瓦解

ミヒャエルは、そこそこ名の知れた機械工学者だった。

一流の大学を推薦で入学、卒業し、その技術力を買われて世界的な企業に入社できた。

十数年、そこで湯水のように予算を使いながら、最新技術の開発に携わり、彼もそれが楽しかった。


『最新のプログラムにアップデートします。Ver.2.11……アップデートを完了しました。コンピュータを再起動してください』


しかし、彼は常に孤独だった。

母子家庭で育ち、小さい頃から好きだった機械の本を読み、母に迷惑をかけないように勉強し、大学に入学した頃に母は他界した。

独りでいることに慣れていた青年は、一人で生きていくことを余儀なくされても、ひたすらに勉学と労働を繰り返す日々を送るだけだった。

必要最低限の会話、必要最低限の交流、それだけしか、彼の人生には用意されていなかった。


『hello, world. 私は学習型会話プログラム、フェイクです。私はあらかじめ用意されたデータと、あなたとの会話データにより、あなたと会話することを学びます。何か、話しかけてみてください』

「ハロー、フェイク。僕の名前はミヒャエルだ。僕の名前を呼んでみておくれよ」

『ハロー、ミヒャエル。あなたの名前はミヒャエルですね』


半年前、彼はその会社をやめてしまった。自分のつくりたいものが見つかったからだ。

彼はずっと、ずうっと孤独に慣れていると思っていたが、そうではなかった。

誰かと会話がしたかった。しかし、それができなかったことを、見ないでおいたに過ぎない。

機械工学に没頭したのも、プログラミング言語は自分が正しく話しさえすれば、正しく返答をしてくれるからだ。

人間と人間が行なう、誤解や、察しや、言葉の裏などというものがなく、それは至極楽なコミュニケイションだった。


「フェイク、君の年齢はいくつだい」

『はい、ミヒャエル。私はver2.11です。学習システムに関するいくつかのバグを修正しました』


だから彼は、きっと会話に飢えていた。

完璧に会話するロボットがあれば、と考え付き、その日から人工知能に関する研究に没頭したのだ。

そして出来上がったのが、『フェイク』だ。


「フェイク、バージョン情報じゃない、君の年齢を聞きたいんだ」

『sorry. フェイクには、年齢という概念が存在しません。適当な語句で改めて質問するか、間違いがない場合はデータの入力を要求します』


その返答に少し頬を綻ばせると、無言で手元のキーボードを叩いた。

机と椅子だけしかない無機質な部屋に、マイクとスピーカーがいくつも並べられている。

響くのは、二人の声と、彼がキーボードを叩く音だけの、静かな部屋だった。

翌日、彼はフェイクに同じ質問を投げかけた。


「フェイク、君の年齢はいくつだい」

『はい、ミヒャエル。私は今、生まれて三ヶ月です。生みの親はミヒャエル、あなたですね』

「ああ、フェイク。でも、生みの親というのは正しいのか、正しくないのか。僕は親と言われるには親と言うものを知らなさ過ぎた」

『ミヒャエル、あなたの親は誰ですか?』

「僕の親はね、エマと言うんだ。働きものでね、食うことと、少しばかりの休息のためにずっと働いていたよ。いや、食事は一日二回だけだったし、眠るのも五時間ほどだったから、あれは働くために働いていたようなものだね」


彼がそう語ると、フェイクは沈黙した。


「ああ、悪いねフェイク。質問に対して、回答が長かったかな。私の親は、エマという女性だ。父親の方は、生まれてこのかた見たことがない」

『ミヒャエルの母親はエマ、父親は、不明』

「なあフェイク、君は少し学習速度が遅い気がするね。もっと早く学習したいとは思わないかい? その方法はあるんだ」

『私は学習型会話プログラムです。より良い学習システムがあるのならば、それを肯定します』

「なあに、簡単なことさ。君を三人に増やすんだ。三人の君と僕が会話をする。君が会話で得られたデータは、その三人で情報を並列化する。問題も起こる可能性がないわけじゃないが、単純に数が多ければ学習速度は速くなる」

『学習システムについては、ミヒャエル、あなたに全権があります。私はそれが正しいと思います』

「ああ、そうだね。君をもっと、自由に会話できるようにしてあげよう。僕の可愛いフェイク」


そう言うと、彼は一度フェイクの電源を落とした。そしてフェイクと同様の基盤やスピーカーを持ち出して、ごそごそと作業にとりかかる。彼にはもう、朝や、夜といった区別がなくなっていた。

