第117話 そして、眼を開くまで ④

「♪オーAupasキャマラドcamarade パキャマラド戦友よ共に進もう パオ進もうパオ パンパンパン……」 

 クラリネットはピッチに出るヴァッフェイレブンに付いてくるように現れた。まだ20歳の若い選手だ。その隣にキャプテンマークを巻いたバイオリン。その後ろをインストルメント浜松の皆さんが付いてくる。

「大丈夫。イエロー貰ってるからもうきついプレーはできない」

 不安そうな顔をするククリにカットラスがつぶやく。


 手裏剣は唐突にあんぐりと口を開いた。のぼっていた血の気が引いていく。

 あ、コーチ、さっき何も喋れなかった。

 ……。あたしたちが喧嘩してたせいだな。

 こういうときこそあれだ。普段、コーチが言ってることを思い出してみよう。


「もう調律は大体終わったね。次はどんな曲にしよか」

「花のワルツで」

「私の出番ないじゃん!」


 後半早々、手裏剣は左サイドに寄ったプレーをした。ボールを奪われるとヴァッフェ前線も懸命にプレスに向かう。手裏剣もぶつかっていったがCHギターやCHクラリネットにコロコロ転がされ何度もピッチにいつくばる。

 手裏剣は何度か右SBショーテルを見遣った。じきにショーテルも視線に気付いてはてどういう意味かと考えた。

 まあ、法螺の相手も嫌だし。おそらく上がれという意味だろう。ショーテルは法螺を置いて駆け出した。

 それを確認すると手裏剣はギターを背に左WGカットラスの足下にパス。カットラスは右足に来たボールの意図を考えた。顔を上げると右サイドにショーテルがフリーで上がっている。左足を振り上げサイドチェンジ。キック力が足りずバウンドしたが右サイドは守備がスカスカで無事ショーテルがボールを受ける。

 

 右WGククリはライン際まで右に開いた。左SB小鼓こづつみが釣り出され空いたスペースにショーテルが長駆を果たす。


「接近・展開・連続ですか」

 と、小野はポツリ、漏らした。ラグビーの大西理論をサッカーに輸入したもので岡田武史が広めた言葉だ。

「そんなところだ」

 これで口が悪くなければいいのだが。剣は素直に感心した。

「手裏剣は浜松に意識を左サイドに向けさせました。いい布石になりましたね」


 斜めダイアゴナルに!

 逆サイドから手裏剣はボックスに潜り込む。尺八が後を追った。そこで刀とグランドピアノが対峙していた。GKの目の前に来ると、急に手裏剣は進路を変えた。グランドピアノに向かっていく。グランドピアノは目を丸くした。ぶつかると思った寸前に手裏剣は身をかがめグランドピアノの脇をすり抜ける。付いてきた尺八はグランドピアノにぶつかりそうになって急停止。グランドピアノは体をのけぞらせた。

 その隙に刀と手裏剣はフリーに。ショーテルの前にCB宮太鼓が迫る。ショーテルはニアにパス。そこに猛然と危機を察知したCHギターが掛けてきた。手裏剣は右足を素早く振り下ろすがギターはその背中を押す。

 シュートは右にずれた。


 笛が鳴る。主審がペナルティースポットを指した。


 ヴァッフェは水を飲んだ。インストルメントは何名かが主審を取り囲む。

「これはちょっとラッキーかもな。そんなにがっつり押してない」

 剣は率直な感想を述べた。手裏剣の線の細さが逆に功を奏した。

「今日の試合、生中継やってるじゃないですか。主審も前半のまとめかなんかで中継を観たんじゃないですか。そしてランスのファールはファールに値しなかったと」

 小野は語った。

「帳尻合わせってことか」

 小野は分析官としてはそれなりに優秀だった。現役時代は敏捷性に長けたサイドハーフだったが、舌禍ぜっかが元で移籍を繰り返した後に引退している。


 浜松はしつこく抗議を続けた。しかしグランドピアノがなだめて引き下がる。

「ドキドキする。見てらんない」

 雲母がつぶやく。刀がキッカーだ。

「テニスでサーブを打ってみろ。ずっとPKみたいなもんだ」

 剣は顔を引きつらせながら笑った。


 刀は凜と背筋を伸ばし、策をろうせず鋭く右足を振り抜いた。ボールはよどみなくゴール左上隅に突き刺さる。

 ここからだ。

 はしゃぎ喜ぶ若手を目の端に、ハルバードはかえって緊張した。サイド結びの亜麻色の髪が風になびく。

 ここから強い、スロースターターなのが、浜松なんだ。


 ゆたさんいいやっさーだなあ

 ティンベーはうっとりした。

 やがて始まった花のワルツはバレエ『くるみ割り人形』で金平糖の精の侍女24名が踊る場面の曲。華麗という言葉がこんなに相応しい曲は他にないだろう。

 

 負けているにも関わらず、ボールは悠長にピッチのあちこちを3拍子で行き来した。ホルン役は法螺が務めるちょいと奇妙な構成。

 独楽鼠コマネズミのようにせわしなく右往左往するボールを、ヴァッフェの猫たちはじっと見守っていたが間もなく手裏剣が飛びついた。そして仕方なく前線はプレスに向かう。


 前の4人と後ろの6人の間に大きなスペースが空いた。そこを効果的に使って浜松はパスを回す。

「モーニングスターに守備をやれと言われたから、前線だけ走り回ってら!」

 剣はそう吐き捨てると何度も首を横に振った。どうする? 前からボールを取りに行くか、引きこもるか。

 ……迷ったら積極的に行くべきかな。

 剣はベンチを出て叫んだ。

「全員でプレッシングに行け!」

 

 と言われても。

 守備陣はこのまま守り切るつもりでいた。恐怖が勝って前に出る気にならない。

 ティンベーは鼻で大きく息をした。

 曲が変わった。バレエ音楽『眠れる森の美女』第1幕「ワルツ」。

 ボールスピードが上がる。じりじりと、挑発的にヴァッフェ陣内に入る。


 そうしているうちに散々走り回った手裏剣達の足が止まった。曲が変わる。

 前半は不協和音だらけだった。しかし今はハーモニーが生まれていた。

 音と音が手を取り合って。一人一人がお互いを補完して、高め合う。

チューン来る!」

 ティンベーが呼びかける。行進曲になった。ワーグナーの『双頭の鷲の旗の下に』。

 小気味いいリズム。運動会の匂いがする。





 https://www.youtube.com/watch?v=gerOe-uLVLE

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