第102話 この世の悪意が掃き集められた所

 日曜日、早朝。バスは埼玉に向け出発した。夏は暑さを避けるため、早い時間に試合が組まれることが多くなる。


 薄暗い中、バスは出発し、全員が立てる寝息が響く。カットラスは歯ぎしりがひどかった。

 一眠りすると、剣は立ち上がった。レイピアを意識して、口を開く。

「おそらく、どちらかといえばお前らは恵まれている。月謝を払ってヴァッフェに通い、一部の選手は送り迎えまで、毎日サッカーに打ち込める環境にある。お前らには毎日少なくない負担がかかっている」

 ああ、フランは違った。おっさんAがぴくり、身じろぎする。

「俺もそうだった。札幌の東区に生まれた俺は小学生ん時、テニススクールに通い、カーリングまでやっていた。


 家はそれなりに裕福だった。

 俺の家には銀行が持ってきた無数の粗品、手土産が転がっていた。預金をお願いに来ていたのだろう。俺が生まれた頃なんか定期預金を組むと金利で年に数%増えていく、今じゃとても考えられない時代だった。今もむこうみずに日本銀行がガンガン株と国債を買ってるから投資で利益を出すのが難しくない。売っても売っても日本銀行が買い支えて株価を戻す。金がある奴は資産運用により不労所得が得られる。株を持っていれば株主優待でますます得をする。

 問題なのは海外投資家も儲けてるから国富が順次海外に流出してることだな。株価はバブル状態。そのうち弾けるかもしれん。ああ、話がずれた。

 

 お前らにとってはこの環境はあって当然の権利かもしれんが、多分お前らはもう少し親に感謝したほうがいい。

 みんながみんな、やりたいことができるわけじゃない。環境が整っていないとスタートラインにすら立てない。アフリカ人のフィギュアスケートの選手はほとんどいない。フィギュアはすごく金がかかるし、そもそもアフリカにはリンクが少なすぎる。競泳だってそうだ。黒人は人種差別に遭ってプールに入ることすらままならない。


 藤井聡太も幼少時に将棋を教わり近くに将棋教室がなければあんな棋士にはなれなかっただろう。

 どの分野にしたってそうだ。

 俺は今になって、両親に感謝している。アメリカに留学までさせてくれた。日本にいたままだったら、プロになることもなかっただろう。


 さて、本題。

 うちの親会社は知ってるな? 東京ツーリストだ。日本有数の旅行代理店でヴァッフェはこの企業がなければ存在しなかった。このバスも普段は観光バスとして全国を飛び回っている。通信カラオケが入ったクラブバスなんてうちだけだぞ?


 お前らの耳にも入っているだろう。ここがヴァッフェを捨てるかもしれない。そうなったらうちはまもなく解散するだろう。

 昔、Jリーグに横浜フリューゲルスというクラブがあった。ここは佐藤工業と全日空ANAが撤退し、マリノスに吸収合併される形になった」

「今ね、新しい報道が出てきた。ヴァッフェ応援ツアーの参加者が少なかったことが主な原因か、だって」

 と、スマホを眺めるショーテルが情報をくれた。

「なるほど。東京ツーリストはヴァッフェがアウェーで試合するときにバス旅行、宿泊まで構成した旅行商品を企画して販売している。東京ツーリストがサッカーに参入したのもこれが狙いだろう。だが、これだけ負けるとそりゃ、人気が出ないだろうな」

 おっさんAの肩が笑っている。本当に笑えるわけがない。


「今ね、2ちゃんねる見てるけど、なんていうか、同情されるよりは叩かれてる……」

 弓がつぶやいた。

「ああ、これ、あれだ。便乗して叩いてるのって野球ファンだろ?」カットラスが言う。「あいつら毎日サッカー叩いてる」

「でも、サッカーファンも野球叩いてる」

 と、モーニングスター。


 剣は迷った挙げ句、口を開いた。

「ちょっと小難しい話をするぞ。


 世界は一つに見えて実際はほぼ無限にある。

 個々の生物は己の信じたいものだけを信じる。自分の考えと異なるものは大概、無視する。人はその人が信じたいものを真実として認識する。自分が観測する世界と他者の観測する世界は同一にならない。


 ヒトは高い知能で目の前の相手の立場をおもんぱかり、想像する。世界のすり合わせを行う。そのとき世界と世界は徐々に近づく。そうして社会は成り立っている。


 インターネット掲示板では同じ思想を持った人間がコミュニティを作り、小さな宗教を創始する。信者・・にとってそこで編まれた教典は確かな真実だ。しかし他者から見るとそれは妄想に過ぎない。数の力で真実なんてねじ曲げられる。作り出せる。


 敵対する宗教があれば当然宗教戦争が行われる。論理よりも数と熱意が勝利への鍵だ。論理が破綻していてもさして問題ではない。敵が書き込んだ致命的な指摘は目に入れなければ良い。無視すれば良い。ただ自分の主張を繰り返せば良い。数で圧倒してしまえば良い。何せ相手は目の前はいない。気にしなくて良い。世界のすり合わせは行わなくて良い。


