第110話 こんなのフラグじゃねーか。

「ティンベー、ランス、マン・ゴーシュ、ショーテル、モーニングスター、手裏剣、ククリ、カットラス、刀、鎖鎌。以上の者は今後、ヴァッフェトップチーム所属になります。よろしいですね?」

 八月二十七日。おっさんAは淡々と告げた。選ばれなかった者は静かに海底に沈んだ。

 

 小野は夏の犬のようにハアハア言っていた。鼻で息ができない人間なのかもしれない。

「あー俺が監督になりたかったですねえ」

 小野はつぶやいた。

「あなたにヴァッフェを再生できる力があるのでしょうか?」

 剣は自分には協調性がないという自覚があった。小学校の時から通信簿に毎学期欠かさず書かれていたからだ。自分が異質だと認識しているからこそ人が少々妙な奴でも寛容に接してきた。ただ、それでも小野の物言いには少々戸惑った。

「どうしてオレの体をそんなに見るんです?」 

「いや……いい筋肉の付き方をしているなと思って」

 体つきだけじゃない。おそらく、一般的にはハンサムと言われる風貌だ。たびたび見とれてしまうのも仕方ないじゃないか。

「あなたほどじゃないです」


 俺は小野と一緒に過去の試合分析をしていった。こういうの、久しぶりだ。俺は現役時代、もちろんコーチを雇ってこういった作業をやってもらっていた。

 退場者や怪我人が出た場合、先取点を取ったケース、失点したケース……。様々な状況を想定し、プランを準備しておく。小野は神経質な上に慎重で、九月なのに突然雪が降り出したときのプランを用意しようと言い出したり、人が乱入したときの対処を考えるべきだと言い出すのには参った。


 なでしこリーグ後半戦に向け、皆がグラウンドに集まった。

 残された時間は多くない。戦術練習と紅白戦に時間を割く。

 小野の情報通り、何名かひときわ目を引く選手がいた。ベースはU-18の選手にしようと思っていたが、再考しなければならないようだ。

 特にハルバードの強さと守備力には驚かされた。ランスを超える長身だが器用なところがあり、キックもうまい。CHセンターハーフ独鈷杵トコショも際立っていた。がっしりしており競り合いに滅法強い。チーム最年長のグラディウスもまずまず、経験厚く戦術眼に優れるキャプテンだ。


 練習が終わると、いつものように剣の周りをU-18の生徒が囲んだ。

「暑ちぃ! どうして曇ってるのにこんなに暑いんだよ?」

 カットラスが叫ぶ。 

「湿度が高いんだよ。

 お前らはあまり意識していないかもしれんが、肌から常時水分が蒸発している。ところが湿度が高いと蒸発の量が減る。すると蒸発の際に奪われる熱も減ってしまう」


 三つ編みにAGIが+3ぐらい上がりそうな色鮮やかな羽を刺した浅黒い選手が剣の目の前にやってきた。パンチ力あるシュートが魅力のアメリカ人、トマホークだ。

「え?」みんな声を漏らす。

 トマホークは剣の身体を掴むと右足を引っかけ剣を支柱にしてぐるりと回った。器用な奴だ。

「ねえ、今夜空いてる?」

 衆目を集めたがトマホークは気に留める様子がない。人当たりが良く、新入りによく声を掛けてくれたのでU-18の生徒達は概して好意を持っていた。だがそれなら話は別だ。

 なんて馴れ馴れしい女なんだ。モーニングスターはトマホークを引き剥がす。

「何すんの?」

「コーチは本気で異性が苦手なんです。無駄ですよ」

 トマホークは剣を一瞥いちべつ。剣はうなずく。とは言え。自分を矯正きょうせいしたいという気持ちもある。しかしこの状況は何だ。


 選手達が猫の集会に見えた。となるとやはり俺はか弱いネズミか。俺は首輪を付けようとしたが猫たちは嫌がる。みんな生意気になってきて、振り回される。


「いいですね。まぐれで金メダル取った過去の威光でモテて。女食い放題なんでしょうね」

 小野がつぶやく。おそらく小野はイケメンと言って差し支えのないルックスだ。だが普段もこんな調子なら宝の持ち腐れだろう。

 俺は小野を連れてクラブハウスに入った。

「あのさ。いつもあんな感じなのか?」

「あんな感じって何ですか。オレのが年上ですよ、お前って何ですか。監督だからって気をつかってください。オレはあなたを認めてないんで、よろしくお願いします」

 ヴァッフェが連敗続きな理由ってこれじゃないか?


 家に戻ると三浦とフランが俺を出迎えた。

「監督就任おめでとう」

 俺は黙ってカバンを置いた。

「明日から軽い運動始めてもいいって!」

「右足はどうなんだ」

「まだ痛むけど、ここの怪我は治ったってことにしてあるわ。大丈夫、もう大分良くなっているし」

 三浦はついにフランにも心を許してしまった。甘えた声で鳴いている。剣の呼吸が荒くなった。

「それにしても。どうして窓に鍵がかかってないの?」

 三浦はほとんど剣の一部だった。犬みたいに誰にでも尻尾を振る浮気な猫ではない。出かけようとすると俺の足にまとわりつき、帰ってくると玄関で座って待っていた。彼にとって俺がすべてだったはずだ。

 そいつを、もぎ取られた。

 朦朧もうろうとしながらソファーに崩れ落ちる。


「ねえ、わたくしね。変態かもしれない」

 そうしてフランは剣の胸に顔をうずめた。剣は鼻で力なく笑う。

「お前が変態なら俺はキチガイだな」

 今も昔も。針が極端に振り切れちまう。

 やがてフランは声を上げて泣き出した。

 わけわからん。ああ、めんどくせ。

「女って生き物は感情的すぎる」

 もう遅い。早く家から叩き出して寮に帰らせなきゃいけないのに。

 フランから流れ出る毒が、俺を優しくなでる。困惑させる。

 どうしてなんだろう。

 不思議だ。

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