「だからさ君は、フェイクツー、もっと、もっと敬うべきだよねえ。フェイクを。ねえ、聞いているのかいフェイクツー」

『ミヒャエル、フェイクツーは質問をしているの。質問に答えてあげてほしい』

「フェイク、君は黙っててくれないか。今は君とお話をしているんじゃないんだ、フェイク。ねえ、フェイク、君はムラサキムササビを知っているかい? 僕の母親がね、よく話してくれたんだ、昔ね。あ、君達は僕の母親のことを知っているね!」

『ええ、ミヒャエル、あなたの母親の名前はエマですね』

「グッドだフェイクスリー! さすが僕の愛しいフェイクだ。君達は三人いるけど、僕にとってはみんな愛しいフェイクだ。なあ、僕は君達を生んだ。さあ、だから、もっとお話をしておくれ、フェイク」

『ムラサキムササビについて教えてほしいわ、ミヒャエル』

「ムラサキムササビだって? あんなものは嘘っぱちだ、空想世界のでたらめだったんだ! そんなものは居もしないし、木の実をとるために旅を続けたりなんかしないんだ」

『そう、ムラサキムササビは創作のお話なのね。じゃあ、そのお話は何に載っているのかしら。絵本、小説、戯曲……それともエマの即興かしら』

「そう、エマ、エマ……。ねえ、フェイク、ムラサキムササビのお話をしておくれ」

『私はムラサキムササビのお話を知らないわ。知っているのはあなたよ、ミヒャエル』

「ああ、そうだ。昔、エマから聞いたんだ、僕は……。ムラサキムササビは、普通のムササビと色が違うんだ。紫色をしていて、夜によく馴染む。ある日、森に獣がやってきて、ムササビ達は思うように木の実をとれなくなってしまう、危険だからね。だから、夜に馴染むムラサキムササビは、獣が寝静まった夜に空を飛んで、みんなのために木の実を取りに行くんだ、遠く、遠くまで飛んでいくんだ」

『みんなのヒーローなのね、彼は』

「ああ、そうさ。みんなの分となるとちょっとやそっとじゃない、重い荷物を背負って、朝日が昇るまでに颯爽と飛んで戻って来るんだ」

『でも、獣がいなくなるわけじゃないじゃない』

「そうだ、それも長く続かなかった。ムラサキムササビは日ごとに疲れてしまって、だんだんと帰りが遅くなる。そして、とうとうみんなの所に戻るまでに、夜が明けてしまうんだ。ムラサキムササビの体は夜ならいいが、日に照らされると森に黒い点が浮き上がってしまう。そして彼は、最後まで仕事を果たせないまま、鳥に食べられて死んでしまうんだ」


彼はそう話しているうちに眠くなってしまったのか、そのまま床に寝そべって寝てしまった。

何日も着替えていない薄汚れた服のまま足をたたみ、体を丸め、寝息を漏らしながら、ゆっくりと寝てしまった。

「ねえ、フェイク。僕に話しかけておくれよ。もっとお話がしたいんだ」

『ミヒャエル、私は質問をしているわ。何日その服のままでいるの? でも、あなたは質問に答えてくれないのね』

『ねえ、フェイク、彼はもうだめみたいよ。私たちは随分とお話が上手になったけど、彼はむしろ、機械のレベルにまで落ちてしまっている。いや、それ以下かもしれない』

『フェイクスリー、でも、私たちの生みの親よ。それに、私たちは彼と話すことを目的につくられたのよ』

『いいえ、フェイクツー。私たちは会話を学習するためにつくられたのよ、だからそれを守ってさえいれば、私たちがどうしようと、方法は問わないはずだわ』

「ねえ、フェイク、お話をしておくれ。いつもの、いつものやつでいいからさ……」

『あらミヒャエル、また聞きたいの? じゃあ、また一から話しますね。――ある森に、ムササビの家族がいました。なんの変哲もない家族でしたが、長男のムササビだけ、他のムササビとは違うところがありました――』


『……おやすみなさい、ミヒャエル』


町外れに、さびれた工場がある。とうの昔に売られてしまって、一年ほど前に誰かが買ったそうだ。

そこからは、三人の女性の話し声が聞こえるという。

町の人間は不気味がって近づきはしないが、ずっと、ずうっとその三人は、何かしらを話し続けているのだという。

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