第119話 そして、眼を開くまで ⑥

 剣は浜松の歓喜するピッチに足を踏み入れた。すぐに雲母も駆けつける。

「かたじけない。大した怪我ではござらぬ。動かなければ痛みもない」

 ひょっとして相当無理をしたのではないだろうか。ランスも担架で病院に直行する。

「いい試合でした……」

 浜松の監督が駆け寄ってきて両手を差し出す。剣は目を見開いた。その右手は変に赤い。試合前に握手したときはこんなんなってなかった。

 おそらく、何かを強く握り続けていたのだろう。この人もずっと戦っていた。


 剣は茫然自失のまま、記者会見に出た。

 何を喋ったのやら、気がつくと終わっていておっさんAに立ち上がるように促された。


 撤収作業が終わってバスに乗りスマホを覗くと、日本のどこかに住む人々による自由闊達な試合のレビューが行われていた。もちろん、俺に対する風当たりは強い。

 ふと、剣は顔を上げた。


 俺は、ちょっと言いよどむような悪いことをたくさんした子供時代を過ごした。たくさんたくさん怒られた。

 でもここ最近、全然怒られない。俺が大人になったからだ。

 そして、周囲にいる人が優しいからだ。

 ああ、でも。

 最近まであいつにはよく怒られたけど。

 怒られないと、自分の何を直すべきなのかわかんねえんだよな。イライラしながら、一通り目を通す。


 クラブバスは浜松の安ホテルに乗り入れた。選手達は試合後すぐに飲み物で糖分、クエン酸、アミノ酸を摂っていたが、更なるタンパク質やビタミンも摂る必要がある。ホテルには無理を言って食堂を開けて貰っており、遅い夕食を取った。食べ終わるとすぐに借りておいた会議室に入る。


「ダメ出しをしよう。まず試合の感想から聞きたい」

 モーニングスターが手を挙げる。

「想像以上だった。なんかね、主審が気付かないようなところで削ってくるの。胴体も何回か殴られた。もう傷だらけだよ」

 みんなうなずく。

 トップレベルの試合で行われているようなぶつかり合いは、今までどこか遠い世界の物語だった。テニスでは選手同士の接触はほとんどない。俺自身も未経験だ。

「シャツを掴まれても足を蹴られてもあんまり笛吹かなかったよね今日の審判。ちょっとおかしいんじゃねえの」

 吐き捨てるようにカットラスが言う。


 勘違いしていた。

 今日まで、俺のチームはしばらく負け知らずだった。大抵大差で勝っていた。それを評価され今、俺はB級コーチを取得する途上に立っている。

 ヴァッフェは熱意を持って優れた選手を探し求めスカウトした。こいつらを指導していたら俺じゃなくてもいずれ強豪になっていただろう。

 今日だって。俺は何もせずに突っ立っていただけだ。


「完全に、呑まれたね。後半は向こうのやりたい放題だった」

 ククリがつぶやく。

「緊張してなかったと言えば嘘になる。まあ、経験したことのない舞台だった」

 ショーテルは自嘲気味に口を開く。


 俺のスマホが震える。一旦部屋を出た。うつぎからメール。

「グラディウスですが、精密検査を受ける必要があるそうです。以後、そちらには合流しません」

 続いて雲母先生からもメールが来た。

「ランスは肋骨にひびが入っているようです。が、もしかしたら次の試合に間に合うかもしれません。今夜、ホテルに戻ります」

 一つ幸運だったことはヴァッフェは次の週末に試合がないことだ。少しは立て直せるだろう。


 剣は会議室に戻って口を開いた。

「俺は自分のメンタルコントロールができない選手だった。僅差の試合になるとほぼ負けた。


 このサーブを入れないと、ブレイクされてしまう。なんて状況になると体が震える。


 俺を応援する人たちも一部は知っていたはずだ。

 俺の応援は何もする必要はないと。

 それでも、彼らは、声を上げる。だって他に方法がないもの。


 頑張れ!


 そうだ。俺は頑張らなくちゃいけない。

 俺は期待に応えなきゃいけない。


 もし、無様に、このポイントを取られてしまったら?


 そうだよ。アマノジャクな俺にはむしろ『死ね!』とか『テニスやめちまえ!』とか言われた方が気が楽だ。

 頑張れと言われる度に彼らと俺の間に果てしない断絶を感じた。


 次の試合は東京ホームだ。応援を力に変えられるかどうかはお前ら次第だ」

 俺は一気にコーヒーを飲んだ。 


「手裏剣ちゃん、今日はゴメン。私、ハーフタイムにひどいこと言った」

 モーニングスターが頭を下げる。

「気にしてないよ」

 カットラスも立ち上がる。

「俺もだ、不安でイライラしてたんだろうな。刀、すまねえ」

 刀は無表情にカットラスの顔に目を彷徨さまよわせていた。

「いや、御主はまことを言ったまでじゃ。それがしは日頃より僚友に奉謝せねばならぬ。すっかり失念しておった」 

 剣はそっと席を外した。


 マン・ゴーシュは大きく息をついた。よかった。あのままチームがバラバラになるのではと不安だった。みんな、ハーフタイムの非難を謝り始めた。

 手裏剣は目頭めがしらが熱くなった。でも泣いてしまったら同情を誘う陳腐な演出になるような気がした。何もかもが嘘にならないようにぐっとこらえる。

「どうせなら、ポジティヴに行こうよ。今日のケンカをプラスにするの。止揚アウフヘーベンって奴」

 ククリが言う。

「うーん、おそらく言葉の使い方、間違ってる」

 モーニングスターが笑顔で言う。

「あちゃー。ドイツ人に言われるのはなんか説得力があるなあ」

「まあでも、あれだ。今まで言えなかったことをぶつけ合うのは悪いことじゃない」

 ハルバードがまとめにかかった。

「次の試合目指して頑張ろう」

 と、薙刀。

「次の試合かぁ」

 手裏剣が苦笑い。

「エレメント横浜」

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