お題小説「人形」
彼は名をサングリエという。
サングリエは、とても有名な人形作家で、彼の創る人形はそれはそれは素晴らしいと賞賛されていた。
一般的には可愛らしさや精巧さ、他では艶やかさや悲しみなど、それらが求められる中で彼の作る人形はひときわ異彩を放っていた。
彼の作る人形は、全て怒りに包まれている。
それも、放ちようの無い様な激しき怒りに。
何も般若のような顔ばかりしている訳ではない。
もちろんそのような作品もあったが、中には静かに、微かに笑みを浮かべているようにも見えるその顔は、確かに腹の底からの静かに噴きあがる怒りに堪えている顔であった。
「人形は人形足るべきだ、生きているようだと評価されるのはわからないな。人形は人形足るべきで、それ以上でもそれ以下でもない」
サングリエは、いつもそう言っていた。
彼はとても物静かな人で、決してお世辞にも容姿端麗とは言えないが、読書が趣味の暖炉と木の椅子がよく似合う男性だった。
その性格を受けて、抑圧されているだとか、反動だとか、好き勝手に言いまわるゴシップの標的になることもあった。
だが、彼はそんなことを気にするそぶりも見せずにただ一心不乱に人形を作り続けていた。
シュヴルイユは彼の妻だ。
それはとても美人で、街の男たちは彼女をどう振り向かせるかに人生の大半を費やそうとする者ばかりであるほどであった。し
かし、彼女はサングリエの人形に惹かれ、半ば強制的に夫婦になることを決めてしまったのだ。
サングリエが性嫌悪症であったために、性交渉などはなかったし、彼はとても仕事熱心だったので話す時間もそれほどなかった。
だが、彼女は彼のその姿を、その人形を見られることだけで十分だと感じていた。
「あなた、お茶が入りました。少しお休みになられては?」
「ああ、君か」と手を休め、紅茶に手を伸ばす。ゴツゴツとしていながらも、細く、繊細な手。
「ああ、相変わらず素晴らしいです。何故こんな表情が作れてしまうのでしょう」出来かけの人形を目にして、シュヴルイユは思わず感嘆の声を上げた。
「君は本当に私の人形が好きなんだね」
ええ、と即答する。彼女は自分のコレクションもあり、彼が作った非売品も眺め、そして彼が新しく作り出す命の数々が周りに渦巻くだけで、生きていると感じられた。
この結婚も、言うなればそれが目的のようなものだったのであるし、そして「とても幸せです」と思わずこぼす。
「何故、と言ったね。教えてあげようか」
肘掛に肘をついたまま、暖炉を見つめ、彼がそう呟く。
「……?どういうことでしょうか?」
「私はね、小さい頃、親兄弟を殺したんだ」
え、とシュヴルイユの声が漏れる。
「僕は出来が悪くてね、小さい頃から人と触れ合うのが苦手だった。勉強も出来なかったし、運動も」
火かき棒で暖炉を掻き回しながら彼は続ける。
「うちはそれなりの名家だったから、それは我慢ならなかったんだろうね。毎日の暴力、罵声……耐えられなかった」
「だから殺したんだ。大振りの包丁で、何度も、何度も、執拗に。父も、母も、姉も」
「最初はベッドの上の父だった。うつぶせに寝ていた彼の背中に、出来るだけの力をこめて刃を突きたてた。骨か何かに当たる感触がしたから、回すようにして引き抜き、また、振り下ろす。それを何度か繰り返していると、叫び声を聞いて飛んできた母が腰を抜かして見ていた。その頃にはもう彼の背中は背中ではなくなっていたからね」
彼は小さな身振り手振りで丁寧に説明する。火かき棒を包丁と見立て、振り下ろしてみたりもした。
「私はもう止まらなかった。ベッドから駆け下りて母の所に走るとそのままの勢いで顔に包丁をつき立てた。一回目は目に刺さって、引き抜いてから振り回すと、首が切れたようで大量の血が噴き出した」
そう語る彼の顔に怒りはない。
むしろ物凄く落ち着いている印象を受ける。
彼が暖炉をかき混ぜるので、パチパチと音が鳴り、火が少し強くなる。
「最後に姉を殺した。あれが一番良い顔をしていた。最後まで私に侮蔑の視線を忘れなかった。まるでトチ狂った可哀想な人間でも見るかのような眼。私はあれを忘れられない」
彼には珍しく、何か恍惚とするような表情さえ見せた。
身振りが大きくなっている、興奮してきているのだろうか。
「私の人形は、そんな彼らの怒りに満ちているんだ。もう、許してもらえないんだから、私は一生彼らに許してもらおうと人形を作り続けるのだと思った」
唖然として口が開けないシュヴルイユ。なんとか、でも、と声を出す。
「でも、私はあなたのそんな所にに心底惚れています。だから私は……」
そう言ったところで、サングリエが言葉を遮る。
「だから、『思った』と言っただろうシュヴルイユ?」
彼女は、は?と思わず首をかしげる。
「私は、小さい頃に怒られ、その対象を殺してしまったがゆえに、贖罪というのか、許してもらうために怒る彼らを作り続けてきた訳だ」
コツ、コツとゆっくりサングリエは彼女に近づく。
「でも、見つけてしまったんだよ。違う目的を」
「違う目的?」
引き摺られた火かき棒の音が彼女の前で止まる。
暖炉の火は彼らをゆらゆらと、まるで無声映画か影絵かのように不思議に映し出す。
火かき棒が勢い良く振り下ろされ、その影はゆっくりと重なり合う。
ある町外れのアトリエから、男の喘ぎ声のようなものが聞こえるという。その噂が立ってから不気味がってその家には誰も近寄らなくなった。
「ああ、あなた。やっと私たち愛し合えているのですね」
「喋るな」
「人形は人形足れば良い。それ以上でも、それ以下でもあってはならない」
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