第5話こんなカミングアウトは望んでない!

 昼食を終えた後で、俺とガルジーナさんは二人して学校を見て回っていた。当然ながら、今は授業中である。廊下にはほとんど人はいないし、話し声も聞こえてこない。

 あらかた今いる建物内を見て回った後で俺たちは図書館の方へと向かっていった。ガルジーナさんは早くそこに入りたいようで若干小走りになっている。少し後ろを歩く俺の方を何度もチラチラと見つめていた。

 俺は苦笑交じりに歩を進める。

「慌てなくても図書館は逃げませんよ」

 ガルジーナさんはブンブンと力強く首を振って否定する。

「何言ってんねん。図書館は逃げんかもしれんけど、本は借りられるかもしれんやろ?」

「それはそうですけど……」

 ガルジーナさんは鬼の首を取った、とでも言いたげに微笑んでいた。俺は肩をすくめて彼女の後を追う。

 ようやく自動ドアの前に到着したかと思うと、ガルジーナさんは少しだけ早足で中に入った。

 この学校の図書館は一般開放されているということもあり、入館に際して学生証などを見せる必要はない。ただし、学生以外は借りられない資料というのも少なからず存在する。俺はそっとガルジーナさんに囁いた。

「好きな本があったら言ってください。五冊までなら借りられますから」

「五冊かあ……難しいなぁ」

 ガルジーナさんは悩ましげに首を捻る。まぁ、それも当然だろう。ここは結構大きいし、蔵書の数も並ではない。一般書もあるし、借りたいものはそれほど山ほどあることだろう。その中から五冊を選ぶとなると頭を悩ませてしまうのはわからないでもない。

 そんな彼女がまず寄ったのは、図書館の見取り図がある壁だった。この図書館は三階建てで、階ごとに資料がほんの種類が分けられている。闇雲に探すよりは、こうやって目星をつけた方がやりやすいだろう。

 彼女はしばらく見取り図とにらめっこしていた後で、ニッコリと微笑んだ。

「とりあえず、あそこやな」

 彼女が指差したのは、英米文学のある棚だ。それがある場所は三階。つまりは階段を上っていかねばならないわけだが、彼女にとってそれは大した問題ではなさそうだった。ガルジーナさんは図書館内にある階段をスイスイと昇っていく。けれど、足音は立てていない。忍者顔負けの足さばきだった。

 俺もその横を並んで歩く。と、ガルジーナさんはふと周囲に視線を巡らせ、ぼそりと呟いた。

「……結構勉強しとる学生も多いんやな」

 確かに今は考査前ではないというのにそれなりに勉強をしている学生が多い。まぁ、ここは資料が多いからレポートを作ったりするのにも最適なのだろう。特に四年生はそういうのが厳しいと聞くし。

 俺がひとり頷いていると、ガルジーナさんは不意に顔を歪めた。たまらず、俺は問いかける。

「どうしました? 気分でも悪くなりましたか?」

「……いや、なんでもない」

 とは言うものの、彼女は不思議そうに首を捻っていた。その横顔はこれまで見たことがないくらい真剣そうである。別に近くに興味深そうな本があったというわけでもなさそうだ。

 が、彼女はすぐに頭を振って思考を振り払い、またいつもの笑みを取り戻した。その様を見てひとまず俺も胸を撫で下ろす。

 それにしても、ガルジーナさんがあんな顔をするなんて……。

 一体、何があったのだろうか?

 だが、考えていても答えは出ない。俺は黙って彼女とともに三階へと向かっていった。

 あっという間に三階に到着。それからガルジーナさんは近くの棚へと歩み寄った。そこにはズラリと英米文学の本が並べられている。彼女はまじまじとそれらを眺めていた。カニ歩きで、ズリズリと歩く様に思わず吹き出してしまう。

