第16話 逃亡
俺の生徒達は捕虜の目で観客に礼をした。
俺の前に真っ赤な手が差し出された。ゆっくりと首を上げる。
「今日はありがとうございました」
にこやかに。ああ、浜松の監督だ。俺は手を取り、二の腕にすがりつき、監督に抱きついた。
「ありがとうございました」
「あ、あの。っは……情熱的なんですね。さっきは淡泊な方だと思ったのに」
「いや、先ほどは、敵だと思うと……つい」
監督は微笑した。
「っツ! 失礼します」
監督は首にまで手を掛けおおいかぶさるエロスを振り払うようにしてその場を去った。ツンデレ作戦失敗。
我に返る。治療中のランスに駆け寄る。
「油断した。大した負傷ではない。それよりも退場する形になり、申し訳ない」
「応急処置は終わりました。眼瞼切創ですね。それと眼球打撲のおそれがあります。眼科に行くべきです」
雲母
「ランス。このまま病院に行け」
「
これからドレッシングルームに戻って、選手達と顔を合わせなければいけないかと思うと、憂鬱だった。
ああ、やだな。
俺は帰った。
「うわああああああああああああああああああ!」
俺の声だ。
変な汗をかく。
フランベルジュは、きっと俺を軽蔑するだろう。ふふふははは。
なんだあいつは自分を起用せず、昨日などには
って。俺のことをあざ笑っているはずだ。
「うびゃあああああああああああああああああ!」
腹から声が出る。ベランダからカラスが飛び立った。町中に響き渡る。
誰かが駆けてくる。ポリスだ。
俺は194センチある。何もしてなくても衆目を浴びる。慌てて人混みにまぎれる。でももちろん俺は頭一つか二つ、抜き出て目立ってしまう。くそっくそっくそっ。
早く不審者とやらを捕まえてくださいませよ。
さすがに無断直帰は、やり過ぎたかもしれない。
九月の下北は、まだまだ暑い。いつもの街が、異郷に見える。
クビか。
まあそれもよかろう。
我が家にたどり着くと、全身から力が抜けた。体が重い。
まだ昼だが、眠っておきたい。
「ぴゃああああああああああああああ!」
だめだ。すげえ眠いのに寝れない。
負け犬のまま、逃亡するのか?
テレビを点け、PS4のイジェクトボタンを押し、中のFIFA16とウイニングポスト8 2016を入れ替える。そのままゲームを始めた。
うーん。やっぱりダビつくみたいに細かく騎手に作戦を指示したい。マンネリを防ぐために毎年クエストも与えられるようにするべきだ。
そしてふと、気がついた。俺は、育成ゲームが好きだ。
疲れたのでクジャの部屋に行く。ああ、言ってなかったと思うがクジャとは俺が飼っているスローロリスの名前だ。コードをかじる危険と三浦に危害を加えられる可能性のために部屋を分けている。
どうして人間は毛がびっしり生えている生き物が好きなのだろう?
DNAに氷河期の記憶でも刻んであるのだろうか。俺はクジャの腹に顔を
そのまま眠ってしまい、目覚めると早朝だった。クジャは俺に寄り添って夜を明かしていた。午前五時。
クジャの部屋は空調が効いており、二十六度に保たれている。おかげで風邪を引かずにすんだ。腹が減った。最後に口にしたのは何だっけ? ソフトクリームだ。あれから水しか飲んでない。何か買いに行こう。光の痛みに目頭を押さえながら外に出る。
最初は、妖精か何かだと思った。
瓶がぶつかる小さな音がする。
真っ白な髪をなびかせて、駆けてくる。
俺は物陰に身を隠した。
足音が近づいてくる。
「よお」
「コーチ……?」
牛乳瓶を持ったフランベルジュが肩で息をしながら、マンション廊下の陰っこをのぞき込んでいる。
「感心しないな。女の子が逃げる男を追っかけてこんな隅っこまで来るなんて」
「わたくしはアスリート。サッカーは格闘技。並の男には負けません」
俺は立ち上がった。フランベルジュを見下ろす。
「俺が並の男に見えるか?」
「コーチには、勝てないでしょうね」
俺は唇を結んだ。
「仕事がありますから、失礼します」
フランベルジュはドアの隣に牛乳瓶を置き、空の牛乳瓶を回収した。
「あ、そうだ」フランベルジュは振り返らない。「みんなにはコーチが急用で帰宅したと伝えておきました。育成部部長のほうにも同様に」
「そうか」
呼吸の仕方を忘れる。フランベルジュの背中はみるみる小さくなる。
なんだか胸がいっぱいになった。今朝はもうこれでいいや。フランベルジュのミルクをぐいっと飲み干した。
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