第120話 自信

 雲母きらら先生は笑顔を作って言った。

「肋骨は柔軟で、安静にしていればじきにくっつきます。普段の練習も見学ならもちろんOKですよ」

「問題ない。横浜戦には必ず間に合わせよう」 

 ランスは心配するなと言わんばかり、悠然とバスに乗り込む。


「ねえねえ、可愛い?」

 手裏剣がくるっと回ってみせる。スカートがふわっと広がる。

「ああ、可愛い」

 俺には冗談を考える気力がない。 

 高校生組はみんな制服姿だった。重苦しい空気をまとってバスは東京に向け発車した。 

 ヴァッフェは連敗をまた一つ伸ばした。

 前監督のパパット・ライスはヴァッフェUアンダー-18の選手を練習に参加させておいて、結局一度も起用しなかった。

 俺はこのことがひどく不満だった。俺の生徒の方が実力は上だったからだ。


 でも、昨日の試合で、その理由がわかった気がする。

 俺の生徒は甘さが抜けていなかった。経験がなかった。ヴァッフェは負けっぱなしで若手を試す余裕がなかった。

 若手には未来ゆめがある。期待が掛けられる。選手の成長は本人にとってもクラブにとっても利益になる。

「将来、スターになるかもしれない」

 試合経験を積ませようと、積極的に起用される。しかし若手は繊細だ。簡単に動揺し、力を出せなくなる。往々にして、そんなチームは落ちていく。

 スポーツは技術もフィジカルも、心も鍛えなければならない。


 勝負にこだわると、汚いプレーやマリーシアずる賢さも必要になる。勝ちたいという気持ちが自然とそういうプレーを生む。

 よどんだ水に適応していないなら、俺が泳ぎ方を教えるしかない。

 ライスは元のメンバーで戦って連敗を喫した。俺は若手の力に賭けるしかない。それしか勝てる見込みがない。

 

 琉球弁ウチナーグチと標準語の交雑種あいのこしか話せないティンベーはよくぼっちで前の席に座っていた。

 俺は隣に腰を下ろした。

 鉄は熱いうちに打つべきだ。

「ティンベー、お前には悪い癖がある。左手利き手でセーブしたがることだ。

 昨日の四点目、ゴール右上隅、お前から見れば左上隅にシュートを打たれた。これには右手を伸ばすべきだ。左手だとお前の肩幅の分、距離が遠くなる」

「ワカタン」

 と、うんうん頷く。

「癖を直すぞ。練習しよう」

「イー」

「落ち込んでないか?」

チャーニカイサなんとかなるさ

 ティンベーは笑顔を見せた。


「あーあ、毎日毎日こんなに頑張ってんのになあ」

 手裏剣はバスの天井を見上げてつぶやく。

 剣は後ろを振り返って口を開いた。

「タイガーウッズは『自分に与えられた才能は神からのgift贈り物だ』と言った。

 しかしだからウッズは勝てた。お前らはないから勝てないと考えるのは早計だ。


 努力は必要条件ではあるが十分条件ではない。努力して初めて、スタートラインに立てる。練習しないのに一流の選手になった者などいない。

 フランに聞いたんだが、エレメントには毎月新しい選手がやってきて、練習漬けの毎日に耐えられず毎月のように寮を出て行く選手がいるらしい。Jリーグもそうだ。プロの選手というのは自由な時間が多い。毎年沢山の選手が入団しては遊びほうけて自己管理できずにやめていく。

 おそらくウッズの周辺の人々にとっては努力は当たり前のもので、その上で才能が求められたのだろう。


 ロナウジーニョは天才だった。しかし栄光におぼれ、ディスコで酒瓶を枕に夜を明かす日々が続き、間もなく没落した。

 日本人では前園真聖がいた。当時、海外移籍はまれだった。夢だったスペイン移籍を横浜フリューゲルスに妨害され精神的に不安定になり練習に身が入らなくなり、前園は終わった。練習しないと才能があってもプレーの質は落ちる。


 いいか、努力しているのは自分だけじゃない。みんな努力しているんだ。その中で這い上がっていかなければならない。

 サッカー後進国の日本は少しずつ少しずつ、サッカーという不可解なスポーツがどういうものなのか、理解しようとしている。

 日本サッカーは十歩進んで九歩下がる。海外で活躍し、最先端のサッカー観を学ぶ選手が増えてきた。だが、どこの国だって努力している。簡単じゃない。


 ただ努力と一口に言っても様々な努力の種類があるだろう。同じ才能を持っていても様々な工夫を重ね量も質も兼ね備えた努力をした者がより高みに立つ。才能がないから自分はここまでだと諦めるようならそこまでだ。

 サッカーだけじゃない。学業も、仕事もみんなそうだ。お前らはなろう・・・の主人公じゃない」

 手裏剣の目はうつろだった。


 東京に着くと、高校生組を下ろしてからバスはヴァッフェの練習場に戻った。荷物を運び終わるとふっと体が重たく感じた。

 昨日は眠れなかった。

 午後の練習の前に仮眠を取っておこう。

 

 自宅に戻る。俺の足音を聞きつけた三浦が玄関で待機していた。抱き上げて走った。ソファーに倒れ込む。

 俺は三浦の耳を両手でぺちゃんこにした。耳のない猫というのはアンバランスでぶさいくだ。

 俺に、人に偉そうに講釈を垂れる資格があるのだろうか。

 三浦の腹が上下している。ああ、呼吸をしている……生きている。哺乳類としての共感シンパシーを覚える。


 勝てた。

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