第22話 本田圭佑論
「名古屋からオランダVVVに移り、脚光を浴びた選手だ。日本人離れしたフィジカルとキック力を持っていた。無回転
『サッカーには三つの速度がある。一つは反射速度。瞬間的なボールへの反応速度だ。二つ目は加速力。トップスピードに到達するまでの速さだ。三つ目はトップスピード。その選手の最も速い状態の速さだ』
FIFAやウイイレみたいなTVゲームでも同様の能力値がみられる。本田は二つ目が遅い。速筋が弱いのだろう。ゆえに緩急をつけたドリブルなんかができない。スピードがないとよく言われるがトップスピードに乗ってしまえばそこまで遅くもない。だが、スピードとフィジカルでゴリ押しするしかないからドリブラーになるのは難しいだろう。
生まれついてのポゼッション志向で、理論派。感覚でサッカーをしない。『顔を上げる時間がないけどこの辺にクロスを蹴っておこう』とか『後ろに誰か来ているかもしれないからボールを落としてしておこう』とかいう
また、シャイでなかなか人と馴れ合わない。
俺はスマホでwikiを確認しながら話し続ける。
「本田が日本代表として初めて脚光を浴びたのが2009年5月27日のキリンカップの対チリ戦だ。右サイドで本田は出色のプレーを見せ、4-0で勝利。
岡田監督は本田を重用することはなかった。もっと早く本田の能力に気づいていれば、本田はロシアに行くことはなかったはずだ。
2010年1月、本田は
だが、どうやらここが本田の最高潮になりそうだ。CSKAモスクワからステップアップしようとしたが、CSKAは本田を手放そうとせず、契約期間満了まで四年間、抑留されることになった。CSKAは監獄に
ザックJapanでは中核を担い、ポストになった。普通ポストプレー前線で行うものだ。本田は、バイタルエリアでポストプレーをした。日本人でこんな芸当ができる選手を他に見たことがない。相手に当たられても受け止めて撥ね返して、パスを繋ぐ。
2011-12シーズン、右膝半月板を負傷。一度復帰するも、医療ミスでまた故障が再発した。本田はもうロシアの医療チームを信用せず、スペインで手術。この故障で、本田は大きく身体能力を減じた。もう無回転FKで人々を沸かせることもないだろう。
日本サッカー界にとって痛すぎる損失だった。悔やまれるのは2010年に移籍を決断してしまったことだ。2009年時点で本田の能力に岡田監督が気づいていたら……残念でならない。もう少し後ならVVVとの残り契約年数が減り、もっといいオファーも選択でき、怪我をしたとしてもより良い医療を受けられただろう。
ダイジョーブ博士で失敗したようなものだ。結果、バセドウ病に罹ったとみられる。悪循環だ。目に見えて体力が落ちた。2014年、ようやくACミランに到着したが、早々にミランはアッレグリ監督を解任してしまう。
ミランはその後、セードルフ、インザーギ、ミハイロビッチ、ブロッキ、モンテッラと
本田にとっても不幸だった。本田は日本人らしく
おそらく来年の七月に自由移籍するだろうが、どうやら本田も自分が活きるのはチキタカしかないことに気づいているようだ。先日、本田の代理人がバルセロナに逆オファーしたという記事があった。まあ、ダメ
「リーガには清武弘嗣が移籍しました。今後は活躍できるでしょうか」
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