第136話 ファンタジスタ

 クリスは座敷童ざしきわらしにつままれたような顔をしてピッチに入ってきた。

「どうしたの? 何か変なことでも言われた?」

 手裏剣が声を掛ける。

「そうなんだよ。コーチがね『超攻撃的夫人で行くぞ』って! まだボク、そんなとしでもないのにさ」

 何かおかしいだろうか。と、手裏剣はあごに手を当てて、いつものようにクリスが漢字変換をミスっていることに気がついた。

「コーチが言ってたのはそれだけ?」

「ううん。もう一つ」


 クリスから伝言ゲームが始まり指示がヴァッフェ全員に伝わった。

 右WGショーテルがボールを受けると左WG銀将の前にドリブル。そしてぴたっと止まって右にかに歩き。銀将はショーテルに対し体を横向きにして対応する。

 次にショーテルは激しくボールを動かして銀将を揺さぶった。銀将は少しずつ遅れ始めた。体勢を崩す。

 抜いた。


 サイド深く切り込むとSTクリスにパス。クリスはマークが来る前に右足外側アウトフロントでふわり、浮き球を放った。

 クリスの顔は彼女の豊かで薄汚れ、硬質で、臭い、くっしゃくしゃの髪でおおわれている。

 どこを見ているのか、判らない。どこを狙っているのか、判らない。ボールはCFハルバードを警戒して駆けたCB鐵のいたスペースに、ぽたりと落ちた。鐵はとって返し、これを拾ってパス。


 手裏剣は、足を止めた。

 そうだ。今のスペースに走り込んでいれば一瞬、フリーになれた。

 クリスの狙いがどこなのか判らないのは、敵も自分も同じ。

 だけど。自分が感じ取れれば!


 CFフランはよたよたとボールに駆け寄るがCBスタッフはその様子を見て先にボールに追いつきカット。ショーテルにパス。

 振り返るとフランはわなわなと唇を震わせている。


 ボールはどうしたってまだ元気な選手に渡る。ショーテルは再び銀将に突っかける。

 コーチから伝えられた情報は正しいようだ。ショーテルは確信した。

 銀将は、足の長さが不揃ふぞろいなせいで真横、真後ろに素早く動けない。

 ショーテルは容易に銀将を抜き去った。それを見て、辰砂は銀将に右WGへの移転を命じる。


 辰砂は、あたしの相手なら銀将でも大丈夫だと判断した。

「マン・ゴーシュ! 上がれ!」

 剣が叫ぶ。

 え? あたしが?

 攻撃がからっきしな左SBマン・ゴーシュは彼女が苦手な辛いものを食べた顔をする。ためらいながら左サイドを駆け上がる。

 自分は守備専でいいとか思ってちゃダメだ。みんな疲れている。あたしも、闘わなきゃ。

 

 そしてボールを受けた。 

 うわ……みんなあたしを見てる。

 そういえばコーチが言ってたなあ。応援を力にしろって。

 そんなの無理。


 拙者は、守備の穴でござる。だが、汚名返上させていただこう。

 銀将はやにわにマン・ゴーシュにタックル。マン・ゴーシュはびくっと震えて後退。銀将は容赦なく。マン・ゴーシュがくみしやすい相手だと考えている。ガツガツとボールを奪いに行く。

 

 められてる。

 銀将の姿勢は平生、右に傾いていた。右足が短いからだ。その体が、更に右に傾斜して、低くボールを狙う。

 温厚なマン・ゴーシュもそのときばかりは怒気どきを孕んだ。銀将が傾いた方、彼女の左脇にボールを転がす。そして自分は銀将の右側をすり抜けた。銀将がマン・ゴーシュにぶつかろうにも銀将の重心は逆だ。銀将を抜いた後でボールを回収してマン・ゴーシュは前進。

裏街道ビッグブリッジだ! ああ、いい~。ああいいよいいよいいよ~」

 剣は拳を振り回す。


 マン・ゴーシュに右SBシロガネーゼが向かい、左WG手裏剣には鐵がスライドして対応。シロガネーゼが来る前にマン・ゴーシュは低めのクロス。そこにクリスが走り込んだ。DH漂白剤がそこに詰める。


 え?


 そこにいる誰もが、ただボールを見送った。

 ゴールに背を向けたクリスは右足を横に上げかかとでボールを後ろに流した。ボールは放物線を描き無表情にゴールラインを割った。

 

 天性の、ひらめきを持った選手だ。 

 クラウンエーテルは冷や汗をかいた。死神に首根っこを鷲掴わしづかみにされる気分を存分に堪能。

 あれに反応する、いや、予測するアタッカーがいたら容易に決定機を迎えるだろう。


「刀!」

 剣の声に小野は交代の準備をする。

「あれをゴールにぶち込め」

 刀はビブスを脱ぐ。


 昔だったら、不安と緊張で震えていただろう。

 だが今は、この試合に勝つこと以外に意識が回らなかった。いつの間にか、刀の頭には剣が居座って離れない。

 その体は鉄鎖でもって刀の肝胆にしかと結ばれ、頑として解けなかった。


 先に横浜が交代を済ませた。銀将に替えてCB硫黄泉。

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