 ネット上にはたくさんの、真実という名の嘘が跋扈ばっこしている。基本的に連中の言うことは信じるな」

「嘘には意図があるからね。いろいろな事実を見ていれば見抜けるよ」

 と、モーニングスター。俺は彼女をちらり眺めて再び口を開いた。

「昔、日本人は中国を侵略した。中国人は潜在的に日本人に心的外傷トラウマがある。屈辱に感じている。


 普通、暴力ってのは強い奴が弱い奴を殴るもんだ。殴った奴は殴ったことなんて大したことだとは思わない。

 でも殴られた方は違う。

 殴られた痛みは忘れがたい。死ぬまで記憶している。


 そのことをアメリカは911同時多発テロで痛感した。アメリカでも賢い人間は理解している。アメリカが中東に対し行った2つの戦争は踏みとどまるべきだった。馬鹿なアメリカ人は、アメリカが行うことはすべて正しいと思っている。アメリカに殴られた痛みは語り継がれ、まだまだ自業自得な災難はアメリカに、ついでにアメリカと同調した国にも降りかかる。


 少しお利口になったアメリカは北朝鮮周辺へ艦隊を派遣し勇敢なる一歩を踏み出したかと思うと、二の足を踏んでいる。戦争に勝つのは容易。でももうテロはこりごりなのだ。911以降、膨大なテロ対策費が財政に重しを乗せている。これ以上増えるのはごめんだ。北朝鮮からは石油は出ない。


 世の中は不平等にできている。

 アメリカは核を見せびらかすが、ほとんどの国は核実験をしようとすると懲罰を受ける。

 しかしもうアメリカも昔のようにやりたい放題はできなくなった。


 俺の好きなアニメに『コードギアス 反逆のルルーシュ』がある。

 1話、主人公のセリフ。『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ』

 

 2ちゃんねるは匿名とくめいゆえに人が普段包み隠している本音が吐露される。刺激的なのでついつい見てしまう。それは仕方ない。

 信者・・が口論する所でもある。任天堂とソニー、日本人と韓国人、右翼と左翼、選手と選手……枚挙にいとまがない。そして、野球とサッカー。


 果たして、サッカーファンは撃たれる覚悟はできているだろうか。

 多分、感情が先行している。恋慕も憎悪も人を盲目にさせる。


 現状、日本のファーストスポーツは野球だ。大谷翔平のような貴重な人材が野球に取られているのが現状だ。  

 サッカーファンは野球は動きが少ないスポーツだと揶揄やゆし、デブが多いからと野球ファンのことを『焼き豚』と呼んだ。対してサッカーファンをサカ豚と呼び、ののしり合う。楽しいね」

「楽しいのか?」

 クリスは目をキラキラさせる。


「おそらくこの争いは、サッカーのために、野球のためになっていない。お互いに繰り広げるネガキャンネガティブキャンペーンは双方の悪い面ばかりを大写しにして、喧伝する。サッカーファンに殴られた野球ファンはサッカーを憎み、口撃し続ける。


 最も顕著な例はゲーム機戦争だ。ネガキャンの応酬の結果、任天堂とソニー、どちらが勝った? 少なくとも日本市場は漁夫の利を得たスマホゲーの完勝だ。youtubeでは家庭用ゲーム機の宣材動画に評価やコメントができない。こんなの日本だけだ」

「でも、悪口を言われて黙っていろとおっしゃるの?」

 レイピアは不機嫌そうだ。

 

「限度を超えたものは罰さねばならない。でも、寛容になることが必要だ。感情を制御するのは困難だがね。そうしないと、争いは両者が消え去るまで続く。フセイン政権が打倒されても戦争は終わっていないし、もし将来プロ野球がなくなったとしてもテロ攻撃匿名の書き込みによってサッカーはかえって叩かれ続けるだろう。

 お前らはあんな無為な戦争に参加するなよ。有意義なことに時間を使ってくれ。


 俺は今まで、たくさん人を殴ってきた。最近思うんだが、結果、俺は幸せになっていない。デメリットばかりだ。俺はたくさん報復を受けた。アンチが多い。


 怪我をしたくなければ、相手に怪我させるようなタックルはするな。相手を傷つければそのリスクはチーム全体で背負わなければならない。相手チームにラフプレイをする口実を与える。


 人の恨みを買わないのが賢い生き方だ。


 自分のタックルで倒してしまった相手には疲れていても手を差し伸べて欲しい。そうすればその選手はお前を意図的に怪我させるようなタックルを躊躇するだろう」


 突としてモーニングスターは自分の首に提がったロザリオを握った。

 新約聖書。マタイによる福音書第五章・ルカによる福音書第六章。

 

 なんじの敵を愛せよ。


 それはものすごく勇気が要る。

 はりつけにされてもなお、愛するなんて。

 タックルが出来なくなってしまったら自分の存在意義なんて無くなってしまう。

 困ったなあ。



 

 ※この話を書いたとき、5chは2chでした。

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