第129話 ハーフタイム
「よおし、ぱりぱり地図を描こう!」
ドレッシングルームに戻ってくるなり、辰砂は大きな紙を取り出してマジックでピッチを描いた。
「この辺、芝深かったよね」
「ここ! すごいボール止まるの!」
「ねえちょっと! 誰よ怪獣の絵書いたの!」
「なぁ。ヴェンティラトゥールちゃん、今日なぁ、おばんざい持って来ましてん。ほら、お揚げさ
金閣寺はお重を差し出したが、ヴェンティラトゥールはやんわり断った。
「いや、胃に負担がかかりそうだから今は遠慮するよ」
「そうなん。ほならうちもほどほどにせなあかんなぁ」
金閣寺はむぐむぐ油揚げの煮物を食べている。ヴェンティラトゥールは苦笑。体を張ったボケもいい加減にしてくれないかなぁ。
でもね、この空気がなかなか気持ちいい。
「こっぴどくやられたようですね」
原子時計がやってきた。みんなわいわいマップを作成中。フランは一人、自分のロッカーの椅子に腰掛けていた。フランは声を潜めて話し始めた。
「監督、お願いがあります」
原子時計は薄い目を開く。
「この試合、可能な限りピッチに立っていたいのです。交代は……自分の判断でさせてください」
「承服しかねます。僕はあなたたちの管理が仕事です。あなたの体が悲鳴を上げていたらタオルを投げなきゃいけない」
「もしそうしたら、わたくしはあの話がゴシップではなく、本当に移籍を望んでいると公言します」
フランは原子時計を見上げてささやいた。
例えば、犬を飼ってみるといい。犬は時折、人の顔を見つめる。表情を見ている。犬は社会性が高く、顔を見て感情を把握する習性を持つ。
例えば、野良猫を観察するといい。野良猫は緊張感とストレスの中で生存している。厳しい環境が、目をとがらせ顔つきを変えてしまう。
いつもそうだ。彼女は常に目を大きく見開いて事実は何かを捉えようとする。だから自然とまぶたが上がって目が大きくなる。
人には第一印象でその人物の
ヴェンティラトゥール
思い人が、東京にいる。そしておそらく今スタジアムのどこかでこの試合を観ている。だから。
思い返すも、彼女のリハビリは悲愴だった。油断するとすぐに彼女は自分の限界を超える負荷をかけた。
自分のプレーを何が何でも見せたいのだ。その男の網膜に他の物が見えなくなるほど焼き付けたいのだ。
なんという恋だろう!
フランが自分の元を離れるくらいなら、自分の手でも足でも持っていかれたほうがましに思えた。
彼女の未来が、見てみたい。
「自分の身はしっかり守ってくださいね」
原子時計はフランの前を去った。
「さ、飲んで飲んでワン! 今日のために開発したすぺえしゃるなドリンクだワン!」
弓とレイピアが水筒を配って回る。
「全員バナナも最低一本は食っとけ。テニスでは90秒の休憩の間でも一囓りするぞ。食欲がなくても食っとけ」
剣はバナナを手渡していく。
「もっとおいしそうに食べろよぉ」
マン・ゴーシュは首をかしげた。たまに剣は奇妙な物言いをする。するといつもスタッフがほくそ笑む。一体どんな仕組みになっているのか。
「横浜はハルバードへのハイボールを嫌がり、前からプレスを掛け、うちのロングフィードを封じた。お前らはパスコースがどこにもないと感じているだろう」
選手達は無反応だった。図星だったけど。でもここでうなずいてはいけない気がした。
「相手もお前らと同じ、11人しかいない。ということは相手はどこかで無理をしている。横浜は前に人数を割いて、後ろが手薄だ。一つのミスが命取りになる、非常にリスキーな守備をしている」
剣は手持ちの戦術ボードに選手全員の陣形を並べる。
「今、うちは5-4-1。それに対応して相手は3-1-2-4をベースにしたマンツーマン。ピッチに立ったら目を凝らして見てみろ。向こうの陣地には広大なスペースが空いている。どこかで裏をかいたり
狙うべきはサイドにできるスペースだ。ここにボールを出して攻め入る。
後半、2ラインの1列目をもう3メートル下げる。ボールを奪ったら前の3人は相手陣地にスプリント。マークをできる限り引き離してくれ。チャンスだと思ったらショーテルも攻撃に加われ。
絶対に後ろではボールを奪われるな。ボールの出しどころがなくなったらハルバードにゴロでパスを出す」
剣はハルバードに目を向ける。ハルバードはうなずいた。
「治療が要る人~」
雲母が手を挙げ呼びかける。
「エレメントはクリーンだな。誰も怪我してねえんじゃねえか?」
カットラスが体をほぐす。
「そうそう、こっちがタックルいくの悪い気がしちゃう」
スタッフも同意した。
薙刀が口を開く。
「あの……フランって子、なんか変。蹴られても平然として痛い顔しないの」
みんな顔色を変えた。
「フランちゃんは気丈だからねえ……」
ククリがため息交じりに言う。
「薙刀」
「はい」
薙刀は振り返った。お団子に結った黒髪がつややかに光る。剣の目はどこを見るでも無く。そして黙りこくってしまう。
「監督?」
「……ああ。後半もしっかり頼む」
剣はそのままピッチに出た。風向きを確認しておきたかった。
問題なさそうだ。
お。
剣は駆け出した。
「少しは遠慮してくれないか?」
フランは『ミス・ユニバースはフランさんです!』とでも言われたかのように急に驚いて笑顔になった。
「だいぶ右足悪そうじゃないか」
フランの顔からすっと喜色が
「もう2点リードしてるんだ。無理して出続けることはない。将来に関わる問題だ」
フランは予防接種を受けに行く猫の顔になってピッチに入っていった。
キーパーグローブは濡れていないとホールド力が発揮されない。
ティンベーは滑り止めを丹念に塗りつけ、缶をゴール裏に投げる。そして、深く息をつく。
観客が声をかけてくれる。
やさ!
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