第130話 きれいな海

 他人がうらやましかった。


 みんな、立ち直りが早い。


 わたしは、違う。


 6年前、愛犬フィロスの死に様。

 負けた試合のあらゆる情景。

 友達とのケンカ。その真っ赤な顔。くしゃくしゃになった顔。

 わたしが犯したあらゆる蹉跌あやまち

 他多数。

 すべて、ついさっきの出来事であるように鮮明に記憶している。

 どうして人は。

 わたしは、悪いことばかり思い出すのだろう。


 だからわたしはいつもせわしなく何かを考える。不意に心がからっぽになるとそれらは虚をいてわたしに責めかかる。それらは色せることなく過去を現在に突き出してきて見せつける。私はいる。四六時中悔いる。

 自分が大嫌い。


 でもね!

 サッカーをしている時だけは、夢中になれる。考えることは山ほどあるから。

 さ、笑おう。

 楽しい、サッカーをしよう。

 エレメントは、幸せなサッカーをするよ。


 わたしは一目ひとめ見れば、その画像が何枚でも脳裏に焼き付く。画像を並べて整理して、誰がどこに動いているか推理する。それぞれの選手の特徴も理解しておく必要がある。

 前半はなかなか大変だった。ヴァッフェは見慣れない選手ばかりだから。でも、データがそろってきた。

 もう大丈夫!




「東京ボールで後半が始まりました。ハルバード。ランス。独鈷杵。スタッフ。ショーテル。横浜のプレスから逃げるようにボールをつないでいきます。ショーテルがロングボールを蹴ります。またもハルバードとオー・ド・ヴィの競り合い! ボールを拾って、カットラスが斬り込みます。ドリブルはシロガネーゼがカット!」

「これだけ積極的な守備をしているにも関わらず、横浜の守備は固いですね」

「横浜は大半が日本代表選手です。今年の25試合で喫した失点はわずかに8点。強すぎて試合がつまらないと言われることもあるようですが、華麗なサッカーで周囲の雑音を黙らせています」

「横浜のサッカーつまらないですか?」

 おっさんGは笑いながら尋ねた。

「とんでもない! 横浜の鳥かごパス回し見ているだけで楽しいですよ」

 おっさんFも笑いながら答えた。 

「横浜からボールを奪うことも難しいですね。どの試合を観ても、横浜がボールを支配しています」

「お? 剣監督がサングラスを投げ捨てました」


 どうして俺はこんなもの付けてたんだっけ? 

 まあそんなことどうでもいい。

 俺の視界を阻害するものを取り払った。今はただ、少しでも情報が欲しい。



 東京は下がった。

 2ラインの間にはもうスペースがない。だがこぼれ球を取るのが難しくなった。


 これ……。どこまでついていけばいいのかしら。

 シロガネーゼの眉が下がる。自分がカットラスにつけばますますアタッキングサードが過密になる。攻めづらく、そしてカウンターの危険も増す。

 どうしましょう?


「クラウンエーテルは一度もボールを奪われていませんね」

 小野がピッチサイドに出てきてつぶやく。

「辰砂も凄い。ほら、見ろよあのフェイント。あれでうちの選手が揺さぶられて、いいように操作されてる」


 辰砂はDFの全身を観察してその意図を読む。そのとき試薬としてキックフェイントを使う。自分がどこに出すパスを狙っているのか、はかる。細かく実験を済ませてから、ボールを動かす。クラウンエーテルと辰砂の両CHは、潤滑油としてチームの歯車を回している。ボールを滅多に失わないのでほかの選手は思い切ってポジションを上げられる。

 

「チューン!」

 ティンベーが叫ぶ。

 

 ウングトゥトゥチンカイこんなときにクニヲウビンジャスン故郷を思い出す

 ティンベーの目の前に、沖縄県恩納村おんなそんの海岸、谷茶前たんちゃめが広がる。ターコイズブルーの海に魚が群れている。

 統率のとれたエレメントのサポーターの拍手が拍子木ひょうしぎに聞こえた。叩く太鼓もティンベーに律動をもたらす。


♪スルルぐゎが寄てぃちゅんどーヘイ


 考える前に体が反応した。フランのヘディングに飛びつく。

 銀将のCKコーナー躊躇ちゅうちょせず駆け出す。ボールをキャッチ。左サイドのカットラスにボールを投げる。

 「Man on来てるよ!」

 観客席から声が飛ぶ。

 カットラスはすぐに横パス。振り返るとヴェンティラトゥールがカットラスに迫っていた。走り込んだマン・ゴーシュがワンタッチで右サイドのククリにスルーパス。ククリはフリーでボールを受け、駆ける。もうちょっとだけ……と、ボールを蹴り出すと金閣寺が追いついてきた。

 欲張りすぎたなあ。

 かわしてクロスを上げようとするが足を伸ばされカットされる。


 ククリは急いで陣地に戻る。

 観客席からねぎらいの声がかけられた。

 あれ?

 なんか、四方八方から応援の声が聞こえる。


「あの……」

 グラディウスは振り返った。見知らぬ女の人だ。

「ヴァッフェ、応援しませんか?」

 まさか、私も選手ですとは言えない。 

 おそらく、女子サッカーをほとんど観たことがないのだろう。まあ、自分の知名度が低いだけなんだろうけど。

 それにしても突然こんなことを言われるのは不思議な気分だった。

「ええ、応援しましょう」

 そうだ。落ち込んでる場合じゃない。


 観客席の雰囲気が変わってきた。

 剣はスタジアムを見回す。

 おそらく、結構な数のテニスファンがいるはずだ。

 彼らがうちの応援を始めている。


 剣は唇を結んだ。

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