第103話 狩り
「一体なんなんだあいつは!」
「攻撃の時、全然動かないくせに、気が付くとスペースに走っててフリーになる。マークついててもなぜか振り切られる」
「なんだか嫌な動きをする」
「やっぱり、代表呼ばれる人だけあるか」
チームメイトに認められた喜びが、日々を充実させた。剣に教えられた言葉は深く体に刻まれ、刀は生まれ変わった。
ヴァッフェの評判は日増しに高まっていった。この日も圧倒的にゲームを支配し、ワンサイドゲーム。
帰りのバスでも剣は少し、話をした。
「先週、コンフェデが閉幕したのでそれにも少し触れておこう。
チリとポルトガルは異なるアプローチで高い守備力を誇る。
チリは
チリは空中戦が得意ではない。
だったら、ハイボールを蹴らせなければいい。チリは相手の最終ラインからキーパーにまで全力でプレスに行く。ロングボールの精度を下げられる。
身長が低くてもやりようはある。日本にも、参考になる戦い方ではないだろうか。
ポルトガルはリトリート。これはクリスティアーノ・ロナウドを最大限に活用するために行き着いた結果だ。
ロナウドはトップスピードだけではなく、強靱なフィジカルも持ち合わせている。
ポルトガルはリトリートすることによって守備力を増強するのと同時にカウンターのためのスペースを作る。だが、欧州選手権を優勝したにも関わらず『退屈なサッカー』と言われることも多い。
28日の準決勝はチリ対ポルトガルだった。盾と盾の戦いは
ドイツ代表のレーヴ監督は今大会を必ず優勝しなければならない大会ではない、他に強豪国も参加していないことから、若手の経験を積ませる場として参戦した。言ってしまえば軽視した。ドイツのレギュラーはそうでなくとも試合数が多いから、いい休養になっただろう。それでも優勝してしまったから最良の判断と言えた。一方で、コンフェデ不要論も喚起してしまったが」
下北沢に戻って昼食を取り、午後には戦術を中心に軽めの練習。
「中学で位置エネルギーって習っただろ。サッカーも同じだ。高い位置でボールを持てればより価値が高い。
サッカーはオフサイドというルールが発明されてから、ボールを前に運ぶのが難しくなった。だから簡単にボールを下げてはいけない。
自分より前にパスを出さなければオフサイドにはならない。サイドからシュートを決めるのは難しいが、サイドからはクロスという有効な攻撃がある。後ろに下げるぐらいなら横に出せ。下げる時は本当に他に選択肢がないときだけだ」
夕方、全体練習を終わりにした。居残り練習する者もいれば、引き上げる者もいる。剣は錫杖にマッサージをせがまれ、ミーティングルームに向かう。
「ヴァッフェが解散になったら、
ククリがつぶやく。
「いずこに行こうともサッカーはできるわい」
ランスが答えた。マン・ゴーシュはタオルをかぶってロッカーに頭を突っ込んだまま動かない。
「君はネズミなんだよ」
「俺が?」
鎖鎌はよく変なことを言う。こんな図体のデカいネズミがいてたまるか。
「で、アタシ達はネコ。ネコはしつこいのが嫌いで撫でくりまわすと逃げちゃう。もしくは嫌がるふりをする。ネズミが逃げるとつい追いかけ回す。挙げ句、殺して
鎖鎌に連れられるがままに環七を越える。って、俺、殺されるのか?
蒸し暑いので自販機でミネラルウォーターを二つ買って飲みながら歩く。
鎖鎌は感情に乏しい人間だった。いや、もしかしたら人間ではなく他の何ものかではないか。他人と
と、急に鎖鎌がけつまずいて剣にもたれかかった。セーラー服から花の匂いが立ちこめる。
「酔っちゃったみたい……」
もともと棒読みな為、剣には判断が付きかねた。ペットボトルのラベルを眺める。間違って酒を買ったわけではない。天然水、と書いてある。水を飲んだら酔っちまう体質なんだろうか?
「そこのベンチにでも座るか」
「ちょっと本格的に休みたいな」
そう言ってホテルを指さす。俺は鎖鎌を突き飛ばした。鎖鎌はその優れた体幹でもって倒れずに体勢を立て直す。
「十分元気じゃないか」
「ああ、もう!」
鎖鎌が体を折り曲げ、つぶやく。
「アタシはね、ここ三日ぐらい、今日のことシミュレーションしてたんだ。ずっと! でも、どうしたらいいかわかんない! 見てよ。あらゆる展開を想定してゴムまで準備してきたんだよ」
「異性と過ごすの、慣れてないんだろ。誰だって初めてはそういうもんだ」
なんだよ。大人みたいなこと言って。
鎖鎌はぐいっと水を飲み干す。
剣は突然、スポーツ用品店に入っていったかと思うと、まもなくサッカーボールを手に出てきた。
「この辺だと……」
しばらく歩いて、羽根木公園にやってきた。
「アスファルトの上でサッカーやると、あっちゅうまにボールがダメになるからな。ようし、この辺がいい」
居並ぶ梅の木が深緑の葉を茂らせ、その健康さを競っている。その下の芝生で二人はサッカーを始めた。
「何度言ったか判らないが……」鎖鎌の瞬発力は日本人離れしている。剣も気は抜けない。「お前はフェイントを練習したほうがいい」
「そんなの必要ない」
確かに、技を弄せずとも鎖鎌はドリブラーとしてやっていけるかもしれない。でもそれじゃ、すぐに限界が来る。
「あと、味方を使う技術も覚えろ」
「必要ない」
いつも一人で敵陣に切り込んでしまう。最初はそれでも結構うまくいく。でも、だんだんうまく対処されるようになる。
「ホラホラホラホラ……。俺すら抜けないでどうする」
「畜生!」
七時を過ぎると、だんだん薄暗くなってきた。俺も鎖鎌もすっかりくたびれて、荒く息をついた。
ふらふらとボールを奪おうと鎖鎌は近づいてくる。と突然、ポケットに手を突っ込み光る物を取り出し、俺に襲いかかった。かろうじて凶刃を避ける。が、脚をぐねった。そこに体をぶつけられ芝生に倒れる。下から鎖鎌の手を掴んでナイフを芝生に突き立てる。
「どう? 怖かった?」
鎖鎌は不器用に笑顔をつくった。
「ね、ほら、アタシのこと好きになるでしょ?」
「つまり、あれか。ドキドキするとそれが恋愛感情だと錯覚する。……吊り橋効果でも狙ったってことなんだろ」
鎖鎌は黙りこくった。目が異様に光っている。ナイフをよく見ると、刃先がとんがってない。これでは紙すらうまく切れない。
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