 彼女はこちらに視線を寄越し、唇に人差し指を当てた。俺も微笑を返しつつ、同様のジェスチャーをしてみせる。ガルジーナさんは小さく笑ってまた本棚に目をやった。

 棚を一通り見終ると、ガルジーナさんは次の棚へと移って同じように観察し始める。気づけば、三階にある棚は全て見終っていた。

 彼女はその時になっていきなり頭を抱え始める。

「あかん……五冊なんて無理や。選べん……」

 どうやらまだ決めかねているらしい。ガルジーナさんは悶々と頭を悩ませていた。

 こんな状態の彼女を見るのはある意味新鮮なので放っておいてもいいのだが、そうすると後が怖い気がするので俺はそっと助け舟を出す。

「ここで読んでいったらどうです?」

「けど、他にも行くところあるんやろ?」

「それは別の日に回せばいいですよ。それに、ほら。今日は金曜日で明日は休みですから」

 俺はニッコリと笑みを浮かべつつスマホを彼女に見せる。明日は午前中にちょっとだけバイトが入っているが、それが終われば自由だ。見て回るのに支障はないだろう。

 だとすれば、時間が許す限りここにはいてもいいと思う。長居することは禁じられているわけではないのだから。

 ガルジーナさんは顎に手を置いてしばし考えている様子だったが、やがて静かに頷いた。

「……それもそうやな。じゃあ、そうするわ」

 そう言ったかと思うと彼女は棚から分厚い本を三冊ほど取ってみせる。その厚さたるや、大魔法使いが持っている魔道書のようだった。

 ……まさかとは思うが、それを借りようとしていたのだろうか?

 だとすれば、持つのは当然俺だろう。俺は一瞬よぎったヴィジョンに戦慄した。

 ガルジーナさんはほくほく顔で近くの席に腰掛け、俺もその隣に座った。彼女は自分の脇にどさっと本を置いてまず一番上にあった本を読み始める。その目は非常にキラキラと輝いていた。

 俺はというと、読みたい本が特にここにはなかったので今日出されたばかりの宿題と、次の授業の予習を開始していた。ガルジーナさんはそれを茶化してくることはない。彼女はすでに本の虜となっていた。

 俺もノートの上にペンを走らせていく。まだ一年生ということもあってか授業もそう難しくはない。予習をしっかりやって授業も聞いていればちゃんといい点は取れるレベルだ。

 難なく予習をこなしていき、そろそろ終わりが見えようかという時だった。それまで黙って本に没頭していたはずのガルジーナさんがハッと顔を上げたのは。その横顔は先ほどと――いや、先ほど以上に緊迫感に満ちている。たまらず、俺は問いかけた。

「どうしました?」

 ガルジーナさんは何かを言うのを躊躇しているようだった。が、少しだけ眼光を強めて口を開く。

「実は……」

 彼女がごくりと生唾を飲みこみ、二の句を継ごうとした時だった。

「蜂須賀くん?」

 聞き覚えのある、鈴の音のように澄んだ声が耳朶を打ったのは。

 俺はハッと後ろを振り返り、そこにいた人物を見て表情を緩めた。

 俺の眼前に立っているのは小柄な少女。柔和な微笑みを浮かべている人懐っこそうな子だ。肩のあたりまで伸びている黒髪は艶やかでサラサラとしており、彼女の白い肌を余計強調しているように見えた。

 彼女の名は尾形芽衣(おがためい)。俺の同級生だが、英語学部の学生だ。たまたま取っていた自由選択の授業で隣に座ったという縁から仲良くなった。この学校での貴重な女友達だ。

 彼女は俺の横にいるガルジーナさんを見て、ひょこっと首を傾げた。子どものような、どこか愛嬌のある仕草だ。実際、彼女はかなり男子に人気がある。本人は内向的な性格のため、それをあまりよく思っていないようだが。

 芽衣はおずおずと口を開く。

「あ、あの。蜂須賀くん。その人は?」

「あぁ、うん。ちょっと訳ありでさ。今うちに泊めてるんだ」

「泊めっ!?」

 おそらく漫画であったなら彼女の頭から湯気が出ていただろう。だが、実際今にも出そうなほど芽衣は顔を真っ赤にしていたい。意外に初心なのである。俺は苦笑しつつ横を見て――ギョッとした。

 なぜなら、ガルジーナさんが芽衣のことをジッと眺めていたからである。それも、ひどく鋭い目つきで。芽衣はヒィッと怯えた声を出して持っていたカバンで顔を隠してしまった。

 一方で、ガルジーナさんは鼻をひくひくさせながら呟く。

「……あんた、匂うな」

「が、ガルジーナさん! 女の子にそれは失礼ですよ!」

 男ですら言われたら心に傷を負うのだ。女の子ならなおさらだろう。事実、芽衣は『ハゥッ!』と言ってしょんぼりと肩を落としてしまった。ガルジーナさんは唖然とする俺をよそに椅子から立ち上がり、彼女の方に近寄ってあろうことか匂いを嗅ぎ始めた。

