第51話 王様

 俺は事務室に出向くとクリスマスに休暇の申請をした。

「そういえば今まで一日も休んでないんだねえ。殊勝なことだ」

 おっさんAは朗らかに対応してくれた。

「アスリートは毎日適切な負荷を掛ける必要がある。一日怠けると三日分後退してしまうからな」

 少しずつ、練習にも自分の色を出していく。

 

 明くる日、俺が練習場に着くと、ランスがクリスを背負って練習場を駆けていた。クリスはバケツを頭にかぶり、棒きれを振り回す。

 Mount & Bladeごっこでもしているのだろうか。列強に包囲され蹂躙されるスワディア騎士の悲哀を演じているのかもしれない。

「これが世に聞こえた汗血馬ね」

 と、視界0ゼロのクリスは馬上ではしゃいだ。


 俺はフランの元に向かう。

「お願いがある」

 フランは練習場を走り回る人馬の様子を眺めていたが、しなやかに振り返った。

「嫌です」

「俺にサッカーを教えて欲しい」

 フランはわずかに口角を上げた。眉が下がる。

 少しは迷うそぶりを見せてくれないか。

 俺には取引に応じる用意があった。

 しかし先方からそんな条件は提示されず、俺の粘り腰で元手のかからない土下座と今夜の講義という俺にとって非常に有利な条件で契約を勝ち取る。



 練習が終わり、汗を洗い流したフランはボディガードの手裏剣を連れ早速やってきた。

 カタカタとストーブがやかんを震わせ、外では今日も元気にスタッフが月に咆哮する。

「日本に比べるとヨーロッパは個人主義だ。だが彼の地のサッカー指導者は子供達を『One for all一人はみんなのために,All for teamみんなはチームのために』と書き換えようとする。

 プロもアマチュアも、ボールの前では平等だ。ただ一個の人間だ。

 人間は人間のルールを学んで育つ。常識は常識になる。常識外のものをおかしいと感じるようになる。

 洗脳される。

 チーム全員が、全力を尽くさねばならない、はずだ。


 いや違う。


 フットボーラーの中には、特権階級が存在する。

 プロになる連中は大体、そうだ。草サッカーの最中にふと自分のレベルが周りの連中と違うと気付く。

 そういった連中は腕試しにクラブに入る。選抜され、強い相手と戦い、自分の力量を測る。……このシステムが日本には余り整備されているとは言えなくてな。スポーツ文化が脆弱ぜいじゃく過ぎるのが問題なのだが。

 たぶん、お前らもそんな経験があるだろう。そして大抵CFセンターフォワードをやらされるんだ。が、レベルの高いカテゴリーに進むにつれ各人の適正を理解するに従って、自分のわきまえ、各ポジションに散っていく。


 ライオンの子連れの母親が狩りに成功したとき。まず自分の胃袋を最優先させる。自分が狩りができる体力を残しておかなければいけないからだ。


 サッカーでも似たようなことがある。優れた得点能力を持った選手は、守備を免除されることがある。走ってボールを追いかけ回すことは誰にでもできる。でも、本当に相手守備陣の脅威になれる選手は守備で消耗させず、攻撃の段に全力を出させて異能を発揮させるべきという考えだ。


 誰だって点を決めたい。注目を浴びたい。でも監督はある選手には守備をしなさいといいある選手には守備をしなくていいと言う。


 そんなの不公平だ。


 結果、選手同士の衝突になることもあるだろう。

 人間には『諦める』という能力もある。実際に自分とはレベルが違うプレーを見せつけられると、敬服する。『こいつにはかなわない』。そして監督の意図を理解し、自分のすべき事を為す歯車の一つに成る。

 チームというのは様々な思いが重なり合ってできている。


 優れた選手は、よりレベルの高いクラブに移籍する。すると最早もはや王様ではいられない。額に汗する労働者にならなければならない。


 ところが、だ。


 この世界には超一流のクラブにいても玉座に就く人間が二人、存在する。

 一人はクリスティアーノ・ロナウド。

 一人はリオネル・メッシ。

 この二人は圧倒的な能力を持ち、威名を世界に轟かせる。

 二人はすべての試合に出場し、すべての試合で活躍したいと望む。

 そんなの無理だ。


 二人の所属するレアルマドリードとFCバルセロナは、強豪故に沢山の試合が組まれる。週に二試合のペースが敗北を喫するまで続く。90分激しい運動を続けるサッカーはその過酷さ故に本来、週に一度の試合が望ましい。

 でも、二人はすべての試合に出たいのだ。だから……」

「守備を免除される」

 フランが口をはさむ。

「そうだ。もしかしたら、ベンチで休むべき試合を増やすべきかもしれない。そして90分走り回れる選手を使って、この二人はフレッシュな状態で次の試合に出た方がいいかもしれないのだ。


 この二人の持つ権力は、おそらく監督より上だ。

 C・ロナウドはマンUで当時の監督ファーガソンといさかいを起こした。ロナウドはベンチに座ることをいさぎよしとしなかった。のレジェンド、ファーガソンですら、ロナウドの情熱を抑えつけられはしなかった。ロナウドはマンUを飛び出しレアルマドリーに移籍する。


 超一流の選手達に自分の分の労働を肩代わりさせ、自分は華となる攻撃に専念する。とんでもない話だ。

 でも、実際に一緒にプレイすれば、わかるのだ。この二人は精魂込めて築き上げた防壁に、ひびを入れ、瓦解させる天賦の才を持つ。


 ロナウドは才能に甘えない努力家だ。たゆまぬトレーニングで強靱な肉体を作り上げ、競り合いにめっぽう強い。スピードを活かすためサイドをスタートポジションとし、ゴール前に走り込んでストライカーと化す。一方で筋肥大の代償として敏捷性を失い、華麗なドリブラーとしての影は薄くなっている。


 マンU時代はロナウドがバイタルエリアでボールを持つ直前、ルーニーやテベスがプルアウェイゴールから離れる動きでサイドにDFを引きつけシュートコースを空けさせ、ロナウドがその豪脚からミドルシュートを放つパターンが幾度となく見られた。このワールドクラスの二人は攻撃の時ですらロナウドの引き立て役だった。


 メッシは言わずと知れた世界最高のドリブラーだ。現在、バルサは数多のチャンスを創出したシャビの穴を埋め切れておらず、イニエスタも怪我がちで創造性を欠くが、攻撃が停滞するとメッシがバイタルエリアに降りてシャビの仕事も担う。パサーとしての能力も一流でその技術と知性は世界屈指。


 メッシを表現するのは難しいがえて言葉にすれば」

 俺は椅子に座り直す。

「今、この世界は、メッシのために存在している」

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