん! ほな、いただきます!」

 彼女はコップに入っていたお茶を飲み干した後で酒を注いでもらっていた。俺はちょうど対角線上にいた芽衣とアイコンタクトを交わす。彼女もできることなら今すぐ離れたそうにしていた。

 けれど、そんな俺たちのことなど知ったかと言わんばかりにタマさんは酒を注ぎはじめる。やがてこぼれそうになるくらいで止め、ガルジーナさんはそれを天高く掲げた。

「それでは、不肖ガルジーナ! 呑ませていただきます!」

「にゃははははは! さっすがガルちゃん! 男前にゃ!」

 タマさんは心底楽しそうに囃し立て、ガルジーナさんはそれを受けて酒を一気飲みした。

 重ねて言っておくが、本来一気飲みはご法度だ。彼女たちは幻獣で耐性があるからできることである。俺みたいな奴がやったらたぶん死ぬだろう。

 ガルジーナさんはごくごくと喉を鳴らしてそれを嚥下し、それから盛大に声を絞り出した。

「……かぁ~っ! 美味いわ!」

 彼女はまたしてもコップを差し出そうとした。が、急にふらつきだし、近くの壁にもたれかかる。瞼は落ちかけており、口の端からはよだれがこぼれ落ちていた。

「も、もしかしてガルジーナさんってお酒苦手だったんですか?」

 俺は意図せず問いかけていた。見た目的に酒豪かと思ったのに、まさかここまで弱いとは。いや、タマさんや麻衣さんもガルジーナさんほどではないとはいえ結構酔いどれている。だとすれば、これは当然なのか……?

 などと頭を悩ませる俺をよそに、ガルジーナさんはそれでも立ち上がろうとしてみせる。

「酔ってへんわ……ほら、この通りピンピンしとるやろ」

「わわ、危ないですって!」

 俺はとっさに倒れかけていたガルジーナさんの体を抱きしめた。彼女はうわ言のように何かをぶつぶつと呟いている。これはもうダメそうだ。

 俺は芽衣に語りかけた。

「芽衣。悪いけど、ガルジーナさんを寝かせたいんだが」

「あ、それなら寝室に……」

 と、芽衣が立ち上がろうとした時、横からタマさんが割って入る。彼女はべろんべろんに酔っぱらった状態で芽衣に絡んでいる。

「芽衣~今日はお祝いにゃ。まだまだ付き合ってもらうにゃ」

「あ、あわわ……は、蜂須賀くん。寝室は二階にあるから、そこまで連れていってあげて。私はちょっと……」

 俺は周囲を見渡した。絡み酒をしているタマさん。修二さんに愚痴を言いながらもその分厚い胸板に顔を幸せそうにうずめている麻衣さん。一言で言ってしまえば、カオスだ。ここは彼女に任せるのが賢明だろう。

 俺は頷きを返し、ガルジーナさんを背負った。

「わかった。芽衣はこっちをよろしく」

「じ、自信はないけど……頑張ってみます」

 彼女はそれだけ言ってタマさんにつき従っていた。俺はそちらを一瞥した後で階段を上っていく。途中でガルジーナさんが落ちないように細心の注意を払っていた。

 ……にしても、女の子って軽いな。

 ガルジーナさんの体は驚くほど軽かった。それに、背中に伝わる温もりは何だか心地がいい。チラリと視線を寄越してみれば、彼女はすでにすやすやと心地よさそうな寝息を立てていた。

 改めて見ると、やはり美人だ。酒が入っているせいか白い肌は赤く染まっており、俺はついドキリとしてしまった。

 やがて二階に到着すると、右の方に客間らしき部屋が見えた。俺はそこを器用に開けて、ゆっくりと足を踏み入れる。当然ながら布団は敷かれていない。俺はガルジーナさんをそっと近くに下ろしてふすまから布団を取り出した。

 意外にも布団は綺麗で埃一つ被っていない。これならすぐ寝かせられそうだ。

 俺はそれを丁寧に敷いていき、あらかた整ったところでガルジーナさんを抱きかかえた。お姫様抱っこのような形である。本人が起きていたら殴られるかからかわれたりしそうだが、眠っているのでノーカンだろう。俺は彼女を静かに布団に横たわらせた。

 優しく布団をかけてやると、ガルジーナさんの眉がピクリと揺れた。

 もしや、起こしてしまっただろうか……?

 などと思っていると、彼女の艶やかなピンク色の唇がかすかに動いた。

「……お母さん……」

「――ッ!」

 俺はハッとした。彼女が出した声が、あまりにもか細かったからだ。それこそ、年相応の女の子のようだ。しかも、いつもの関西弁は鳴りを潜めている。

 ……ひょっとして、あのしゃべり方こそが、彼女が自分を偽っている証拠ではないだろうか?

 芽衣は自分を押し殺していた。あえて多くを語らないように口数を減らし、人と積極的に関わらないようにして。

 けれど、ガルジーナさんはその逆だとしたら?

 あの強気な関西弁を使うことによって、自分を押し殺しているとしたら?

 両親がいなくなり、天涯孤独となった寂しさを隠しているとしたら?

 そう思うと、まるで胸が締め付けられるようだった。

 彼女はそれからも小さな声で両親のことを呼び続けている。目尻には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 俺はそっとガルジーナさんの髪を撫でる。本当に綺麗だ。つやつやとしていて、絹糸のように滑らかである。俺は彼女を安心させるべく、優しく髪を撫で続けた。

 すると、わずかだが彼女の表情が和らいだ。無邪気な子供のような寝顔になって再び心地よさそうな寝息をたてはじめる。

「おやすみなさい、ガルジーナさん」

 俺はそれだけ言って腰を上げた。

 さて、後すべきことは一つだけである。

 酔っ払いたちの相手だ。

 俺は重い足取りで客間を出ていった。

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