 しかも、彼女の首筋やら胸元やら、はたまた腰のあたりまでなど……。人の視線が集まっていることにも気づいていないようだった。芽衣はあわあわ言いながら助けを求めるようにこちらに手を伸ばしている。

 俺はたまらず駆け寄ってガルジーナさんを引きはがした。意外にもあっさり言ったことに我ながら驚いてしまう。もっと抵抗されるかと思ったが。

 ガルジーナさんは鼻をすすりながら笑みを作る。すでに先ほどの険しい表情は鳴りを潜めていた。

「なるほどな……わかったわ。なぁ、自分も気づいとんのやろ?」

 芽衣のまつ毛がわずかに揺れた。ガルジーナさんはそれを見て嬉しそうに微笑みながら彼女の方に歩み寄り、その肩に手を回した。

「忍。ちょっと外まで来てくれ。話がある」

「え? で、でも本は……」

「元の場所に戻しといてや。ウチらは先に行っとくさかいに」

 ガルジーナさんは芽衣を連れてそそくさと図書館から出ていった。芽衣は何かを言いたそうだったが、なす術もなく連れられていく。俺は二人を見送ってから、ガルジーナさんが置きっぱなしにしていった元の本を元の場所へと戻した。

 その後で、図書館の外へと向かう。ガルジーナさんたちはちょうど入口のところで待っていた。彼女たちは俺に気づくなり僅かに表情を緩めてみせる。

「ほな、ちょっと人けのないところ行こか」

「え……カツアゲはやめてくださいよ?」

「誰がするか、アホんだら!」

 思い切りツッコミをくらった。芽衣はその声にすらビビっているようである。

 ……もし何かヤバくなったら俺が仲裁に入ろう。止められる自信はないけど。

 俺は陰鬱な気持ちで校舎裏へと案内した。意外に図書館にいた時間が長かったらしく外はすっかり暗くなっている。生徒たちもほとんど帰宅したようだ。

 ガルジーナさんは改めて周囲に人がいないことを確認してから、大きく息を吐いた。

 直後、その額から大きな角が突出する。その光景に、芽衣はハッと口を押えた。

 マズイ! な、なんとか説明をしなくては……ッ!

 俺はとっさに口を開く。

「ど、どう!? すごいでしょ!? じ、実はこれ、最近流行っているマジックでさ!」

「忍。ちょっと黙っとき」

「はい」

 即答した。いや、だってガチのトーンだったもん。逆らったら絶対殺(や)られていた。

 俺は息を呑んで二人を見守っていた。芽衣は暫し黙り込んでいたが、やがて意を決したようにキッとガルジーナさんを見つめる。

 刹那、彼女の頭頂部から二つの突起物が出現した。それは……耳だ。ウサギの耳ではない。言うならば……そう。猫耳だ。しかも、ピクピクと左右に動いている。どう見ても作り物には思えなかった。

 しかも、芽衣の臀部からは長い尻尾まで生えている。それはまるで意志を持ったかのようにうねっていた。

 開いた口が塞がらない俺に向かってガルジーナさんは盛大なため息を寄越す。彼女は芽衣の方を指さしながら、小さく口元を歪めた。

「忍。水臭いやないか。同族がおったなんて知らんかったで?」

「同族って……え?」

 俺はこれでもかと目を見開いて芽衣を見つめた。彼女は照れ臭そうに体をもじもじさせながら、か細い声で告げる。

「あの、蜂須賀くん……驚かないでほしいんですけど……実は私も、ガルジーナさんと同じなんです」

「同じって……幻獣のハーフ!?」

 芽衣はそれに曖昧な首肯を返す。

「はい。正確に言うなら、クォーターです。猫又の」

「え?」

 俺はまず芽衣に視線を寄越す。彼女は恥ずかしそうに尻尾をブンブンと振っていた。

「え?」

 一方でガルジーナさんはというと、普段は邪魔くさいと言って生やしていないウサギ耳と尻尾まで生やしてサムズアップを決めていた。

 俺はそんな二人を交互に見渡して――

「え……えええええええええええええええええええっ!?」

 絶叫した。

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