第50話 然もありなん

 エロスがふとバックスタンドを振り返ると、TVカメラが何かいいはないか探し回っているのが目に入った。これはまずい。俺はカメラが観客席を向いているうちにベンチを出て、少し後ろから試合を観ることにした。


 何度かエロスは眠くなって小さく船を漕いだ。冬でなければ熟睡していただろう。

 ヴァッフェ東京、プランツ甲府、ともにリスクを負わない。先取点が千金の価値を持つことを両監督は入念に選手達に伝えていた。何も起こらないまま、前半を終える。観衆の異様な熱気と緊張感がこの退屈な試合をかろうじて支えていた。彼らも娯楽性の乏しい試合にならざるを得ない理由をよく理解していた。


 後半、仕方なくヴァッフェは少しずつ前線に人数を掛けた。控えも早くからアップを命じられる。

 先取点は思わぬ所からもたらされた。後半20分、ヴァッフェのCH、トマホークがプランツのセットプレーのこぼれ球をクリアしようとしたがシューズのアウトサイドにかかってしまい、低く飛んだボールは味方の後頭部を直撃、そのままヴァッフェゴールに飛び込んだ。トマホークが天を仰いで何かを叫ぶ。


 ライスがおにぎりを食べる速度上昇、したかと思ったらせてそこらに紅鮭をまき散らす。

 東京ホームでの失点なので一点取って同点になっても昇格にはならない。

 フランがビブスを脱ぎ、ピッチに降り立った。

 

 やっぱりライオンじゃないな。

 エロスは何だかやたらけむたかった。目をしばたたかせる。やるせない。せきをする。

 餓狼だ。おなかぺこりんだ。

 俺は、餌をやらなかった。


 フランはパスを受けると、ボールをつついて前進。目の前に、プランツが迫る。

 味方は見なかった。シューズのインサイドにボールを引っかけ、ぐいっと相手を横切る。相手の足が伸びる。撥ね返す。

 突進。

 フランに忠誠を誓ったボールが彼女に献身を見せる。フランの相手が、コーンに見えた。反復横跳び、鋭角に切り裂く、スラローム。したかと思うと出し抜けに、右足一閃。キーパーは一歩も動けず、ボールはゴール右上隅に飛び込んだ。


 祝福しようとチームメートが駆け寄る。

フランはボールに駆け寄ると「まだです」と相貌を崩さない。先輩達の笑顔に冷水をぶちけた。


「何あの子」

「聞いてない」

 プランツの面々が円陣になった。

「守り切れば残留! カエデ、あの子にマンマークで」

 アウェーの観衆がもう一点を期待し応援歌チャントを歌い始めた。

「こっちから攻めなくていい。終わるまで繋いで行こう」


 楓はフランに対し劣勢。幾度も切りつけられ、カードを貰い、何度もピンチを迎えた。チーム全体でフランへのパスコースを塞ぎにかかるもフランは柔軟に動いてボールを受け、ミドルシュートを放つとゴールポストに当たってかろうじてクリア。たまらず椿ツバキもフランにつき、こうなると全体的にリトリートを強いられた。さすがにフランも大人相手に独力突破はそう何度も許されず攻めあぐね、バイタルエリアで前にスペースなく立ち往生、しかし無理矢理斜めに切り込んだ。楓はフランにプレス。

 !? 楓は戸惑う。


 フランがボールを持ってない。


 フランの後ろにボールが落ちている。トマホークが駆け込んで、右足を振り抜く。プランツDF陣はフランの侵入するスペースを消すのに傾注、シュートブロックにいけない。インフロントキックで巻いたボールはDFをよけてゴールに吸い込まれた。

 トマホークはフランに飛びつく。

「すげえ蹴りやすかった!」

 フランはやはり特に反応しなかった。この後の試合をどう閉めるかで頭がいっぱいだった。


 失点シーンではキックミスはしたものの、確かにトマホークは悪くない選手に見えた。それを感じてフランは後ろにボールを置き去りにして自分はDFを引きつけた。自分へのマークを逆手に取った。止まったボールだったのでトマホークは蹴りやすかったはずだ。

 エロスは舌打ちをした。目をつむる。何か無性に殴りたくなる。観客席に歓呼の声が舞う。それがざらざらとエロスの耳に押しる。どうしてこんなものを観なければならないんだろう。


 プランツは反撃に出るもフランはここでもよく奮闘し、悠々と試合終了を迎えた。


 降ってわいたシンデレラ。

 観客席はフランベルジュの名を叫び続けた。そしてこのまばゆい新星がピッチを駆ける来期の、未来のヴァッフェを思い描き、喜びと希望に満ちた。

 フランの前に、エロスが現れる。

「調子に乗るなよ。森本貴幸は中学生のときにJ1でゴールを決めている。でも今はどうだ。……気を抜いたら、あっという間に置いて行かれるのがこの世界だ」

 フランは唇を閉じ、下を向いた。


 確かに、それは事実だ。

 でも今日ぐらい、そんなこと言わなくたっていいじゃないか。

 いつもそうだ。エロスは自分に何か重しを乗せる。

 フランはやっぱり無表情にドレッシングルームで浮かれ輪になり踊り歌うヴァッフェの選手達を眺めていた。



「エロス君」

 職員に促され、ライスは記者会見に向かう。その忙しい最中、わざわざライスはエロスに呼びかけた。

「君に如何なる事情があるかは知らないが選手というものは試合に出たいものだ。ましてやあれほどの大器だ。君は方針を改めるべきだと思うがね」

 ライスは慌ただしく会見場に向かった。



「なんだか、浮かない顔だね」

 フランは振り返った。またこの人だ。

 フランは歩みを止めない。

「正直、予想以上だったよ。これなら即戦力だ。どうだろう? 来期、うちのトップチームでやってみる気はないか? プロ契約を結びたい」

「わたくしにはヴァッフェに拾ってもらった恩義がある。恩にはむくいらねばならない」

「でもスタメンじゃない」

 フランは黙ったままスタジアムを出た。

「うちなら、もっと試合に出てもらえるよ。何千人もの観客が、君を観るためにスタジアムに来るんだ」

 育ててもらった。学費も出してもらっている。

「もちろん、今通っている学校の学費は代わってうちが出す。加えてうちには寮もある。それなりに住み心地はいいと思うよ。もうバイトする必要もないだろう。サッカーに専念できる」

 夜で良かった。

「君は逸材だよ。フランベルジュ。その将来性を高く買ってるんだ。能力のある者はそれなりの報酬を貰ってしかるべきだ。今の君に十分な年俸を払う用意がある」

 フランは歩幅を広く取って、どろどろした街へ逃げ込んだ。

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