第109話 記者会見

 剣はネクタイを締め直す。

 顔をしかめて廊下をにらむ。

 怒号はミーティングルームまで響いた。おっさんAとBは対応に追われている。

「ホテルの大広間でも借りた方が良かったかもしれませんね」

「そんなお金はありません」

「いや、でも、ね。剣さんの華の門出かどでになるかもしれませんし。例え、ヴァッフェがおしまいでもね」


 剣はRPGの町人のように特に意味もなく部屋をうろうろしていたかと思うと出し抜けにスラックスのチャックを下ろした。今日も白ブリーフが覗く。

「お前んとこみたいなゴシップ誌がデカい顔すんじゃねーよ! 外に出ろ!」

「廃刊寸前だろ? 無駄無駄邪魔だからどけよ!」

 おっさんBが合図する。昨日二人が金槌を振って徹夜でしつらえた会見場に入った。

 

 光の奔流が俺に往復ビンタを食らわす。

 降魔剣という名前を見ると、大体の人はくだんの事件を想起する。

 嘲笑の対象。ピエロ。  

 俺は毎日、金メダルをぶら下げて過ごす。

 これが俺のすべてだ。これにみじめにすがりついて生きる。ウィンブルドンで俺の首に掛かった欺瞞と虚飾の金メダル。今日は少し重い。


 俺は景気よく声を張り上げる。

「いらっしゃいませ!」

 考えてみると、接客業なんてしたことないな。

 フラッシュが止む。

「東京ツーリスト。東京ツーリスト! 東京ツーリストをよろしくお願い致します!」

 すべての目が剣に注がれる。


 会見場は満員電車の様相を呈していた。もともとここはトレーニングルームで当初置かれていた器機は取り払われていたが立錐の余地なく椅子も置けず全員立ちっぱなしだ。カメラマン達は別にコーナーキックがあるわけでもないのに押し合いへし合いを繰り広げている。小さな部屋に百名以上の記者がみっちり詰まっていて剣に美味しい吐息がかかる。

 剣は席に着くと勝手に口を開いた。


「よくあることだ。

 社長は息子を跡継ぎにさせたがるし、政治家が自分の築いた地盤を子供に引き継がせれば能力無関係に花が付けられる。

 その子供に力があれば良い。だが、阿斗だったらどうする。政界を見て見ろ。ロクでもない世襲議員がゴロゴロしている。大塚家具なんか醜いお家騒動になって泥沼だ。社長の子供がガンになる同族企業は数多い。世襲してる連中は疑って見た方が良い。日本は世襲に甘すぎる。


 テニスとサッカーは違うスポーツだ。俺にはサッカーの指導者としての力があるかどうかはなはだ疑問だ。こんにちは皆さん、俺は金メダリストのネームバリューを振りかざしてヴァッフェの監督というポストに飛びついた降魔剣だ。どうか批判的な目で俺を見て欲しい」


 パオロ・マルディーニの父、去年亡くなったチェーザレ・マルディーニにはイタリア代表歴があった。パオロがイタリア代表に選ばれたとき、人はチェーザレの威光があったからだと吠え立てた。そんな悔しさもパオロはバネにして偉大な選手になった。

 俺も色々言われるんだろう。


「質問がある方は挙手をお願いします……」

 おっさんBの肩が落ちている。


 それからたくさんのくだらない質問をされた。主にテニスに関することだ。俺はテニス界で数多くの遺恨を残してきたから、溶けていないわだかまりも多い。もう俺はテニスから足を洗ったってのに。 


「行方不明との報道もありました。一体、どこで何をされていたんでしょうか」

「特にはやってないんですけど、トレーニングはやってます」


「どのようなサッカーを目指していますか?」

 俺は宙を見上げた。そして。

「健康目的ですけど」


「臨時とは言え本来であればトップチームの小野コーチが監督に昇格するべきだと思います。どうして剣さんが指揮官に抜擢されたとお考えですか」

「抵抗はないですよ」


「華麗なる転身、と言っていいのでしょう。しかしあなたはのオリンピック決勝で問題を起こしています。そんなあなたが女子サッカーの監督になることはトラブルになるのではありませんか?」

 想定外の質問だ。

 だって女に興味がないもの。

 どうしよう。まさか『実はホモになってしまいましてね、ははは』なんて言えないし。

「んまぁ、そう、よくわかんなかったですね」

 一部の記者の目が泳いでいる。


「どうしてサッカーだったのでしょう。剣さんの築いてきた経歴からすればテニスのコーチになるのが順当だと思いますが」

「今日はまあよくたくさんのジャーナリストがご来場だ。ところで皆様、サッカー経験者はどれくらいいるだろうか?」

 剣は挙手をうながした。一割ほどが手を挙げる。

「日本にはたくさんサッカーの視聴者がいる。その中でサッカー経験者は実際どれくらいいるだろうか。

 俺はサッカーの経験がなかった。体育でやったサッカーは人数が多すぎてボール2個の変則ルールでグラウンドには雪が積もっていた。おかげで転んでも痛くなかったがな。

 

 あのな、主審と線審がいるとサッカーってすげえ面白れーぞ。つまりオフサイドだ。オフサイドのないサッカーなんて塩分のないラーメンみたいなもんだ。

 今からでも遅くはない。是非、どっかのクラブチームに入ってピッチに立て」

 

 家に帰ると俺はネットで俺について書かれたものに目を通していった。罵詈雑言ばりぞうごんがたくさんあった。昔からそうだ。そんなもの、見なきゃいいのにと人は言うけど、俺は我慢ができない。見ないと自分の身体に悪戯イタズラ書きされるような感覚に苛まれる。


 いい時代になったじゃないか。人の本音をの当たりにできる。そうだよ。はらの中で悪態をつきながら、みんな人付き合いをこなしている。そりゃあ、大泉洋とヒゲみたいな関係が理想だけどさ。

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